平らな深み、緩やかな時間

286.『大竹伸朗展』『集中講義! 日本の現代思想』、と『100分 de フェミニズム』

今回も、はじめにNHKのテレビ番組の紹介をしておきます。

私は別にNHKが好きではありませんし、報道の姿勢に不満もあります。しかし、次の番組は一人でも多くの人が見るべきだと思います。

 

スペシャル版『100分deフェミニズム』

https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/2023special/index.html

<番組紹介>

多角的なテーマから名著を読み解くことで、「フェミニズムとは何か」「どんなことを問題にしてきたのか」について考察します。通常の4回シリーズではなく、100分間連続の放送でお届けします。

<出演者>

○加藤陽子(かとう・ようこ)/歴史学者。東京大学教授。歴史学研究会委員長。近代日本の軍事地、外交史を専門とする。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』で第9回小林秀雄賞を受賞。著書に『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』『天皇と軍隊の近代史』『歴史の本棚』など。

○上間陽子(うえま・ようこ)/教育学者。琉球大学教育学研究科教授。 沖縄で10代の女性たちの聞き取り調査を続ける。著書に『海をあげる』『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』など。10代のシングルマザーを支援するシェルター「おにわ」共同代表。おにわは、「オリオン奨学財団」の助成金を受け、株式会社アソシアが労務管理を行い、琉大医学部とタイアップしている。

○鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)/翻訳家・文芸評論家。マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』ヴァージニア・ウルフ 『灯台へ』エミリー・ブロンテ 『嵐が丘』などの翻訳を手がける。著書に『謎とき 風と共に去りぬ』『文学は予言する』など。

○上野千鶴子(うえの・ちづこ)/社会学者。専攻は、女性学・ジェンダー研究。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク (WAN) 理事長。高齢者の介護とケアも研究テーマとしている。『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』『女ぎらい ニッポンのミソジニー』『おひとりさまの老後』 『在宅ひとり死のススメ』など著書多数。

 

進行はいつもの安部みちこアナウンサーと、今回の聞き手は芸人のバービーさんです。

ちなみに、指南役の加藤陽子さんは、2020年に日本学術会議の新会員候補に推薦されましたが、他の5名の候補とともに、内閣総理大臣によって任命を拒否されたという方です。このエピソードをもってしても、彼女がいかに信頼できる学者であるのかがわかります。

それから、上野千鶴子さんは、やはり年頭のNHKのラジオ番組『飛ぶ教室 高橋源一郎』にも二時間にわたって出演されていました。

https://www.nhk.jp/p/gentobu/rs/Q8WXZR1XWJ/episode/re/4YRX7GMG7L/

https://www.nhk.jp/p/gentobu/rs/Q8WXZR1XWJ/episode/re/RPZ76GG26V/

いずれの番組も、一週間は配信サービスがあるはずです。ぜひ視聴してみてください。

 

フェミニズムの議論を聞くと、理屈としてはよくわかるのに、耳が痛いという男性が多いと思います。私もその一人です。特に私のような年寄りだと、これまでの人生を振り返って償いきれないくらいのことをしてきているので、その罪の重さに憂鬱になります。しかし、目を背けてはいけません。私たちの身の回りのことはもちろんのこと、男女平等を制度として定着させるために、私たち一人一人にできることがあります。

次の文章は、今回の番組に出演されているわけではないのですが、私が信頼をおいている社会学者、本田由紀さんの『「日本」ってどんな国』という本の「第2章 ジェンダー」の一節です。

 

 保守的な家族観や女性観をむしろ近年になるほど強めているように見える自民党の議員から、女性は家に居ろ、子を産め、権利を主張するな、という意味をもつ言葉が、繰り返し繰り返し発せられています。一時的に批判されて謝罪したりしても、またすぐに同じような発言が出てくるのです。  

そもそも自民党は、国民の大半が導入を支持している選択的夫婦別姓でさえ、「家族を壊す」といった不合理で何も根拠のない理由により、拒否し続けています。同性婚も同様です。日本の、あきれるほどのジェンダーギャップやミソジニーは、このような古臭く、かつ女性の人格への敬意を欠いた考え方をもつ政治家たちが、議員や大臣として物事を決めていく地位についていることが、きわめて重要な原因の一つであると、強く主張しておきたいと思います。

(『「日本」ってどんな国』「第2章 ジェンダー」本田由紀)

 

私は特定の政党についてあれこれ言える立場にありませんが、本田さんが政党名まであからさまにして批判しているのは、あまりに目に余る状況があるからでしょう。この本が書かれた2021年には、もちろんある特定の宗教団体?が、特定の政党の議員に働きかけをして保守的な家族観に基づく政策を推進しようとしていた、ということはわかっていませんでした。しかし今になって、そのカラクリが明らかになってみると、そんな馬鹿馬鹿しいことで男女平等やジェンダーギャップの問題が疎外されてきたのか、と唖然とします。彼らが政策を握っているのは、私たちが選挙で投票した結果ですから、日頃からどんな政党のどの政治家がどんなことを言っているのか、関心を持って見ておく必要があります。そして、自分の過ちを取り戻す術はありませんが、これから男女に関わらず住みやすい社会を作っていくことには、どんな年齢になっても選挙によって参画できるのです。

今回の議論を聞いていただくとわかるのですが、ジェンダーの問題に関心を持つことは、特別なことではありません。上野さんはラジオ番組の冒頭で、「まともな考え方を持っている人は、みんなフェミニストです」という趣旨のことを言っていました。今の若い方は、彼女らの活動の結果、私たちの年齢から見ると「フェミニスト」と言っていいような感性を、自然と持たれているのかもしれません。それならばなおさら、この番組で語られていることが真っ当なことで、少し前まではそんなに不平等な社会だったのか、とびっくりされると思います。

いずれにしろ、まともな人間であるためにも、番組の配信を視聴してみましょう。NHKはくだらない番組を作っているお金と時間があるのならば、こういう取り組みをもっと増やしてほしいです。




さて、今回の美術の話題です。

『大竹伸朗展』が2月5日(日)まで、東京国立近代美術館で開催されています。まずは美術館の紹介文章を読んでみましょう。

 

2006年に東京都現代美術館で開催された「全景1955-2006」以来となる大規模な回顧展。半世紀近くにおよぶ創作活動を一挙にご紹介します。最初期の作品から近年の海外発表作、そしてコロナ禍に制作された最新作まで、およそ500点の作品が一堂に会します。小さな手製本から巨大な小屋型のインスタレーション、作品が発する音など、ものと音が空間を埋め尽くします。

https://www.takeninagawa.com/ohtakeshinroten/

 

これが展覧会の紹介になります。それから、大竹さんという作家のプロフィールを少しだけ書き写しておきましょう。

 

1955 年東京都生まれ。主な個展に熊本市現代美術館/水戸芸術館現代美術ギャラリー (2019)・・・など。また国立国際美術館(2018)、ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート(2016)、バービカン・センター(2016) などの企画展に出展。ハワイ・トリエンナーレ(2022)、アジア・パシフィック・トリエンナーレ(2018)、横浜トリエンナーレ(2014)、ヴェネチア・ビエンナーレ(2013)、ドクメンタ(2012)、光州ビエンナーレ(2010)・・・など歴史的に重要な展覧会にも多く参加している。

 

また、この展覧会について詳細に紹介している『美術手帖』のページのリンクを貼り付けておきます。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/26253

 

これらをご覧になると、大竹伸朗さんがその世代の現代美術のトップランナーであることがわかります。大竹さんは私よりも5歳年長になりますが、私が美術大学に入った頃にはすでに美術ジャーナリズムから注目される存在でした。

その一方で、大竹さんの作品からは雑草のようなたくましさがあります。また、作品からもアートとサブカルチャーとの間の境界線を意識的に踏み越えるような、そんな力強さがあります。これはどういうことでしょうか?

 

思い起こせば、大竹さんがデビューした頃は、現代美術を扱う画廊ではほとんど絵画を見ることがありませんでした。私が美術大学に入って、興味を持って画廊を回るようになった時期と重なるので、その雰囲気はよくわかります。日本では、「もの派」と呼ばれる、ものを素材とする作品が注目された頃でした。あるいは、インスタレーションという、ものを設置する表現方法が一般的になった時期でもありました。私は絵を描くことが大好きでしたから、自分の表現をこれからどうしたものなのか、と大変に悩みました。

そういう中で、大竹さんはちょっとポップな作風でデビューしたのだと記憶しています。その当時は、例えばイギリスのデイヴィッド・ホックニー(David Hockney、1937 - )が、日本ではポップな、サブカルチャー的な画家として認知されていたと思います。大竹さんはその頃、ホックニーの影響を受けていたと思います。そして日本で絵を描くとなると、現代美術の本道から外れたような、意図的にポップな表現を選ばなければならなかった、そんな雰囲気がありました。

ところが1982年に東京都美術館で『「今日のイギリス美術」展』が開催されました。その展覧会にはホックニーも含まれていましたが、その他にも抽象絵画、具象絵画が展示作品の半分ぐらいあったと思います。その当時の日本は、アメリカ美術の影響一辺倒で、現代絵画と言えば抽象表現主義、カラーフィールド・ペインティング、そしてミニマル・アートの絵画という流れが正当なものだと思われていました。今でも、私と同世代ぐらいまでの美術家の中には、絵画といえばアメリカの現代絵画だと思い込んでいる人がたくさんいます。そして不幸なことに、そういう人たちが美術大学の先生になっていることが多いのです。

アメリカ美術の流れが、モダニズム芸術の典型的な事例だとするなら、日本の美術批評はアメリカの影響から、モダニズム批評らしきもの一色に染まっていました。そのころは外国の美術批評の翻訳や紹介は皆無でしたので、私たちにはその偏りを知るすべもありませんでした。

しかし、先ほどの展覧会からイギリスの現代美術を見わたすと、もっと自由に絵を描いてもいいことがわかりますし、展示されていた作品も素晴らしいものばかりでした。そしてホックニーは特異なポップ作家ではなく、ある意味では正当な現代具象絵画だと言って良い作家だということもわかりました。

このように、世界的な視野に立てば、大竹さんの表現はその時代の現代美術の中においても、決して際物などではありません。しかし大竹さんは、おそらくそのような不毛な日本の美術批評と戦わなくてはならなかったでしょう。今回の展示で大竹さんの作品が醸し出す熱気は、そのような日本の美術界との対峙した痕跡でもあると思います。

そして少し時代が変わって、アメリカの現代美術がニュー・ペインティングという卑俗な絵画に席巻されるようになると、日本の美術ジャーナリズムは大竹さんの作品を持ち上げるようになりました。いま流行のニュー・ペインティングの日本版だというわけです。そして、文字通り、そのような表現に追随する作家たちが、あちこちから現れました。そのころの『美術手帖』を見ると、そういう絵を描く若い作家ばかりを取り上げていて、うんざりします。

話が横道にそれますが、日本でもかすかに存在した批評らしい美術批評は、その時点でまったく読まれなくなってしまいました。かろうじて、アメリカの現代美術の大批評家、クレメント・グリーンバーグ(Clement Greenberg, 1909 - 1994)の系譜にあたる藤枝 晃雄(ふじえだ てるお、1936 -2018)さんが、時折、読み応えのある文章を発表していました。しかし当然のことながら、それはフォーマリズムの批評の立場から書かれたものです。本来ならば、いろいろなルーツを持つ美術家や美術批評家が切磋琢磨して高め合うべきだったのでしょうが、結局、日本の美術批評は極端に振り子が振られたままの状態で、そのような健全な状況にはならなかったのです。

話を大竹さんに戻します。

ところが、今回の展覧会を見ると、大竹さんの作品はそういう流行を狙っていたのではないことが、はっきりとわかります。大竹さんが求めているのは、そういう場当たり的なポピュラリティーではなくて、大竹さん独自の視覚的な強度なのだろう、と改めて思いました。それは時にケバケバしい色彩であったり、時に猥雑なイメージであったり、時に素材の物質性であったりするのです。それが時代の流れによってポップに見えたり、ニュー・ペインティング風に見えたりしたのだと思います。大竹さんの感性は、何かが大竹さんの内面的な琴線に触れないと納得しないように出来ているのでしょう。作品のスタイルはさまざまですが、大竹さんがその点では一切妥協していないことが、作品から読み取れます。極めて信頼のおける作家なのです。

 

さて、ここからが本題です。

そして私は、本当に偶然なのですが、大竹さんの作品を見た帰りの電車の中で、前から注目していた仲正昌樹さんという思想家の『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』という本をネットで見つけて拾い読みをしていました。そして、「ああ、まさに大竹さんの作品はこのポストモダンという時代を良くも悪くも反映している」と思ったのです。大竹さんは、おそらくそんな理屈っぽいことは考えていらっしゃらなかったでしょう。しかし大竹さんの敏感な感性は、その時代のあるべき表現をしっかりと捉えていたのではないか、と思いました。そのことが大竹さんの作品を多くの人たちが支持する一つの要因になっていると思います。しかし、一方で私からすると、大竹さんの作品に少し物足りないものを感じる原因でもあるのです。そのこを最後に少しだけ書いておきます。

 

それでは、『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』はどんな本なのか、簡単に見ておきましょう。書店による本の紹介は次のようなものです。

 

1980年代、「ポストモダン」が流行語となり現代思想ブームが起きた。「現代思想」は、この国の戦後思想をどのような形で継承したのか。海外思想をどのように咀嚼して成り立ったのか。なぜ80年代の若者は「現代思想」にハマったのか。丸山眞男や吉本隆明など戦後思想との比較をふまえ、浅田彰や中沢新一らの言説からポストモダンの功罪を論じる。思想界の迷走の原因を80年代に探り、思想本来の批判精神の再生を説く。沈滞した論壇で唯一気を吐く鬼才による、異色の現代思想論。

(『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』書店の紹介文)

 

この本は、大竹さんが作家への道を歩み始めた、まさにその時代の日本の思想的な状況を扱ったものです。それでは、その時代とは、どんな時代だったのでしょうか。当時の時代の寵児であった経済学者、浅田彰さんについて論じた部分から、少しだけ引用してみます。

 

 ここまで見てきたように、フランスにおける構造主義→ポスト構造主義の流れを踏まえて、「近代的主体=パラノ人間」の解体と「ノマドスキゾ・キッズ」の到来を暗示する浅田のやり方は、大筋において、デリダの「脱構築」と同じような発想を取る思想戦略であると見ることができる。「(西欧)近代」なるものを巨大な敵として絶対視し、それに対して真っ向から勝負を挑むマルクス主義やアナーキズムのような二項対立路線は取らず、「近代」についての価値判断をいったん停止したうえで、〝我々〟がこれこそ〝近代〟と思ってきたものを、とりあえず形式的に再構成してみるという発想である。その再構成を通して、近代に内在する、不可避的に自己解体へとつながる構造的な要因を見出し、そこをクローズアップして、〝近代の後〟に来るものをポジティヴに呈示するわけである。言い換えれば、〝近代〟の〝内〟からの解体を〝冷静〟に見守りながら、生き残りの道を模索するという構えである。  自ら積極的に──二項対立的な──「闘争」の最前線に立ち、オルターナティヴを明示しようとするわけでもない浅田の戦略は、もはやマルクス主義的な革命には幻想を抱いていないものの、丸山眞男のような「市民社会」擁護論にも飽き足りないものを感じていた社会哲学者・社会思想家たちにとっては、受け入れやすいものだった。浅田の路線に沿っていけば、無理やり学問を──目に見える形での──「実践」に結び付けなくても、〝近代〟が回っている仕組みを〝批判的〟にじっくり分析することが、現れつつある〝新たな現実〟の中でのオルターナティヴ探究に通じる、と自己主張しやすかったからである。

(『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』「Ⅲ 八〇年代に何が起こったのか」仲正昌樹)

 

私は学者としての浅田彰さんが、画家としての大竹さんと似ている、というつもりはありませんし、むしろまったく違うと思っています。しかし、同世代ぐらいにあたる二人は、当然のことながら同じ時代に生きていました。

この頃の思想界の状況は、モダニズムから構造主義へ、ポスト構造主義へという流れが一気に押し寄せてきていました。浅田彰さんもその流れを引き寄せた要因だったのですが、彼はそれまでのモダニズムによるピラミッド型のヒエラルキー社会を批判し、そのような社会はすでに行き詰まっていると説きました。そしてそういう構造を冷静に俯瞰した上でそこから離れることを、この本でも紹介されていますが「スキゾキッズ」として競争社会から逃げることを提唱しました。大きな物語を闇雲に信じて競争するのではなくて、それを「脱構築」して生き延びなさい、と言ったのです。しかし、それではどうしたら良いのか、浅田彰さんははっきりとは示しませんでした。

仲正さんの文章にもあるように、それまでの進歩的な学者というものは、「市民社会」のことを思い、つねに良心的なメッセージを発するものでした。文中にある丸山 眞男(まるやま まさお、1914 - 1996)さんという学者はまさにそういう人で、知識人として戦後民主主義を支えた人として知られています。しかし浅田さんの世代の学者には、そのように運動として何かを支えようという機運が薄く、そもそもそのような運動を信頼しないというのが彼らの考え方だったのだと思います。その意味では、その後の世代の國分功一郎さんたちの世代の方が「市民社会」という視線を持っているような気がします。

ですから、その「モダニズムから構造主義へ、ポスト構造主義へ」という思想の受け止めはさまざまにならざるを得ず、例えば美術の世界においては、先ほども書いたような状況で、その時の先端的な思想と美術をつなぐような批評が存在しなかったのです。強いて言えば宮川 淳(みやかわ あつし、1933 - 1977)さんが唯一、そういう存在になり得たと思いますが、彼は早逝してしまいましたし、生きていたとしてもどれだけ美術の現場に沿った提言をしたのか、彼の姿勢をみるとあまり期待もできなかったと思います。

その結果、仲正さんが書いたように、「<近代>についての価値判断をいったん停止したうえで、〝我々〟がこれこそ〝近代〟と思ってきたものを、とりあえず形式的に再構成してみるという発想」で、ポストモダンと称する作品が次々と発表されました。しかし、それらはまったく卑近なイメージの寄せ集めの表現に過ぎなかったのです。

今では笑ってしまうような例ですが、ミッキーマウスのイラストを、セザンヌ風の筆致で描く、というだけの作品が、「美術手帖」などの美術雑誌で大きく取り上げられていたのです。そのような美術界の動向を捉えて、そのようなイメージの乱用を商業的な美術家の自立に役立てようとしたのが、奈良美智さんや村上隆さんだと思います。経済的に芸術家が自立できるような社会を目指さなくてはならない、という目標においては私も賛同しますが、目的と手段が入れ替わってしまっては、もはやそれを芸術作品と呼ぶことができません。

このように、美術におけるポストモダンといった場合に、どうしても私は先のミッキーマウスのような絵を頭に浮かべて、その時期の美術を批判してしまうのですが、私は今回の大竹さんの作品を見て、彼こそが美術におけるポストモダンの良質な例であり、大竹さんの作品を無視してその時代の美術を語ってはいけないなあ、と思ったのでした。例えば「<近代>についての価値判断をいったん停止したうえで、〝我々〟がこれこそ〝近代〟と思ってきたものを、とりあえず形式的に再構成してみるという発想」というふうに仲正さんが分析したポストモダンの考え方ですが、大竹さんはそのような理屈をこねずに自然体でそれを実践してきたように思います。大竹さんはミッキーマウスのようなメジャーなもの、ポピュラリティーのあるものを意図的に引き合いに出すということはせずに、純粋に彼の感性に引っかかったものだけを取り出して、作品にコラージュしています。大竹さんの作品群を見れば、彼が休みなく感性を働かせていたことがわかります。その姿勢には、心打たれるものがあります。

その一方で、大竹さんの表現方法は、ポストモダンという時代の中で、規定されてしまっているようにも感じます。それは大きな物語を信じず、つねに自分の皮膚感覚で信頼できるものだけを頼りに制作する、という彼の姿勢です。私は「大きな物語は終わった」と言っている、そのポストモダンの時代が終わった、というふうに、いま考えています。決してモダニズムに戻れば良い、というのではありません。このblogで再三、書いているように、モダニズムという思想がどうして行き詰まってしまったのか、その原因を暴いて、ありうべき未来を作らなくてはならない、と思っています。

それは、ポストモダニズムの思想がいうところの「脱構築」と似ているのかもしれませんが、その「脱構築」の射程が卑近なものであるならば、それは違います。「とりあえず形式的に再構成してみる」という方法論であるならば、大竹さんの作品がその最上質な事例として、すでに示しています。彼の作品に敬意を表するのならば、彼の作品に物足りないものを感じる自分の感性を、なんとか自分の表現に繋げなければなりません。

このような曖昧な書き方では、大竹さんの作品に感銘を受けた方々から笑われてしまいそうです。しかし、彼の作品は一言で批判できるようなものではありません。彼の作品を見た後で、東京国立近代美術館の常設された作品群を見ると、何か取り澄ました、上辺だけのものに見えてしまったのも事実です。もっとギリギリのところでやらなくちゃダメだよ!と大竹さんの作品が教えているように感じました。その上で、何をすべきなのか、これからも真剣に考えていきたいと思います。

 

年頭からヘビーな話題が二つ並びました。しかし、世界の悲惨さはその上を行っています。blogの話題がどんなに重たくても、思想について、芸術について考える時間があることの幸せを噛み締めなくてはなりません。

よかったら、今年もお付き合いください。

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