平らな深み、緩やかな時間

84.『「減法混色」の分節』平井亮一/『宮下圭介』展テキストより

すこし前のことになりますが、山梨県にあるGallery Amanoで美術家、宮下圭介氏の個展が開催されました。昨年の9月のことになります。残念ながら私は見に行けなかったのですが、今回は展覧会そのもののことではなく、展覧会のパンフレットに掲載されたテキストについて書いてみたいと思います。
テキストのタイトルは、『「減法混色」の分節』で、書いた方は美術評論家の平井亮一氏です。カタログのわずか1ページに書かれた文章ですが、内容が濃く、読みごたえ十分です。ただし、その分だけ難しいことも確かです。私の理解も正確なものだとは言えないのですが、これは読み解いてみる価値のある文章だと判断し、拙文を寄せてみる次第です。
なお、テキストの内容に入る前に宮下の作品をご覧になっていない方は、次のGallery Amanoのホームページから、作品の画像を参照してみてください。
Gallery Amano (http://gallery-amano.main.jp/


さて、この『「減法混色」の分節』という評論は、アメリカの美術評論家、アーサー・コールマン・ダントー(Arthur Coleman Danto, 1924 - 2013)がその著書『ありふれたものの変容』で論じている、『ブリロ・ボックス』という作品の話から始まります。

アンディ・ウォーホルの作品、洗剤箱をなぞった「ブリロ・ボックス」で、クレメント・グリーンバーグ流の究極の「芸術」規定も終わって、その後は「すべて可能である」ような状況と事象いかんを問うだけの「哲学的な時期」にさしかかったとアーサー・C・ダントーは断定する。その根もとには現実と芸術との差異じたいという先刻おなじみの限界識閾への応待がある。とはいえウォーホルのこうした魅力的なアプロプリエーションも、そうした行為じたいが媒体拡張のひとつにほかならず、そういうダントー流認識の行きつく哲学的多元主義は、逃れようもない媒体という唯物的な前提を欠いている。マルセル・デュシャンもウォーホルもなんらかの媒体への意識の解離と無縁ではありえないからだ。
こうした拡散媒体への意識解離の先にはいぜんとして平面支持体も残っていて、これは哲学の恣意がどうあろうとまったくアプリオリに存在しつづけるほかない。むしろ媒体の拡散のただなかでこそ、媒体への意識の解離その「多元性」へのひとつの応答として、それはしっかりうけとめなおされてしかるべきであろう。いま宮下圭介の仕事にあらためてひとが眼差しをとどめるゆえんはそこにあり、支持体の地に心してたちもどる余地もそこにあろう。どういうことか。
(『「減法混色」の分節』平井亮一/『宮下圭介』展テキストより)

まずは、ちょっとした確認をしておきましょう。ポップ・アートの芸術家として知られるアンディ・ウォーホル(Andy Warhol、1928 - 1987)の作品『ブリロ・ボックス』とは、1960年代の前半にウォーホルが大衆商品である食器洗いパッド、「ブリロ」の外箱を模して木の板で製作した彫刻作品のことです。ありふれた商品の外箱が、なぜ美術作品として展示されるのか、これはウォーホルがキャンベル・スープの缶、エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンローなどの大衆イメージを作品として提示した方法に連なるものでしょう。マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887 - 1968)が「レディ・メイド」の作品として、既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけのものをオブジェとして提示した方法と似ていますが、ウォーホルは「ブリロ」のボール紙の外箱を、わざわざ彫刻作品の素材となりうる木で作り、表面に大衆イメージのべったりはりついたデザインをそのまま施したところに違いがあります。ウォーホルは現代アメリカ社会の大衆イメージをはっきりと狙ったのであり、それがポップ・アートと呼ばれる所以でもあります。また、こういった技法を総称して「アプロプリエーション」と言います。アプロプリエーション(appropriation)とは、言葉としては「流用、盗用」という意味ですが、現代美術の文脈の中ではイメージなどを盗用、あるいは借用する行為として広く使われているようです。
それでは、アーサー・C・ダントーの『ありふれたものの変容』から、『ブリロ・ボックス』について書かれた序文の部分を引用してみましょう。

1964年の展覧会の美(学)学的反発を乗り切った哲学的陶酔を、私はいまでもおぼえている。それは当時、イースト街74にあったステーブル・ギャラリーで行われた。ブリロの箱の模造品が積み上げられ、まるでギャラリーが食器洗いパッドの滞貨の倉庫にむりやり転用させられたようだった(ケロッグの箱の模造品の部屋もあったが、カリスマ性をもつブリロの箱と違い、こちらは想像力をかきたてるのに成功しなかった。)まとはずれの否定的なつぶやきを別にすれば、《ブリロ・ボックス》は直ちに芸術として受け入れられた。けれども、ウォーホルのブリロ箱が芸術作品であるのに対し、どこにでもあるスーパーマーケットのストックルームにある、それに似た日用品は芸術作品でないのはなぜか、という問いが先鋭化した。もちろん明白な違いはある。ウォーホルのは合板で、一方は厚紙でつくられていた。しかし両者の材料が逆であったとしても、事態は哲学的に同じままだったろう。材料の違いで本物とアート作品を区別する必要はないという選択肢も残されていたからである。実際、ウォーホルは有名なキャンベル・スープ缶でその選択肢を実現した。われわれ他の者もスープを買う小売店の棚から缶はただ取ってこられただけだからである。しかし仮にウォーホルが金工職人の技術を非凡に駆使して、手で苦労して缶をこしらえ、工場製品と区別できないほど完全につくられた手作りの缶になったとしても、取ってこられただけの缶がすでにもっている芸術性の度合いを、いささかも上げることにはならなかったであろう。
(『ありふれたものの変容』アーサー・C・ダントー/松尾大 訳)

例えばこのようなウォーホルの作品をきっかけとしながら、ダントーは「現実と芸術との差異じたいという先刻おなじみの限界識閾への応待」へと論を進めていきます。現実の大衆イメージと、芸術の価値観との境界をきわどく遊んだウォーホルらのポップ・アートは、それまでの芸術認識の限界を示すものであり、ここに芸術の歴史は終わった、とダントーは考えました。そして、その「芸術の終焉」のあとに来るものは、「哲学的多元主義」だというわけです。この考え方が明確に書かれた文章を、『ありふれたものの変容』とは別のダントーの著書から引用してみましょう。

グリーンバーグは、芸術を同定する条件へと、とりわけ絵画芸術を他のすべての芸術から区別するものへと向かうこととして、新しいナラティブを規定した。そして、彼はこれをメディアの素材の条件に見出した。グリーンバーグのナラティブはとても意義深いが、彼が侮蔑的にしか書けなかったポップによって終焉をむかえる。それが終焉をむかえたのは、芸術がおわったとき、いわば、芸術が、芸術作品であるべき特別な仕方などないと認めたときであった。「すべてが芸術作品である」とか、ボイスの「みんな芸術家である」というようなスローガンがあらわれはじめたのであるが、それらは、私が同定した偉大なナラティブのどちらのもとでも生じえなかったであろう。哲学的アイデンティティーを求める芸術の探求の歴史はおわった。そして、それがおわったから、芸術家たちは、彼らがやりたいことをなんでもやれるように解放された。それは、「汝の欲することをなせ(Fay ce que voudras)」という反戒律を戒律としたラブレーのテレームの僧院のようであった。人里離れたニューイングランドの家屋を描くこと、絵具で女性をつくりだすこと、箱をつくること、四角形を描くこと、他のものよりも正しいものはなにもない。したがうべきひとつの方向があるのではない。実際、いかなる方向もない。そして、それは、私が芸術の終焉ということで―1980年代半ばに私はこのことについて書きはじめたのだが―意味しようとしたものである。芸術が死んだとか、画家が描くことをやめたとかではなく、ナラティブによって構築された芸術の歴史が終焉をむかえたということなのである。
(『芸術の終焉のあと』アーサー・C・ダントー/山田忠彰 監訳)

これは私の想像も交えてのことですが、ダントーが活躍を始めた1960年代は、グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)のモダニズムの絵画論が美術界を席巻して10年ほどたっていて、彼が否定的に評価したポップ・アートが勃興した頃でもありました。ですから、ダントーらのその後の世代の人たちは、グリーンバーグの影響下に揺れながら自分の認識をどう組み立てていくのか、と真剣に考えていたのだろう、と思います。そこでダントーが達した結論は、「ナラティブによって構築された芸術の歴史が終焉をむかえた」ということなのです。ナラティブ(narrative)とは「話、物語」という意味ですが、おそらくここでは偉大な思想家、評論家が構築した秩序だった理論(物語)のことを指しているのでしょう。歴史的な流れの中で、前の時代の芸術家が築き上げた様式や理論を乗り越えて新たな物語が始まる、というような芸術の歴史が終わったのだ、とダントーは言っているのです。そのあとに来るものは「芸術家たちは、彼らがやりたいことをなんでもやれるように解放された」という「多元主義」だと彼は言っています。
このダントーの考え方について、私は直感的に頷けないところがありますが、何しろフランスに留学してモーリス・メルロー=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)に学び、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)の哲学を自在に引用する大学者のダントーが言うことなので、ここで浅はかな感想を述べるのはやめておきます。ただ、平井がテキストで書いている「逃れようのない媒体という唯物的な前提を欠いている」という指摘についてはわかる気がします。
例えばダントーは、ウォーホルの『ブリロ・ボックス』について「ウォーホルのは合板で、一方は厚紙でつくられていた。しかし両者の材料が逆であったとしても、事態は哲学的に同じままだったろう。」と書いていますが、本当にそうでしょうか。私は疑わしいと思っています。ウォーホルはキャンベル・スープの缶をそのまま展示したこともあるし、という趣旨のことを彼は言っていますが、現代美術の、とりわけアプロプリエーションによる作品の場合、それが発表された現場の状況がとても重要です。それをどれだけ捨象してよいのか、というのは微妙な問題で、現にケロッグの箱ではインパクトが今一つで、ブリロの箱の方が注目された、とダントーは書いていますが、理論的には、両者に違いはないはずです。その当時のアメリカの人々にとって、あるいはその地域の人々にとって、ブリロの箱の方がずっとインパクトがあった、ということは、今の私たちには想像するしかないのです。現実と芸術との境界を大衆イメージによってきわどく駆け抜けたウォーホルの場合、そのタイミング、場所、そして作品の提示の仕方が重要なファクターであっただろう、と思います。合板でもボール紙でも「哲学的に同じ」と断定してしまうのは、いかにも学者らしい解釈で、そこには芸術作品の生き生きとした何かが抜け落ちてしまう危険性がある、と私は感じます。平井がダントーの認識について、「媒体」という前提を欠いている、と指摘していることは、このブリロの箱の事例からも頷けます。もちろん、彼はこのような些末なことではなくて、ダントーの思想全体を見渡して指摘しているのでしょうが…。
それにしても、なぜダントーの話からこのテキストは入らなければならなかったのでしょうか。それは宮下の絵画が「ナラティブによって構築された芸術の歴史」の終焉、とか「哲学的多元主義」といった認識とは別な次元で成立しているからでしょう。平井が書いている通り、絵画(平面支持体)は「哲学の恣意がどうあろうとまったくアプリオリに存在しつづけるほかない」ものです。「アプリオリに存在」する、すなわち絵画は何か哲学的な理由があって存在するものではなく、先験的に存在するものです。それがいつしか哲学的な存在意義が云々されるようになり、さらにはその存在意義の推進のために新しい様式が生まれてくる、というようなことがあったとしても、私たちの目の前にある絵画は、ときにそのような思惑とは別な次元の存在感を発揮するものなのです。
そして、それが現在の宮下の絵画なのだ、と私は考えます。「いま宮下圭介の仕事にあらためてひとが眼差しをとどめるゆえんはそこにあり、支持体の地に心してたちもどる余地もそこにあろう」と平井は書いていますが、そう書いたうえで彼は驚くべき分析を始めます。何が驚くべきなのかと言うと、宮下の絵画の絵具の層を、平井は絵画の「古典技法」の絵具の層と重ね合わせて、その探究の意義を分析しているのです。宮下が以前にレリーフ状の作品を制作していたころから、その作品を成立させる層状の造形に深い興味を示していたことは、私も知っています。それに、それが実は絵画にとって古典時代からの普遍的な課題なのだ、ということも認識していました。しかし平井は、その広範な知識から具体的に古典技法の「白色浮出」について言及しながら、宮下の絵画を分析しているのです。ただ何となくそう思った、ということではなくて、具体的な手触りの中で宮下の絵画について言及しているのです。先ほどの続きの部分を引用してみましょう。

マックス・デルナーは古典的名著『絵画技術体系』でヨーロッパの画家たちにとってルネッサンス以前からたとえば地に白を敷く「白色浮出」は「透層の最大の可能性を示す技術」であり、これが基本になって混色よりは透層の重ねが主たる絵画的効果を形成してきたともいう。それは、有彩色が下層調子であればそれにのせる有彩色の色価がそれだけ有効色相の幅をせまくするからである。ところで訳注によれば透層(ラズール)は用語として18世紀以降「透けて下層が見える有色の塗り」という意味で使われてきたとあるところからして、宮下の作品は1993年以来この透層を基本にしていることはあきらかだ。ところが、2010年あたりからかれは薄く刷いたような白色を画面にのせることになっている。それまでのあざやかな有彩色によるさまざまな画面の様態にヴェールをかけ、画面効果をあやうくも阻害するかのように複雑な重層化をこころみている。できるだけ文学的な修辞をさけてこの事態に眼をとどめよう。
(『「減法混色」の分節』平井亮一/『宮下圭介』展テキストより)

この「白色浮出」というのは、絵画の地にテンペラ絵具の白で明るい部分などを描き、その上に透明度の高い油絵具を重ねていく方法です。白い絵具を置くときに、ハッチング(細かな平行した線を重ねる方法)などの筆致で微妙な重なりや隙間をつくっておくと、上から重ねた絵具も白に重なった部分とそうでない部分との差異から複雑な見え方をします。そうやって緻密な明暗や色調の変化を描き分けていたのです。ところが宮下は、その白の絵具の層を下地としてではなく、上層の部分に薄く重ねるように用います。それは、失敗すれば「画面効果をあやうくも阻害する」恐れがある、すなわち、せっかく重ねた色彩が白によってぼやかされ、下手をするとすべての色彩を隠蔽してしまうことにもなります。
なぜ、宮下はそのような方法をとるようになったのでしょうか。平井は次のように分析します。

デルナーは、重層であれ混合であれ顔料の物性による光の吸収の度合いいかんが発色の条件であり、物性による光の反射と吸収、そして発色として残ってゆく光吸収つまり「減法混色」効果いかんの全過程が透層のあらわれだともいっている。宮下のダイナミックな画面はそれを地でゆくようなところがあって、このところの白紗の広がりは光が乱反射する微小な顔料粒子によって有彩透層を拡散させ、画面のバロック的な効果と動性をならしながら半透明にし、ルネッサンス以来からつづいた白地から始める「白色浮出」にそむきこれを相対化するようなところがある。つねづね形式的成熟への反発をくりかえすかれの否定的モメントもさることながら、一方でかれのいう「サイン」この無作為なしるしづけと挿入がじつは2003年あたりから、いまいった「減法混色」としての透層の過程に、あくまで視覚的にポジティブな構造をあたえ分節しつづけている。特別なヘラによる透層のただなかを走り、削り、ひねりなどの手法の重なりを反転させて画面の上層・下層をも自在に往還するさながら透層の活発な変換子(シフター)のようにこの「サイン」がずっと作用してスリリングであり、宮下ならではのきわだった形式上の特性ももたらしている。文字どおり意味なき「物質的な視覚」(ポール・ド・マン)と実践の出来ではないか。これが白紗ともどもさらにどう推移してゆくのだろうか。
ところで、こうした媒体関与の不可避性と視像のゆくえは、哲学的多元主義をもってしては手に負えないことであるにちがいない。
(『「減法混色」の分節』平井亮一/『宮下圭介』展テキストより)

透明度の高い絵具を、ただきれいに見えるように重ねていくだけならば、古典的な技法を上手に使った抽象絵画、ということで終わってしまいます。しかし、宮下はその絵具の重ね方にさらに新しい試みを導入し、現代において透層の絵具を扱うことの意義を私たちに示しました。それを「ルネッサンス以来からつづいた白地から始める「白色浮出」にそむきこれを相対化する」と平井は的確に分析しています。そこに「サイン」と宮下がいう絵具のタッチが加わり、画面は複雑、かつダイナミックなものへと変容していきます。その宮下の探究を、平井はポール・ド・マン(Paul de Man、1919 - 1983)の「物質的な視覚」という考え方を持ち出して、その「実践の出来ではないか」と書いています。
ここで登場するポール・ド・マンという哲学者ですが、テクストの脱構築を推し進めたジャック・デリダ(Jacques Derrida, 1930 - 2004)の仕事に影響を受けた、アメリカの「イェール学派」と呼ばれる人たちの中心的な人物です。そして『美学イデオロギー』という晩年の論文集で彼が取り組んだ主題は、美学的な「美的なもの」という観念を批判的に検討することでした。その概要を「訳者あとがき」から拾ってみます。

ド・マンが本書で主要な対象として取り上げているのは、カント『判断力批判』やヘーゲル『美学講義』のような〈美〉を主題に書かれた哲学的著作、すなわち美学の正典とされてきたテクストであり、そこで一貫して中心的な位置を占めてきた〈美的なもの〉という観念である。〈美的なもの〉とはもちろん〈美〉に関わる観念であるが、しかしこれは崇高なども含む広い意味で感性的な経験全般に関わる観念でもあり、そのかぎりにおいてこれは同時に〈感性的なもの〉でもある。とりわけカントの場合にはそうした含意がはっきりと認められよう(実際カントの邦訳書では〈美的・感性的〉という含意を込めてこれを〈美感的〉と訳している場合もある)。いずれにせよ〈美的なもの〉という観念には〈感性的なもの〉という含意が込められていることは押さえておく必要があろう。この〈美的・感性的なもの〉の果たすイデオロギー的な機能を批判的に検討すること、これが本書でド・マンが取り組もうとする主題にほかならない。
しかしそもそも〈美的なもの〉によってイデオロギー的に隠蔽・歪曲されてしまう事柄とは何なのだろうか。それは一言でいえば〈出来事〉だといえるだろう。ド・マンによれば、いかなる事象も本来は忽然と浮上し出来するものであり、そのかぎりにおいて出来事とでも言うべき性質をそなえている。言い換えれば、偶発的に起こるもの、生起するもの、それが出来事だということである。
(『美学イデオロギー』「訳者あとがき」上野成利)

この「訳者あとがき」から、ド・マンが『美学イデオロギー』で書いたことの一端―カントやヘーゲルらから発する「美的なもの」を批判的に検討し、そこに隠蔽・歪曲されていた「「出来事」に着目したこと―を、読み取ることができます。
そして平井がテキストに書いた「物質的な視覚」という言葉に関わる部分を、『美学イデオロギー』の本文から拾ってみましょう。

ところが大洋と天空を見るカントの視覚には、いかなる精神も含まれてはいない。精神や判断が少しでも介在すれば、それは誤謬となる。天空が丸天井であるとか、水平線が建物の壁のように海を囲むとかいうことは、事実ではないからだ。カントの視覚というのは、事物がまさに眼にたいして存在しているということなのである。
(『美学イデオロギー』「カントにおける現象性と物質性」ポール・ド・マン/上野成利 訳)

カントの視覚のことを字義的な(ありのままの)視覚などと呼ぶことはとうていできない。これは字義的な(文字で表現する)視覚と呼んでしまうと、判断行為によって比喩や象徴をつくりあげることができるということが含意されてしまうからだ。ここにふさわしい言葉としては物質的な視覚といったあたりしか思い浮かばないのだが、もっともこれだけでは、ここでいう物質性というものを言語学の観点からどのように理解すべきかについては、まだはっきりとわからないだろう。
(『美学イデオロギー』「カントにおける現象性と物質性」ポール・ド・マン/上野成利 訳)

こうした視覚というのは、反省的ないし知性的に認識を複雑にしないという意味で、純粋に物質的なものであるが、これとはまったく同じありかた、まったく同じ程度において、これは純粋に形式的なものである。つまり、こうした視覚は意味論的な深さをもたず、純粋光学の形式的な数学化ないし幾何学化に還元することができる、ということである。こうして美的なものの批判は、カントにおいては結局、形式的唯物論とでも言うべきものに行き着くことになる。それはすなわち、カントとヘーゲルがみずから描き出した美と崇高の経験も含めて、およそ美的な経験に結びつくあらゆる価値や特質にあらがって作働する、そういう唯物論にほかならない。ところがカントとヘーゲルについての解釈の伝統は、シラーのようなほぼ同時代の者による解釈からしてすでにそう見えるが、想像力にかんする彼らの理論の一面しか見てこなかった。つまり彼らの理論の比喩的な側面、そう呼びたければ「ロマン主義的」な側面しか見てこなかったのであって、われわれがここで物質的と呼んでいる側面はこれまで完全に見過ごされてきたのだった。しかもこのように複雑に入り組んだ過程において、形式化というものがどこに位置しどのように機能しているかについては、まったく理解されてこなかったのである。
(『美学イデオロギー』「カントにおける現象性と物質性」ポール・ド・マン/上野成利 訳)

ざっと読んだところで、ド・マンのここでの主張は、カントやヘーゲルの美学をロマン主義的に偏った見方から救い出し、物質的な視覚からの再検討が必要である、ということのようです。「物質的な視覚」というのは、文学的な比喩や象徴に流されず、意味論的な深さにはまることもなく、「純粋光学の形式的な数学化ないし幾何学化に還元することができる」ようなもの、「形式的唯物論とでも言うべきもの」だと説明しています。この難しい説明を正確に把握することはできませんが、少なくとも私たちが「美」について語るときの「ロマン主義的」な態度、比喩によってイメージをふくらませようとする不自然な言葉遣い、などといったものからはずいぶんと遠い見方であると思います。平井が宮下の絵画を「文字どおり意味なき物質的な視覚と実践の出来ではないか」と書くのは、宮下の絵画が物質的な絵具の層と正面からかかわり、それを探究しているからではないか、と思います。科学の実験者のように透層を探究する眼が「物質的な視覚」であり、そのような眼が作り上げた作品が「物質的な視覚」の「実践」になるのだろうと思います。さらに言えば、その絵画を「できるだけ文学的な修辞をさけてこの事態に眼をとどめよう」と断り書きを添えて分析する平井の眼も「物質的な視覚」そのものなのだろう、と私は思います。
このように、宮下の作品が「物質的な視覚」の「実践」であるとして、そのことがいったい何を意味するのでしょうか。『美学イデオロギー』の「訳者あとがき」を読みすすめると、ド・マンは先の引用部分で書かれたような「出来事」の偶発的な出来作用を「歴史」と呼んだ、と書かれています。ふつう、「歴史」といえば「出来事」を時系列に、連続的・因果系列的な連鎖として捉えるものだと思いますが、ド・マンによれば、それは「歴史記述」であって、「歴史」とは対極にあるものだそうです。「出来事」の偶発的な出来作用である「歴史」は、それを因果的な連鎖の中で捉えてしまう「イデオロギー」によって「歴史記述」に書き換えられてしまいます。だから私たちは「出来事」の偶発性をあるがままに見ることができる眼をもたなくてはならないのです。それが「物質的な視覚」だということでしょう。
これを、宮下の絵画を事例として考えてみましょう。宮下の絵画を、もしも現代美術の歴史の中で、その因果的な連鎖として見てしまうなら、つまり「歴史記述」の「イデオロギー」が作用するままに見てしまうなら、その絵具の層がどうであれ、たんに過去の絵画に拘泥するものであるかのように扱われてしまうでしょう。ここで私たちは、ダントーが唱えた「芸術の終焉」論を思い出してもよいのかもしれません。絵画はすでに役割を終え、存在するのは「哲学的多元主義」による、何でもありの作品だけです。そこには正しいものとそうでないものの区別もないので、透層を探究する眼差しなどあってもなくても同じことです。しかし、宮下の作品を「出来事」として捉えてみたらどうでしょうか。現代美術の流れの中で、古典技法を彷彿とさせるような抽象絵画が出来する事態は、まさに偶発的な「出来事」です。それは忽然と現れたがゆえに「歴史」なのであり、因果的な連鎖を断ち切っているがゆえに普遍的な問題に触れることができたのです。平井がテキストの最期を「哲学的多元主義をもってしては手に負えないことであるにちがいない」と書いたのは、そういうことではないか、と私は解釈します。

たった1ページのテキストから、ずいぶんと長い駄文をついやしてしまいました。しかし私には、それだけの価値のある文章だと思えたのだから、仕方ありません。巷には難解な装いをしながら、中身は当り障りのないことしか書かれていないテキストが氾濫しています。そんな中でこのようにさまざまな解読の試みに耐えうるような、いわば貴重な原石のようなテキストが、確かに存在するのです。しかしそれらは、前回の藤枝晃雄の文章もそうでしたが、読み手であるこちら側にもそれ相応の読み方を要求します。私のように力のないものにとっては、それは努力を要することではありますが、その努力はなんと楽しく、また自分自身を高めてくれるものでしょうか。例えば、今回の解読をきっかけにして、私はダントーやド・マン、さらにはカントやヘーゲルから連なる「美学」について、いずれ別な機会に掘り下げてみる必要を感じています。重要であることがわかっていながら、どこかで自分から遠いものだと思い込んでいたものが、少しずつ身近なものに感じられるのは、難解な読書のモチベーションになります。
わずか1ページの背後に広がる世界は、こんなにも大きいのです。

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