平らな深み、緩やかな時間

282.『現象学』木田元著①フッサールについて

哲学者の木田 元(きだ げん、1928 - 2014)さんに、岩波新書『現象学』という著書があります。1970年に書かれたこの新書は、木田さんにとっては比較的早い時期に書かれた、一般向けの哲学書だと思います。

私は木田さんが、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)の『眼と精神』などの翻訳者だと知って、学生時代にこの新書を本屋で見つけて、さっそく購入しました。ポンティは画家のセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)について論じているので、私にとっては美術と現代思想との繋がりを考察する上で、大切な手掛かりでした。そして「現象学」は、私の知っている現代美術の作家たちも度々言及している思想でもあったので、『眼と精神』の翻訳者が「現象学」について解説している著書が新書で手に入る、というのは貧乏な美大生にとってうってつけだったわけです。

そして本を開くと、とても魅力的な導入部の話があって、私はこの部分だけでも何回も繰り返して読み返したものです。しかし肝心の中身に入ると、途端にその難解さに途方に暮れることになりました。その理由は実に単純で、私が読んでいたメルロ=ポンティは「現象学」という思想の繋がりの中で一番最後に出てくる哲学者で、その前にフッサール(Edmund Gustav Albrecht Husserl、1859 - 1938)、ハイデガー(Martin Heidegger, 1889 - 1976)、サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre 、1905 - 1980)といった人たちが次々と登場するのです。フッサールとハイデガーと言えば、哲学を勉強する人にとっても難渋な著書を書いたことで有名な人たちで、新書でその思想の概略を示されたとしても、私などに理解できるはずがありません。

加えて、ちょっと言い訳を言うと、文頭に書いたようにこの新書は木田元さんにとっても、比較的早い時期に書かれたもので、その後の一般向けの著書に比べると内容が難しいのです。そもそも「現象学」の全体像を手短に語る、ということ自体が困難な試みでしたから、致し方なかったのかもしれませんが・・・。

というわけで、なかなかこの本の内容を把握できないでいたのですが、それぞれの思想家についてある程度のイメージを持てるようになった今なら、少しは読み解けるかな、と思って今回、取り上げてみることにしました。ただ、それぞれが現代思想の巨人ですし、「現象学」の思想は簡単に理解できるものでもありません。とりあえずフッサールから始めて、数回に分けて読み解きたいと思います。

 

さて、「現象学」の全体像と、それぞれの思想家がどのような影響関係でそれを引き継ぎ、どんなふうに独自の思想を形成したのか、木田元さんほどそれを解説するのに相応しい学者はいないでしょう。私たちは最近、國分功一郎さんのスピノザの研究から、「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」(國分功一郎さんの著作より)について考察してきましたが、どうやらフッサールも同じようなことを考えていたようです。よかったら、國分功一郎さんのスピノザ解釈を理解した上で、フッサールと比較してみてください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/a1947ba45a00bcc44f8d3edfff124425

私はこの一連のblogによる考察の最終回に、國分功一郎さんの「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」のスピノザと「現象学」を比較検討してみることにします。継続して読んでいただけるとうれしいです。

 

それではまず、この『現象学』という著書ですが、先ほども書いたようにとても興味深い話から始まります。次の文章を読んでみてください。

 

「アロンは自分のコップを指して、《ほらね、君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれは哲学なんだ!》

サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。それはかれが長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。つまり事物について語ること、かれが触れるがままの事物を、・・・そしてそれが哲学であることをかれは望んでいたのである。」

サルトルがはじめて現象学と出会ったときの情景を、シモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールが『女ざかり』のなかでこう描いてみせている。1932年、ベルリンのフランス学院で歴史の論文を準備しながらフッサールを研究していたレーモン・アロンがパリに帰省し、モンパルナスのとあるキャフェでサルトルやボーヴォワールと一夕を過ごした折の話である。

これは、ドイツに起こった現象学とフランス実存主義の出会いの貴重な第一ページということにもなるのであろうが、それよりも、いまわたしがここに見たいのは、1930年代のフランスの青年たちの現象学との出会い方なのだ。あらゆる哲学の抽象性に絶望しながらも、現実のなかで分裂する自分たちの思考を整然と組織してくれる救援を求めていたかれらは、カクテルをみたしたコップといったきわめて身近な現実について語ることを許してくれる哲学としての現象学にそれを見出したのである。

(『現象学』「序章 現象学とは何か」木田元)

 

はじめに補足です。レーモン・アロン(Raymond Claude Ferdinand Aron、1905 - 1983)は、フランスの社会学者、哲学者、ジャーナリストです。サルトルの友人で、サルトルに先駆けてドイツに留学して現象学について学びました。また、シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir、1908 - 1986) は、フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニストで女性解放思想の草分けとされる人です。前回確認した通り、サルトルとは自由な恋愛を許し合った生涯の伴侶です。

そしてこのカフェの場面ですが、皆さんはどのようにお読みになったでしょうか?目の前に置かれたコップについて語ることができる、ということが、それほど驚くべきことでしょうか?サルトルは「ほとんど青ざめた」と書かれています。それはどういうことでしょうか?ピンとこないと、疑問符だらけの話です。

考えてみると、哲学というのは、ギリシア時代の昔から「イデア」という概念に代表されるように、目の前にあるものの向こう側を見てきました。「本質」とか「理想」とか、そういうものですね。その結果、私たちにとって身近なもの、例えば目の前のコップもそうですし、私がいまここにいる、ということですら、面倒な証明が必要となってしまったのです。私が以前にスピノザを考察するときに引き合いに出したデカルト(René Descartes、1596 - 1650)のコギトを思い出してみましょう。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/d6478fe6d2283e4a3e2690dec5909a27

世の中のすべてが夢や幻かもしれないけれども、それを疑っている自分自身だけは疑いようがない、だから私は存在する、というのが、有名な「我思う、ゆえに我あり」コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum(ラテン語)ですが、普通に考えると、これは奇妙な考え方ではないでしょうか?しかし、実際に哲学では目の前のコップですら、これは夢や幻ではない、という証明ができない限り、論じることができないのです。そういう学問的な素養がある人たちからすると、目の前のコップについて論じることが可能な思想がある、というのは青ざめるような事件だったのです。

このことがわからないと、フッサールの思想の重要性がよくわかりません。いったい何をやった人で、それがどれほどのインパクトがあったことなのか、それまでの流れを知らないと見当もつかないのです。

私はデカルト以降の、何かにつけて存在証明が必要になってしまった学問の世界を異常だと思うのですが、フッサールも同様に感じていたのではないでしょうか。次の木田元さんの解説を読んでみてください。

 

フッサールの考えでは、ヘーゲル以来の19世紀の思想的動向はすべて学の理念の「弱体化」ないし「変造」の方向に進んできた。自然科学の発達にともなって力を得てきた自然主義は、たしかにこの理念を忘れたわけではないが、それが目指しているのは結局のところ方法的抽象にもとづく数学的な「精密性」であり、しかもこれのみを唯一可能な存在開示と見る方法的仮定によって、本来無仮定であるべきはずの学の理念を変造しているのである。自然主義者は、自然以外の何ものをも認めない。ここで「自然」と考えられているのは、まず空間的時間的な物理的存在であり、次いでその物理的なものに付随して変化するかぎりでの心理学的存在である。したがって自然主義にとっては、存在者はすべて精神物理的な自然の連関に属し、確固たる法則性によって一義的に規定されている。当然そこでは、一方において意識の自然化が、他方においてはイデア的なものや実践的規範の自然化が行われる。

(『現象学』「Ⅱ  超越論的現象学の展開」木田元)

 

この解説も難しいですね。でも、大筋としては先ほど私が言ったようなことにフッサールが疑問を持っていた、と思って読むと意味がわかるのではないでしょうか。それから難しい学問の本を読むときには、言葉に注意が必要です。例えばここでいうところの「自然主義」というのは、私たちが思っているような、自然に寄り添うという意味での「自然主義」ではありません。例えば目の前にあるコップも、鉢植えの植物も、愛らしい子供も、すべてを原子や分子に分析してその存在を解釈し尽くすようなものの見方のことを「自然主義」と言っているのです。私たちの語彙で言えば「自然科学」と言ってもよいのかもしれません。そして、フッサールが研究を始めた頃の心理学は、そのような自然主義の経験の積み重ねによって、人間の心理も解き明かされるのではないか、と考えるような科学的な、システマティックは心理学だったのです。

なぜフッサールはこのように同時代の思想に対して批判的な考えを持つようになったのでしょうか。彼はもともと数学者でした。そして数学的な立場から論理学を考察していったときに、フッサール自身が批判したような心理学のアプローチによって、人間の認識のメカニズムを解き明かそうと考えたのです。しかし、そのときに彼は疑問を持ちました。このような学問の方向性は、普通に考えると大した根拠のない、特殊な考え方の上に築かれたガラスの城のようなものではないか、このような考え方を積み上げていっても、それは結局のところ学問の「弱体化」をもたらすだけではないか、という疑問です。

それでは、そのような学問をどのような方向に導いたらよいのでしょうか?そこでフッサールが考えたのが、このような学問的な態度を一度保留して、本来的な意味で「自然に」世界を見たらよいのではないか、ということです。そのことをフッサールは「超越論的還元」というふうに言いました。この難しい単語を見ただけで、もう考えるのが嫌になりそうですが、ちょっと我慢して木田元さんの解説を読んでみましょう。

 

フッサールの言う超越論的還元は、自然的態度の一般的定立を否定するのではなく、ただその遂行をストップし、あるいはそれに自分も身を入れて行うのをやめてそこへ反省の眼を向けるのである。かれはまた、その定立を「括弧に入れる」とかその定立作用の「スウィッチを切る」などという言い方をしている。スウィッチを切ったからといってそこにある配線が消えてなくなるわけではない。ただ日頃無意識に行なっている定立作用の電流を切って、そこに敷設されてある配線の具合を反省しようというのである。当然そこで定立されていた世界の存在も否定されるわけではなく、括弧に入れられたかたちで、つまり世界という意味形成としてそのままそこに保存されることになる。

(『現象学』「Ⅱ  超越論的現象学の展開」木田元)

 

これもやっぱり難しいですね。なぜ難しいのかと言えば、私たち(と言っては失礼でしょうか?)には、西洋学問的な哲学の態度が身についていません。だから、その態度を「括弧に入れる」と言われても、何を括弧に入れてよいのやらわからないのです。しかし、だからといって私たちはフッサールが言うところの「自然主義」的な態度と無縁ではありません。私たちはモノを見るときに、すでに十分に近代的な意識の先入観に毒されているのです。私たちは自分たちの中の「自然(科学)主義」的な態度を意識して、それを「括弧に入れ」て、その上でもう一度、根源的な態度で世界を見なくてはなりません。

そう考えるとややこしいのですが、ここからは私の勝手な解釈になりますけど、このような世界の見方はもしかすると、西洋哲学の人たちよりも日本人の私たちの方が理解が早いかもしれません。というのは、禅の世界で坐禅を組んで無の境地を体験する、というあの修行のイメージがありますが、それに近いのではないか、と私は思ってしまうのです。雑念が入るとお坊さんに「喝!」と言って肩を叩かれる、というあの坐禅の心境です。私は修行の経験がないので、予測でしかモノを言えませんが、もしかしたらあのように心をできるだけ空っぽにして世界と接する、という態度と「超越論的還元」は似ているのかもしれません。

話を戻します。

しかしそう考えると、理屈ではそうすればよい、と分かっていたとしても、実践するのが難しそうです。実はフッサールも「超越論的還元」という方法も見出したと思った後も、その思考の深化に応じて言っていることの中身が微妙に変化したようです。次の解説を読んでみてください。

 

こうして現象学的還元によって客体化された自然主義的世界は排除されるが、だからといって我々は無世界的な主観性の領域に立つわけではなく、むしろそうした客体化に先立つ自然な世界経験ーもはや世界についての客体化的な認識ではなく、むしろ「世界内存在」といってよいものーが恢復されるのである。フッサールはこうした自然な日常的経験において生きられる世界を「生活世界」とよんでいる。たしかに、この自然的態度における世界経験も一種の世界定立と見ることができようが、これをも仮定、臆見(ドクサ)とよぶならば、これはすべての真理の前提となるような根源的臆見(ウアドクサ)であり、もはやそれ以上超えることのできないものなのである。

ここにきてフッサールの考え方は、大きな転回を示しているように思われる。現象学的還元つまり哲学的反省とは、もはや無世界的な純粋意識、すべての意味を根源的に産出する超越論的主観性の立場に身を置くことではなく、われわれの素朴な日常経験、ふだんは反省されることもない自然的態度を振りかえることにほかならないことになる。つまり、ここではーメルロ=ポンティの表現をかりればー「最初の哲学的行為とは、客体的世界の手前にある生きられる世界に立ちもどることであり」、「真の哲学とは、世界を見ることを学びなおすこと」と考えられているのである。

(『現象学』「Ⅲ  生活世界の現象学」木田元)

 

さて、このように私たち一人ひとりが「世界を見ることを学びなおす」ということになります。そうすると、私の見ている世界と、あなたが見ている世界と、果たして同じ世界なのか、というあのややこしい哲学的な問いが現れてきそうな予感がします。「客体的世界の手前にある生きられる世界」について、あなたと私は語り合うことができるのかどうか、ということです。お互いにまるで違う世界を見ていたのでは、目の前のコップについて論じ合うことができません。このことについて、フッサールは解決できたのでしょうか?木田元さんの答えは次のようなものです。

 

フッサールの中期の思索においては、現象学はいっさいの経験科学に先行して、経験的研究を導く基本的概念を確立すべきものと考えられていた。超越論的意識の志向的構成作業の連関を反省しさえすれば経験的世界の意味連関はことごとく解明されるはずであった。しかしもはや哲学的反省にそうした権能は認められない。哲学する「われ」が反省によって見出すのは、その哲学的反省そのものがつねに世界に内属する意識の未反省な生活に依存し、それへの反省としてしかありえないということであり、したがって現象学も経験諸科学の事実認識に依存しつつ、しかもその認識には開示されない事実の意味を解読することこそ、その使命があることになるのである。

こうした開かれた方法としての現象学と、絶対的な根拠づけをもつ普遍学の実現を目指す超越論的哲学としての現象学がどう調定されうるのか、後期フッサールの思索は相互に錯綜し、時には矛盾するかにも思える多様なモティーフに沿って展開され、それも『形式論理学と超越論的論理学』(1929年)、『デカルト的省察』(1931年)、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936年、雑誌『フィロソフィア』第一巻に一部が発表される)を除けば、その思索の大部分は草稿のなかに封じこめられていたのであるから、明らかではなかった。しかし、そのそれぞれのモティーフが後継者たちに引き継がれ、豊かな展開を見るのである。

(『現象学』「Ⅲ  生活世界の現象学」木田元)

 

ということですから、フッサール自身の思索は矛盾を孕みながら深化していったのですが、その展開はハイデガー、サルトル、メルロ=ポンティへと引き継がれていった、ということのようです。私はその展開のうちのメルロ=ポンティの思想に触れ、大変に感銘を受けました。彼が考える「超越論的還元」は、画家セザンヌが世界のあるがままを表現しようとしたことをモデルとしているのです。セザンヌが描いた世界はセザンヌ独自のものですが、それにも関わらず私たちは彼の表現した世界を共有し、感動することができます。このように、芸術家の表現する世界というのは、思想的に困難な課題の答えとなりうる、素晴らしいものなのです。

それでは、次回はそのフッサールの思想が次の世代へと引き継がれていくさまを追っていこうと思います。まずはじめはハイデガーになりますが、どのようにフッサールの思想はハイデガーに引き継がれたのか、というところから始めたいと思います。

 

それはそれとして、最後になりますが、フッサールの著作と人となりについて、少しだけ書いておきましょう。

木田元さんは先ほどの引用部分でフッサールの著作をいくつか例示されていました。『形式論理学と超越論的論理学』(1929年)、『デカルト的省察』(1931年)、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』(1936年)ですね。私も現象学に興味を抱くからには、その始祖であるフッサールの著書を読まなくては、と思って私は学生時代に貴重なバイト代から『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を購入しました。分厚い、とっと高い本です。今では文庫や電子書籍でフッサールの著作を購入できるみたいです。この『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』も中公文庫から発売されています。

私は『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を購入したまではよかったのですが、全部読み通すことはできませんでした。フッサールは厳密さを重んじる学者だったので、章ごとにさまざまな思想家の名前が登場し、ひとつ一つを丁寧に批判していくので、その進み方についていけなかったのです。もちろん、それらを理解するだけの教養もありませんでした。やはり、フッサールの思想について大まかなイメージがないと、読むのは辛いと思います。ただし、はじめの第一節はフッサールの危機的な心情と彼の厳密さ、慎重さが交錯していて、その様子が面白いです。次の文章を読んでみてください。

 

学問のためにささげられたこの場所で行うこの講演の「ヨーロッパ諸学の危機と心理」(1935年11月にプラハのドイツ系大学とチェコ系大学で行われた講演の題目)という題目そのものからしてすでに異論を呼び起こすであろうことを、わたしは覚悟しておかねばなるまい。〔その異論はほぼ次のようなものであろう。〕いったい、われわれの学問そのものが危機におちいっているなどとまじめに語られてよいものであろうか。今日よく耳にするこのような言い方は、あまりにも大袈裟(おおげさ)に過ぎないだろうか。学問の危機という以上は、少なくともその真の学問性、すなわち学問がみずからの課題を設定し、その課題をはたすための方法論を形成してきたその仕方の全体が疑問になった、という意味であろう。どのようなことは、哲学に対して言えるかもしれない。たしかに哲学は現在、懐疑や非合理主義や神秘主義に屈服しそうになっている。心理学がいまなお哲学的要求をかかげ、単なる実証科学の一つにとどまるまいとしているかぎりでは、それにも同じことが当てはまるかもしれない。しかし、だからといって、いきなり学問一般や、したがってまた、実証諸科学の危機について大まじめに論ずることなどどうしてできようか。学問一般といえば、その中には、厳密な、そして最も成果ある学問性の規範としてわれわれが驚嘆してやまない純粋数学や精密自然科学も含まれるわけであるが、それらの学問の危機を論ずることなどどうしてできようか。

(中略)

いずれにしても、これらの一群の科学のもつ「学問性」が、哲学のもつ「非学問性」に対して有している対照の著しさは、何びとの眼にも明らかである。それゆえわれわれは、この講演の題目に対して、自分たちの方法に自信を持っている科学者たちがまず最初に内心にいだくであろう抗議にもあらかじめ一つの権利を認めておこう。

(『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』「第一部 ヨーロッパ的人間の根本的な生活危機の表現としての学問の危機」「第一節 学問はたえず成果をあげているのに本当にそうした危機があるのだろうか」フッサール著 細谷恒夫・木田元訳)

 

フッサールは「ヨーロッパ諸学の危機」を感じていたから、「超越論的現象学」という思想に至ったのですが、その「危機」を論じるにあたって慎重に言葉を選んでいるのがわかります。フッサールの現象学が、それまでの学問をいったん保留にするという大胆なものであったことを考えると、この第一節からどれほどの行程を経るとその独自の思想に至るのか、と心配になります。しかしその一方で、彼の危機意識が科学者たちからの抗議を一部認めるとしても、揺るぎないものだったということもわかります。彼の厳密さと真面目さが、最終的には「現象学」を確固たる学問の領域にまで押し上げたのです。愛すべき、そして尊敬すべき頑固親爺です。

 

そのような厳密さを重んじたフッサールですが、彼はどんな人だったのでしょうか?木田元さんが『現象学』の中で、フッサールの授業を受講した当時の日本の学者、高橋里美(1886 - 1964)さんの文章を紹介していますので、それを書き写しておきます。これもなかなか面白いので、読んでみてください。

 

教壇に立ったフッサールの風采は、その鋭い眼光、その厳として犯し難い表情、それは写真で見るフッサールの印象と余り違ったところはない。この人が、あの難しい『論理研究』や『イデーン』を書いたのになんの不思議があろうか。しかし、彼が一度講義を始める時、われわれの予想は既に多少の訂正を受けなければならない。彼の講義は決して華やかなものではあるまいということは、彼の著書によって大体予想はつくけれども、それが諄々(じゅんじゅん?※ていねい/くどくど?※くどい)として説いて倦まざるの程度を遥かに通り越して、恰(あたか)も空転する車輪の如くに、此の時間も、次の時間も、またその次の時間も、幾回となく同じ様な事を倦まず撓(たわ※曲げる、乱れる)まず反復し、一週四時間の講義が一学期かかって、ほんの「現象学還元」を漸(ようや)くにして終わるだろうということが、誰が想像し得ようか。この驚嘆に値する反復と忍耐のために、ー 尤(もっと)も問題が極めて地味で、且つ彼の独特の術語が難解なせいもあるが、ー 聴き手の方が辛抱しきれなくなるのであろう。初めはさしも空席がないほど詰まっていた大教室のあちらこちらに段々淋(さみ)しい穴が明いて来るのが目立つ。けれども彼の講義はそのために別段の影響を受けるように見えず、相変わらず諄々としてまた徐々としてその廻転を続けていくのである。

(『現象学』のなかの引用 「フッセルの事」論文集『フッセルの現象学』昭和6年に所収)

 

いや、すごいですね。現在の大学の授業のことはよくわかりませんが、今の高校の授業では、いかに生徒に寄り添い、生徒自身の考察をアクティブにしていくのか、ということに日々頭を悩ませていますから、フッサールのようなことをやっていたら保護者からたちまちに苦情が来て、すぐにクビになってしまうでしょう。フッサールの著作は難解ですが、先ほども見たように、この講義ほど遅々として進まず、空転してしまうというほどではないと思います。

 

さて、それでは次回は、フッサールとハイデガーの関係から始めます。メルロ=ポンティのセザンヌ解釈に至るまで、少しずつ勉強していきましょう。

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