平らな深み、緩やかな時間

403.佐々木 惠理、ローティ、大江健三郎について

今回は、はじめに東京・神宮前の「トキ・アートスペース」で2024年9月17日から22日まで開催された、佐々木 惠理さんの個展について、感想を書いてみたいと思います。

展覧会が終了してしまった後での紹介で申し訳ないのですが、まず佐々木さんの作品写真を次のリンクからご覧ください。

 

http://tokiart.life.coocan.jp/2024/240917.html

 

このリンクを見ていただけるとわかるのですが、佐々木さんの展覧会には、サブタイトルがついています。

 

「光・マテリアル・言葉 + soundscapes」

 

ほぼこのタイトルのとおりに、佐々木さんが制作した絵画とガラス細工が会場に飾られていて、作品のはざまには佐々木さんの言葉が添えられていました。さらには、ちょっと控えめに、会場の片隅から音が流れていたのです。

「光」と「マテリアル(素材)」は、佐々木さんが絵画やガラスを扱うときに、とくに意識していることなのでしょう。ガラスの作品で光を意識するのは当たり前ですが、絵画の作品においても、佐々木さんは光を大切にしていると私は思います。このことについては、後で触れます。

それから、上のリンクから見ることのできる佐々木さんの言葉も見ておきましょう。

 

おととし私の心臓の冠動脈が詰まりかけた。

死のすぐ隣にいたらしい。

明日の自分を知らないのが人間だと思い知る。

休んでいたアートを再開した。

大きな柱はガラスによる立体作品と和紙を主体とした平面。

様々な素材を通してその向こう側につながる道を探した。

今回は生きている間に語っておきたい言葉も作品とした。

アートを休んでいた間はジャズを歌っていた。

音楽に関わった8年の痕跡として身近な物で創ったサウンドも添える。

 

大病を乗り越え、結果的に死を身近に感じた人として、作品を見る人に伝えたいことが佐々木さんの作品や言葉の大きなテーマになっているようです。

ギャラリーに掲示してあったプリントには、その経験を経た佐々木さんが考えたり、感じたりしたことが、率直な言葉で書かれていました。

いま何をすべきか、どこから手をつけていけばよいのか、私もこの年齢になって、ずいぶんと考えるようになりました。それに、自分の中にわずかでも蓄えていることがあれば、それを次の世代の人たちに提供したいという、そういう気持ちもあります。

大病をされた佐々木さんの言葉は、私の言葉よりも、もっと研ぎ澄まされていて、そしてもっと切実だと感じました。

 

このように多方面にわたって高い水準で作品を制作している佐々木さんですが、私は私の興味の向くままに、ここからは佐々木さんの絵画作品を中心に考察していきます。

佐々木さんの絵画は、写真で見てもわかりにくいのですが、薄い和紙の裏側から厚い水彩紙を貼り合わせた素地で出来ています。それも、ただ紙を貼り合わせたのではなく、意図的に隙間を空けて、和紙の裏に太い帯状の水彩紙を貼りつけているのです。その結果、透明感のあるところと、そうでないところの微妙な差が生まれます。「透明感」というのは、光の通り具合のことですから、佐々木さんの作品は、その支持体を作る段階から「光」を意識したものとなるのです。

さらにその上に、透明度の高い水彩絵具、あるいは光を遮断する墨などの素材で着彩され、そこに鉛筆やコンテ?などの硬めの描画材が併せて使われています。この佐々木さんの着彩や描画の特徴を挙げるなら、それは光の通り具合をつねに意識して描いているところにあると思います。どれくらいの密度で絵の具を重ねるのか、佐々木さんはあらかじめ決めていないそうです。描きながら自然と決まってくる、ということですが、その判断の中には、支持体から描画材までを貫く素材の透明感が意識されていることでしょう。だから、図として何を描くのか、とか、どんなふうに描くのか、ということには佐々木さんは無頓着です。光と色、素材の厚みや描画材の質感など、視覚と触覚で感受したものに従って、佐々木さんは手を動かしているのだと私は思います。

そして最後に、佐々木さんは画面の表面に金箔や銀箔を貼り付けます。この箔の効果は二つあって、一つは支持体から透けて見える光に対して、画面の表面で反射する異質な光を作り出すことです。そのことによって、目の中で乱反射するような複雑な光の効果が生まれるのです。もう一つの効果は、絵画全体に厚みをもたらすことです。箔が貼られた部分は画面上で言えばほんのわずかですが、そのわずかな厚みが、透明度の高い薄い部分との対比を作り出すのです。画面の厚みの差異をダイナミックに見せる効果、と言っても良いのかもしれません。

佐々木さんの絵画は、そういう仕掛けに満ちた作品なのですが、そのことがごく自然に、ごく無造作に表現されています。考えてみると、素材として和紙と箔という高級なものを使っているのですから、小綺麗に和風の工芸品のように見せることだってできるはずです。しかし、そうなってしまうと、佐々木さんの作品の乱反射するような光の効果が失われてしまいます。それでは佐々木さんの創作の意味がなくなってしまうのだと、私は思います。

 

このことは、佐々木さんのガラスの作品にも共通することです。

私は、ガラス細工のことをよく知らないのですが、佐々木さんは美しい模様のガラスができると、それをひとまず置いておくのだそうです。そしてそれらを見ているうちに、自由なイメージが湧いてきて、そのイメージに従って繋ぎ合わせるのだそうです。そうすると、不思議な形態の作品ができあがるのです。

これを「オブジェ」と言ってしまうと、いかにも現代美術的なものになってしまいますし、「ガラス工芸」と言ってしまうと、何か旧套的な型にハマったものになってしまいます。だから何とも言いようのないもの、不思議で名付けようのないもの、のままで良いような気がします。

実際に佐々木さんは、捻じ曲がった金属の棒にガラスをぶら下げてみたり、砂の上にのせてみたり、気の向くままに展示しています。それをどのようなものとして見るのか、は鑑賞者に任されているのです。

 

さて、このように多方面にわたって活躍する佐々木さんですが、その制作と展示の在り方は、美術の常識から少し外れているように思います。

もしも佐々木さんが常識にとらわれた作家であるならば、絵画とガラスと言葉と音楽と、それらのさまざまな要素を一つの展覧会場で分け隔てなく展示するという方法を取らないでしょう。用心深い作家ならば、それらを別の機会に分けて発表するのかもしれません。あるいは、同時に展示するとしても、スペースを分けて秩序のある展示をすることでしょう。

また、作品の一つ一つをとっても、佐々木さんは自分の制作の動機や衝動を生々しく表現していますが、作品の仕上がりや体裁を気にする作家ならば、もっと表面的な完成度を求めることでしょう。

一般的に、作家は作品を完成させることを目指します。そのために、自分の技術や制作方法を絞り込み、作品が完結するように制作をするのです。ところが佐々木さんの作品は、どれも制作行為の痕跡が生々しく、まるで作家が素材と延々と対話しているように見えるのです。佐々木さんは、素材との対話を楽しみ、それを終わらせたくない、つまり完結させたくない、と思っているようにも見えます。

この佐々木さんの制作態度を見た時に、私は前回のblogで 取り上げた、ローティ(Richard McKay Rorty、1931 - 2007)さんのことを思い出しました。前回も紹介した、次のリンクから、朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)さんの「100分de名著 リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』」のテキストの一部を読むことができます。

そこから、興味深い部分を引用してみましょう。

https://mag.nhk-book.co.jp/article/44250

 

ローティの思想を一言で言うなら、「哲学とは『人類の会話』が途絶えることのないよう守るための学問である」というものになります。これは、ローティが自身初の単著『哲学と自然の鏡』(一九七九年)で述べていることをテーゼ化したものですが、これがローティの哲学全体を貫くテーゼにもなっています。

「哲学が人類の会話を守る」とは、いったいどういうことなのでしょうか。

 ごく簡単に言うと、伝統的な哲学とは「真理を探究するもの」とされています。古代ギリシャのプラトン以来、哲学者たちは真理を追い求め、真理に到達することを目指してきました。到達を目指すということは、言い換えれば、いつかは探究を終わらせることを目指すのが哲学の営みだということになります。探求が終われば、それ以上の議論や会話は不要になります。しかし、それでいいのかと問うたのがローティです。哲学の使命はむしろ、そうした議論や会話を終わらせようとする勢力に抵抗し、それらを批判的に吟味することで、会話が絶滅しないようにすることなのではないか。そうローティは考えました。つまり、ある意味で「アンチ哲学」を唱えたのがローティなのです。

 

「哲学」とは唯一の「真理」を求めて、探究を終わらせることを目指すものです。しかしローティさんの「アンチ哲学」は、会話を終わらせないこと、つまり哲学的な探究を終わらせないことを目指すのです。そのためにローティさんは、「偶然性」、「アイロニー」、「連帯」というキーワードを主著のタイトルとしました。

この中で、佐々木さんの作品に当てはまる言葉を探すと、「偶然性」と「アイロニー」という二つの概念が、それに当たるような気がします。

「偶然性」とは、自分という存在を限定せずに、自分の中にある「偶然性」を認めることです。

そして「アイロニー」とは、現在の自分に対して、つねに懐疑的であり、新たな自分を創造するということです。

詳しくは、私の前回のblogをお読みください。というよりも、朱さんの「100分de名著 リチャード・ローティ『偶然性・アイロニー・連帯』」を読みましょう。

佐々木さんは、自分の中にある多様な表現と向き合い、その流れの中で表現しています。それはもちろん、佐々木さんの意志によるものですが、そのすべてを意識的に制御できるものではないでしょう。おそらく、佐々木さんは自分の中に秘められた偶然性に対して、率直にその声に耳を傾けてきた人なのです。

さらに佐々木さんは、その高度な表現の高みにあっても、自分の表現に対して懐疑的であり、そこに創造の余地を見出そうとしている人です。

画廊でお会いした佐々木さんは、「もう少し自分の表現を絞ってもいいのかな」と語っていました。現在の自分から、さらに歩みを進めるためには、それも良いのかもしれません。大切なことは、今の自分に充足しないことだと、私も思います。今の自分がどんなに素晴らしいと思えても、そこで完結してしまえば、その人の表現活動は終わってしまいます。何かを完結させるために表現するのではなく、表現することによってさらにその領域が広がっていくことの方が望ましいと私は考えます。佐々木さんも、おそらくそうではないかと思うのです。

そして私は、佐々木さんの表現活動の中でも、絵画表現にとくに興味を持つ者です。ですから、もしも佐々木さんが多様な表現活動の中で、何かに表現を絞り込むのであれば、それが絵画であって欲しいと願うものです。しかし、これはまったく個人的な願いです。

いずれにしても、佐々木さんの次の発表の機会が楽しみです。

この作家は、これからどのように変わっていくのでしょうか?



さて、前回までのローティさんの「アンチ哲学」を勉強していると、このように、ふと出会った作品に、何か新たな発見があるような気がします。

今回はもう一つ、いつも見ているテレビ番組で紹介していた本が気になりました。

https://www.nhk.or.jp/program/bookguide/benkyo.pdf

 

それはノーベル賞作家の大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935 - 2023)さんが書いた『「自分の木」の下で』という本です。

この本は若い人たち、おそらくは少女や少年に向けて書かれたエッセイ集のようで、大江さんの配偶者の大江ゆかりさんの美しい挿絵がはさまれています。内容は、けっしてわかりやすく、優しいものではありません。しかし大江さんの文体は、心なしか、いつもよりも読みやすいような気がします。

今回は、その中の「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」という、一番はじめの章を取り上げます。

その内容を見ていきましょう。

「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」は二つの話から成り立っています。一つは大江さん自身の子供のころの話、もうひとつは大江さんの長男の光さんの話です。ここでは大江さんの子供のころの話に絞ってご紹介しましょう。

大江さんが愛媛県の小さな村の出身であることは、よく知られた話です。その話は大江さんが10歳のときの、四国の村の中での話になります。終戦の年でもあったその年は、大きな変化があった時で、子供時代の大江さんは、その変化を次のように感じていました。

 

戦争に負けたことで、日本人の生活には大きい変化がありました。それまで、私たち子供らは、そして大人たちも、国でもっとも強い力を持っている天皇が「神」だと信じるように教えられていました。ところが、戦後、天皇は人間だということがあきらかにされました。

戦っていた相手の国のなかでも、アメリカは、私たちがもっとも恐れ、もっとも憎んでいた敵でした。その国がいまでは、私たちが戦争の被害からたちなおってゆくために、いちばん頼りになる国なのです。

私は、このような変化は正しいものだ、と思いました。「神」が実際の社会を支配しているより、人間がみな同じ権利をもっていっしょにやってゆく民主主義がいい、と私にもよくわかりました。敵だからといって、ほかの国の人間を殺しにゆくー殺されてしまうこともあるー兵隊にならなくてよくなったのが、すばらしい変化だということも、しみじみと感じました。

(『「自分の木」の下で』「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」大江健三郎)

 

当時、子供であった大江さんは、この変化を「すばらしい変化だ」と感じていました。しかし、それにもかかわらず、大江さんは戦争が終わってひと月ぐらいたつと、学校に行かなくなってしまいました。

不思議ですね、それはなぜでしょうか?

それは学校の先生たちの態度の変化によるものでした。その態度の変化に大江さんは不信感を持ち、学校に行けなくなってしまったのです。かいつまんで書くと、次のようなことになります。

戦争が終わった夏のなかばまで、つまり戦争が終わる直前までは、天皇を「神」だと言い、アメリカ人を「鬼か、獣だ」と言っていた先生たちが、終戦後の夏の後半になると、まったく反対のことを平気で言い始めました。それで学校不信になった大江さんは、朝、家を出て学校に行くと、すぐに裏門から出て森へ入り、木に囲まれて夕方まで過ごすようになりました。植物図鑑を携えた大江さんは、一人で勉強して大人になるつもりだったのです。

こうして、一日を森の中で過ごすようになった大江さんですが、そこに大きな事件が起こります。

秋になって強い雨が降った日に大江さんは森の中にいたのですが、道路が土砂崩れで遮断され、身動きできなくなってしまったのです。発熱したまま大きなトチの木の洞のなかで倒れているところを、村の消防団の人に救出されました。家に帰っても発熱が治まらず、隣町の医者が来ましたが手当の方法も薬もない、といって引き上げてしまいました。大江さんの枕元には、幾日も眠っていない母親が座っていました。そこで朦朧としながら、大江さんは母親と次のような会話を交わしました。

 

ーお母さん、僕は死ぬのだろうか?

ー私は、あなたが死なないと思います。死なないようにねがっています。

ーお医者さんが、この子は死ぬだろう、もうどうすることもできない、といわれた。それがきこえていた。僕は死ぬのだろうと思う。

母はしばらく黙っていました。それからこういったのです。

ーもしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。

ー・・・けれども、その子供は、いま死んでゆく僕とは違う子供でしょう?

ーいいえ、同じですよ、と母はいいました。私から生まれて、あなたがいままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、いまのあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。

私はなんだかよくわからないと思ってはいました。それでも本当に静かな心になって眠ることができました。そして翌朝から回復していったのです。とてもゆっくりとでしたが。冬の初めには、自分から進んで学校に行くことにもなりました。

(『「自分の木」の下で』「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」大江健三郎)

 

どうですか?とても素敵な話だと思いませんか?

私は、大江さんの母親が「もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫」といった言葉が素晴らしいと思います。最近では、一人暮らしの方がひっそりと亡くなって後から発見されると、そのことを「孤独死」と言いますが、大江さんの母親の死生観は、それとは真逆のものだと思うのです。

現代社会では、人が死ぬときには、たった一人で死にます。そばで看取ってくれる人がいても、あるいは場合によっては一緒に死ぬ人たちがいたとしても、死ぬ瞬間には独りぼっちです。この死生観の根っこには、私は前回も書いたデカルト(René Descartes、1596 - 1650)さんの「我思う、ゆえに我あり;コギト・エルゴ・スム cogito ergo sum(ラテン語)」という考え方があると思います。「我=自己」は唯一の「私」に収斂しますので、死ぬということは唯一の「私」が消滅することなのです。その唯一の「私」が消滅するときに、さらに看取ってくれる人もいないという状況が「孤独死」なのですが、たとえ看取ってくれる人がいたとしても、人の死が孤独であることに変わりはない、と私は思います。

しかし、もしも私が「いままで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと」を誰かに引き継ぐことが可能なのだとしたら、どうでしょうか?そしてその「引き継ぐ」ことを、「もう一度、産まれる」ことだと認識できるとしたら、その死は孤独なものから救済されるのではないでしょうか。その死は、たとえ看取る人がいなくても、もはや「孤独死」とは言えないのではないでしょうか。

この「孤独死」と近いことを、私は感じたことがあります。

私はモダニズムの美術とかかわりながら創作活動を続けていますが、その作品を突き詰めていけばいくほど、孤独になっていく自分を感じました。それも、ただ単に孤独になっていくのではなくて、身をそぎ落としていくような、やせ細ってしまうような、そんな感覚です。芸術を究めるということは孤独なことなのだ、と当たり前のように思っていましたが、本当にそうなのでしょうか?

そのときの孤独は、究極の結論を得るための孤独なのだと私は思います。それは芸術を究める上で、必要な孤独なのだと私たちは思っています。しかし、先ほども触れたローティさんの考え方は、そうではありません。重要な部分を、もう一度引用してみましょう。

 

ローティの思想を一言で言うなら、「哲学とは『人類の会話』が途絶えることのないよう守るための学問である」というものになります。

 

朱さんは、このように書いていました。

人を黙らせるような結論を追求する哲学よりも、「会話が途絶えることのないように守るための学問」の方が大切なのだ、とローティさんは言っています。そして私も、そういう学問の方が魅力的で、人間を幸福にするのではないか、と考えます。

絵画も文学も、そうあってほしいと思いますし、そうあるべきだと思います。他の人たちを凌駕し、黙らせるために唯一無二の作品を作ること、たぶん多くの作家がそんなことを夢見ているのでしょうが、それは正しいことでしょうか?多くの人が共感し、私の作品をきっかけとして、私よりもはるかに遠い所へ到達する人たちが次々と生まれたら、それこそが作家冥利に尽きるのではないでしょうか。そして、そんな次世代の人たちと尽きることのない話ができたら、それこそが幸福であり、それが芸術作品の存在する意義なのではないでしょうか。

今回取り上げた佐々木さんの絵画も、大江さんの文学も、実は「会話が途絶えることのないように守る」ことの大切さを、私たちに訴えているのではないでしょうか。私には、そう思えてなりません。

 

このように、このところ「世界哲学」や「哲学の否定」という視点で、つまりこれまでの「ものの見方」とは違った見方でものごとを見ていますが、そうすると絵画や文学が違った様相で見えてきます。

そういう新たなものの見方に意識的であった大江さんは、この若者向けの本の中で、多くの示唆を残しています。

次回以降も、できれば、もう少し深読みをしてみたいと思います。

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