ウクライナの戦争が終わりません。新型コロナウィルスの感染者がまた増えてきました。それだけでも騒々しいのに、選挙前に元首相が銃で撃たれて亡くなる、という衝撃的な事件が起こりました。私は新聞やテレビ、インターネットの情報でこれらのことを知るだけですから、何か専門的なコメントを発することなどできません。ただ、こういう大事件がそれほどの前触れもなく、あっけなく起こってしまうところが、何となく現代的だな、と感じてしまいます。例えそうだとしても、私たちは落ち着いて、冷静に物事を判断したい、といつも願っています。災害に備え、亡くなった人たちを悼み、警戒するべきことは警戒し、それでも萎縮することなくものが言える社会であってほしい、と祈るばかりです。
さて、こういう騒々しい時には、心を沈めるような音楽が欲しくなります。だいぶ前のレコードになりますが、ブライアン・イーノさんの『Music for Airports』を聴きながらこの文章を書いています。
そういえば、京都でブライアン・イーノさんのアンビニエントの展示がやっているのですね。
何回かここでも書きましたが、大昔に私は原宿でイーノさんの展示をみました。ちょうど『Music for Airports』や、その周辺のアンビニエント・ミュージックを彼が意欲的に創作していた頃でした。デヴィッド・バーンさんとの共作も、さかんに行っていました。あの頃は、芸術の未来がさまざまな可能性を孕んでいるように思えた時期で、イーノさんはその中核にいましたね。
その後、アートの表現方法は予想以上に広がっていきましたが、あの頃ほどワクワクしないのはなぜでしょうか?私が歳をとったせいもあるとおもますが、それだけではなさそうです。私たちは開かれた未来を享受するとともに、それをセーブすることも考えなくてはなりません。それは当時から心配されたことですが、今ではそれが切実な問題となっています。誰もがそう思っているのに、現実には何もセーブされていないように感じます。その不安が影を落としているのでしょう。
この文章を公開する頃には選挙結果も出ていて、どんな人たちが政治をするのか明らかになっていることでしょう。現在の選挙民に甘いことばかりをいう人ではなくて、深くものを考える人に政治を担っていただきたいものです。
話がそれました。8月までイーノさんの展示が続くようですが、ちょっと京都までは行けないかな・・・。京都近在の方、特に若い方には見ていただきたい展示です。
さてさて、今回は画家セザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)の話です。
音楽評論家の吉田秀和(1913 - 2012)さんは、美術評論も書きました。それは『調和の幻想』から始まって、セザンヌ論で完結するのです。
その完結編である『セザンヌ物語』について書くのですが、その前に吉田さんが「あとがき」でジョット(Giotto di Bondone、1267頃-1337)について書いているので、はじめにそれをお読みください。ここから吉田さんの美術遍歴が始まるのです。
私は1953年から54年にかけて、ほぼ1年、アメリカからヨーロッパにかけて旅行した。それは私の最初の海外旅行だった。その54年、夏の2ヶ月をザルツブルク、バイロイト、ミュンヘンとドイツ圏音楽祭の三つの中心地ですごしたあと、私は突然、アルプスを越えて、イタリアの土地をふみたくなり、ヴェネチア目指してミュンヘンから汽車で南下した。イタリアには、すでに、その年の春数週間いたのだった。その時はローマでの現代音楽祭に参加するためだったが、ローマ、フィレンツェ、ミラノとまわっているうちに、次第に「美術の世界」が私の心の中に開かれてきていた。
その「美術」が、ドイツで集中的に音楽をきいている間に、再び、私を呼んだのである。
ヴェネツィアにゆく途中で、私は、同席したイタリア人の大学生に誘われ、パドヴァで途中下車した。そうして、ジョットをみた。
ジョットは、すでにフィレンツェでも対面していたのだが、このパドヴァでのジョットは、それとは全く比較にならないものをみせてくれた。
パドヴァにあるスクロヴェーニのチャペルの内部をほとんど全面的に塗りつぶし、壁という壁に、幾つも描きつづけられたジョットのフレスコ画は、その一つ一つの絵のすばらしさだけでなく、その全体において、私に一つの強大な真実を啓示した。
それは「すべては絵画として描かれることができる」、あるいは「人間は天地を貫いて目にみえるものはもちろん、目に見えない精神的出来事さえ、すべて、絵に描くことができる」ということである。
「絵に描けないものはないのだ」
建物の全体を蔽ったジョットの絵は、それで一つの天地をつくり出し、その色と形だけで出来た天地は、建物の内と外にある天地とは全く等価の天地だった。そこには、音楽さえあった。ジョットの青と金の響きの見事さは、それまで私の知っていたどんな音楽にも勝るとも劣らない音で響き渡っていた。
(『セザンヌ物語Ⅱ』「あとがき」吉田秀和)
このパドヴァのスクロヴェーニのチャペル、つまりスクロヴェーニ礼拝堂の写真があります。とにかく、素晴らしいです。私は残念ながらイタリアに行ったことがありません。もしも世界中を旅行できて、実物の作品を見ることができると言われたなら、この礼拝堂はまっさきに行ってみたいところです。本物の作品を見るということはどういうことなのか、その核となる真実を私に教えてくれるはずです。とりわけ、ジョットが表現した「青」がどんな色なのか、画像ではなく本物を見る価値が、きっとあるはずです。描かれた当初からの劣化は否定しようもありませんが、数百年を経た「青」もまた真実でしょう。
パドヴァ スクロヴェーニ礼拝堂
https://visitaly.jp/event/art-trip-2020/trip/spot/053_cappella_degli_scrovegni.html
さて、吉田秀和さんはこのように思うがままに、美術作品を探究していきます。こんな一節がありましたね。
「その『美術』が、ドイツで集中的に音楽をきいている間に、再び、私を呼んだのである。」
「美術」が「私を呼んだ」という一文に、私のような凡人には理解できない、何か特権的なものを感じてしまって多少引っかかります。それも日本ではなくて、ヨーロッパの「ドイツ」でのことです!とはいえ、自分の気持ちに正直に行動してきたというのは本当でしょう。吉田秀和さんとはいえ、専門の音楽の分野では、このように気ままに振る舞うことはできなかったのかもしれません。
吉田さんの『調和の幻想』『トゥルーズ=ロートレック』については以前に書きましたので、その吉田さんがセザンヌを論じるに至った経緯を見ていきましょう。吉田さんは、『セザンヌ物語Ⅰ』の「終わりにあたってのはしがき」という変わったタイトルのまえがきで、次のように書いています。
セザンヌの芸術で、『調和の幻想』以来の問題意識のはっきり形成されるずっと前から、私をひきつけ、そうして以上の追求を続けてゆく過程でも、私から離れなかったものは、彼の芸術のもつ「精神的な品位」、あるいは彼の画面から放射されてくるdignityの強い手ごたえであった。
どうして、セザンヌの絵には、堅牢で、犯しがたい品位があるのか。
北京の体験で、シンメトリーと壮麗さの感銘とは切り離しがたいと教わった私は、ここで、それと矛盾する芸術にぶつかる。それはまたセザンヌの晩年の作品、特に1904年から6年にかけての最後の数年の制作を中核とし、頂点とする一群の作品たちに至っては、これは「壮麗」というより「荘厳」と呼ぶ方がもっと正確であり、はるかに重要であるようなものにまで、高まり、精神的存在として浄められてくる。
私のいうのは、レ・ローヴのアトリエから望まれるサント・ヴィクトワール山を描いたものを中心とする一群の風景画たち、庭師ヴァリエのそれを中心とする一群の肖像画、それから水浴する裸女の群れを描いたもの、それから一群の静物画である。
近代的パースペクティヴの美学、その不可分のアシンメトリーの構図を解消しても、なお精神の勝利の刻印と呼ぶほかないような作品群が、ここに成立している。
それは、どうしてできたか?
それを、できるだけ追求することが、私のつぎの目標となった。
仕事は、とてもむずかしかった。第一の障害は私の絵を見る能力の限界であるが、それに劣らないほどの困難は、セザンヌの絵を自分の目で見る機会の限られていることだった。私は、これまでも再三書いてきたように、本来なら、その絵を、いかに、未経験な、貧しいものとはいえ、自分の肉眼でみたことのないものについて語るのは、できるだけ避けたかった。写真をみて絵を知ったと考えるのは、本当に、危険である。
それから、これまた『調和の幻想』以来、私を悩ませて終わらない問題なのだが、若くて、「勉強に適した年ごろ」に美術史の本を読んで来なかった私にとっては、今、美術について考えだしたからといって、そのために本を読んで、教えられ、その教えられたものの上に立って、作品に接触し、そこから考えを続けるということに、ひどく警戒的になっているのである。
(『セザンヌ物語Ⅰ』「終わりにあたってのはしがき」吉田秀和)
まずは基本情報です。「dignity」ですが、辞書で引くと「威厳、尊厳、品位、気品、(態度などの)重々しさ、荘重、位階、爵位」とあります。セザンヌの晩年の絵画の、どこか気高い感じのことを言っているのでしょう。
それから、「シンメトリー」とは左右対称であること、「アシンメトリー」とはそのシンメトリーが破られた状態を指します。吉田秀和さんが北京で感動した紫禁城は、シンメトリーの単純な構成が大規模に表現されていて、その圧倒的な「壮麗」さに、彼は心打たれたのでした。しかし、セザンヌの晩年の作品は、そのようなバランスを崩すことで成り立っています。その対比的な状況について、吉田さんは書いているのです。画像になりますが、その両者を見比べてみましょう。
紫禁城
https://www.arachina.com/beijing/attraction/forbiddencity.htm
レ・ローヴのアトリエから望まれるサント・ヴィクトワール山
https://www.pinterest.jp/pin/116319602860447633/
そして、写真で語らず、本物を見ることを大切にするというところは共感が持てますが、それが欧米の美術館まで見に行く、ということになると、どこか縁の遠い話にも聞こえてしまいます。ちょっとひがみすぎでしょうか。
それから最後のところの、美術に関する勉強をどこまでやって作品と触れ合うのが良いのか、というのは難しいところです。もちろん、私のようなレベルでの話と、吉田さんのような教養人とでは一緒に考えることはできませんが、それはそれとして、美術作品は予備知識なしで見た方がよい、という思い込みがどこかにあるような気がします。もしもあなたが、あまりセザンヌの作品を見たことがなくて、これから本格的に見てみようかな、と思っているのであれば、まずはあまり勉強せずに一度見ておくのも良いと思います。しかし、誰もが初心者であることから卒業し、その作品に深く沈静して見るべきかどうか、考えるときがきます。その時には、セザンヌに関する膨大な資料の中から、とりあえず読めそうなものを何冊か読んでみることをお勧めします。
吉田秀和さんの場合、初心者ではあり得ませんから、予備知識を得ることのリスクを考えつつも、彼はセザンヌについて学習することを決意します。これは私たちが何かについて深く学ぼうと思うときに、参考になると思いますのでその部分を引用してみます。
しかし、セザンヌとなると、仕事が極度にむずかしい上に、すぐれた文献が幾つかある。しかも、その数は「西洋近代のパースペクティブの美学の成立と発展」といった、やたら巨大なテーマと違い、重要文献だけでも数えきれないほど多いというわけでもなくなってくる。
このディレンマを解決するのはむずかしかった。私は、ここでは、前と違って、幾つかの本を、ゆっくり、ていねいに読むこともやった(それらは、Ⅱの巻末の主要参考文献にあげてある。)もっとも、それらの本や論文は、仕事を始める前に読んだものばかりではなく、むしろ、仕事をしている経過の中で、読むことの方が多かった。
本を読むよりずっと前、そうして最初の出発以降、それから仕事の途中で本を読んでいる間も、私は自分の考えを書き続けていった。それは、手探り、模索といってもよいが、また、結局は、それが私の仕事そのものであったことはことわるまでもあるまい。読むこと、読んで教わることーそれにしても、基本的文献の中には、私には理解するのがむずかしく、はじめの頃は最初から私の中に入らなかったり、たとえ入っても消化未遂で忽ち忘れてしまったものも少なくない。
(『セザンヌ物語Ⅰ』「終わりにあたってのはしがき」吉田秀和)
その『セザンヌ物語Ⅱ』の巻末の「主要文献」を見てみると、全てが洋書です。中には日本語に翻訳されている有名な本も含まれていますが、それも原著で読んでいるようです。やれやれ、ですね。それに私が読んでみたいと思っている『The late work』というセザンヌの晩年の作品を集めた展覧会のカタログの文章も、ちゃんと含まれています。
だから、私たちと同じレベルでは考えられないのですが、そうは言っても吉田さんがそれらの膨大なセザンヌに関する考察から一歩出ようという野心を持っていなかったことは、覚えておく必要があります。
だからこの本は、セザンヌの絵をじっくりと見たことがない方にとっては、最適のガイドブックとなりますが、セザンヌについてある程度の予備知識を持った人間にとっては、少し物足りないものになります。吉田さんは、それらの著作から得た知見を、自分の目で見た作品の解釈に応用しようと試みています。その見方は、はじめに自分なりの論理や仮説があって、それを証明するために作品にあたっていく、という専門家の見方とは異なるのです。それをどのように評価して読んでいくのか、それはこちら側の状況によって、興味深くもなり、あるいは物足りなくもなるのです。
だいぶ長くなったので、一つだけ例をあげておきましょう。
それは、セザンヌの絵の中でもとりわけ有名なフィラデルフィア美術館にある『大水浴』の作品についてです。吉田秀和さんは思い出したように、セザンヌの『サント・ヴィクトワール山』のことを書いていた途中から、つぎのように書いています。
『大水浴図』(1905)
http://www.artmuseum.jpn.org/mu_daisuiyoku2.html
それ(『サント・ヴィクトワール山』のシリーズ)に比べて、あの水浴する女たちの絵は、どうして、私たちに、すばらしいが、不可解だという印象を残すのか、わかりにくい。そのくせ、あの絵には、霊妙な調和の均衡が感じられるのは、なぜだろうか。
それは、この絵が、未完成のままで、その未完成さの在り方において、言い得べきことはすべて、いや、もしかしたら、言おうと望んだことはすべて、言いつくしているからではないか。ここでは、未完成が完成なのである。
長いこと、この絵を眺め続けてきた私は、その間に、絵を前において、よく目を閉じたまま、絵の全体から細部、細部から全体と、往復しながら、思い浮かべてみることをやった。そのうち、ある時、目を開けて確かめてみると、画面の骨組みの三角形の、立木が互いに近よったところで、まだその横に自由な空の部分が大きく残っているのに気がついた。私は、その空の青の微妙に驚くとともに、これは私がかつて『鉄道の切り通し』で、この画家の決定的長所がそこにあるのを知った空と雲の美しさ以来、ずっとセザンヌの制作につきそって来た忠実な道づれだったのである。
と同時に、私は気がついた、自分がうっかりしていたことを。ヘンリー・ムーアはもちろん、これまでみんながこの絵について、三角形の骨組ということをいい続けて来たけれども、その三角形は、まだ完了していないのだ。両側から迫ってくる立木は、画面の中では、相まじわるところまで来ていない。画面のそと、つまりもっと上の方に行くと、まじわっているのかもしれない。だが、少なくとも、描かれた絵としては、そうなっていない。そこまで描こうとすれば、当然カンヴァスを上の方にたして描くのは容易だろう。しかし、セザンヌはそうしなかった。しなかったのは、それだけの理由があったのであって、放置したのでも、まして放棄したのでもない。最もわかりやすい理由は、まじわりが完了して仕舞えば、絵はそこで閉じこめられ、狭苦しく小さな感じになるからということだろう。
だが、理由は、そういった局部的な考慮にあるのではない。まじわると予想されるが、まだそうならない状態でおいておく。それが大切なのだ。
それに気がついた時、私は、画面の全体にわたって随所にみられる塗りのこしの意味も解けたように思った。これも同じことで、当然塗ればどうなるかが予想できるが、それを最後までやらないのである。それから、立木が画面の上の方で両方から近づくに従って、その横の空の部分は広くなる。その広くなった空の彩色の微妙さは言語を絶しているが、それはまた、接近するまでの立木の間から見られる空のより明るい青と青灰色を持った部分に比べると、より暗い青となっている。そういうことが、現実にあるだろうか。その暗い部分は、立木の枝と葉を暗示するからだーという、前にあげた理由づけに従うとしたら、この絵は手前は暗く、先は明るい絵ということになる。
そうして、最後まではっきり描かなかったのは、手前の女たちがさしのばしている手の、その先にあるのは何か?ということ。
(『セザンヌ物語Ⅱ』「水浴する女たち」
意図的にアンバランスにした構図や、塗り残しや描きっ放しとも受け取れる画面上の筆致や剥き出しの画布がそこにあります。未完成ではないこと、セザンヌが意図的にそうしたことは、なんとなく感受できます。「セザンヌの塗り残し」の謎めいた効果を、そのままエッセイのタイトルにした本があるくらい、それは絵を知る人たちには有名な話です。そんなタイトルをつけておけば、つまらないエッセイでも深淵なものに見えるかもしれない、という下心もあったことでしょう。
吉田秀和さんは、さすがにそれで良しとはしていません。例えば三角形の構図が意図的にずらされていることに関しては、「まじわりが完了して仕舞えば、絵はそこで閉じこめられ、狭苦しく小さな感じになるから」という妥当な答えを導き出しつつ、「そういった局部的な考慮にあるのではない」と反問しています。そして「まじわると予想されるが、まだそうならない状態でおいておく。それが大切なのだ。」というところまで言及しています。
そう、そこでもうひとおしが必要です。どうして「それが大切」なのでしょうか?セザンヌは自分の絵画をどういう状態にしておきたかったのでしょうか?確かに、吉田さんが書いているように、描き殴ったような筆致も、塗り残しの画布も、現実的には不自然な青の階調も、すべてが同じ方向を指しているように思います。しかし、それが何なのか?吉田さんの問いはそこで止まっています。
もしも吉田さんが、吉田さんが読み込んだであろう資料から先へ進もう、という野心があれば、絵画における「行為性」の問題、絵画の「物質性」の問題、絵画というものをどう考えるのか、という「記号学」や最新の哲学や思想の問題、少なくとも彼がこの本を書いた時点でも、問題の掘り起こしはいくらでもできたでしょう。しかし吉田さんは、自分の見た絵の実感に従う、という原則を設けることで、そういう絵画の先にある問題を回避し、それを仄めかすところで筆を置きました。彼の年齢的な問題もあったのかもしれません。
これはとても残念なことですが、ここから先は私たちの課題です。私たちは、神のように偉大なセザンヌを超えていかなければなりません。セザンヌばかりではありません。マチスもピカソも、ボナールもド=スタールも、ポロックもステラもキーファーも、すべてを超えていかなければなりません。最近私は、そのことを強く実感しています。
その一方で、彼らの乗り越えが容易なことだと思い込むことは危険です。上滑りで、気がついたら彼らの足元にも及ばない、ということだってありますし、むしろそういうことの方が多いでしょう。
彼らを超えたければ、例えば吉田秀和さんのように、丹念にセザンヌの絵を辿ってみることも必要だと私は思います。どうしてセザンヌはたった一人で、自然主義やロマン主義、あるいは古典主義から発してこれほどまで遠くに歩くことができたのでしょうか?吉田秀和さんのこの本は、その足取りをつぶさに追いかけていきます。自分の目だけを信じてセザンヌの絵と向き合う吉田さんの姿勢に学ぶところは、たくさんあります。その学習につきあうことは、辛いどころかとても心地よくて、ずーっとそこで学んでいたいと思う位です。
それにも関わらず、私たちはその先を歩かなければなりません。それでなければ、今を生きている意味がありません。私はそう思っています。セザンヌがどんなに偉大であっても、私たちの同伴者ではあり得ないのです。
ちょっと結論を急ぎすぎたでしょうか?
吉田さんの著作について、折を見ては触れたいと思います。この誠実な本を端折って紹介することはできません。だから今回は、その初めと終わりに触れてみました。悪しからず、ご了承ください。中身については、またじっくりと取り上げます。
それと、残念ながら、この本の入手が難しいようですね。とっくに文庫判や電子書籍で出回っていても良いと思うのですが・・・。そういう事情もありますから、また折を見て取り上げて、吉田さんの文章を参照したいと思います。