平らな深み、緩やかな時間

341.東京都庭園美術館と『装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術』展について

東京都庭園美術館で、『装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術』という展覧会が、2023年9月23日から12月10日まで開催されます。

https://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/230923-1210_ArtDecoGarden.html#outline

 

私は「アール・デコ」に特別な興味があるわけではなく、建築や庭園の様式にも疎い人間です。しかし、私の若い友人たちで、私のような先入観もなく美術、あるいは芸術や文化に広く興味を持っている人たちに、ぜひ一度は東京都庭園美術館を見てもらいたいなあ、と常々思っていました。

というのは、美術館、あるいは画廊での美術展というと、白い壁の四角いニュートラルな部屋の中で作品を鑑賞することが多いのですが、これはある意味で特殊なことです。いつしか美術展というと、作品そのものに周囲の環境が影響しないように、このような部屋で見ることが当たり前になってしまいましたが、美術展以外にこんな真っ白な部屋で絵を見ることがあるのかと言うと、ありませんよね。そもそも、生活から切り離された白い四角い部屋というもの自体が存在せず、これは難しい言葉で言えば「美術鑑賞」という制度の中で生まれてきた形式なのです。

東京都庭園美術館は、建物そのものの由来が古く、そのような「美術鑑賞」の制度から少し離れた存在です。それだけに、美術館として開館した時には建物の内装も評判になって、私も何かの折に出かけたことがあります。今回は、庭園美術館の建物そのものがモチーフとなっているこの展覧会のようですので、美術館のあり方を考えたり、「アール・デコ」という様式を知ったりする上で、格好の機会だと思いました。

そこで今回は、「アール・デコ」というものがどういうものなのか、あるいはそれはどういう時代に生まれたものなのか、ということも交えて少し勉強してみましょう。

 

さて、そもそもなぜ、今回の展覧会のタイトルに「朝香宮邸のアール・デコ」という言葉が使われているのでしょうか?それは美術館の建物である「朝香宮邸」の成り立ちに由来するものなのです。美術館のホームページに次のような説明があります。

 

朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年[明治39]に創立した宮家です。鳩彦王は、陸軍大学校勤務中の1922年[大正11]から軍事研究のためフランスに留学しましたが交通事故に遭い、看病のため渡欧した允子内親王とともに、1925年[大正14]まで長期滞在することとなりました。

当時フランスは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた朝香宮ご夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、アール・デコの精華を積極的に取り入れました。また建築を担当した宮内省内匠寮の技師、権藤要吉も西洋の近代建築を熱心に研究し、朝香宮邸の設計に取り組みました。

https://www.teien-art-museum.ne.jp/museum/index03.html

 

このように、フランス留学中に事故に遭い、偶然にも長期滞在をすることになった朝香宮ご夫妻が、その当時隆盛であった「アール・デコ」の様式に魅せられて、それで自邸をアール・デコ様式にして建てたのでした。それも当時の最新の宝飾やガラスのデザイナーであったルネ・ラリック( René Jules Lalique 、1860  – 1945)さんと協力関係にあった、画家であり、デザイナーでもあったアンリ・ラパン( Henri Rapin、 1873 – 1939)さんに設計をさせてしまうのですから、大したものです。大正時代の皇族だから可能だったのだと思いますが、今なら顰蹙を買ってしまって、到底不可能でしょう。しかし、この贅沢のおかげで、私たちはラリックさんの大きなガラスのレリーフを、建物の正面扉に見ることができます。

 

(ラリックは)朝香宮邸のために正面玄関ガラスレリーフ扉をデザイン。大客室と大食堂のシャンデリアとしてそれぞれ《ブカレスト》、《パイナップルとざくろ》を提供している。

https://www.teien-art-museum.ne.jp/museum/index05.html

 

それでは、朝香宮夫妻が魅せられた「アール・デコ」とは、どのようなものなのでしょうか?

「アール・デコ」とはフランス語で「 Art Déco」のことで、元々は装飾美術「Arts décoratifs」という言葉から来ているようです。「アール・デコ」の前には、アール・ヌーヴォー「Art nouveau」という生き物の有機的な形をモチーフにしたデザインの様式があって、その後に流行したのが「アール・デコ」です。その二つのスタイルの典型的な作例を見てみましょう。

ドーム兄弟「湖畔風景文ランプ」高さ35cm 1900年頃制作(アール・ヌーヴォー)

https://www.fashion-press.net/news/65858

5分でわかるアール・デコ様式

https://www.houzz.jp/ideabooks/107421922/list

 

「アール・デコ」に関しては、今年の4月に亡くなられた海野 弘(うんの ひろし、1939 - 2023)さんという評論家に『アール・デコの時代』という著作があり、アール・デコに関してはその本の中にほぼ網羅されているのではないか、と思えるほど詳しく書かれています。

海野さんは平凡社の『太陽』という有名な雑誌の編集長をされていたこともある方で、さすがに博覧強記でさまざまな話題が『アール・デコの時代』には盛り込まれています。哲学者や美術評論家が、美術作品について深く探究していくのとは違って、海野さんはとり散らかっている事実を寄せ集めて、関連づけて私たちに見せてくれる、というタイプの文筆家だと思います。それについて評価はいろいろだと思いますが、少なくとも「アール・デコ」というモチーフに関しては、海野さんのスタイルがうまくはまっていて、『アール・デコの時代』はなかなか面白い本になっています。

その本のはじめに、海野さんは次のように書いています。

 

アール・デコは一九二〇年代の装飾スタイルである。一九二〇年代というのは、自動車から映画にいたる現代都市の環境がほとんどそろってきた時代であった。私たちが今日、ごくあたりまえに感じている都市生活のスタイルは、二〇年代にあらわれたものである。したがって、二〇年代について考えることは、現代都市の起源について考えることであり、さらに、現代都市とは何かを問うことなのである。

(『アール・デコの時代』「Ⅰ アール・デコの歴史とスタイル」海野弘)

 

海野さんが書いているように「一九二〇年代の装飾スタイル」で、アール・ヌーヴォーが自然をモチーフにしたのに対し、アール・デコは「都市生活のスタイル」をモチーフにしたのでした。その時代は、現代の都市生活のスタイルが出来上がってきた頃で、だからアール・デコの時代を考えることは「現代都市の起源について考えることであり、さらに、現代都市とは何かを問うこと」になるのです。

この現代都市の生活スタイルということを考えたときに、「アール・ヌーヴォー」と「アール・デコ」はわずかな時代の差しかありませんが、その表現上のデザインの差異と同時に、押さえておかなくてはならない大きな違いがあります。それは、その時代に機械化が急速に進んだということです。機械化が進むと、とくに工芸作品の場合などは作品の「複製化」が進み、また情報の伝播のスピードが速くなった分だけ、物事の「記号化」が進んだのです。

例えば、朝香宮邸のデザインに関わったラリックさんですが、実はラリックさんの有名な作品はアール・ヌーヴォーの典型的な作例として取り上げられることがあります。

https://www.jewelryjournal.jp/blog/13839/

ラリックさんは「アール・ヌーヴォー」と「アール・デコ」の時代の狭間で活躍したデザイナーだったのです。彼はアール・ヌーヴォーの時のデザインの特徴を持ちながら、それを機械化の時代にうまく乗せたのだと思います。

海野さんの解説を読んでみましょう。

 

都市化というのは、一つの記号化のことでもある。都市に入ると、いろいろの記号をおぼえ、その約束事に従わなければならない。交通信号、エレベーターのボタン、トイレの場所。20年代の都市と切り離せないのは百貨店という店の形態である。

<中略>

記号化は「複製化」として考えることができる。1920年代は複製技術が新しいレベルに達した時期であった。複製文化が一般化してくる。19世紀に発明された写真は、20世紀に入ると印刷用に製版できるようになり、大量に印刷される。新聞雑誌などのジャーナリズムが飛躍的に発達する。人間の声や音楽も、電話、ラジオ、レコードで複製増幅される。そしてこの複製時代において、文化や美術品といったものも決定的な影響を受けたのであった。

世紀末のアール・ヌーヴォーと1920年代のアール・デコを分けるのは、このような複製文化の状況である。アール・ヌーヴォーは日常生活に使われるものを芸術化したい、という運動であったが、エリートのものであった。ウィリアム・モリスは民衆のための芸術を考えたが、彼のハンドクラフトによる作品は、上質ではあったとしてもコストが高くつきすぎた。アール・ヌーヴォーの作家たちは機械とハンドメイドを対立的に考えており、一品製作を中心としていた。

20世紀に入ると、オリジナルとコピー、本物とにせ物、手づくりと機械生産といった対立をこえて、新しい複製芸術がつくりだされる。そのような可能性にいちはやく気づいたのはガラス工芸の作家であった。たとえばアール・デコ・ガラスの代表的作家であるルネ・ラリックは、もともとアール・ヌーヴォー・スタイルの宝石細工をつくっていた。20世紀に入ると、一品製作で高価な宝石細工から、ガラスという複製化がいくらでもできる材質に転向する。ガラスの場合、ある型をつくって、それに流しこんでつくるなら、理論上は無限に同じものをとりだすことができる。しかも、その時に一緒につくられた100個なら100個の作品の間には、どれかがオリジナルで他がコピーであるという関係は成立しない。

<中略>

ルネ・ラリックは20世紀に入ると宝石からガラスに移った。アール・ヌーヴォー・ガラスで最もよく知られたエミール・ガレは1904年に亡くなったが、それ以後はその工房がガレの作品を大量に複製するようになった。ガレのガラスが一般的な人気を得るようになったのは、むしろ彼が亡くなってから、その工房作品を通してであったといわれ、今日残っているものの大部分は工房作品である。

ガレのガラスでは、彼自身によるオリジナルと工房によるコピーという関係がまだ残っているように見えるが、ラリックのガラスでは、一つの型からいくつもの作品をつくるのだから、どれもがオリジナルであり、コピーである。ヴァルター・ベンヤミンは、現代を複製技術の発達によって、オリジナルがその後光(アウラ)を失ってしまった時代としているが、アール・デコはそこにあらわれた複製芸術、大衆社会の芸術なのである。

(『アール・デコの時代』「Ⅰ アール・デコの歴史とスタイル」海野弘)

 

確かに、アール・ヌーヴォーの作品には、近代までの作家個人が一つ一つ製作する感触があって、私たちはその作家の作品と見做しながら鑑賞する傾向があります。しかしアール・デコの作品となると、現在の大量生産による製品のイメージに近く、私たちは製作者を作家と見做すよりは、デザイナーとして見做す傾向があると思います。ラリックさんの作風がアール・ヌーヴォー的でありながら、アール・デコの作家として考えられているのは、このような事情があったのです。

 

この「アール・デコ」がフランスを中心に広がったのには、理由があったようです。それは「アール・デコ展(現代装飾・産業美術国際博覧会)」が1925年にパリで開かれたからです。この時に、日本をはじめとしたたくさんの国が招待され、さまざまな装飾作品が展示されたことから、アール・デコの新しいデザインが広がり、またそれは多国籍(エキゾチック)な雰囲気を持つものになったのです。

一方で、私たちがアール・デコの様式の象徴のように思っているエンパイヤー・ステート・ビルがあるアメリカでのアール・デコは少し遅れて流行します。

https://www.newyorknavi.com/miru/72/

このアール・デコのアメリカへの伝播には、1920年代にヨーロッパを徘徊した若いアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899 - 1961)や、スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald, 1896 - 1940)らの作家たちが関わっていたようで、そう考えると文化の広がりというものは興味深いものです。

しかし、このアール・デコ様式も、やがて機能主義、能率第一主義のモダニズムの訪れとともに、時代遅れの装飾過多のものとみなされます。例えば、いまビルディングを建てるとしたら、エンパイヤー・ステート・ビルのような尖塔を付けませんよね。いつしか、大都会は味気ないモダニズムのビル群が立ち並ぶようになり、老朽化のためにアール・デコ様式の建物を取り壊すことになって、ようやく人々はその価値に気がつくのです。

その流れについて、アメリカでのアール・デコを紹介しつつ、海野さんがうまくまとめていますので、読んでみましょう。

 

アメリカのアール・デコは、フランスより少し遅れて始まっている。第一次大戦でヨーロッパに行ったアメリカ兵士たちは、フランス文化に目を見張った。戦争が終わると、アメリカ人はどっとヨーロッパに遊びに出かけた。そこにはアメリカにはないものがあった。文化や芸術とアルコールである。20年代のアメリカは禁酒法で、酒が大っぴらに飲めなかった。パリのリッツ・ホテルのバーはアメリカ人でにぎわっていた。スコット・フィッツジェラルドやヘミングウェイのような作家、マン・レイのような写真家をはじめとして、パリにはアメリカ人があふれていた。

アメリカのアール・デコは、パリから移ってきたデザイナーとパリからもどってきたアメリカ人によってもたらされた。ニューヨークのアール・デコは、ややおくれて、20年代末から30年代にかけて花開くが、建築という新しい領域において多くの作品群をつくりだす。アール・デコ建築はパリよりニューヨークの方が盛んであった。

なぜかといえば、パリは古い都市であり、古くからの建物が多いので、20年代には新しい建物を建てる余地があまりなく、また新しい建築スタイルへの抵抗が大きかった。一方ニューヨークは新しい都市であり、まだ建設中であったから、新しい建築の実験場であることができたのである。今のニューヨークの都市風景は、1920、30年代につくりだされたものなのだ。

二つの都市を歩きまわってみると、そのちがいはすぐに見分けることができるだろう。パリでは中世の建築までが残っていて、長い歴史の間のさまざまな建物が複雑に入り組んでいる。これに対してニューヨークはせいぜい200年ぐらいの都市で、建物の構成としては、19世紀の建物、1920、30年代の建物(アール・デコ)、第二次大戦後の建物という三層になっていて、わかりやすい。

ニューヨークの1920、30年代は一名、スカイスクレーパー(摩天楼)時代といわれるくらい、高層ビルの建設ブームであった。それらのビルは、第二次大戦後のビルと、どうちがっているだろうか。20、30年代のビルの代表として、エンパイヤー・ステート・ビルとクライスラー・ビルをとりあげ、戦後の代表としてワールド・トレード・センターをとるとわかりやすい。後者は四角いガラスの箱であるのに対して、前の二つは先がとがっていて、いかにも塔というのにふさわしい。さらに尖塔には装飾がほどこされてロマンティックな姿をしている。

戦後はインターナショナル・スタイルといわれる、機能主義的で、無装飾の建築が全盛となり、1920、30年代のアール・デコ・スタイルのビルは時代錯誤であるとされていた。しかし70年代から、機能主義一点張りのデザインに人々はあきあきし、あらためてエンパイヤー・ステート・ビルなどの楽しさを見直しはじめる。こうしてニューヨークのアール・デコ建築は再発見されたのであった。それらの建築が半世紀を過ぎたため、取りこわされることが多くなったのも、人々にその意味や魅力を注目させる原因の一つであった。

(『アール・デコの時代』「Ⅰ アール・デコの歴史とスタイル」海野弘)

 

引用が多くなって恐縮ですが、これでもまだこの本の序の口です。

日本のこと、女性のファッションのこと、ジャズ・エイジの時代のこと、など話題満載ですが、とりあえずこの辺にしておきましょう。

それから、この本の文章が書かれたのが2000年以前のようですので、ワールド・トレード・センターが破壊されたことには言及がありませんね。話の趣旨は異なりますが、その後に書かれていたなら、何か配慮があったのではないでしょうか。

それから、失われてしまったアール・デコ様式について、1970年代あたりから見直しの機運が高まってきたことに触れられていますが、朝香宮邸が東京都美術館として保存されていることも、このような機運と無縁ではないでしょう。美術館のホームページにはこう書かれています。

 

朝香宮邸は、朝香宮ご夫妻の熱意と、日仏のデザイナー、技師、職人が総力を挙げて作り上げた芸術作品と言っても過言ではない建築物なのです。

現在は美術館として使われていますが、内部の改造は僅少で、アール・デコ様式を正確に留め、昭和初期の東京における文化受容の様相をうかがうことができる貴重な歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されています。

https://www.teien-art-museum.ne.jp/museum/index03.html

 

この建物は、1974年まで国賓などをもてなす迎賓館として使用され、東京都庭園美術館として開館したのが1983年です。日本の西洋様式の建物は、さまざまな偶然によって建てられたものが多く、またそれに建築様式の用いられた年代に限りがあることを考えると、建物の安全性もさることながら、やたらと壊してはいけないなあ、と思います。そういうことに無頓着な為政者が多いので、彼らには本当に勉強してほしいです。

 

さて、今回は不慣れなデザイン、建築様式について書いてみましたが、初めて知ることが多くて面白かったです。「アール・デコ」について、あるいは東京都庭園美術館について、あまり理解が深まらなかったかもしれませんが、そういう方は実際の展覧会を見に行ったり、海野さんの著書を読んだりしてみてください。

 

それから、今回、これとは別に建築について書かれた本を買ってみたので、そのことを次回あたりに書いてみたいと思います。建築と現代思想との関わりはとりわけ興味深く、いつか勉強してみたいと思っていたのです。

では、次回をご期待ください。

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