前回の「絵について語ること①」では、美術家の稲さんとの対話について書きました。そこで「話が進むにつれて、私たちがともに経験した、絵を描くことが『困難』であった状況について話さないわけにはいかなくなりました」と書きましたが、前回はそのことに直接、言及しませんでした。
今回は、この対話で私が語ったことの抜粋からはじめてみたいと思います。
・・・普通に絵を描いていたのでは、近代以前の旧套的な表現に取り込まれてしまい、いま絵を描いている意味がなくなってしまう、という考えがあったと思います。そこには私なりに美術を学んできた中での、思いこみのようなものがありました。学生の頃にはミニマル・アート のような単色の平面的な絵画も試みていましたし、何か禁欲的な時代の気分をその後も引きずっていた、ということもあります。そんな時代の気分は、商業的な美術の波をかぶることで一気に消えてしまいましたが、自分自身はそんな状況とは距離をとりながら、モダニズム絵画が投げかけた課題を自分なりに受け止めなくてはいけない、という強い思いがありました。
しかしそんな思いだけでは、表現を狭い範囲の中に押し込んでいくだけで、何処にも行けなくなってしまうのです。そのことに気づいて、自分が受け止めるべき絵画の課題を再構築していくことが、現在の自分に最も必要なことで、いまそれをやらなければ取り返しがつかなくなる、という気がしました。
・・・とにかくすべてをチャラにしてやり直さなくてはならない、それくらい自分はダメなところにいる、という気がしていました。その気分は今も変わりませんが・・・。
(「dialogue-Vol.Ⅳ」 パンフレットより)
このように、私は絵を描くことに対しても、自分自身に対しても否定的な気持ちから表現を始めなくてはならなかったのですが、自分自身のダメさ加減はともかくとして、「普通に絵を描いていたのでは、近代以前の旧套的な表現に取り込まれてしまい、いま絵を描いている意味がなくなってしまう」という部分については、もう少し客観的に振り返ってみる必要があると思います。私が絵を描くことに「困難」を感じた1980年代には、「芸術の終焉」という言葉を声高に訴える本やエッセイがそこここに見られました。しかしここでは、そういう喧騒から一歩引いた位置から冷静に近代芸術を研究していたと思われる阿部良雄(1932-2007)のエッセイから、関連する文章を引用してみましょう。
60年代には芸術の自律性、構造性を徹底的に追求するミニマル・アートや、物質性(形態性)すらも排除して純粋性の極を究めるコンセプチュアル・アートが出現するが、他方ではポップ・アートやハイパー・リアリズム、あるいはフランスの新具象のように、現代社会に氾濫する具象的画像群を積極的に芸術表現の中に取りこんで、環境としての現実との間に共鳴的ないし批判的な関係を実現しようとする傾向も顕著に現れて、純粋性、自律性を目的とする予定調和的な進化の図式を信ずることはいよいよでき難くなった。
80年代に至って表現主義の復活とも目されるニュー・ペインティングの出現したことをもって、60-70年代の禁欲的傾向への反措定と見なすならば、否定の弁証法によって規定される流派の交代として叙述される美術史の枠組みだけは維持されるわけだが、時を同じくして、芸術における前衛(avant-garde)はもはや成立しないという言説(デイスクール)がかなりの信憑性をもって流布するに及び、この枠組すらも頼りないものと見えざるを得なくなってくる。芸術上の新たな試みとしての主義(イスム)なり流派(エコール)なり傾向なりが、既存の主義なり何なりに対する反措定として自らを規定することにより進化の最先端に位置し、まず「前衛的」な批評家・画商・愛好家から成る「幸福ナル少数者」に支持されたのが、しばらく後には広い範囲の公衆の受け容れるところとなって前衛性を喪失し、その頃には次の前衛が萌芽を現している、といった事態が繰り返されて、流派の交代としての美術史が展開されて行く、そういう認識=行動モデルはついに無効になったのではないかと実感されるのである。
(『モデルニテの軌跡』「歴史主義からモデルニテへ」阿部良雄)
阿部良雄が書いているように、一部の「批評家・画商・愛好家」が「芸術上の新たな試みとしての主義なり流派なり傾向なり」を支持し、それが一般化されるという近代的な構図が「無効」になったのが80年代でした。ところが「芸術における前衛はもはや成立しない」ということが実感された状況にも関わらず、資本主義社会の商品としての芸術作品は、たえず新しいものを求められます。そのとき、一般に広く流布された芸術作品は、もはや「主義」や「流派」とは無縁のもの、仮に新しい芸術として宣伝されたとしても、それは「流行(モード)」と呼ぶべきものであったように思います。
どうしてそのようになってしまったのでしょうか?阿部良雄は19世紀以降の芸術に対する認識の変化について、次のように整理しています。
19世紀芸術に対する認識の変化はまさしくこの位相に呼応するものであるが、この変化が、いわゆるポストモダン状況の政治的な性格とも無縁なものではない事情を、概観しておくとしよう。一元論的な進歩史観―いわゆる封建社会から資本主義社会への進歩の過程で「近代化」が行われると考え、その次の段階に必然ないし理想として社会主義の段階を設定する史観―が、自ら依然として左翼的=進歩的であると考える知識人たちの間ですら疑問の対象となってきた状況、すなわち普遍的な物語の信憑性喪失という現象は、<1968年>前後に西欧諸国で起こった左翼の理論的・組織的な多元化という現象に端を発し、西欧における革命の不可能性の最終的な確認を経て、社会主義体制のさまざまな欠陥と見なされるものが明らかにされてきたことを踏まえて成立したのであり、現実追随的な傾向を見せながらも、正確な認識への欲求、そしてやはり理想主義的な批判の契機をはらむものであった。美術史における、あるいは現代美術に関する認識論ないし価値観がポストモダンの歴史観=政治観と類縁関係(アナロジー)をもつのは、言うまでもなく、一元論的進化説の再検討という相の下においてである。
(『モデルニテの軌跡』「歴史主義からモデルニテへ」阿部良雄)
阿部が書いているように、封建社会から資本主義社会へ、そして次には社会主義へと進んでいく、という単線的な進歩の夢を、私たちはもう見ることが出来ません。「社会主義体制のさまざまな欠陥と見なされるものが明らかにされてきた」という現実は、否定しがたいものです。しかし、かといって現在の資本主義社会が理想的かと言えば、もちろんそんなことはありません。このような困難な状況が、私たちに「現実追随的な態度」をうながし、「一元論的進化説の再検討」という状況を作り出すのです。このことが芸術に関する認識に、つぎのような影響を与えていきます。
80年代は「歴史の終焉」がうんぬんされ始めた時期であって、異論を唱えることは容易ながら、実際― 一種の安堵感ないし脱力感―を伴う所説として暗々裡に受け入れられたのではあるまいか。こと美術史に関しては、芸術がその時代の人間精神の至高の表現であることを止める時代にさしかかっているという、ヘーゲルの予言に遡るまでもなく、1970-80年代「ポストモダン」の位相において、様式あるいは流派の交代としての歴史記述が困難ないし無意味なものと化しつつあるのが意識された時点で、一歩先に「歴史の終焉」が到来していたと言い立てることもできるであろう。
「大きな物語」の実効性減退に伴って、美術を論ずる言説(デイスクール)は、二重の危機を体験することになった。一つは、美術史的言説において、過去を一元論的時間構造の相の下に把握・記述することの困難である。もう一つは、美術批評の言説において、時間的に先立って在るものに比べて何か新しい発見や工夫があると指摘することで賞讃の根拠とするパターンが、機能し難くなってきたことだ。
(『モデルニテの軌跡』「あとがき」阿部良雄)
大きな物語が終わり、新しい発見があてにできない時代、それはまさしく「歴史の終焉」であり、「芸術の終焉」であり、既存の「絵画の終焉」の時代である、というわけです。19世紀から20世紀初頭までの、百花繚乱のような芸術の発展を考えるなら、もはや大きな歴史的なうねりもなく、新しい発見もないようなその後の状況は、芸術にとって絶望的なものでした。そして世界が発展することを前提とした資本主義社会から見れば、それは袋小路のような価値のない世界です。もはや新しい発見は自動車のモデルチェンジのように、商品の停滞を打開するために無理やりにでも作り出されなくてはなりません。実際に1980年代以降に表現活動を始めた私は、そのような状況を少しずつ理解し、打開策のない、可能性の閉じられた世界を生きているような気分になっていました。
さて、ここまで書いてきて、この絶望的な状況から脱する道はないような気がしますが、ちょっと冷静に考えてみましょう。例えば阿部良雄は、さきに引用した認識論的分析の中で、こんなふうに書いていました。
「・・・現実追随的な傾向を見せながらも、正確な認識への欲求、そしてやはり理想主義的な批判の契機をはらむものであった。」
なぜ、「正確な認識への欲求」という言葉が、ここで書かれているのでしょうか?私の拙い理解では、ポスト・モダニズムと言われる思想の中には、モダニズムの熱気の中で育った大きな物語を冷徹に分析し、その構造を明らかにする、そんな視線をはらんでいるような気がするのです。大きな物語をさらに過剰に巨大化することよりも、それを地に足をついたものにしていく・・・、そのことの方が正しい認識だとしたら、大きな物語の終わりは必ずしも否定的に考えるべきことではありません。
ここで、最近見た東京都美術館の「ポンピドゥー・センター傑作展」について、少しだけふれておきます。日本では画集の中でしかお目にかかれないような作品に出会える、そんな期待で見に行かれた方も多いのではないでしょうか。確かにその期待に応える展覧会だったと思います。内容的に不満はありませんし、いくつかの作品については興味深く見ることが出来ました。ボナールの作品は素晴らしかったし、ド・スタール、ポリアコフといった私の好きな画家たちの作品も、彼らの制作の実感が伝わってくるような作品でした。フランス中心の美術作品なので、アメリカの現代絵画がなかったのは当然ですが、一つの美術館のコレクションとしては、まさに20世紀美術の百花繚乱の状況を反映した展覧会だったと言っていいでしょう。「芸術上の新たな試みとしての主義(イスム)なり流派(エコール)なり傾向なりが、既存の主義なり何なりに対する反措定として自らを規定することにより進化の最先端に位置し・・・」という阿部良雄が書いた状況を示すような展覧会だったのです。しかし、一つ一つの作品を見ていくと、すべての作品がどれも豊饒な作品というわけではなかったように思います。既成概念が次々と改められ、その時点で発見されたプリミティブな表現や、非西欧的な様式がどんどん取り込まれていきます。その刹那に偶然に、あるいは巧妙に立ち回った人たちもいたことでしょう。面白い時代だったと思いますが、一般にイメージされているほど特別に豊かな時代ではなかったのではないか、というのが正直な印象です。
とんでもなく、生意気なことを言っている、と感じられる方もいるかもしれません。しかし、20世紀半ばまでが芸術的に素晴らしい時代で、現在はすべてが終わってしまった時代である、という認識は突き崩されるべきだと私は思います。だからこんな文章を綴っているわけですから、結論を急ぎ過ぎてはいけませんが、今回の展覧会は現代美術の大きな物語を等身大のものとして見つめなおすのには、とてもよい機会だったと思います。さまざまな言説に惑わされず、まずは自分の眼で見て感じるところから始めましょう。一人一人の作家の息遣いを感じてみると、モダニズム美術の大きな潮流、大きな物語とは別な何かが見えてくるのかもしれません。9月まで開催されていますから、まだご覧になっていない方はぜひ「ポンピドゥー・センター傑作展」を見てみてください。
それではまた次回、できれば阿部良雄の文章から始めてみたいと思います。
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北川佳宏
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