平らな深み、緩やかな時間

288.『感覚のエデン』岡崎乾二郎から原発、岡本太郎について学ぶ

昨年の12月の末に、次のようなニュースが掲載されました。

これは「NHKニュース」のページの記事です。

 

『脱炭素社会へ政府が基本方針 原子力政策の方向性は大きく転換』

2022年12月22日 19時28分 

政府は、2050年の脱炭素社会の実現とエネルギーの安定供給のため、原子力発電の最大限の活用と二酸化炭素の排出量に応じて企業などがコストを負担するカーボンプライシングの導入などを盛り込んだ今後の基本方針をまとめました。

このうち原子力発電については実質的に上限の60年を超える原発の長期運転を認めることや、これまで想定してこなかった次世代型の原子炉の開発・建設に取り組むといった内容が盛り込まれました。

11年前の原発事故のあと政府が示してきた原子力政策の方向性は、大きく転換することになります。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221222/k10013931431000.html

(NHKニュース 2022.12.22)

 

他のメディアでも、次のように報じられました。ニュース記事と社説です。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/221563

https://www.asahi.com/articles/DA3S15509791.html

 

この政府の方針には賛否両論があると思います。このタイミングでの方針転換には、ロシアのウクライナ侵略による燃料の高騰が理由として挙げられています。それは次のとおりです。

 

ロシアによるウクライナ侵攻を受けた燃料価格の高騰を背景に、電気料金の平均単価はことし8月までの1年間で見ると家庭用でおよそ2割、産業用でおよそ4割上昇しています。

こうしたなか、政府はすでに再稼働した10基に加え、2023年夏以降、原子力規制委員会の審査に合格した7基の再稼働を目指すとしていて、仮に17基全てを動かした場合、海外から調達するLNG=液化天然ガス、およそ1兆6000億円分を輸入せずに済むと試算しています。

(NHKニュース 2022.12.22)

 

この燃料価格の高騰への対応として、原発の再稼働がどれほど有効なのか、専門家の意見も分かれているようです。

しかし、臨時的な原発の再稼働について一定の効果は認めるとしても、これから新規の発電所の開発と建設に取り組むのでは現在の危機に間に合いませんし、これは別の問題だという意見があって、私もそれが妥当だと思います。緊急的な措置と、長期的な見通しと、はっきりと分けて議論すべきなのに、意図的にそれらを抱き合わせてしまおう、という為政者の意図を感じてしまいます。

海外ニュースを見ると、ため息ばかりが出てしまう今日この頃ですが、これは対岸の火事ではありません。私たちの国の為政者は、某国の為政者ほどひどくない、と信じたいところですが、本当にそうでしょうか?あとで歴史を振り返ってみると、どっちもどっちだということにならなければ良いのですが・・・。

 

ところで、原子力政策のような社会的な問題と、芸術とは無関係だと思いがちですが、どうやらそうでもないようです。2021年に出版された美術家の岡崎乾二郎さんの『感覚のエデン』のなかに「理性の有効期限」という、とても興味深い論文がありました。この論文は時期的に見ても、もちろん今回の侵略戦争とは無関係ですが、東日本大震災と原発事故をきっかけとして長い射程の考察をしていますので、現在でも十分に有効な内容です。と言うよりも、政府が原発に関する方針転換を発表した今こそ取り上げるべき文章だと思って、このblogを書いています。意外なことに、この論文に芸術家の岡本 太郎(1911 - 1996)さんが登場するのですが、この岡崎さんの文章を読んで、私が長い間抱いてきた岡本太郎さんへの違和感の理由が、少し分かったような気がします。

そのことも含めて、順を追って説明していきましょう。

 

まず、この「理性の有効期限ー理性批判としての反原発」というタイトルの「有効期限」というのは、どういう意味なのでしょうか?この論文の出だしの文章は次のとおりです。

 

放射線が危険であることは万人が認めることだと思います。低線量の危険性はまだ科学的に確定されていないと認めない人が多少いるとしても、高線量の危険性は否定しようもない。科学的事実として誰もがそれを認めざるをえない。またその危険性が人間の生物的生の時間のスケールをはるかに超えた時間、持続するものであることも誰もが知っている。反放射性物質、反放射能は万人が認める自明の事実である。当然それを大量に生み出す原子力発電に危険、リスクがともなうことを認めない人などもいない。だからこれに反対することは思想的な問題になりません。意見が分かれるのは、このリスクを超えて核エネルギーを人間の科学技術がコントロールし管理できるかどうかという問題についてです。さらに言えば、このリスクをふまえても、なお、この技術の使用を合理的だとする社会システムの成否をめぐるものであることははっきりしています。

今回の(東日本大震災による)原発事故で明白になったのは、この科学技術の統御力に時間制限が必ずあることであり、さらにはその技術を用いる主体、科学者、その制度、組織、さらには行政、国家、国民、民衆という、その技術を用い、統御管理する主体自体の一貫性、同一性にも起源があるということだったはずです。これをつきつめれば人間理性(=その正常な動き)そのものが期限を持つものでしかなかったという、認識上のスキャンダルまで至る。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

これは何を言っているのかといえば、仮に科学技術によって原発の放射能を管理できるとしても、そのエネルギーが消えるまでに数万年の歳月を要するのは、物質の性質上変更することのできない事実のようです。原発の廃炉に数十年かかる、という試算がありますが、これはあくまで原子力の廃棄物の放射線が外部に出ないようにしながら、施設を閉鎖するまでの年月です。その廃棄物の処理をする場所や技術さえ十分な見通しが立っていない状況ですが、岡崎さんが問題としているのは、その処理ができたとしても、そこから安全な状態で核物質のエネルギーが無くなるまでそれを保管しなければならない、ということです。そのエネルギーの消滅には数万年という歳月がかかるようなのですが、その年月に対して私たちの理性は責任を持つことができるのか、ということを彼は言っているのです。

そもそも、その責任を担う私たちの国家は、1000年後には存在するのでしょうか?人類は1万年後にも生存して、原発廃棄物の処理をコントロールできるのでしょうか?そのことを指して、岡崎さんは「理性の有効期限」と言っているのです。

 

いわば理性の物質的限界が露わになった。理性も物質としての不安定性を持ち寿命を持つ。理性が無期限に持続しえないのだから、無期限に持続する制御技術などもありえない。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

これは具体的に考えれば、私のような者でも理屈がわかります。地中深くに原発の廃棄物を埋めて、その場所を掘り返したり、無用な刺激や破壊をしないようにすれば安全です、という理想的な処理ができたとしても、その場所にそんな危険なものが埋まっているということを、私たちは継続して伝えることができるのでしょうか?伝える相手は、人間ではないかもしれないのに・・・。それに、今の私たちがしでかしている事を考えてみてください。チェルノブイリでの原発事故があった国で、原子力発電所に武器を格納し、その危険性を人質がわりにして世界に脅威を与える、というとんでもない国家が存在します。それからもっと身近なところで言うと、私たちの国にある原発に海を越えてミサイルを打ち込むかもしれない為政者だっているのです。ミサイルの発射場所を特定するのは不可能であるらしく、日本の防衛はミサイルの迎撃をあきらめて、それならばミサイル基地を先に破壊してしまえ、というふうに防衛論理をすり替えているようですが、どう考えてもそれで安全性が保たれるとは思えません。岡崎さんの話とはちょっとずれますが、それぞれの国の為政者に理性を求めることすら相当困難である、という現実があります。これを「想定外」の危険性だと言うのなら、あまりに「想定」が甘いと言わざるをえません。

 

さて、『感覚のエデン』「理性の有効期限」では、日本の原子力開発の流れを批判的に追っていきます。例えば物理学者の武谷 三男(1911 - 2000)さんの果たした役割について、緻密にその負の面も含めて書かれていますが、私には噛み砕いてここに何か書けるほどの教養がありません。興味のある方は、誤解のないように原著に当たられるのが良いかと思います。

それ以外に、私の理解できるところでチラッと書かれているのが手塚治虫(1928 - 1989)さんの「鉄腕アトム」のことです。アトムの誕生は天馬博士の息子を失った迷妄によるもので、悲劇的な側面がありました。しかしこの作品全体には、科学の力によってその悲劇が希望に変わるという、手塚治虫さんの肯定的なメッセージが込められていました。つまり「鉄腕アトム」は原子力に対する希望の物語でもあったのです。

このような芸術家の両義性は、本来のメッセージに込められるべき負の側面を覆い隠してしまう、という意味で罪深いものがあります。そして、ここで登場するのが、芸術家の岡本太郎(1911 - 1996)さんです。岡本太郎さんを論じるにあたって、岡崎さんははじめにこう書いています。

 

両儀的と言えば、岡本太郎の存在もそう言えます。けれど彼が与えた効果はより深刻でタチが悪かった。岡本の対極主義は弁証法を否定する。対立を止揚せずむしろ激化させる。というのは岡本のよく知られた思想ですが、実際は容易には止揚しえない矛盾、問題があった時に、その問題そのものに主体を移行させてしまい、問題が解決したように装うことこそ岡本のレトリックの基本だった。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

さて、このような岡本太郎さんの込み入った話に入る前に、岡本さんがどういう人だったのか、簡単に紹介しておきましょう。

岡本太郎は神奈川県橘樹郡高津村大字二子(現・神奈川県川崎市高津区二子)で、漫画家の岡本一平、歌人で小説家・かの子との間に長男として生まれました。奔放な父母のもと、東京美術学校に進学しますが、父親の仕事の関係で休学してパリに行き、しばらく一人で滞在します。その間に民族学を学んだり、ピカソに影響を受けたり、と若い多感な時期を恵まれた環境で過ごし、ヨーロッパの著名な画家や学者と大いに交流したようです。

時代は第二次大戦にさしかかり、パリから帰国した岡本さんは滞欧作の《傷ましき腕》などを二科展に出品し、個展も開きました。

https://www.nichibun-g.co.jp/data/education/k-bi-museum/k-bi-museum042/

そして岡本さんは徴兵され、中国で終戦を迎えて帰国しました。1947年に新聞に「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」という宣言を発表し、1948年に 花田清輝らとともに「夜の会」を結成し、前衛芸術家たちと盛んに交流しました。。1951年に東京国立博物館で縄文火焔土器を見て、翌年、美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表しました。岡本さんは縄文土器論、沖縄論など、民族学的な素養を発揮した著述家でもありました。岡崎さんはそのことについて言及していますので、後で紹介します。

https://taro-okamoto.or.jp/books/taro/

岡本さんは1960年代にメキシコに行き、メキシコの壁画運動に影響を受けます。そして1970年に大阪の万国博覧会で、あの『太陽の塔』を制作しました。

https://taiyounotou-expo70.jp/

この頃から私の記憶にも残っているのですが、岡本さんはテレビのバラエティ番組に登場し、コマーシャルでもその姿をよく見かけました。「芸術は爆発だ!」というセリフが小学生の間でもギャグとして流行ったほどでしたから、私は長らく彼のことを芸術家気取りの芸人だと思っていました。岡本太郎さんが本当に著名な芸術家だと分かったのは、美術館に行って彼の作品を見かけるようになってからです。

岡本さんは亡くなった後も大衆から愛されている人で、ゆかりの地の川崎に美術館が建てられ、再発見された大きな壁画が東京で飾られています。

https://www.taromuseum.jp/

https://taro-okamoto.or.jp/asunoshinwa/

 

作品制作に、文化論著述に、岡本太郎さんはジャンルを越えた大活躍をしました。ご両親からの血筋とはいえ、あやかりたいほどの才能をお持ちだったのですが、その岡本さんに私は違和感を抱きました。その原因は彼の絵画作品にありました。彼の絵が前衛的とは言いつつも、あまりにわかりやすい色彩表現、コントラストの強調、旧套的な空間意識によって、描かれていたからです。すごく不遜な言い方をすれば、一般の観客を驚かせるための意図したダイナミックさに見えてしまったのです。それは『傷ましき腕』から大壁画まで共通する特徴で、さらにそこには、センチメンタリズムや高揚感などの感情的な味付けが施されています。

しかし、岡崎さんがここで挙げている岡本太郎さんの問題点というのは、彼の著述活動に関することです。岡本さんは、作家の坂口安吾(1906 - 1955)さんの影響を受け、また民族学的な面では民俗学者の柳田國男(1875 - 1962)さんを下敷きに文章を書いていたようですが、そのことについて岡崎さんはこのように書いています。

 

安吾の「文学のふるさと」にはー「生まれた子供を殺して、石油缶だかに入れて埋めてしまう」という小説を書いた男が、自らそれを行なったと平然と告げることに芥川龍之介が衝撃を受け「突き放された」思いになるーという話が出てきますが、岡本太郎はこれを『沖縄文化論 忘れられた日本』のはじまりの部分で踏襲しています。岡本はその『沖縄文化論』を柳田國男の『山の人生』にある同型の話ー貧しい炭焼きの男が斧で子どもたちの首をはねてしまうーこの子どもたちは自ら斧を磨いて父を待っていて、これで自分の首をはねてくれと枕木に自らの首を並べて嘆願するのですーという話を引くことからはじめている。けれど岡本は、この話にあるのは、いかなるヒューマニズムにも救えない、いかなる自然よりも逞しい自然、人間生命のぎりぎりの美しさなのだと感嘆して見せることで合点してしまうのです。そして沖縄の基底にはこの感動があると賛美する。安吾なら突き放されたと言っただろう、あるいは柳田國男的に言えば「平地人はただ戦慄するほかない」、決して理解しえないはずの距離を、岡本は一挙に無化し、対象に同一化することで解消してしまう。彼は本当に民族学を学んだのでしょうか?対象を自己の論理、いや単なる都合に要領よく回収してしまうのですから。民族学が犯しうる(誰もここまでのことはしないが)最も悪い記述態度がここにあります。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

切り取られた引用で、ちょっと要領を得ないかもしれません。興味のある方は『感覚のエデン』を購入してお読みください。岡崎さんの言っていることは、たぶん、こういうことです。

民族学などの方法で異文化と接するときに、私たちは理解できない事象と出会います。そのときに、私たちはどのような態度を取ったら良いのでしょうか?理解できないことを理解できない、と認めることから考察が始まるのではないでしょうか?それを「感動した!」「理解した!」とばかりに、一気に距離を無化してしまうのは不誠実ではないか、ということだと思います。

さらに岡崎さんは、岡本太郎さんの『太陽の塔』について、話を進めます。

 

岡本にとって原爆、被爆の問題も、解決方法のレトリックは同じでした。通約不能、理解しがたき外部の存在に出会ったとき、岡本は自らがそれであるといきなり対象に同一化し、そう振る舞うことで問題を霧散させてしまう。だから法隆寺が焼けたら自分が法隆寺になればいいと書いた。ゆえに被爆したときには「自分が原爆になればいい」ということになる。「爆発」です。縄文人の原始エネルギーを原子エネルギーと等価し、いわば、いつまでも被害者の視点にとどまることなく被爆したことを逆手にとって、核エネルギーつまり太陽エネルギーの積極性をむしろ誰よりも自らのうちに抱え込むことを主張する。自らのうちに太陽エネルギーを抱えていたことを自覚し、原子力をも自由に使いこなすことを鼓舞する。核戦争下と同じように縄文人はつねに危険のうちにあったともいう。こうして大阪万国博のお祭り広場の大屋根を破った『太陽の塔』(1970)は、原爆キノコ雲そのものを象徴していたと同時に、それが原子力の恵み=原子力に変換されたことを示す、まさに原子力発電所そのものを示すシンボルともなった。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

『太陽の塔』にそういう意味があったことを、私は恥ずかしながらまったく知りませんでした。ちなみに「『太陽の塔』のサーチライトは最初の原子力発電によって灯されるように計画され、事実その通りに、敦賀の原子力発電所で発電され送電されてきた原子の光を夜空に放った」と岡崎さんは付け加えています。今から考えると、芸術家がこのように原発を礼賛するような表現をのうのうとしてしまうことは、さすがに考えにくいと思いますが、大阪万博の頃であったなら、それはそれほど不自然なことではなかったのかもしれません。当時小学生だった私に、その時代の雰囲気を読み取ることはできません。しかし、岡本太郎さんのこのような表現について、もっと批判されるべきでしょう。

考えてみると、岡本太郎さんの「芸術は爆発だ!」という言葉は、半ば冗談であり、ギャグのように見えるとしてもひどすぎます。現代芸術は確かにわかりにくい方向に進んでいて、ある種の抽象絵画は図像的に「爆発」のように見えてしまうかもしれません。しかし、だからこそ「爆発だ!」という言い方で、安易に鑑賞者との距離を詰めてしまうのでは、後に何も残りません。それを偉大な「芸術家」として尊敬される立場の人が言うのですから、岡崎さんが言うように「タチが悪い」ということになるのかもしれません。

芸術と原子力発電と、一見すると無関係のような二つのことが、岡本太郎さんという著名な芸術家によって、悪い形で繋がってしまったことがとても残念です。その構造を岡崎さんはこうまとめています。

 

日本は被爆国でありながら、なぜ原子力を推進してきたのか?原子力がもたらす利益と対米関係などの政治的配慮が主導したことは明らかですが、日本に住む誰もが抱いていた核への恐怖、嫌悪、拒否反応を、それが批判にまで成長しないうちに解除してしまう対抗理論的役割を、岡本太郎が果たしたことは間違いないように思えます。岡本太郎は、いわば通約不能な無意識的なものを吸収し、それを代理しているかのように振る舞い、それを無化してしまおうとした。なるほど岡本には無意識など存在しなかったように見える。だが無意識を手なずける手練手管だけはあった。

(『感覚のエデン』「理性の有効期限」岡崎乾二郎)

 

ここで私たちは、もう一度、岡本太郎さんの絵画作品を思い出しても良いのかもしれません。彼は前衛的な芸術家集団の中にあって、図像的な見かけだけは少し謎めいた、それでいて分かりやすい大仰なモチーフを描きました。その表現方法はと言えば、前衛とは程遠い、むしろオーソドックで旧套的な技法を用いていました。しかしその矛盾は、岡本太郎という魅力的な人物のイメージによって、すべて解消されていたのです。まさに彼は「通約不能な無意識的なものを吸収し、それを代理しているかのように振る舞い、それを無化してしまおうとした」のです。それを意識しているような、あざとさは岡本さんにはありませんでした。意識どころか、無意識のうちにそうしていたようにさえ、見えなかったのです。

このような岡本太郎という人の表現上の構造は、芸術表現の中のことなら罪はないが、原発礼賛などの社会的なことに関わると罪深い、というふうに言ってしまって良いのでしょうか?私はそう思いません。芸術表現としての構造のあり方こそ、問題にすべきだと思います。

たかが芸術、たかが絵画ですが、そこには人間として大切なものがつねに表象されています。だからこそ、私たちは真剣に芸術表現と向き合わなくてはなりません。今回は岡崎乾二郎さんの聡明な論文から、私の中でわだかまっていた岡本太郎さんの表現について考えてみました。芸術表現は社会問題や哲学や思想と一体のものです。芸術表現の中に未来を照らす構造が見出せるなら、それは世界全体に及ぶのだと、私は考えます。

これからも、考察を続けます。

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