平らな深み、緩やかな時間

235.『ラマン』デュラスと、『絵画の教え』プレネについて

友人とのメールのやり取りの中で、話が岩崎 力(いわさき つとむ、1931 - 2015)というフランス文学者、翻訳家のことに話が及びました。友人は岩崎さんの教え子なのです。そんな友人と違って私は無知な人間ですので、てっきり「イワサキ チカラ」というふうに読むのだとばかり思っていました。

映画好きの友人は、岩崎さんが俳優の岡田英次さんの通訳としてフランスのアラン・レネ監督を訪れた、というエピソードを教えてくれました。そして制作されたのが『ヒロシマわが愛(二十四時間の情事)』という映画です。この映画の脚本を書いたのが作家のマルグリット・デュラス(Marguerite Duras, 1914 - 1996)でしたが、そこでちらっと話題に上ったのが『愛人(ラマン)』という映画でした。

 

映画の『愛人(ラマン)』(1992)は、封切り当時にずいぶんと話題になりましたが、今の若い方はご存知でしょうか?私の職場の私より若くて勉強家の友人は、『ラマン』を見たことがある、と言い、さらにもっと若い友人は、これから見てみたい、と言っていました。

この『ラマン』は、原作がデュラスの自伝的な小説で、デュラスはこの著作で、あのプルーストも受賞したゴンクール賞というフランスの権威ある文学賞を受賞しています。

話は1929年の、フランス領インドシナが舞台です。主人公の少女は、母と2人の兄弟と共にベトナムで暮らしていましたが、父は無く、母は現地で教師をしていました。貧しくて、没落したと言っても良い一家は、荒んだ生活を送っています。ある日、少女はリムジンに乗った華僑の中国人青年に声をかけられます。まだ15歳ほどの少女は、30歳を越えた青年と年齢差を超えた愛人関係となります。少女は青年からお金をもらっていましたが、それがフランス人としての家族のプライドを傷つけます。そのねじれた人間関係が、東南アジアのねっとりとした空気の中で描かれていきます。やがて、少女の一家はフランスへ帰国し、青年は身分相応の結婚をすることになります。

30年前に見た映画ですので、まったくのうる覚えで、インターネットの記事を読みつつ記憶を辿っています。そんなわけで、不正確なところがあったらすみません。この映画が封切られた当時は、かつての植民地を美化せずに、客観的に描くような映画がさかんに撮られていたような気がします。共通するのは汗ばむような映像でした。この『ラマン』も例外ではなく、中国青年と少女との倒錯した愛が、異国情緒の中で濃厚に描かれていました。それがロマンチックというような甘い雰囲気のものではなく、なにかヒリヒリするような痛みを感じるものでした。そこにデュラスという作家の底力が、あらわれていたように思います。人間としての、生きることへの覚悟が私のようなへなちょこな人間とは違うなあ、と感心したものでした。

それと今から考えると、この映画の中で描かれていたヨーロッパ人の理不尽なプライドは、そのまま現代にも持ち越されているように思います。私たちはロシアのウクライナ侵攻を目のあたりにして、それがアジアやアフリカで日常的に行われている殺戮事件よりも、もっと切実で悲惨なことだと受け止めてしまいました。その感性こそが、私たちの差別意識に根付いたものだということに気が付かなくてはなりません。デュラスという作家は、官能的な恋愛物語を描きつつも、そういう私たちの意識の中に潜むやるせなさや醜さを、1980年代半ばに既に描いていたのだと思います・・・たぶん。

とにかく30年前に見ただけですから、あまり多くのことを、もっともらしい顔をして書くことはできません。これを機会に見直してみても良い映画ですね。今の若い方がこの映画を見たら、どんなことを感じるのでしょうか?

https://youtu.be/0hv5eF2igE4

インターネットで検索してみましたが、日本語版の映画予告編のようなものが見つかりません。フランス語であらすじを紹介したと思われるものがありましたので、リンクをはっておきます。各シーンがコンパクトにまとまっていますので、雰囲気を味わってみてください。

 

さて、話を岩崎力さんに戻します。岩崎さんの翻訳した本に、マルスラン・プレネ(Marcelin Pleynet、1933 -  )という批評家の書いた『絵画の教え』という美術評論があります。今日はこの本について取り上げます。そもそも私が「岩崎力」という名前を知ったのは、この翻訳書からなのです。

その前にこのプレネさんという人ですが、どういう方なのでしょうか?

プレネさんは1962〜82年に、フランスの文学雑誌「テル・ケル」誌の編集主幹を務めた人だそうです。そして同誌を主な発表舞台にして、詩や評論の分野で活躍した人です。

この『テル・ケル』(Tel Quel、「あるがまま」の意)という雑誌に、私はある種のあこがれを感じてしまいます。この雑誌は1960年にフィリップ・ソレルスらフランスの若手作家によって創刊された季刊の前衛文学雑誌だということです。このフィリップ・ソレルス(Philippe Sollers, 1936 - )ですが、配偶者で記号学者のジュリア・クリステヴァ(Julia Kristeva 、1941 - )とともに、難解な本を書く見本のような人だと私は思っています。それだけに、未知のものへのあこがれを抱いてしまうのです。そして、こういう人たちが関わる雑誌というのは、いったいどのようなものだったのか?それはフランスの芸術に、とりわけ現代美術にどのような影響を与えたのか?などと次々と疑問が湧いてきます。

その手がかりとして、マルスラン・プレネという人がいるのです。『テル・ケル』の編集にも携わった彼が関わったのが、このblogでも何度か取り上げたフランスの現代美術の動向「シュポール/シュルファス(supports/surface)」です。「シュポール/シュルファス」とは、シュポール(キャンバスや木枠などの絵の支持体)とシュルファス(絵の表面)という、絵画にとって基本的な構造を言い表した造語です。その言葉のもとに、緩やかな美術集団が編成され、またそれが展覧会のタイトルともなったのです。彼らは、絵画の構造をときに物質的に、ときに概念的に問い直しました。具体的には、画布と木枠を解体してみたり、画布の表面の画像を概念的な記号や模様にしてみたり、ということを試みたのですが、今回はこの動向について書くことが目的ではないので、とりあえず「シュポール/シュルファス」のイメージをつかみたい方は、次のリンクを開いてみてください。

https://www.carreartmusee.com/en/exhibitions/supports-surfaces-132

プレネさんが「シュポール/シュルファス」の作家たちとどのように知り合ったのか、日本で2000年に東京都現代美術館で開催された『シュポール/シュルファスの時代』という展覧会のカタログで、プレネさんのインタヴューが掲載されています。

 

  • エリック・ド・シャセイ

プレネさん、あなたの名前はよくシュポール/シュルファスと結び付けられてきました。とくに、非常に影響力の大きかった雑誌『テル・ケル』の編集次長として、そして同時に批評家として。このグループのメンバーとはどのようように出会われたのでしょうか?

 

  • マルスラン・プレネ

彼らとは、他にダニエル・ビュレンともそうですが、1967年に知り合いました。合衆国(アメリカ)から帰って後のことです。アメリカには客員教授としてシカゴに呼ばれ、その滞在中アメリカ絵画をかなり徹底して研究しました。フランスでもアメリカ絵画は見ていたのですけれど、数はほんとうに限られていましたから。このアメリカ滞在の収穫として、1967年3・4月号の『レ・レットル・フランセーズ』誌に4本の論文を出すことができました。アメリカ絵画に関するこれらの論文がきっかけで、その後シュポール/シュルファスを結成することになるアーティストたちと知り合うようになったんです。彼らが私に電話をかけてきてね。

 

  • エリック・ド・シャセイ

電話したのは誰だったのでしょう。

 

  • マルスラン・プレネ

そう、憶えている限りで言うと、まずドゥズース、それからカーヌとヴィアラ、それにビュレンやその他かなりの数のアーティストたちです。それで私は彼らのアトリエを見に行きました。一方ドゥヴァドとは1964年以来の知り合いでした。その頃彼が『テル・ケル』誌に詩を送ってくれて、それを『テル・ケル』に掲載したんです。彼の病気のためにしばらく会えませんでしたけれど、病気が直るとドゥヴァドはすぐに『テル・ケル』編集に参加するようになりました。ですから私のシュポール/シュルファス経験は、むしろパリでの出来事だったわけです。

(『シュポール/シュルファスの時代』東京都現代美術館カタログより)

 

このプレネと美術家たちとの出会いはどのような状況で起こったのか、少し押さえておく必要があります。

まず、当時のフランスの美術批評は悲惨な状況だった、とプレネはこの後で語っています。そして『シュポール/シュルファス』の作家たちの8割が、当時のアメリカ美術の状況をよく知らなかった、とも語っています。そうすると、当時の世界美術の中心がアメリカ・ニューヨークに移っていましたから、かつての美術の中心であったフランスでは、その最新の動向があまり語られずに、作家たちもそのことをよく知らなかった、というふうに想像することができます。その時にアメリカで研究をしていたプレネが帰国し、文学誌に最新の絵画に関する論文を書き、そのことに若い美術家たちが反応したのだ、という状況がわかってきます。

さらに付け加えておくと、『シュポール/シュルファス』はパリの作家たちと南フランスの作家たちの出会いによって始まっており、その中心点にいたのがプレネだったのだと思われます。また、当時のフランスは共産主義が力を持っていて、『シュポール/シュルファス』も、最新の現代思想とともに政治的な思想にも影響を受けていました。とりわけ、理論家であり労働者でもあったドゥヴァドは、アメリカ現代絵画の影響を受けつつも、共産主義への関心を高めていきます。先の話になりますが、そこにパリ対地方という対立も顕在化し、急進的な政治動向をよしとする人たちと、そうではない人たちに分かれてしまい、それがグループ解体の原因になります。

その程度の予備知識を持って、実際にプレネさんの『絵画の教え』を読んでみましょう。この本の冒頭で、プレネさんはそれまでの美術史的な見方が、いかに既成の思想に偏ったものであるのか、ということを語ったのちに、次のように書いています。

 

19世紀において、いくつかの前衛的活動領域の進化のなかに認められる《成就》、断絶、そして変換は、いわば支配的イデオロギーの内部でそれらの領域が果たした役割に比例している。いうまでもなく非常に曖昧なこの役割は、まず第一に、歴史のなかにたちあらわれるがままの諸々の矛盾、しかもそれらが場違いであり、われわれの興味に関していえば、イデオロギーのなかで昇華されるがままの諸矛盾を逐一叙述することに由来する。昇華というこのイデオロギー的効果は、さまざまなタイプの社会が芸術的生産にあたえる権威と、ブルジョワ社会が非合理的生産と経済とのあいだに打ちたてる絆(《絵画》の購入、市場で取引され、取引所でその相場がたてられる《現実的事物》への絵画の変質)をわれわれが考えることを可能にする。このような視点からみた場合、19世紀に起こった根源的変化は、生産手段の変化にほかならず、《芸術》として昇華された知識の対象としての絵画は、究極的には、思想領域におけるその反映としての《相貌》を帯びるのである。ブルジョワ革命は、そのもっとも進歩的な段階において、言いかえれば生産手段を完全に変えてしまった19世紀の経済革命・産業革命において、それを支える諸矛盾の対立を不可避的に明らかにし、倍化させることになる。

(『絵画の教え』「主要矛盾・特定矛盾 絵画の模倣」プレネ著 岩崎力訳)

 

この文章を読んでみて、スラスラと内容がわかりますか?

例えば、私たちは誰かの描いた名画がオークションで高額で競り落とされた、という記事を日常的に目にします。現実生活では、何の役にも立たない絵画が、どうしてそんな高額で取引されるのか、という疑問を誰もが抱くのではないかと思います。その一方で、今この時にも名も無い画家が素晴らしい作品を制作しているかもしれないのに、それに対する対価はまったく見合わないものだということも知っています。その矛盾を、私たちは絵画や芸術が私たちの日常からかけ離れた「自立した」歴史や価値観を持っているのだから、致し方のない事だ、とどこかで納得してしまいます。そのことに異議を唱えたのがプレネの『絵画の教え』だったようです。

岩崎力さんは、「訳者あとがき」でこのように解説しています。

 

プレネの疑問の根底にあるのは、「絵画を左右する社会的領野は主要矛盾によって多元的に決定されるが、絵画はそのような主要矛盾を考慮することができないために、その進化発展を考えるにあたって、それ自体の進化発展の法則という形而上学的概念によるしかない」がゆえに、「社会革命的文脈のなかに自己を書きこむことを可能にする批判的手段(力)を奪われて、絵画は自己のイデオロギー的立場に別様に立ち帰ろうとはせず、自立的な絵画史という幻想のなかに逃げこもうとする」という認識である。実際にこれまでの《美術史》は、とりわけ印象主義以降、アンフォルメル、ポップ・アート、オップ・アートにいたるまで、《・・・主義》、《・・・芸術》の目まぐるしいまでの交替と連続から成っていたわけで、それぞれの主義、それぞれの芸術について歴史が書かれてきた。その状況は枚挙にも応待にも暇がないほどであるが、確かに言えるのはそれらの歴史の《表現様式》が同じだったということである。つまりそれは、《自立的な絵画史という幻想》だったと言っていいし、さらに言葉をかえて、《主要矛盾に目をつぶっていた》とも言えるだろう。

(『絵画の教え』「訳者あとがき」岩崎力)

 

何となくですが、言いたいことはわかるような気がします。美術史を眺めていて、その移り変わりの節ぶしに対して、納得できるような整合性があるのか、と問われると、そうでもないことの方が多いのではないでしょうか。どうしてこうなるの?これは発展というよりは退化なのではないか?などということがしばしばあるのに、美術史というものはつねに人類の発展とともに、その変遷に整合性を持たせてきたのです。そこにブルジョワ革命による市場経済が絡んでくると、そこは矛盾だらけの価値観の世界となってしまうのです。そのことをうまくごまかしてきたのが「自立的な絵画史」、つまり正当だと言われている現在の「美術史」なのでしょう。

それでは、そのようなプレネさんの立場に立った時に、「美術史」はどのように読み替えられるべきなのでしょうか?そして、それは具体的にはどのようなことを指しているのでしょう?

プレネさんは、『シュポール/シュルファス』の作家ドゥヴァドを論じた文章の中で、次のように書いています。

 

19世紀の末、セザンヌはクワトロチェント(15世紀)いらい西欧絵画の歴史を規制してきた遠近法の約束事という領域に突然介入する。その後、絵画とその歴史の冒険を規制しているのは、多かれすくなかれ理論化された実践、フォルムに関する実践、あるいは社会学的実践など、多種多様な実践の形をとったが、ようするにいわゆる科学的遠近法とセザンヌとの絶縁なのである。その歴史は、セザンヌによってもたらされた変化の理論的結果をひきだそうともせず、また引き出す能力も備えていないがゆえに、いわばこの断絶の外観を繰り返し再現せざるをえなかった歴史である。単眼的遠近法からセザンヌが強調した空間の複雑さへの移行は、事実、絵画がその生産手段とのあいだにもちうる関係の非常に深い変化を内包する。ここで、セザンヌ的断絶の提起する理論的問題を、その現象学的《媒体》の冒険ないし災難の話にしてしまい、知識の対象の問題提起を、現実のなかにおけるその《表現》の、多かれすくなかれ技術性を加味した経験主義のもとに、完全に変質させてしまうことは、まったくの盲目的反応といわなければならない。この近眼性の結果は、今日普通に近代芸術と呼びならわされているものをわかつ三つの傾向のなかに見出される。前衛主義的空論(材料の幻覚)、技術主義的イデオロギー(オプティカル・アート、ヴァザルリ等々)、フォルマリスム的イデオロギー(キュビスム、表面のマニエリスム)。マルク・ドゥヴァドが立ち帰ろうと企てたのは、言うまでもなく、これら三つの傾向のうちもっとも厳密華つ生産的なもの(フォルマリスムの仕事)にである。そして、歴史的にも地理的にも、ドゥヴァドの世代の画家たちは、19世紀末いらいの絵画生産の最盛期と、数年前からのアメリカ絵画が陥っているイデオロギーの袋小路に内包される批判的回帰を実行するのに、とりわけ有利な立場に置かれていたと言わなければならない。

(『絵画の教え』「通過儀礼」プレネ著 岩崎力訳)

 

このセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)に関する解釈は、まったくその通りだと思いますが、ドゥヴァドの芸術がその問いに応えるものであるのかどうか、は疑問です。岩崎さんは、「訳者あとがき」でプレネのこれら文章について、あるいはセザンヌの解釈について次のように書いています。断章形式で抜粋してみます。

 

《美術史》と《美術批評》にたいするこの根源的な疑問を明確に述べ、《もう一つの歴史》のための基本的確認を目ざした本書が、既成の批評界に歓迎されなかったのは、いわば当然のことであった。

 

ただ、これは、この種の語彙に不馴れな訳者自身の率直な感想でもあるのだが、従来の《芸術論》や《美術批評》ープレネの言葉を借りれば《全面的にイデオロギーに身をゆだねた経験主義的実践》ーを読み馴れた読者は、あまりにも難解・晦渋に感じ、奇異の念さえ抱くかもしれない。叙述が抽象的であるだけに、なおのことそうであろうかと思われる。

 

《西欧における絵画の歴史の主要な連結点》のひとつとして、プレネは本書のなかでセザンヌの重要性を繰り返し指摘しており、独立の「セザンヌ論」を予告してさえいるが、その刊行がひたすら待たれる。

(『絵画の教え』「訳者あとがき」岩崎力)

 

どれも、もっともな感想です。この本はかなり読みづらく、苦労して読んでも何かに達した気持ちになれず、ちょっと困った本です。岩崎さんの「訳者あとがき」がなければ、途方に暮れただけでしょう。

それでも、既成の美術史の矛盾を明らかにし、それらが隠蔽してしまった美術の可能性について考えていこう、という気概は十分に感じられます。そしておそらく『シュポール/シュルファス』の若い作家たちも、そのような希望に胸を躍らせて活動していたことでしょう。

しかし、その動向は解体してしまいます。そのことをプレネさんは先のインタビューで、ドゥヴァドのこととからめてこう語っています。

 

  • マルスラン・プレネ

グループの何人かがあまりに「政治化される」のを恐れれば恐れるほど、ドゥヴァドは政治化の度合いを深めていきました。私はどちらにもけっして与しませんし、彼らは次から次と私に会いに『テル・ケル』に立ち寄ったものでした。ヴィアラ、ドゥズース、ビウレス等々、どちらかの側の展覧会についても記事を書き続けるかぎり、どんな時も私は自分の立場を明確に示すことはありません。それでもやはり「『絵画 理論手帖』誌は重要であると私は考えています。ヴィアラが袂を分かつことを決心したとき、私は彼にそれは間違いであると諭しました。そしてそれは間違いのひとつだったのです。

(『シュポール/シュルファスの時代』東京都現代美術館カタログより)

 

資料がいろいろと飛び交って申し訳ありません。しかし、この1960年代末から1970年代のはじめにかけての『シュポール/シュルファス』の運動は、現在からみて時代が近いだけに、純粋に美術的な側面だけでなく、その本音の部分や社会的な側面、そしてその影響関係まで視野に入れて学びたいものです。

それとこの『絵画の教え』ですが、その時代のフランスの文化的な背景や政治的な状況などへの理解を深めてから、再度読み込みたいものです。正直に言って、プレネが偉大な美術批評家であるとは思いませんが、ひとつの魅力的な美術運動に関わった評論家として、あるいは現代美術の行き詰まりについて示唆を与えた一人として、もっと知りたいと思います。

プレネのように、出来事の現場にいた人の書いたものは貴重です。その著作を日本語に訳してくれた岩崎さんにも感謝しています。おそらくは、あまり売れなかったであろうこの本ですが、今では入手が難しいのではないでしょうか。私はリアル・タイムではこの本のことを知ることができなくて、のちに古本屋を探し回ったのですがどこにもなくて、古本屋のインターネット検索ができるようになった頃にやっと探し当てました。amazonが普及する遥か以前の話です。

 

それからこの話との関連になりますが、美術評論家の松浦寿夫さんが『風の薔薇』という雑誌で1984年に『シュポール/シュルファス』の特集号を出しています。これも今ではたいへんに貴重な小冊子です。

最後になりますが、その『風と薔薇』のなかで、プレネの「新しい抽象」という論文が翻訳されていて、そのなかにプレネの人柄がわかるような一節があったので、ご紹介しておきます。

 

批評家、歴史家、大学の先生、美術館長などは、自分たちこそ近代・現代の芸術史を築くものであることをわれわれに信じこませようするあまりに、たんに彼らが何もしていないことを我々にわからせてくれるばかりか、彼らにはほとんどの場合そのようなことをする能力がないことまでをも証明してくれている。今日パリでは、批評家や歴史家、雑誌や画廊がこぞってロシア構成主義とミニマル・アート、ポスト・ミニマルの間に親近性、影響関係を打ちたてようとしているではないか!彼らはロシア構成主義を代表する画家たちやミニマル・アートの美術家たちが明らかに目的としているものをまず括弧に入れてしまい、それから愚かしくもそれらの形態的な系列を比較してみせ、当然のことながら両者のうちに類似(要するに幾何学的ということだ)を見つけ出さずにおかなくて、そこにはなんらかの関係、連続性、影響があるという結論を引き出して満足している。それこそ私が芸術史の会計係と呼ぶ輩の典型的なやり口である。

(『風の薔薇 1984年夏』「新しい抽象」プレネ著 松浦寿夫訳)

 

いうまでもなく、「会計係」というのは帳尻合わせをする人たちのことです。そしてここで話題になっているロシア構成主義の祖とも言われるマレーヴィッチの正方形の絵画が、しばしばミニマル・アートと混同して語られることがあります。そのことについて、私もプレネと同様の感想を持っています。これは作品が成立した時の文脈というか、作家の気持ちを考えればすぐにわかることだと思います。たしか、日本でも「ミニマル・アート」を大々的に論じた本がありましたが、そこでも同様のミス・リーディングがあったような気がします。そういう人の書いたものを信用してはいけません。

それから、批評家や大学の先生などの権威のある人たちに対するこのような皮肉も楽しいですね。私のような人間がこんなことを書くと、ただの僻みにしか読めませんが、プレネのような人が自らここまで書いてくれると胸がすくような思いになります。

それと最後の最後になりますが、岩崎さんの言っていたプレネの「セザンヌ論」はどこかに存在するのでしょうか?存在するなら教えていただきたいです。ただし、日本語に翻訳されていないとダメですけど・・・。

 

以上、友人のメールから、いつか触れてみたいと思っていた『絵画の教え』を斜め読みしてみました。

いつか精読して、再チャレンジしてみます。

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