平らな深み、緩やかな時間

285.『現象学』木田元著④メルロ=ポンティと現象学のこれから

明けましておめでとうございます。

年頭にあたって、個人的なことはともかく、今年は少しでも世界が平和であってほしいと願っています。天災で人が亡くなったり、ものが壊れたりするのも悲しいことですが、さらにそれが人災だと思うとやりきれない気持ちになります。

 

はじめに、やはりウクライナの話題です。

年末にテレビを見ていたら、NHKで『世界ふれあい街歩き「ウクライナ キーウ 特別版」』という番組がやっていました。ナレーションのイッセー尾形さんが番組の前に登場して、戦禍前のキーウをあえて放映することを告げ、番組後には現在のキーウの人たちがどうなっているのか、数人の市民の現状を紹介していました。3年前には公園で伝統楽器バンドゥーラを演奏していた男性は、今では戦闘に参加しているようです。

とにかく、このような美しい街に爆弾を投下する人たちの存在が信じられませんが、番組ではその当時からロシアとヨーロッパに挟まれたウクライナという国の難しい立場についてちゃんと語られていました。チェルノブイリ原発事故の記録を残す施設の前で何気なく話す男性二人は、過去から学ばなくてはいけないよ、と語っていました。一般の市民はこれだけ賢明な知恵を持っていたのに、どうして為政者は戦争を防ぐことができなかったのか、と悔やまれてなりません。

 

以下、番組紹介です。年始一週間はNHK +で見ることができると思います。

 

2019年、戦禍前のウクライナのキーウ(キエフ)を歩いた番組を再放送する。旧ソビエトからの独立後も欧米とロシアのはざまで揺れる中、平和を切に願う人たちと出会う。

大聖堂など、黄金ドームが輝く美しい町並みで知られる古都キーウ。大地の豊かな実りに恵まれ、古き良き伝統が受け継がれるウクライナだが、1991年に旧ソビエトから独立した後も、欧米とロシアのはざまで揺れ続けている。激動の時代の中、平和を切に願う人たちと出会う。番組の最後には、ロシア侵攻後の変化、出会った人たちの近況もお伝えする。

https://www.nhk.jp/p/sekaimachi/ts/NJVPP9ZYK6/episode/te/V31JP19ZQV/



さて、今回も前回までに引き続き、哲学者の木田 元(きだ げん、1928 - 2014)さんが1970年に書かれた岩波新書『現象学』について書きます。

できれば、ここまでの関連のblogもお読みください。

 

282.『現象学』木田元著①フッサールについて

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/43628f705f1707732c298c0e4506ef49

283.『現象学』木田元著②ハイデガーについて

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/8890e10ed11e675dc68b8aa291a2d80a

284.『現象学』木田元著③、磯崎新さん死去について

https://blog.goo.ne.jp/tairanahukami/e/cc72dc687b1730de3e9b37acfefd2569

 

それでは、ここまでの復習です。

 

 自然(科学)的な学問の積み上げの上で論理学、心理学を探究していた、数学者でもあったフッサールは、その「自然(科学)的な学問」に疑問を抱きます。そこでフッサールは、それまでの学問の蓄積を保留して、世界を根源的に見直してみる、という「現象学」を提唱しました。これをフッサールは、「超越論的還元」というふうに言いました。しかし、世界を根源的に見直すと言っても、それをどのように実践するのか、という点でフッサールには新たな課題が生じました。フッサールの現象学は、その思想の深化の過程で揺れ動き、その後の展開はフッサールの後の世代であるハイデガーに引き継がれたのです。

 

ハイデガーはその主著『存在と時間』において、フッサールの現象学と自分自身の独自の「実存」に関する哲学を統合しました。その時期のハイデガーは、キルケゴール( Søren Aabye Kierkegaard、1813 - 1855)の影響を強く受けていました。ところがキルケゴールの哲学とフッサールの現象学は相いれないもので、その結果『存在と時間』は未完に終わったのではないか、と木田さんは推測しています。1930年代になるとナチスが台頭し、ユダヤ系のフッサールは研究者として疎外され、失意のうちに亡くなりました。一方のハイデガーは一時的にであれ、ナチスに加担する道を選び、第二次世界大戦を境にして、二人の運命は決定的に裂かれたのでした。

 

そして第二次世界大戦が始まる直前に、サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre 、1905 - 1980)がパリからベルリンに来て、現象学を学ぶことになります。木田元さんの解釈によれば、サルトルは初期のフッサールの現象学を自分の哲学的な課題に引き寄せて、サルトル自身の「実存」哲学を形成したのです。そしてサルトルは、社会的な問題にコミットする知識人として、時には作家として、つねにジャーナリズムの世界で活躍する存在となりました。現象学の学問的な流れとしてみれば、サルトルには新たな展開を見出すことはできない、というのが木田元さんの見解です。

 

ここまでが、前回までの復習となります。

そして今回は、サルトルと同じ時代にフランスで活躍した、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty、1908 - 1961)について考察しましょう。

木田元さんはメルロ=ポンティについて「メルロ=ポンティによる現象学の展開は、わたしにはもっとも正統的でもあれば生産的でもあるように思える」と書いていました。これはどういう意味でしょうか?

木田さんは、メルロ=ポンティについて、「Ⅵ メルロ=ポンティと現象学の現状」という章を設けて、少し長めに解説を書いています。その逐一を書き留めていると、その章を丸ごと書き写すことになってしまいそうですから、私の興味のある点に絞りつつ、先ほどの木田さんの言葉について考えましょう。

 

まずは前回のサルトルの話にも出てきたことです。

現象学はサルトルが望んだように、「主観性に一種の絶対的な透明性を与えて」くれるものだったのでしょうか。サルトルの考えた現象学、あるいは超越論的還元は次のようなものです。

現象学はそれまでの自然(科学)的知識を一旦、保留にして根源的な人間の認識を確かめるということを実践する哲学です。そこでサルトルは、その現象学の実践に自分なりの解釈を付け足して、現象学においては純粋な、そして現在における自己による認識が可能である、と考えました。ちょっとややこしい言い方になりました。つまりはこういうことです。

サルトルの考える純粋な自己というのは、自分の中の内面性も記憶も、そして自己と関わる他者の存在も、すべてをシャットアウトして、極端な言い方をすれば「今の自分のことだけ考えればよい」という意味での「自己」でした。そして、その「いま(現在)の自己」が、いま目の前にあるものへと向かう、言わばまったく内面や記憶のない、外向きの自己意識だけを考えれば良い、と解釈したのでした。

しかし木田さんによれば、それはフッサールが初期の現象学において考えていた自己認識の方法に近く、後期のフッサールは「超越論的還元」がそのような単純なものではないということに気づき、葛藤していたと解釈しています。そして、その後期のフッサールの現象学を引き継いだのが、メルロ=ポンティだったのです。

そのことを木田さんは、次のように書いています。

 

メルロ=ポンティは、「現象学的還元」の意味をもここから明らかにする。従来の解釈では、この還元はつねに超越論的意識への還帰と解され、世界はこの意識のまえには絶対の透明さをもって繰り拡げられ、この意識のおこなう一連の統覚作用によって生気を与えられているのだと考えられてきた。こうして意識とは、すべての所与を何ものかを意味するものとして捉える意味付与Sinn-gebungの働きということになり、世界とはそれらの意味が複雑にからみあった高次の意味形成体だということになる。まさしく超越論的観念論である。そして、この超越論的意識は経験的な自我や他我の区別以前の前人称的な意識なのであるから、ここでは「他者」の存在はなんら問題にならないことになる。ところが、メルロ=ポンティによれば、フッサール自身は決してこんな考え方をしていたわけではない、というのである。なぜならフッサールにとっては、終始「他者」が問題であったし、「他我」はつねに一つの逆説(パラドクス)であったからだ。もし、こうして他者というものが無意味な言葉であるべきではないとしたら、それには、わたしの実在が、わたしのもっている実存するという意識「われ思う(コギト)」に還元されてしまってはならないのであり、わたしの実存は、それについて他人のもちうる意識もふくんでいなければならないし、従って自然のうちにわたしが血肉化されていること、そしてそこで他者と交渉しうる歴史的状況に開かれるせめて可能性だけでもふくんでいるのでなければならない。したがって、真の「われ思う(コギト)」は、わたしにおのれにしか近づけない「われ」を与えるのではなく、わたしを状況において、その「世界内存在」においてあらわにすべきなのであり、そうなれば、超越論的主観性は相互主観性intersubjectiviteでもありうることになろう。

(『現象学』「Ⅵ メルロ=ポンティと現象学の現状」木田元)

 

現象学的還元によって見出された「超越論的主観性」は「相互主観性」でもありうる、というところが、とても興味深いです。なぜなら、そうでなければ「超越論的主観性」はルネ・デカルトの( René Descartes、1596 - 1650)の「我思う、故に我あり」の「我」という意識と同じになってしまう、というのです。

考えてみれば、フッサールが保留しようとしていたのは、デカルト以来の哲学がもっている自己意識だったはずです。「我思う」という事実だけは疑うことができない、その純粋なデカルト的な「我」から近代の哲学は始まったのです。その近代哲学に疑問を持ったフッサールが考え出した方法が、超越論的還元だったはずですから、現象学的な自己探究の結果、見えてきた本来の自己が、デカルト的な「自己」と同じであるはずはないのです。

そのことに気がつくと、メルロ=ポンティこそが現象学を正統に引き継いだのだ、と木田さんが解釈したことにも頷けます。

 

さてもう一点、私の興味ある点について『現象学』の中から拾ってみます。

現象学は、それまでの「自然(科学)的知識」を保留にすることを実践するわけですが、果たしてそんなことは可能なのでしょうか?それはつまり、人間が積み上げてきた知識を保留することになります。つまりは知識の積み上げという「歴史的な意識」をも保留することになります。そのような記憶のすべてを保留することが、本当にできるのでしょうか?さらに言えば、そのような現象学的な営みも、やがて現象学者の中で経験として積み上げられ、それは記憶となり、歴史となるはずです。そうだとすれば、フッサールの現象学的な還元は、初めから矛盾を含んだものだった、と言えないでしょうか?

その点について木田さんは次のように書いています。

 

現象学にとって、いや一般に哲学にとって人間存在の歴史性ー歴史への内属性ーの問題は、きわめて厄介な問題を孕んでいる。それは、それがそのまま当の哲学の歴史性に転化してくるからである。歴史性の現象学はそのまま現象学の歴史性に通じる。

たとえば、フッサールは『厳密学として哲学』において、歴史主義はすべて理念を、したがっていっさいの真理、理論、学を一定の歴史的時代の文化的形成体とみなすことによってその絶対的妥当性を否認し、懐疑主義に陥るという理由から、歴史主義を批判し、現象学による「永遠の哲学」の実現を説いたのであるが、かれ自身その反省を深めていった結果、一方では現象学的還元の動機への反省から、他方では理念の歴史的生成ということへの反省から、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』においては、現象学そのものの歴史哲学的基礎づけを試みることになった。

当初かれは、哲学的反省というものが時間のなかでのさまざまな事実的諸条件を超え出て一挙に事象の無時間的本質に到達できると考えていたのであるが、やがてこの反省によっても永遠の真理に行きつけるものではなく、せいぜいのところさまざまな理念の生成の道程を、つまり「意味の発生」を発見しうるだけだと考えるようになった。言いかえれば、すべての理念や意味には「沈澱した歴史」があり、それを発見しないかぎり、それを反省することもできないということに気づいたのである。

(『現象学』「Ⅵ メルロ=ポンティと現象学の現状」木田元)

 

これがフッサールの後期における「現象学的還元」の意味になります。フッサールは初期においては、これまでの知識を保留すれば、別の次元の真実、ここでは「無時間的本質」という言い方をしていますが、そこに到達できると考えていたのですが、それは甘かったのです。

しかし考えてみると、この他者の問題、歴史性の問題、いずれにしても込み入った問題です。それらを一時的に保留することでそれらから解放され、本来の自己を認識することなどできるのでしょうか?

木田さんによれば、これらのフッサールの難題を引き継いだのがメルロ=ポンティだったのです。彼の認識について木田元さんは次のように解説していますが、当然のことながら、わかりやすい解説にはなりません。しかしここまでの流れを理解していただければ、意味が通じるのではないでしょうか。

 

つまり、哲学がわれわれを連れもどす「超越論的主観性」とは、実はわれわれを少しずつ歴史の全体に結びつけてゆく相互主観性のことにほかならないのであり、したがって哲学に確保されている独自の次元とは、「共存coexistenceの次元、しかも完了してしまった事実とか静観の対象としての共存ではなく、不断の生起、普遍的な実践(プラクシス)の環境としての共存の次元」であり、何ものも代理することのできない哲学の使命とは、「わたしたちに、生活が真理となってゆく運動と、ある意味では、それ自身によってたまたま思惟されることになるかもしれないところのもののすべてですでにあるようなこの特異な存在(歴史)のもつ循環性とを、開示する」ことにある。メルロ=ポンティにとって、現象学とは、歴史のまっただなかでその歴史の意味を生まれ出る状態において捉えようとするこの意味での努力にほかならなかったのである。

(『現象学』「Ⅵ メルロ=ポンティと現象学の現状」木田元)

 

これを総合すると、メルロ=ポンティによれば現象学とは、自己も他者も、そして人間の知が積み上げてきた歴史も、全てを含んだ「超越論的還元」を絶えず実践することなのです。私たちは、他者との共存から逃れることはできませんし、知の積み上げである歴史性を背負わないわけにはいきません。しかし、それを当然のことのように受け止めるのではなく、絶えずそれらを意識しつつ、それらとともに自分の意識が生まれ出ずる状態を捉えようとすること、その努力を絶えず実践することが、現象学的な還元だということになります。

これは、ある一つの結果が得られるというような探究ではなくて、私たち一人ひとりがそれを実践することによって、それぞれがとらわれていた知識や既成概念から自由になった本来の世界と出会う、ということだと思います。同じ人間であっても、時間が経てば以前とは違った既成概念にとらわれてしまいますから、現象学的な還元は絶えず実践されなければなりません。

私は以前にそれを、禅の修行のようなものではないか、と書きました。それはあながち外れてはいないと思います。しかし、禅の悟りはなかなか他者と共有できるものではありません。「悟り」というものは修行した人だけが獲得するものですから、それを記録したり、理論化してしまっては、かえって「悟り」が損なわれてしまうのかもしれないからです。

一方、現象学は学問ですから、その成果を他の人と共有できるようにしなくてはなりません。その理論はつねに共有され、批判されるように、開かれたものでなければならないのです。メルロ=ポンティは現象学の比喩として、芸術活動を挙げています。その優れた実践がセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)の絵画であったのだろう、と思います。

メルロ=ポンティがセザンヌについて書いた、その感動的な一節をここで引用しておきますので読んでみてください。

 

セザンヌが描こうとしていた「世界の瞬間」、それはずっと以前に過ぎ去ったものではあるが、彼の画布(カンヴァス)はわれわれにこの瞬間を投げかけ続けている。そして彼のサント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現れ、繰り返し現れて来よう。エクスに聳える固い岩稜とは違ったふうに、だがそれに劣らず力強く。本質と実存・想像と実在・見えるものと見えないもの、絵画はそういったすべてのカテゴリーをかきまぜ、肉体をそなえた本質、作用因的類似性、無言の意味から成るその夢の世界を繰り拡げるのである。

(『眼と精神』メルロ=ポンティ 滝浦静雄・木田元訳)

 

私はこの文章を学生時代に読み、「世界の瞬間」とか、「サント・ヴィクトワールの嶺は、世界のどこにでも現れ、繰り返し現れて来よう」という部分に、たいへんな感動を覚えました。セザンヌの絵が私たちの前に立ち現れる様子を、これほど的確に捉えた言葉はなかったからです。

そして私たちは、木田元さんの教えによってメルロ=ポンティが正統な現象学的還元を引き継いだ探究者であることを知りました。彼は他者のと共存性や知の歴史性を背負った上で超越論的な還元を実践しようとしたのですが、考えてみるとセザンヌも古典的な絵画を愛し、自分の作品がサロンで展示されることを夢見つつ、自分の視覚に現れる世界の像を捉えようとした人でした。セザンヌの人生は、その矛盾した芸術的な課題を背負った困難なものでしたが、その成果は計り知れないものでした。

私たちは、難しい現象学の理論に頭を悩ませてきました。しかし、それにも関わらず、美術や絵画を愛する私たちは、セザンヌの絵画によってフッサールやメルロ=ポンティが取り組んだ思想の、一つの理想の形を見ることができるのです。私は実は、今回の学習までは、メルロ=ポンティが背負った共存性や歴史性に気付かず、芸術家に対して少し甘い見方をしているのではないか、と思っていました。今回の学習で、メルロ=ポンティが立ち向かった思想的な困難さがわかったので、もう少し注意深く彼の著作を読んでみることにしましょう。

 

この一連の考察の最後に、現象学が私たちの芸術活動にどのように関わるのか、そして現象学の「超越論的還元」が、以前に学習した國分功一郎さんのスピノザ研究「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」(國分功一郎さんの著作より)とどのように比較できるのか、考えてみましょう。

私はフッサールが最終的に目指した現象学的還元が、國分功一郎さんのスピノザ研究「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」とどこかでリンクするのではないか、と思います。私たちがさらに現象学について考察を深めるときに、近代の始まりがデカルトではなくてスピノザだとしたら、どうなったであろうか、という視点をもっていることは有益なことだと思います。そしてフッサールも、スピノザも、メルロ=ポンティも、時代の制約の中で、あるいはそれぞれの人生の中で、実現しきれなかったものがあったのだと思います。それはセザンヌにしても、同じことかもしれません。私たちは彼らの後から生まれてきた人間として、彼らの生きた成果を台無しにせずに、なんとかしてその仕事を引き継がなくてはなりません。

スピノザ的な「ありえたかもしれない、もうひとつの近代」を生きること、フッサールからメルロ=ポンティへと引き継がれた現象学的還元を実践し続けること、これらはまだ誰もちゃんと実践したことがないことです。すでに人生を終えてしまった彼らには、それができないのですから、私たちがやり遂げるしかないのです。

このことを新しい年の、というよりも、私にとってはこれからの残り少ない人生の、目標としていくことにしましょう。

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