平らな深み、緩やかな時間

69.「絵について語ること①」高島芳幸、高橋圀夫、さとう陽子

私事ですが、今年(2016年)の2月にギャラリー檜で「dialogue」という展覧会を開催しました。尊敬する美術家の稲さんとの二人展です。この展覧会は普通の展覧会とは少し違っていて、出品者の二人が対話をして、それを文書として展覧会と同時に発行するという、工夫を凝らしたものです。この稲さんの貴重な試みにおいて、私は四人目の対話者ということになりました。対話では、二人が制作に際して実感できることを話しましょう、とあらかじめ打ち合わせをしました。しかし話が進むにつれて、私たちがともに経験した、絵を描くことが「困難」であった状況について話さないわけにはいかなくなりました。その一方で、私はこの「困難」について話すには、ある程度の準備と時間が必要だな、と感じました。
今回から何度かに分けて、「絵について語ること」というタイトルで、絵を描くことが「困難」であった状況についてどう考えたらよいのか、書いてみたいと思います。私は「困難」であった、ととりあえず過去形で書いてしまいましたが、この「困難」は過ぎ去ったものなのか、それとも現在も継続しているものなのか、いろいろな考え方ができるのだろうと思います。逆に絵を描くことが「困難」でなかった時代などないのだよ、というお叱りを受けるかもしれません。とは言え私は学者でもなければ、研究者でもありませんから、順序だったまとまった考察を書くことは不可能です。私が見た展覧会や読んだ本などを手掛かりに、できる範囲のことを書いてみたいと思います。今後このブログで、「絵について語ること」というタイトルが付されていましたら、あぁ、またあの続きをやっているな、と思っていただければ幸いです。

さて、今回は絵を描くことの「困難」を語るうえでの枕のような話です。
たまたま最近、1991年秋の『みづゑ』(美術出版社の雑誌・廃刊)を読む機会がありました。巻頭の特集は、「パリ、南フランス―画家たちのアトリエ」という、ファッション雑誌のようなタイトルなのですが、中身は当時の南フランスの現代美術の作家を取り上げたものです。例えばクロード・ヴィアラ(1936- )、クリスチャン・ジャッカール(1939- )、ジャン-ミッシェル・ムーリス(1938- )といった「シュポール/シュルファス」(「支持体/表面」を意味する、1960年代末のフランスで起こった芸術運動)に絡んだ作家が多く、その他にはピエール・スーラージュ(1919- )のようにその一世代前の抽象画家も取り上げられています。ちなみに、当時の雑誌の編集長は篠田達美で、特集の撮影は安斎重男です。写真がとても美しくて、誌面をながめるだけでも楽しめます。スーラ―ジュは別格にしても、紹介された作家たちはすでに大きな成功をおさめ、恵まれた住居と仕事場を持っていて、それが南フランスの風光明媚な景色の中に溶け込んでいるようです。
その特集記事の中身に入る前に、この雑誌が発行された1991年時点のことを、すこし考えてみましょう。雑誌が発行される少し前、私がまだ学生だった1980年代の頃のことですが、「シュポール/シュルファス」の一部の作家、例えばヴィアラの作品を画廊で見ることは、その当時も可能でした。しかし、それまでアメリカの現代美術一辺倒だった日本のジャーナリズムは、1960年代末のフランスの運動「シュポール/シュルファス」について、ほとんど紹介していませんでした。ついでに言えば、同時代のイタリアの運動「アルテ・ポーヴェラ」も同様でした。ですからヴィアラの作品がどのような文脈から生まれてきたのか、私は断片的な情報から知るほかありませんでした。おそらく、海外の美術の事情に特別に通じている方でなければ、その頃は私と似たような状況だったのではないでしょうか。そんな中で『書肆風の薔薇』が、1984年に「シュポール/シュルファス」の特集号を発行しました。これは「シュポール/シュルファス」の動向を、一般的な読者にわかりやすく紹介する、といった内容ではなかったので私の理解もおぼつかないものでした。そして「シュポール/シュルファス」の活動そのものを紹介した展覧会が、埼玉県立近代美術館他で開催されたのが1993年、さらに大規模な「シュポール/シュルファスの時代」という展覧会が東京都現代美術館で開催されたのが2000年です。20年から30年以上遅れて、私たちは「シュポール/シュルファス」とその周辺のフランス美術の作品を直に見ることが出来たのです。そして1991年に話を戻すと、この頃はヴィアラやその周辺の作家についてある程度知ることは出来たけれども、まだまだ分からないことが多くてもやもやしていた状況でした。この『みずゑ』の特集は、彼らを同時代の作家として知る貴重な機会でしたが、残念なことに私はタイムリーにこの雑誌を読んでいません。就職して無我夢中だったのだと思いますが、『みずゑ』を本屋で立ち読みすることさえしませんでした。ものの価値の分からない鈍感な人間は、えてしてこのような後悔をするものですね。

前置きが長くなりました。その記事の中で、クロード・ヴィアラは次のように紹介されています。その内容が1960年代以降の状況を表しているように思うので、長くなりますが引用しておきます。

クロード・ヴィアラはグループ「シュポール/シュルファス」の主導的な作家であった。このグループあるいは運動は、一言でいえば、1969年6月7日から7月7日の間、ルアーブル美術館で開かれた展覧会「問題の絵画」展のカタログ序文に書かれているように、「絵画の目的は絵画そのものである。展示されたタブローは自らに関係するのみである。(これらの)タブローは“他のもの”(アーティストの人格や経歴、美術史等々)の助力を一切必要としない。(これらの)タブローは“逃げ道”を与えない。なぜなら、表面(シュールファス)は形態と色彩の断絶により、見る者の精神的投影あるいは夢幻的予見を禁じるからである。絵画はそれ自体一つの事実である。私たちはこの領域で問題を提起しなくてはならない。それは“源泉”に戻ることではなく、本源的な純粋さを探し求めるものでもない。ただ絵画の事実を構成する絵画的要素を露呈するだけである。それ故、展示された作品は中立的で、抒情性や表現的な深さに欠けているのだ」、ということになる。
ヴィアラは60年代末から70年代初期にかけて、このような絵画観を分かち合いながら、このグループの作家達と行動を共にしたが、彼らの階級闘争のイデオロギーにもとづく論争に限界を感じ、グループから脱退している。彼自身も言うように、ヴィアラの仕事には、1966年以来、弁証法的な意味での進歩はないかもしれない。同じものが中心軸のまわりで、ただ、その輪を絶えず広げながら展開していくだけなのかもしれない。ラスコーの洞窟の岩壁に人間の手型が残されて以来、絵画はすべてこの問題のまわりを巡っているのかもしれない。
(「クロード・ヴィアラ 近代絵画、現代絵画の克服」前野寿邦)

ヴィアラの作品をご存知の方は、この文章が言わんとしていることをすぐに理解できるでしょう。ヴィアラの作品は、独特の豆のような形、パターンがいくつも並んで描かれているだけです。それが無地の布だけではなくて、模様や色のある布の上にも描かれています。さらにそれらが木枠にぴんと張られているのではなくて、壁にだらりととめられていたり、床に広げられていたり、あるいは天井から吊り下げられていたりするのです。そんなヴィアラの作品のいくつかを見れば、その主眼が描かれた形象にあるのではなくて、絵画という形式そのものにあることに気がつきます。人によっては「これって絵画?」と思うかもしれません。それこそが彼らの言うところの「この領域で問題を提起」することであり、「絵画の事実を構成する絵画的要素を露呈する」ということなのです。もうすこし易しく言えば、「これって絵画?」と問いただしつつも、結局のところ「やはり、これは絵画だ」と思ったり、「絵画っぽい何かがあるな」と感じたりするような要素が彼らの作品にはあるのです。その事実と向き合うことが、まずは重要なことです。作品の背後に隠された意味があったり、作者の経歴や経験がその後ろ盾としてあったり、という複雑な作品の読み取りや解釈が、目の前の絵画をどうでもいいものにしてしまう・・・、そんな危機感が彼らの作品には感じられます。
この当時、芸術や絵画に関する問題提起は、彼らの活動に限らず、世界的に存在しました。日本の美術界では、アメリカのミニマル・アートの絵画がとても大きく影響していました。今となっては、その是非について検討することが可能でしょうし、また必要なことだと思います。しかしそのころの私はミニマル・アートのような表現の極小化が必然的な絵画の方向性だと思っていましたし、そこから表現活動を始めるしかないと考えていました。それに対し、ヴィアラの作品はもっと自由に表現しているように見えました。フランスの現代美術は、自分たちとはまったく違う地平に立っている、と感じたのです。それは絵画を描くことの「困難」に対し、まったく異なる解を持った運動があるのだ、という希望のようなものでもありました。

さて、時代の流れということでいうと、その後、ポスト・モダニズムとか、ニュー・ペインティングとか新表現主義とか、とにかく商業主義的な喧噪も相まって、わけのわからない濁流に美術の世界全体がのみ込まれていったように思います。そもそも「ポスト・モダニズム」という概念は「モダニズムのその後」ということですから、モダニズムまでの絵画の概念に対し「問題を提起」したヴィアラらの「シュポール/シュルファス」の活動などは、ポスト・モダニズムの話題の中でもっと語られてもよかったのではないか、と思うのですが、そんな感じはほとんどありませんでした。私のような無学な人間には、現代思想とか哲学とか言われるものと、現実の美術の動向との関連性がよくわかりませんでしたが、美術の世界におけるポスト・モダニズムの影響がとても空疎に感じられたのは確かです。絵を描くことが「困難」であったひとつの要素として、こんな状況の混乱があったのかもしれません。そのあたりのことについて、自分なりの整理ができるとよいな、と思っています。

ところで、絵を描くことの「困難」に対し着実に、あるいはさりげなく対峙する表現活動が、私たちの身近にもあります。遠く世界に目を向けることも大事だし、大きな美術館に行って評価の高い作品を見ることも重要ですが、たとえジャーナリズムに広く取り上げられていなくても、興味深い作品は確かに存在するのです。

例えば「シュポール/シュルファス」の問題提起と共通するような、そんな活動を根気よく続けている作家がいます。「ギャラリー現」で6月末から7月初めにかけて個展を開催していた高島芳幸です。高島はさまざまな表現方法を持っている作家ですが、ベーシックな方法として木枠に大きめの布を張った作品を継続して発表しています。布は下地処理をしていない生のままのもので、それがヘリを見せるように外側へと広げられて木枠に止められています。不思議なことですが、布のヘリのその処理が通常のタブロー作品とはまったく異なった感触を見る者にあたえます。高島はそのキャンバスに最小限のドローイングを施すのが通例ですが、今回は木炭で木枠に沿うように線を引いています。その線は機械で測ったような無機的な感じではなく、かといって感情的な抑揚も見られません。まるで作者が作品との「間合い」を測るような、そんな禁欲的な身振りで引かれています。「間合い」と私は仮に言ってみたのですが、そこには作者と作品との物理的な距離も含まれるでしょうし、あるいは生な布にどれほど絵画的な要素を施すのか、といった描画の度合いも含まれるでしょう。その線は何かの形象に見えてはいけないし、互いに対比して見えたり、構成物に見えたりしてもいけないのです。冒頭の引用文の中に「作品は中立的で、抒情性や表現的な深さに欠けている」という一節がありましたが、その点でも高島の作品と「シュポール/シュルファス」の運動とは共通しています。絵画を描く人ならば、自分の描いている絵がどのような土台の上に成り立っているのか、それを実感する意味でも、高島の作品を見ておくべきではないかと思います。

また、「シュポール/シュルファス」とは異なりますが、絵画の制作過程についてとても興味深い作品を制作している作家もいます。「ギャラリー檜」で7月初めに「distance」という展覧会に参加していた高橋圀夫です。高橋はジャクソン・ポロック(1912-1956)が問題提起した制作行為と表現との関係について、独特のアプローチをしています。ポロックは蜘蛛の巣のように絵具を重ねていって、その行為の集積を作品として提示する方法、いわゆるドリッピングを創始しました。ポロックが純粋にドリッピングで制作したのはほんの数年ですが、もしも彼がこの方法で何十年も続けて制作していたら、どうなっていたでしょうか。根拠のない仮の話でしかありませんが、ドリッピング技法に習熟すればするほど、その制作過程は計算され、ひとつの意図によってコントロールされたものになっていったことでしょう。そうすると、ポロックがドリッピングを創始した時の新鮮さは、やがて失われていたのかもしれません。そんな事態を避けるため、高橋は絵の描き始めの時の意図とはまた別の意図で、画面の上から重ね描きをする、という冒険的な方法で制作しています。私が昨年、高橋の個展について書いたとき、高橋自身の次のような言葉を引用しましたが、ここでも再度引用しておきます。

ひとつの作品というのは必ず何かそういう自立性といいますかね、その作品自体が自立している何か芯になるものといいますかね。そういうものを何故出来て、何故そういうものを作っているのかというと、やっぱり最初に意図ありきなんです。それをひとつ何とか、さっきの言葉で解体していく方法として上に重ねていってしまう、そうすると前のものを否定するという事ね、そういう事によって何か物事が出来ていく過程みたいなものを、今までの方法ですね、それを何か別なものに出来ないかな、そういう意図でやったんです。
(「dialogue-vol.1」展のカタログより)

高橋は、この「重ね描き」の方法論で興味深い作品を制作しています。今回の展覧会でも、その充実ぶりは素晴らしいものでした。異なる意図によって描かれた絵の層が、互いに緊張感を保ちながらみごとに融合しているのです。ポロックが切り開いた絵画の発展形が、ここにあるのだと思います。

最後に、「湘南台画廊」で7月中~下旬に個展を開催した、さとう陽子をあげておきます。さとう陽子については、何回かこのブログでも取り上げています。今回の展覧会には「光景身体」というタイトルが付されていました。これは作家の造語ですが、さとうの作品を知っている人には、何となく意味が分かると思います。さとうの作品が発する不思議な色彩の輝き(光景)、それは外部の風景の描写でないことは言うまでもありませんが、それはまた、単なるイマジネーションの産物でもありません。それは作家の観念がその体(身体)を通して放っているような、不作為の自然物のようにも見えます。この「光景身体」というタイトルを見て、私はおぼろげに昔読んだある文章を思い出しました。

画家の視覚は、もはや〈外なるもの〉へ向けられた眼差し、つまり世界との単なる「物理的・光学的」関係ではない。世界は、もはや画家の前に表象されてあるのではない。いわば〈見えるもの〉が焦点を得、自己に到来することによって、むしろ画家の力が物のあいだから生まれてくるのだ。そして最後に、画像が経験的事物のなかの何ものかにかかわるとすれば、それは画像そのものがまず「自己形象化的」だからにほかならない。画像は「何ものの光景でもない」ことによってのみ、つまり、いかにして物が物となり、世界が世界となるかを示すため〈「物の皮」を引き裂く〉ことによってのみ、或る物の光景なのである。アポリネール(1880-1918)が、詩のうちにはとても〈作り出された〉とは思われず、まるで〈みずから形となった〉としか思われない章句がある、と言った。そしてアンリ・ミショー(1899-1984)が、時としてクレー(1879-1840)の色彩は画布の上にゆっくりと生まれ、原初の根底から発出し、錆や黴のように「適地を選んで生えてきた」のではないかと思われることがある、と言っている。芸術は構成や技巧、つまり空間や外界への巧妙なかかわり方ではない。それはまことにヘルメス・トリスメギストスの言う「光の声とも思われた言葉なき叫び」なのである。そしてこの叫びは、それが一度聞かれるや、通常の視覚のうちに、眠れる力、生誕以前の秘密を呼び醒ますのだ。
(「眼と精神」M.メルロ=ポンティ/滝浦静雄・木田元訳)

なぜ、このような難しい文章をおぼろげにしろ、おぼえていたのか、と言いますと、この『眼と精神』の中で、クレーにからんだこの一節は少し違うのではないか、と読んだ当時、違和感を持ったからです。確かに、詩人が「詩のうちにはとても〈作り出された〉とは思われず、まるで〈みずから形となった〉としか思われない章句がある」ということはあるのだろうと思います。しかし、クレーの絵画に関して言えば、それはかなり構成的であり、また技巧的でもありますから、この文章で書かれているような「適地を選んで生えてきた」という感じではないのではないか、と思ったのです。ましてや、自分の経験と照らし合わせるならば、このようなことはありえない、と勝手に決めつけていたのです。しかし、さとう陽子という作家の場合には、メルロ=ポンティ(1908-1961)が想像したような芸術生成の形があるのかもしれません。「光景身体」とは、まさにそのような概念を言語化したものではないか、と思い至ったのです。

絵を描くことの「困難」は、現代という時代に敏感に呼応している作家ならば、おそらく誰もが感じているのだろう、と思います。しかしここで取り上げた三人の作家のように、その「困難」が逆に制作の源泉であったり、作品発展の要因であったりすることもあるのです。街の画廊で出会う作家のなかに、そのような事例を見ることが出来るのは、何とも幸福なことではないでしょうか。そんな作家たちに励まされつつ、これからも文書を綴っていければいいな、と思いっています。

ギャラリー現・高島芳幸(http://g-gen.main.jp/exhibition_top.html
ギャラリー檜・高橋圀夫(http://hinoki.main.jp/img2016-7/exhibition.html
湘南台画廊・さとう陽子(http://www.shonandai-g.com/art/past.html

 



コメント一覧

波多野慎二
コメントよろしいでしょうか。シュメ[ルシュルファスS/Sの文字に反応して書いています。私たちは長崎でリングアートという現代美術団体を組んで発表をしています。ネットでご確認ができると思います。その中心となっているボスが井川惺亮という私たちの恩師です。その方の教育が独特で日本のもの派とか無視して件p活動をたたき込まれました。これが今になって良かったと思ってます。どうも精神的にシュメ[ルシュルファスS/Sの次の解釈のようです。日本の隅でその動きを感じているもの不思議なモノです。文章で書かれたシュメ[ルシュルファスS/Sについてあまりしれていない解釈の難しいところを実際フランスで体験し、書くときしてきた井川先生より優しく、詳しく教わった強みがあるメンバーです。注目していただけば幸いです。
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