平らな深み、緩やかな時間

265.映画『ドライブ・マイ・カー』から言葉について考える②

はじめに、少しだけ雑談を書きます。「言葉について考える」という関連から、歌詞が印象的なシンガー・ソングライターの話題です。

先日ラジオを聞いていたら、Cat Stevensさんの『Peace Train』がかかっていました。

https://youtu.be/bx1xYUs9xqs

これは「平和の列車が来るよ」という楽天的なメッセージ・ソングだと思っていたら、次のような一節がありました。

 

Now I've been crying lately, thinking about the world as it is

Why must we go on hating, why can't we live in bliss

 

どうして憎しみあうの?どうして祝福されて生きていけないの?という言葉が心に染みる今の状況ですね。

Cat Stevensさんは1970年代の大スターですが、素晴らしい、あるいは神秘的な歌詞の歌が多いです。月影と戯れる、という曲や、初めての朝が明ける、という曲など、曲も良いのですが、歌詞も魅力的です。私は英語に堪能な友人から高校生の時に「Cat Stevensはすごいよ」と教えられて、はじめて気がつきました。今の若い方は、この名曲を知っているでしょうか?

https://youtu.be/9c49aDWrzeA

https://youtu.be/DmAOBosGlHY

 

さて、本題に入ります。

前々回のblogの続きです。映画の内容から言葉について考えます。

①では、音声や文字によって意味を伝達する手段である言葉が、どうして表現としての力を持っているのか、それを原理的に考察した三人の思想家のことについて触れました。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/908fd20a50f261963c4382e01ce8525c

今回は、もう少し具体的に表現としての言葉について考えてみましょう。

 

さて、最初からあいまいな話で申し訳ないのですが、ノーベル賞作家の大江健三郎さんがテレビのシリーズで講座を開かれた際に、村上春樹さんのことを取り上げていました。その時に、たぶん村上さんの小説『ダンス・ダンス・ダンス』の次の一節を取り上げていたと思います。

 

僕が台所でコーヒーを作っていると、あとの三人が目を覚まして起きてきた。朝の六時半だった。メイはバスローブを着た。マミは五反田君のペイズリーのパジャマの上だけを着て、五反田君はその下をはいていた。僕はブルージーンズにTシャツという格好だった。僕らは四人で食卓についてコーヒーを飲んだ。パンも焼いて食べた。バターやらマーマレードやらを回した。FMの「バロック音楽をあなたに」がかかっていた。ヘンリー・パーセル。キャンプの朝みたいだった。 

「キャンプの朝みたいだ」と僕は言った。 

「かっこう」とメイが言った。

(『ダンス・ダンス・ダンス』村上春樹)

 

大江さんは、最後の「かっこう」というメイの言葉に注目していたと、私は記憶しています。「かっこう」はもちろん鳥の種類ですが、私にはとっさにその姿かたちをイメージすることができません。しかし次の童謡なら、すぐに思いつきます。

https://youtu.be/wcBlozm0OT8

理屈っぽく解説すれば、「キャンプの朝」→「森の中の小鳥の声」→「かっこう」という連想が働くのですが、「キャンプの朝」がいきなり「かっこう」につながるところが、言葉遊びの楽しさになっているのです。大江さんはたしか、「キャンプの朝」から「かっこう」へと発想が飛ぶところが言葉の「異化」の効果になっているのだ、と解説していたように思います。

大江さんは、この「異化」という手法をご自身の文学理論の根幹に据えていて、そのことについて本も書かれていますし、このときのTVシリーズの講座もさまざまな作品の中の「異化」効果について話されていたと思います。その「異化」の解説について、次の文章を読んでみてください。

 

「異化」という言葉は、もともとロシア語「オストラニエーニエ」の訳語として作られた。革命前後のロシアの芸術の多様な分野は、世界にさきがける新しく生きいきした輝きを示した。その一環として、文学の科学に進展をもたらしたロシア・フォルマニズムのグループの用語である。この学者たちは、文学が、―それは新しく作られるもののみならず、伝承された民話や俚謡もふくむ広さのものだが―、その表現している内容・思想よりも、形式・かたちをつうじて研究されるべきものだと主張した。その態度に批判的な者たちから、決して賞め言葉のニュアンスではなしに、フォルマニストと呼ばれはじめたのである。

かれらはスターリン時代にもっとも悪しきものとなった、ソヴィエト・ロシアの永年の文芸政策ひきしめによって、辛い時代を体験した。しかし60年代になって、かれらの精神をいまに生きつづけさせるミハイル・バフチンにあたえられたヨーロッパでの再評価は、わが国にもロシア・フォルマニズムへの強い関心をよびおこすことになった。

「異化」という考え方は、フォルマニストたちの文芸論の中心をなしている。しかもそれはかつて成立した、あらゆる文芸論の歴史をつうじて、その基本を成す理論といいうるものである。本当によく考えられた理論の、単純なほどの明快さで、しかも深く、それはどのように日常・実用の言葉が、文学表現の言葉とちがうのかを見る指標をあたえる。

印刷された数行を読んで、または自分や若い友人が書いた原稿の一節を読みなおして、それが文学表現の言葉でありえているかどうかを、はっきりと見わけさせてくれるのだ。しかも「異化」の指標は、言葉、語から文学、芸術の総体にむけて、その拡がりをこまかな階層にきざむ、そのいちいちのレヴェルで力を発揮するのである。

(『新しい文学のために』「3 基本的な手法としての<異化>(一)」大江健三郎著)

 

私は以前に、この『新しい文学のために』について文章を書いています。詳しく知りたい方は、つぎのリンクから覗いてみてください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/98e49d70e08fcdeafdef2203b6638889

言葉の「異化」が効果を発揮するには、聞き手の中でその言葉に対する違和感があると同時に、イメージとしてどこかで繋がっていなくてはなりません。あまりに言葉同士が近い関係だと「異化」になりませんし、かといってまったく縁のない言葉だと何の効果もありません。この小説の場面では、親しみを感じている若い男女が「異化」効果のある言葉のやりとりをして、楽しんでいるのです。そしてその気分が読者に伝わってくるところが素晴らしいのです。

こんなふうに解説してしまうと何だかシラけてしまいますが、村上春樹さんの小説には、こういう仕掛けがあちこちに見られます。小説を読んでいる私たちは小説の中の人物たちと同じ気分を共有し、さらに村上さんの小説のファンの人たちは、お互いにその気分を共有することで、読書の喜びを噛みしめるのだと思います。

 

ちなみに、その前の文でつぶやかれている「ヘンリー・パーセル(Henry Purcell、1659 - 1695)」は、バロック時代のイングランドの作曲家だそうです。

https://youtu.be/2tP8YxwLxzs

パーセルはクラシックの音楽家ですが、この『ダンス・ダンス・ダンス』では、主にポピュラー音楽に関係する固有名詞がたくさん出てきます。読者はどこまでそれらを知っているのか、村上さんと小説世界をどこまで共有できているのか、を試されているような気持ちになります。例えば私は世代的に村上さんよりも少し若く、おそらくは村上さんがこのときに想定していた読者層の範囲に入っていたのではないかと思いますが、小説中の固有名詞がだいたいわかります。そうすると、何となく私のような人間に向けてこの小説が書かれているのではないか、という錯覚に陥るのです。村上春樹ファンの人たちは、だいたいそんなことを思うのではないでしょうか?

 

話を戻しましょう。

小説『ドライブ・マイ・カー』の中で、「異化」と呼べるような表現があるのだろうか、とさらっと眺めてみました。「異化」というほどの表現かどうか微妙ですが、例えば次のようなところではどうでしょうか?

 

家福は遠い風景を見るみたいに、みさきの横顔をただ眺めていた。彼女は何度かワイパーを素速く動かして、フロントグラスについた水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる双子のように硬く軋んだ音を立てた。

(『ドライブ・マイ・カー』村上春樹)

 

「ブレード」とは、車のワイパーのゴムベラの部分のことですが、「一対のブレード」を「不服を言い立てる双子」のようだと思う人が、どれだけいるでしょうか?おそらく普通の小説家ならこんな比喩表現は使わないと思うのですが、村上春樹ファンならば「双子」と言われると、例えば『1973年のピンボール』に登場する「僕」の同居人であった魅力的な双子の姉妹を思い出すかもしれません。

「双子」という言葉には、「一対」であるということ以上のなにか特別なイメージがあって、それは現実の双子の人たちを飛び越えてしまった、ちょっと神秘的なものであると村上ファンなら合点するでしょう。そして村上春樹さんの小説をはじめて読む人なら、「え、これは何?」と思うでしょうし、いずれにしても「一対のブレード」と「双子」のあいだには、ふつうの比喩表現の説明では解釈しきれない、「異化」の効果があるのだと思います。

 

さて、それでは映画の『ドライブ・マイ・カー』について考えてみましょう。ここから先は、映画のあらすじがわからない方は、先のリンクから前々回のblogを読んで復習しておいてください。

映画では、小説中に出てくるチェーホフ(Anton Pavlovich Chekhov、1860 - 1904)の『ヴァーニヤ伯父』という作品が、そのイメージを膨らませて劇中劇として演じられることになります。

はじめは家福自身がヴァーニャ(ワーニャ)伯父を演じる演劇の場面として登場します。そして後半では、家福が演出する演劇として登場するのですが、はじめは高槻という役者にヴァーニャの役を振ります。しかし高槻が事件を起こして演技が不可能となったときに、迷った末に家福自身が再び演じることになります。そこに家福と運転手のみさきの再生の物語があるのですが、映画の広報ではそこまで詳しく書かれていないので、ここでも差し控えておきたいと思います。

ところで、なぜ『ドライブ・マイ・カー』にはチェーホフの演劇が出てくるのでしょうか?小説の中の家福は、それほど売れていない俳優ですが、みさきの運転する車の中でカセットテープの朗読に合わせてセリフの練習をする、という設定になっていて、そのテープの内容が『ヴァーニャ伯父』なのです。

ちょっと横道にそれますが、それほど売れていない俳優が、なぜ運転手を雇うことになったのか、念の為に書いておきましょう。緑内障とわずかな飲酒のために家福は運転していて事故を起こし、免停と視力不足のために車の運転ができなくなったのです。それで事務所が、仕方なくみさきを運転手として雇うことになったのです。一方、映画の中の家福も緑内障で事故を起こしますが、病気の進行を遅らせる目薬をさしながら、運転を続けます。しかし、演劇の演出を担当するにあたり、主催者の要望でみさきを運転手に雇うことになったのです。映画の家福も、繰り返し車の中で『ヴァーニャ伯父』のセリフを復唱します。さらに映画の中で『ヴァーニャ伯父』の演劇が出てくるのです。

それで話を戻すと、なぜチェーホフなのか、なぜ『ヴァーニャ伯父』なのか、ということを考えてみましょう。私はチェーホフの愛読者ではないので、チェーホフについてとくに詳しくありません。それで文庫本の『ヴァーニャ伯父』の解説を参照すると、チェーホフについてこんなことが書いてありました。チェーホフが登場する前のロシア文学は、近代化が遅れていました。それがヨーロッパ文学の影響を受けて、急激な発展を遂げたのです。ロシア文学は目覚ましい成果をあげて、あのドストエフスキーやトルストイを生んだのでした。その後にチェーホフはデビューしたのです。

 

チェーホフはこの華々しいロシア文学の光芒のあとに登場した。すでにトゥルゲーネフが『父と子』を書き、ドストエフスキーが『罪と罰』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の問題作を発表し、トルストイが『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』の大作を世に問うたあとだった。しかもチェーホフが文壇にデビューした一八八〇年代には、すでにこれら巨匠は一線を退き、ロシア文学界は文字どおり「空白の時代」に突入していた。

(『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』「解説」浦雅春)

 

こういう時期に、あまり目立たない雑誌からデビューしたのがチェーホフでした。ロシア文学のその時期は、1960〜70年頃にかけての世界的な若者文化の大きなうねりの後に登場した村上春樹さんの世代、あるいはその後の私ぐらいの世代にかけての状況と、ちょっと似ていたのかもしれません。

チェーホフはその状況の中で、なぜか流刑地でもあったサハリンに冒険旅行に行ったのだそうです。その後「中心の喪失」がチェーホフの物語の構造として表れ、それが「主人公の不在」の小説として表現されたのです。また文体は簡潔になり、セリフの合間の文章はト書きのように素っ気なくなったのだそうです。その結果、セリフ中心の場面設定があらわとなり、戯曲へと向かったのです。

これらの文学的な特徴は、『ヴァーニャ伯父』にも当てはまります。ヴァーニャ伯父は主人公というほど捗々しい活躍をしませんし、ヴァーニャを伯父と呼ぶ姪のソーニャも、ヴァーニャの友人のアーストロフに振られてしまい、さえない結末を迎えます。ヒーローもヒロインも不在で、どの人物も人生に鬱屈を抱えているのです。

ここで『ヴァーニャ伯父』のあらすじを、「日本大百科」から拾ってみましょう。

 

ロシアの劇作家チェーホフの四幕戯曲。「田園生活の情景」の副題をもつ。書かれた時期は未詳。1897年に地方で初演され、翌年モスクワ芸術座の上演で成功した。主人公ワーニャは死んだ妹の夫セレブリャコフ教授の生活を援助するため、47歳の今日まで結婚もせず自己を犠牲にして働き続けてきた。教授は退職後、若く美しい後妻エレーナを連れて領地にくるが、かつては一家の誇りであった教授が平凡でうぬぼれだけが強く、エゴイスティックな俗物、つまり「学問のある棒鱈(ぼうだら)」にすぎぬことがわかってワーニャの人生は崩壊する。教授が領地の処分を提案したとき、ワーニャは逆上して襲いかかる。一方、姪(めい)のソーニャは医者アーストロフをひそかに愛しているが、彼はエレーナに心を奪われており、ソーニャの愛を退ける。傷ついたソーニャは、絶望しきっている伯父を優しく慰め、また新しく生きてゆくことを2人で決意する。

『原卓也訳『ワーニャ伯父さん』(『世界文学全集59』所収・1975・集英社)』

(日本大百科全書(ニッポニカ)「ワーニャ伯父さん」の解説より)

 

いかにも救いのない物語です。セレブリャコフを殺し損ね、自殺もならないワーニャと、アーストロフに振られたソーニャが、最後に二人で生きていくことを誓うのですが、この人生が希望に満ちたものではないことは明らかです。ですがその状況下で、ソーニャはワーニャに対して次のように告げながら、彼を慰めます。

 

ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。あたしたちはうれしくなって、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返るの。そうしてようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ。

(『ワーニャ伯父さん』チェーホフ 浦雅春訳)

 

ソーニャは「生きていきましょう」と言いつつ、「最後がきたら死んでゆきましょう」と言うのですから、これは絶望の中で生きていくという決意表明にほかなりません。そして死んだのちに神様の前で不幸を振り返って「ようやく、あたしたち、ほっと息がつけるんだわ」というのは、いかにも悲しい言葉ですが、これは自分の人生のことではないか、と思う方も多いと思います。ちなみに私の人生はワーニャそのものです。

ここで、なぜ『ドライブ・マイ・カー』の劇中劇がチェーホフなのか、そしてその演目が『ワーニャ伯父』なのか、を考えてみましょう。

小説『ドライブ・マイ・カー』においては、村上春樹さんがチェーホフに、あるいは『ワーニャ伯父』の「中心喪失」の構造に、シンパシーを感じていたからではないでしょうか。絶望の淵にあっても人は生きなければなりませんし、そのことが簡略なセリフで表現されていることに、村上さんは共感を感じているのではないでしょうか。

一方の映画『ドライブ・マイ・カー』では、『ヴァーニャ伯父』が劇中劇であると同時に、ヴァーニャとソーニャの関係が家福とみさきとの関係と重なる二重構造になっています。家福は、前半部分では自分にはヴァーニャを演じられない、と感じますが、それは自分自身がヴァーニャそのものだからです。けれども、映画では家福とみさきには、希望の光が暗示されます。そして家福はヴァーニャを演じて、映画は終盤を迎えるのです。

いろいろと映画の筋書きを書きすぎているので、これ以上は深入りしませんが『ヴァーニャ伯父』の原作ほど絶望的な気持ちで映画を見終わることはありません。

 

最後になりますが、この映画に希望を与え、その絶望の淵でのメッセージを力強いものにしているのが、劇中劇の中でのソーニャの手話であることを指摘しておきましょう。

私たちは、その場面を劇のオーディションの場面と、映画のラストと2回見ることになります。どうして家福が、演劇を多言語で演出するのかわからないままに映画が進行していくのですが、少なくともラストのソーニャのセリフで、その理由の一端を知ることになります。ソーニャの手話が優しく、また力強く、映画に希望を与えるものになっているのです。これは『ワーニャ伯父』の原作を読むのとは、ずいぶんと印象が違います。

それにしても、言葉とは不思議なものです。私の親しい友人には、日本語、英語、フランス語の専門家がいるのですが、彼らがどういうふうに言葉を感じ取っているのか、そして外国語が堪能になった時に日本語はどう見えるのか、知りたいなあといつも思います。自分が外国語を堪能になればいいのですが、生半可な努力ではそうならないこともわかっています。ここで多言語が駆使されていることの意味を自らの実感として知ることは、私には不可能なのかもしれません。

そこで次の機会には、多和田葉子さん、リービ英雄さんなどの書いたものを手がかりにして、もう少し言葉について考察します。その時には、多言語で演劇を演じることの意味がもう少しはわかるかもしれません。自信はありませんが、またご報告します。




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