平らな深み、緩やかな時間

264.稲さんのアトリエ展テキスト「表現の深化について」

これまでお知らせしてきた現代美術家、稲憲一郎さんのアトリエでの展覧会に行ってきました。落ち着いた雰囲気の中で、作品をじっくりと見ることができます。また、日常的な家屋スペースに設置された作品は、絵画が周囲の空間と無縁でないことを改めて教えてくれます。銀色の作品が見る角度によって色が変わって見えることも興味深いです。ぜひ、本物の作品と出会ってみてください。

以下は、これまでお知らせしたことですが、再々掲いたします。

 

10月29日(土)から11月14日(月)まで開催しています。その展覧会のパンフレットに、私がテキストを書きました。そのテキストもいずれここでご紹介しますが、まずは稲さんの展覧会の案内状をご覧ください。私のホームページにそのPDFファイルを貼りましたので、ご参照ください。

http://ishimura.html.xdomain.jp/news.html

 

私のホームページでも紹介してありますが、稲さんが「精神生理学研究所」の活動をしていた時の資料が東京・六本木の国立新美術館で展示されています。

『国立新美術館所蔵資料に見る1970年代の美術—— Do it! わたしの日常が美術になる』という展覧会です。展示に関する情報は次のとおりです。

2022年10月8日(土)~11月7日 (月)毎週火曜日休館 10:00~18:00

※毎週金・土曜日は20:00まで 入場は閉館の30分前まで

https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/doit/

 

そして同じく現在、国立新美術館で同時期に活躍し、現在も現役で活動している李禹煥(リ・ウファン、1936生)さんの大規模な展覧会が開催されています。

https://leeufan.exhibit.jp/

 

美術館では1階で『李禹煥』回顧展、2階で『 Do it! わたしの日常が美術になる』の展示があり、私は1階から2階へと見に行きました。よかったらその感想を次のblogに書きましたので、ご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/5ad201b502d12f586f6de7e804c6a717

稲さんのアトリエ展、新国立美術館の『Do it! 』、『李禹煥』の三つの展覧会をセットでご覧になることをオススメします。1970年代からを射程に入れた日本の現代美術の一断面をみることができます!

 

追記します!!『Do it! わたしの日常が美術になる』の会期終了が迫っています。このような地道な資料の保管と展示が、国立の美術館としての真面目で必須な仕事なのだと実感できる展示です。特に1970年代の美術について、自分には縁がないと思っている若い方にこそ、見ていただきたいです。

今の私たちと地続きの場所で起こった、身近な過去の記録です。ぜひご覧ください。

 

そして今回は、私が書いた稲さんのアトリエ展のテキストを掲載します。展覧会場に行くと、稲さんの作品が写ったカラーの作品集と私の文章をセットで手にすることができます。私のテキストを読んで、一人でも多くの方に稲さんの作品に興味を持ってほしいので、ここに掲載します。ご一読いただければ幸いです。



<稲さんのアトリエ展 テキスト、ここからです。>

 

稲 憲一郎展 ― 表現の深化について

 

現代美術の作家として、長く充実した活動を続けてきた稲憲一郎さんですが、これまでに稲さんが手掛けてきた作品には、さまざま種類のものがあります。今回の展覧会では、現在の稲さんが探究している最近の作品が展示されると聞いています。それらの作品には、大きく分けて二つの方向性があります。平面的な作品と、立体もしくは半立体的な作品です。稲さんの作品をご覧になった方には、次のような疑問を持たれる方が多いのではないでしょうか?

 

稲さんは、どうして端正なドローイングの上にラフなタッチの色を置いてしまうのでしょうか?それに透明なメディウムの層が重なっているのも気になります。

 

稲さんは、どうして立体状の木の表面に絵を描くのでしょうか?

 

私はそういう基本的な問いかけを大切にしたいと思っていますが、そのことにちゃんと答えようと思うと、これがなかなかたいへんです。はじめに、大雑把な美術史の話からはじめます。基本的なところから考えたいので、しばらくお付き合いください。

稲さんの作品は、美術作品の分類で言えば「現代美術」と言われる分野に入るのだと思います。「現代美術」と言えば、何やら小難しい理屈が先行する表現だ、というイメージがあります。それも無理からぬ話です。

しかし「現代美術」という言葉は本来、特別な美術のジャンルを指している言葉ではなかったはずです。現代に生きて、美術作品を制作していれば、誰だって、あるいは何だって「現代美術」になるはずです。例えばバロック時代のフェルメール(Johannes Vermeer, 1632 - 1675)の絵画だって、その時代の人たちからすれば、現代美術だったはずです。フェルメールの絵画は生前から高く評価されていたそうですが、それでもフェルメールの本当の素晴らしさを評価できた人は少なかったでしょう。芸術家はつねに進歩を求めて作品を制作するので、しばしば同時代の人の常識を飛び越えてしまいます。20世紀になると、あらゆることがものすごいスピードで発展しましたので、芸術作品の様式や表現方法も短期間でどんどん様変わりしていきました。そのスピードが速すぎて、現代の表現を模索する芸術家の作品に一般の人たちがついていけない、という現象も出てきてしまいました。

だから「現代美術」、「現代音楽」、「現代文学」というふうに、「現代」という言葉のつくものはどれも難しく思えるのです。それらは難解であるばかりでなく、場合によっては不快に思うものもあります。なぐり描きのような絵を見て、ちっとも良いと思わない、ということもよくあることですが、無理して良いと思う必要はありません。実際にひどい作品もたくさんあります。でも、稲さんの作品を見て、ひどい作品だと思う人はいないでしょう。

先ほども書いたように、20世紀になるといろいろなことが目まぐるしく変わります。しかしその基本となる考え方は、意外と単純なものです。20世紀の科学技術の発達は、私たちの生活を豊かにしたうえで、私たちの思想や考え方のベースにもなっています。その科学技術的な考え方の基本は、いかに早く、いかに確実に期待した結果が得られるのか、ということです。確実な結果を得るためには、そこに関わる要素を単純なものに還元する必要があります。単純化したものは、複雑なものよりも同じ結果を得られやすいからです。その単純化したものを積み重ねて確実な結果を得る、そしてそれを複雑に組み合わせてハイ・スピードで処理する、というのが科学的な方法の基本です。

この科学技術的な考え方は、芸術の分野にどのような影響を与えたのでしょうか。芸術の分野では、「還元」が徹底したものほど美しい、と思われた時期がありました。わかりやすい例で言えば、ガラスやコンクリートのモダンな四角いビルを、私たちは美しい、とか、かっこいいと感じることがあります。また、それらが林立する都市風景を美しいと感じることもあるでしょう。このような考え方や感じ方のことを「モダニズム」と言います。

これが絵画だったら、どういうことになるのでしょうか?

もしもあなたの描いている絵画を「モダニズム」的に美しく仕上げようと思ったら、画面を単純な平面に、つまり平滑な色面に還元すればよいのです。現代アメリカの偉大な評論家、グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)は『モダニズムの絵画』という論文のなかで、「モダニズムの絵画は、他には何もしなかったと言えるほど平面性へと向かったのである」と書きました。しかしそれではあまりに結論が単純なので、グリーンバーグは「モダニズムの芸術の原理を示すにあたって、単純化したり誇張したりしなければならなかったことは理解されたい」ということを言い訳のように付け加えました。しかし彼のそんな微妙なニュアンスとは裏腹に、20世紀末に絵画はどんどん平面性を強固にしていきました。このような動向を「ミニマル・アート」と言いますが、グリーンバーグは「ミニマル・アート」の作家たちを評価しなかったそうです。

ところで「現代絵画」においては、誰が描いても平滑な色面に「還元」されてしまうのだとしたら、それでも絵画という芸術表現が存在する意味があるのでしょうか?そのような疑問を含めて、「絵画の終焉」とか、「芸術の終焉」とかいうことを言い出す評論家が出てきました。彼らの言い分では、その「終焉」説は18世紀から19世紀の前半に活躍した大哲学者、フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770 - 1831)にまで遡ることができるのだそうです。私も調べてみましたが、確かにヘーゲルはそういうことを言っています。しかし、そもそもヘーゲルは200年前の人ですから、その人の学説をそのまま現代芸術に持ち越して、「芸術の役割は終わった」というのはいかがなものでしょうか?

そんな疑問が生じてくる一方で、現在の芸術の先細りのように見える状況の要因は、ヘーゲルの思想の中にすでに胎動していた、というのも事実でしょう。

 

話が長くなって申し訳ありません。

しかしここで皆さんに知っておいていただきたかったことは、稲さんが作家活動を始めた頃には、「絵画の終焉」や「芸術の終焉」説が、まことしやかに語られていたということです。真摯に現代の表現に向き合えば向き合うほど、アトリエにこもって絵なんか描いているわけにはいかなかった・・、多くの若者にとっては、そういう時代でした。

稲さんも若い頃には、観念的な作品やものを使った作品を制作していました。そしてその中に、写真などの紙媒体を使った作品も含まれていたのです。若い稲さんが、それらの作品の平面性にどれくらい意識的であったのかわかりません。しかしやがて稲さんは、紙の上にフロッタージュを施したり、立体物に彩色したり、というふうに広い意味で描画行為と言えるようなことを実践するようになりました。それが現在の稲さんの作品へと繋がっていくのです。

 

しかし、それらがすんなりと絵画的な作品へと移行できたわけではありません。先ほども書いたように、「絵画の終焉」説にはある程度の説得力があって、「終焉」とは言わないまでも「絵画」という表現が岐路に立っていたことは確かでした。ですから、現代美術に真摯に取り組む表現者にとっては、絵画的な方向へと舵を切るには、それなりの新たな視点が必要だったのです。

ところでこの時期には、世界的に見ても同様のことが起こっていて、ヨーロッパの作家たちも新たな視点を求めて試行錯誤をしていたのです。例えばフランスでは、「シュポール/シュルファス」と呼ばれる動きがありました。「シュポール/シュルファス」の作家たちは、木枠から外された画布、あるいは画布のない木枠などを展示して、主に絵画という制度の再検討を試みていました。あるいはイタリアでは、「アルテ・ポーヴェラ」と呼ばれた作家たちが、生きている馬をそのまま展示したり、古い彫像を引用した作品を作ったりして、こちらは主に既存の立体的な表現の再検討を試みていました。彼らに共通するのは、現在の「絵画」や「彫刻」、あるいは「美術」として括られたものを解体して、それを再構築しようとする姿勢でした。木枠から外された画布を「絵画」と呼ぶことができるのか、あるいは生きた馬を「美術」とみなすことができるのか、などといった問いかけが彼らの作品には含まれていたのです。

しかし私の見るところでは、それらの作品は既成の表現への問題提起にはなりましたが、芸術表現として深まっていったのかといえば、そうでもないと思います。大きな展覧会場で人目を引くように鍛えられた作品は、それなりに見応えのあるものですが、それが作品の深化と言えるかどうかは別問題です。先程の言葉で言えば、既存の芸術の「解体」はさかんに行われましたが、「再構築」に至っていたのかどうかは疑問です。「解体」から「再構築」までの流れをまとめて「脱構築」と言うならば、彼らの作品はその途上で完結してしまった、ということだと思います。

そういう世界的な動向と比較した場合に、稲さんの作品の表現の深まり方は稀有なものだと思います。稲さんの作品は、観念的なものから少しずつ絵画的な様相を帯びていったのです。

 

以上のことを念頭に置いて、具体的に稲さんの作品を見ていきましょう。

はじめに書いたように、稲さんの現在の作品は平面的なものと、立体的なものに大きく分かれるので、それぞれの傾向の作品を見ていきたいと思います。

 

まずは平面的な作品から見ていきます。

稲さんの平面的な作品には、重要な仕掛けがあります。稲さんは、平面作品の基層にあたるところに精緻なドローイングを施し、その上に透明なメディウムの層と色彩豊かなペイントの層を重ねていきます。その結果、稲さんの平面作品は重層的な構造を持つようになりました。もう少しかんたんに言えば、稲さんの平面作品は複数の絵が重なっているように見えるのです。このことを先ほどの概念で解釈すると、従来の西欧絵画の構造を「脱構築」するものである、ということになります。この点について、もう少し説明しましょう。

ヨーロッパで発達した西欧絵画は、絵を描く画家の視点を固定して、その一つの視線から一元的に絵画を見通す構造になっています。これはルネサンス以来の人間中心的な考え方と関連していると思うのですが、つまり世界の中心は画家の眼にあって、そこから見える視野のすべてを人間が支配しているのです。

それでは稲さんの重層的な絵画は、その歴史的な流れの中でどういう意味を持っているのでしょうか。稲さんは、絵画を重層的なものとすることで、この一元的な視点という考え方をずらしてしまったのです。それぞれの層における稲さんの視線は互いにつかず、離れず、といった関係ですから、それらは同一平面上にありながら、視点としてはそれぞれ独立したものなのです。一元的なものの見方を解体して、複数の視点を構築する、これがすなわち、稲さんがそれまでの絵画を「脱構築」したという理由です。

ところで、半透明な平面を重ねることでそれまでの絵画の概念を解体する、というところまでなら、例えば「シュポール/シュルファス」の作家ルイ・カーヌ( Louis CANE, 1943 - )が同様のことを試みています。カーヌは透明なシートに鮮やかなペイントを施し、なおかつそのシートを支えている木枠を透かして見せたのです。カーヌのこのシリーズの出来栄えは、なかなかきれいなものですが、私にはそれらがそれ以上に発展する可能性はないと思います。そもそも彼のペイントの質を見れば、絵画の「解体」が主目的で、それを「脱構築」して表現を深めよう、などということを求めてはいないのです。このように絵画の「解体」だけで満足するのであれば、方法論はいくらでもあります。

稲さんも平面作品をはじめた段階では、写実的なドローイングの層とラフなペイントの層とのギャップを誇張することに比重を置いていました。それがいつしか、その複雑な「絵画の構造」が稲さんの中で内面化され、あえてそれを外にむけて強調する必要がなくなったように見受けられます。それよりも、その重層的な「絵画の構造」をいかに活性化できるのか、という点に稲さんの興味が移っているように見えます。少し前の作品からドローイングの写実性が後退し、その簡略な線がペイントの色と楽しそうに絡むようになりました。今回の作品ではそれがより一層進んでいるようで、大きな作品ではペイントの層においてドローイングと呼応した線描が見られます。それぞれの層の独立にこだわる段階から、それらの層が絡み合った新しい絵画を構築する段階へと進んでいるのです。繰り返しになりますが、絵画の「解体」から「脱構築」へと進み、新しい絵画として表現を深化させていく事例は、世界的に見ても稀有なものだと思います。

 

次は立体作品についてです。

稲さんが現在のような立体作品を作り始めたきっかけは、パネル状の四角い形が壁に並べられた1983年頃からだったようです。それが不定型の「皿」のような形状が壁から飛び出すようになり、さらにそれが滑らかな曲線をもつ作品に変わってきました。時に舌のような官能的な形が壁から突き出していたこともありましたし、それが縦方向に長く伸びていたこともありました。また、広い面をこちらに向けて、レリーフのような形状をしていたこともありました。

だいたい立体作品の形状はこのようなパターンの中で考えることができて、それは現在も変わらないのですが、その表面の処理はずいぶんと変わりました。ブルー系統を中心とした限定的な色で塗られた作品もあれば、鉛筆のような描画材と無彩色の絵の具だけで描かれた作品もありました。また、ブルーやグレー、イエローなどの統一した色調の中で、楕円形や三角形などのシンプルな形が表面に描かれたこともありました。

いずれにしろ私の印象からすれば、稲さんの立体作品は、立体の形状として表現が完結しておらず、また表面に施されたペイントやドローイングも、絵として見れば何かもの足りない感じがします。実はそこに稲さんの表現上の工夫があって、それらは一体化して見られた時に、はじめて作品として成立するように作られているのです。

その何とも分類のしようのない立体作品と出会った時に、私たちはそれをどのように解釈するのでしょうか。私は自分が絵を描いていることもあって、「これも絵画なのだ」と理解しました。考えてみると、人間が洞窟の壁に絵を描いたのが世界最古の絵画だと言われていますが、その壁面には当然のことながら凹凸があったのです。それが有史以来、絵画表現は制度化されていって、今では木の枠に麻布を張って、そこに絵を描いて額縁に入れて壁に飾る、ということが当たり前になってしまいました。しかしこれは歴史の積み上げによって成立した、実に特殊なことではないでしょうか?その特異な絵画制度に対して、稲さんは絵画が立体面に描かれていたとしても、そこに「描画行為」があるのならば、それを「絵画」と見なすことが可能なのだ、ということを私たちに見せたのではないでしょうか。絵画というものは額縁に入った形式や様式なのではなくて、人間がそこに「描画行為」を認めることが、絵画にとって最も重要なことだったのです。

稲さんの立体作品の変化を見ると、その探究の深化がよくわかります。稲さんは少し前から、立体作品の表面に青と緑の二色を用いるなど、絵画的な表現を強めてきました。それがさらに今回の作品では、平面作品と同様のカラフルなペイントが立体作品に見られるようになったのです。先ほども書いたように、稲さんはこれまで立体作品が絵画や彫刻といった既存のジャンルの作品としても見られないように苦心してきました。しかしその作品構造が稲さんの中で内面化され、もはやそのことに注意を払う必要がなくなったのではないかと思います。現在の稲さんの立体作品には美しいペイントやドローイングが施されていますが、だからと言ってそれが額縁のある絵画と同じことにはなりません。むしろ果敢に立体面の凹凸の上から描画したことで、「絵画を描きたい!」という欲望がより強く可視化されているように感じます。とくに今回の作品では、稲さん自身が凹凸面に描画をするときに、その「描きにくさ」を楽しんでいるように見えるのです。

 

今回の展覧会では、絵画を「脱構築」した上で、その本質に迫っていく稲さんの方法論に注目すると同時に、その困難な探究が絵を描く喜びとともにあったことも目に焼き付けていただきたいです。そしてどうして稲さんの作品において、そのような探究が可能であったのか、もう少しだけ考えてみましょう。

文中でも取り上げたヨーロッパの現代美術のいくつかの動向は、それまでの芸術の様式や概念を「解体」することに腐心し、そのことに終始しました。あるいは「ミニマル・アート」と呼ばれた作品群は、平滑な色面へ向かうというコンセプトの中で、微妙な絵の具の塗りむらにまで目を向けなければならないほど、せまい領域の表現になってしまったのです。稲さんと同時代の代表的な絵画の試みは、どれも発展性の薄い、表現の深まりが期待できない構造を含んでしまっていたのです。その時代の中で、稲さんの作品は平面的であれ、立体的であれ、それぞれ表現として深化していく余地がありました。それは作品がそういう構造になっていた、ということなのですが、なぜ稲さんの作品はそういう構造になったのでしょうか?

そこには、稲さんの作家としての嗅覚と知性の両方が働いていたと思うのですが、もっと具体的に言えば、私はこのような構造に作品を導いた要因を、稲さんの初期の作品の中に見出します。それは1975年頃の作品で、同じネガの紙焼き写真をできるだけ同じ仕上がりになるように何枚も焼き付ける、という作品でした。私の文章で恐縮ですが、私は2001年にその作品についてこう書いています。

 

紙焼きは出来るだけ同じ条件で、同じ仕上がりを目指して焼かれたが、手焼きの写真はその時間、薬品の状態、気温、湿度、感覚等のわずかな差異により、微妙に仕上がりが変化する。その仕上がりをチェックすることで、研ぎ澄まされていくのは稲の視覚、すなわち眼だ。

(『稲憲一郎論』より)

 

私はこのような作品に対する稲さんの態度が、今日の稲さんの表現の深まりを実現したのだと考えます。この写真作品『測定―変質』が制作された1970年代の半ばと言えば、人間の感性よりも作品の理論的な普遍性や規則性が重視された時代でした。その当時『絵画論』という現代美術の理論書によって私のような若者に大きな影響を及ぼした作家に宇佐美圭司(1940 - 2012)さんという人がいます。彼はその『絵画論』の「あとがき」で、次のように書いています。

 

描くための場を思考すること、そしてその肖像としての表現を成立させること、という鏡像の無限連鎖の中にしか、今、表現によって世界を語りえる場はないのではないか。私たちが指向する場とは現実の世界にはない。それは観念の中に構築され、一枚の紙片、一枚の布の上に定着された世界のモデルに他ならないだろう。

(『絵画論』「あとがき」宇佐美圭司)

 

宇佐見圭司さんは著名な画家でもありましたので、ここで書かれているように、「世界のモデル」となるような独自の理論で絵画を制作したのでした。そして「観念の中に構築」された規則性を画面上で披露して得意そうな顔をしていた作家たちが、当時の画廊や美術ジャーナリズムの中でなんと多かったことでしょう。彼らは人間の「視覚」のことなど、微塵も考慮していませんでした。実際の宇佐見さんの作品を見ると、意外なほどに「視覚」的な効果に苦心をされていたのですが、そのことは彼の理論に含まれていなかったようです。

私自身は絵を描くことが大好きなので、「観念の中に」世界を構築しなければならない、と言われても困惑するばかりでした。私にとっては、現実の世界であれ、絵画作品であれ、まずは「見る」ことから始めなければ気が済まなかったのです。その頃は稲さんの作品のことを知りませんでしたし、知っていたところで正しく評価することはできなかったでしょう。しかし今にして思えば、自分の「視覚」を基準とする、という態度で作品と向き合ってきた稲さんの作品が、その後も深化し続ける方向性を持ち得ていたというのは当然のことです。

稲さんは「視覚」によって思考する作家であったために、その作品は発展的な構造をはらみ、稲さん自身もつねに新しい発見によって導かれてきたのだと私は考えます。人間の感性について、ときに「感覚的」というような言葉でその曖昧さを揶揄することがありますが、その「感性」が「思考」と一体となって創作活動を続けたときに、いかに豊かな成果を生むのか、いかに深いところまで表現を深化することができるのか、稲さんの作品はそのことを示しているのだと思います。

そして、この「感性」と一体となった「思考」というものは、芸術によってしか成し得ることができません。芸術に関わる人たちは、そのことをもっと自覚するべきだし、それが分からない人は稲さんの作品を見るべきです。

 

さて、最初の問いに戻りますが、稲さんの作品を見たときの素朴な驚きや疑問に答えることができたでしょうか?稲さんの作品の独特の方法には、現代という時代が要請した絵画に関わる新たな視点が含まれていますが、それと同時に稲さん自身の表現を深めていくためにも、必要不可欠な方法だったのです。このような表現方法の必然的な発展は、真摯に芸術と向き合ってきた芸術家には、しばしば起こりうることです。稲さんの場合も、その一つの優れた例だということになります。

そのことをご理解いただけたなら、稲さんの作品の素晴らしさが一段と増して見えてくるはずです。この文章が、そのような鑑賞の一助になれば、こんなにうれしいことはありません。

 

 <稲さんのアトリエ展 テキスト 終わりです>

いかがでしょうか、興味を持っていただけたでしょうか?

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