平らな深み、緩やかな時間

296.詩人、ボードレールについて

前回のblogで、美術批評家としてのボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821 - 1867)は、近代的な批評の草分けだった、ということを確認しました。それまでの美術批評は、サロンに出品される古典的な作品が重要視されていました。そして静物画や風景画を描く画家よりも、歴史上の事件や宗教的な寓話をモチーフとした歴史画を描く画家が、偉大な画家だとされていました。それに対してボードレールは、ドラクロワ(Ferdinand Victor Eugène Delacroix, 1798 - 1863)の作品を例に取りながら、色や形などの絵画的な要素を純粋に鑑賞することを提唱したのです。その時にボードレールは、音楽に関する用語を比喩として用いたのです。

そんなことは、現在ではあたりまえになってしまっているので、いまさらボードレールがすごい人だった、と言ってもピンとこないかも知れません。それでは、詩人としてのボードレールはどうだったのでしょうか?私は言葉に関する感性が鈍いので、詩を読むのが苦手なのですが、さまざまな人の評価を参考にしながらボードレールの詩に注目してみましょう。

 

はじめにボードレールという人が、どういう人生を送ったのか、簡単に振り返っておきます。

ボードレールは1821年に、パリの裕福な家庭に生まれました。父親は教養人で名士でもあったようですが、ボードレールが生まれた時にはすでに60歳を超えており、母親とは30歳以上の年齢差があったようです。その父親はボードレールが6歳の時に亡くなり、母親はその1年後に軍人と再婚しました。このことが、ボードレールの精神に影を落としたようです。

学業優秀であったボードレールですが、20歳の頃に実父の遺産をもとにパリで放蕩生活を送るようになり、義父らによって強制的に遠洋航海の汽船に乗せられます。しかし航海の途中で引き返し、再びパリで放蕩生活を始め、20代の前半で準禁治産者と認定されてしまいます。

そして20代半ばにして『1845年のサロン』、『1846年のサロン』という絵画批評の小冊子を出版し、美術評論家として世に出ます。この仕事が、のちに美術批評を大きく変えることになるのです。

その後、20代後半には政治活動などにも手を出しますが、詩集『悪の華』はこの頃に書かれたものだそうです。また、アメリカの詩人、小説家のエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809 - 1849)にも興味を持っていて、1856年には短編小説集を翻訳して出版しています。ボードレールは20代ですでに主な詩を創作し、翻訳活動にも精力的に従事していたのです。

1857年に詩集『悪の華』を出版しますが、この詩集は風紀問題に問われて、治安裁判で六篇を削除され、罰金を科されています。

その後も散文詩や文芸批評、ポーの翻訳などの冊子を出版しますが、生活は窮乏していきます。1861年にアカデミー・フランセーズの会員に立候補しますが果たせず、梅毒や神経衰弱などの病苦に見舞われます。そして1867年8月に死去しています。

 

さて、このようにボードレールの長くない人生を振り返ってみると、主要な詩集は『悪の華』だけであることに気が付きます。そのことについて、『悪の華』を翻訳した堀口 大學(ほりぐち だいがく、1892 - 1981)さんは、詩集の「あとがき」で次のように書いています。

 

詩集『悪の華』は、ボードレール一生の詩集だ。この詩人にはこれ以外の詩集はない。

他にも『パリの憂鬱』、『人工楽園』の二集があるが、前者は散文詩の、後者は詩的散文の集、二つながら純粋の意味の詩集とは言えない。

<中略>

この少ない数の詩篇を、ボードレールは一生の間、彫琢しつづけた。ボードレールほど多くのヴァリアント(変文)を残した詩人も少ない。瑣細(ささい)な点まで彼は気にして、瑕疵(かし)なぞ有りそうもない完璧な詩句にまで、彼は「ぎこちなさ、わざとらしさ」を感じ、「繰り返し、巻き返し、僕はあらゆる筆法(やりかた)を尽くして見た」(1860年3月10日付の手簡)と言っている。

(『悪の華』「訳者あとがき」堀口大學)

 

父親の資産を食い尽くす放蕩三昧だったボードレールですが、『悪の華』の出版については再三、手を入れて書き直したので、初版、再版、三版と内容の異なる版があるのです。このように一字一句にこだわったボードレールの詩集ですが、出版当時はほとんど理解されず、風紀上問題だと一部の詩篇が削除されてしまったのです。

堀口大學さんは、その『悪の華』を次のように評価しています。

 

自然を静観し、自然のうちに内在する世界を想見させる相似(アナロジー)を、比較(コンパレーゾン)を、直喩(アレゴリー)を探ねること、然もこれをするには、真実把握の手段として直感を尊び、一歩一歩自然に肉迫し、やがてはこれと合体すること、然も自然が、匂いにより、色彩により、音響によって、同時に自己を表明するに倣い、別種の芸術の結合を計る、例えば詩に音楽をあらしめること、つまりはこの不可知の追求によって、この無窮の探求によって、物象の外観がその観念と一致し、抽象が具象と一致する領域に到達すること、これがボードレールの詩作の理念であり、またこれがサンボリスト(象徴派)と呼ばれる一世代の若き詩人達の野心となった。

(『悪の華』「訳者あとがき」堀口大學)

 

なぜ、これほどボードレールは言葉を彫琢したのでしょうか?

『ボードレールの世界』という著書の中で、小説家でフランス文学者の福永武彦(1918 - 1979)さんは、ロマン派の台頭した時代に詩人としてデビューすることはそれほど難しくなかったであろう、と書いています。その上でいかに独自の世界を構築するのか、がボードレールには問題だったのです。

ボードレールの言葉の探究について、福永さんは次のように書いています。

 

一八五一年に発表された詩篇の一つ、「ラ・ベアトリクス」La Béatrix(一八五五年の「両世界評論」では「憂愁」Spleen、詩集では「深淵ヨリ叫ビヌ」De profundis clamaviと改題)にて、ボードレール自身が次のように歌っている。「私はお前の憐れみを願う、お前、愛するただ一人の者よ、私の心が沈み果てたこの暗い深淵の底から。そこは鉛色の地平線を持つ陰鬱な世界、夜の中をただ恐怖と冒瀆とは泳ぐ……。」この世界こそ、彼が求めて宿とした先天的な住所であり、後に彼の魂がしばしば地獄の中に降り、煉獄の聖なる火に焼かれ、また時たま天国の救いの中に高く飛翔することはあっても、常に疲れ倦んで帰るところだった。そしてこの冥府での精神生活を最も端的にしるしづけるもの、それはボードレールが自ら選択し、これに独創に近い意味を与えた言葉、憂愁Spleenに他ならない。

(『ボードレールの世界』「1 詩集」福永武彦)

 

この福永さんが例として挙げている「深淵ヨリ叫ビヌ」という詩を、フランス文学者でボードレール研究の第一人者である阿部良雄(1932 - 2007)が翻訳したもので読んでみましょう。

 

「30 深キ淵ヨリ我呼ビカケタリ」

 

<汝>、わが愛する唯一の者よ、わが心の落ちこんだ

光なき深淵の底から、私は<汝>の憐憫(あわれみ)を乞う。

これは鉛色の地平に限られた陰鬱の世界、

おぞましき冒瀆は夜の闇の中を漂う。

 

熱のない太陽が六月(むつき)の間その上に懸(かか)り、

残る六月は夜が大地を蔽いつくす。

それは、極地よりもさらに裸の国。

ー獣もいなければ、小川も、草木も、森もない!

 

さて、この氷の太陽のひややかな残酷さ、

古(いにし)えの<混沌(カオス)>にも似た涯しないこの夜、

これを凌ぐおぞましさは、世にあるべくもない。

 

私はうらやむ、昏々(こんこん)たる眠りに沈むことのできる

この上もなく卑しい動物たちの運命を。

さほどに、時間の苧環(おだまき)はのろのろと繰られてゆく!

 

(『ボードレール全詩集 1』「悪の華」ボードレール 阿部良雄訳)

 

ちなみに「苧環(おだまき」」とは「糸によった麻を、中を空虚にし、丸く巻きつけたもの」だそうです。この部分を堀口大學さんの訳詩では、「時の流れはのろくさい!」と訳しています。

しかし、これはどういう世界でしょうか?

北極か、あるいは草木のない砂漠か、そういう大地に宵闇がかかって、時間がゆっくりとしか過ぎない世界・・・、簡単には視覚化されない、イメージするのが容易ではない世界がボードレールの目指したものなのでしょう。ロマンチックなイメージには回収することができない、言葉によってしか表現できない世界なのかもしれません。

 

さらにもう少し、ボードレールの具体的な詩を追いかけてみましょう。

例えば堀口大學さんが言っていた「自然が、匂いにより、色彩により、音響によって、同時に自己を表明するに倣い、別種の芸術の結合を計る、例えば詩に音楽をあらしめること」という批評を考えてみましょう。ここには複数の感覚が働き、それが例えば音楽的にさえ感じられるような表現があるというのです。

この特徴にあてはまるものとして、例えば、次の詩篇はどうでしょうか。

 

「4 照応(コレスポンダンス)」

 

<自然>はひとつの神殿、その生命(いのち)ある柱は、

時おり、曖昧な言葉を洩らす。

その中を歩む人間は、象徴の森を過(よぎ)り、

森は、親しい眼差しで人間を見まもる。

 

夜のように、光のように広々とした、

深く、また、暗黒な、ひとつの統一の中で、

遠くから混り合う長い木霊(こだま)さながら、

もろもろの香り、色、音はたがいに応え合う。

 

ある香りは、子供の肌のようにさわやかで、

オーボエのようにやさしく、牧場のように緑、

ーまたある香りは、腐敗して、豊かにも誇らかに、

 

無限な物とおなじひろがりをもって、

竜涎、麝香、安息香、薫香のように、

精神ともろもろの感覚との熱狂を歌う。

 

(『ボードレール全詩集 1』「悪の華」ボードレール 阿部良雄訳)

 

ちなみに「龍涎香(りゅうぜんこう)は、マッコウクジラの腸内に発生する結石であり、香料の一種である。」(Wikipedia)ということです。

同じく、「麝香(じゃこう)は雄のジャコウジカの腹部にある香嚢(ジャコウ腺)から得られる分泌物を乾燥した香料、生薬の一種である。」(Wikipedia)ということだそうです。

同じく、「安息香(あんそくこう、あんそっこう)はツツジ目エゴノキ科エゴノキ属のアンソクコウノキ (Styrax benzoin)、またはその他同属植物が産出する樹脂のことである。」(Wikipedia)ということだそうです。

最後の薫香(くんこう)は「良い香り」という意味です。

堀口大學さんも、この四つの「香」をおなじ言葉で翻訳しています。

この詩について、阿部良雄さんは次のような解説を付しています。

 

「大宇宙」と「小宇宙」(=人間)の間に、精神界と物質界の間に、神秘的な「対応関係」(コレスポンダンス)が成り立って、世界の統一をかたちづくる、という伝統的な思想がある。「コレスポンダンス理論」に関してボードレールが引き合いに出すのは18世紀スウェーデンの哲学者・神知学者スヴェーデンボリであり、「普遍的類縁関係」analogie universalleの説を唱えた空想社会学主義者フーリエである。

この詩はまず「照応」の理を一般的に述べ、続いて、その理に基づく具体的現象としての共感覚synesthesias(たとえば嗅覚と聴覚のように異なった感覚相互間に対応関係が成り立つ現象)を例示する。

(『ボードレール全詩集 1』「悪の華」ボードレール 阿部良雄訳)

 

ちなみにエマヌエル・スヴェーデンボリ(Emanuel Swedenborg 、1688 - 1772)は、スウェーデン王国出身の科学者・神学者・思想家です。スウェーデンボルグと表記されることが多いと思いますが、生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られている、神秘的な科学者です。また、シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier、1772 - 1837)は、フランスの哲学者、倫理学者、社会思想家で、「空想的社会主義者」を代表する人だそうです。

このような思想家の概念によりながら、詩の中に音楽的な比喩を用いて「聴覚」に訴える言葉を使い、さらには香りの専門用語を用いて「嗅覚」に訴える言葉を使うことによって、ボードレールは感覚器官が相互に影響する「共感覚」を実現しているのです。「照応」というタイトルのバックボーンに当時の神秘的な思想があることは解説を読まなければ分かりませんが、ボードレールが言葉と視覚だけではなく、さまざまな感覚を動員していたことは、彼が彫琢した言葉から読み取ることができます。

 

この鍛えられた言葉で、ボードレールは読者にどんなことを言いたかったのでしょうか?『悪の華』のはじめに「読者へ」という詩篇があります。ちょっと長くなりますが、これを読むとボードレールの目指したものがよくわかるので、書き写してみます。

 

「読者へ」

 

愚かさ、誤り、罪、吝嗇(りんしょく)は、

われらの精神を領し、肉体を苦しめ、

われら、身に巣食う愛(いと)しい悔恨どもを養うさまは、

乞食たちが蚤(のみ)や虱(しらみ)をはぐくむにも似る。

 

われらの罪はしぶとく、悔悟の情はだらしがない。

告白をしただけで、お釣りがくるほどの気持ちになり、

卑しい涙に一切の穢(けが)れを洗い落としたつもりで、

浮き浮きと、泥濘(ぬかるみ)の道に舞もどる。

 

悪の枕の上で、魅入られたわれらの精神を、

ゆっくり揺すって眠らせるのは、魔王(サタン)<三たび偉大なる者>、

われらの意志という貴重な金属も、

この博識の化学者の手でまるまる煙(けむ)にされてしまう。

 

われらをじたばたさせる糸を握る者は<悪魔>!

忌まわしい物には、手もなく惹きよせられるわれら、

毎日、<地獄>の方へと、一歩ずつ降ってゆく、

悪臭放つ暗闇を、眉もしかめず横切りながら。

 

どこやらの年古(ふ)りた娼婦の、殉教の乳房に、

口づけたり噛みついたりする貧しい放蕩者よろしく、

われら、道すがら、人目をしのぶ快楽を偸(ぬす)んでは

古いオレンジのように、力いっぱいしぼりぬく。

 

百万匹の蛆虫(うじむし)をさながら、ひしめき、蟻(あり)めいてうようよと、

われらの脳髄の中では、<魔物>の群が大酒盛り、

われらが息をするたびに、<死>は目に見えぬ大河をなして、

鈍い嘆きの音を立てつつ、肺の中へと流れこむ。

 

ところで、強姦、毒薬、短刀、放火が、

その快い図柄を、われらのみじめな運命の

陳腐な布地(カンヴァス)に、まだ縫い取っていないとすれば、

ああ!それは、われらの魂の大胆さが足りぬゆえだ。

 

だが、金狼(ジャッカル)にもあれ、豹にもあれ、牝狼にもあれ、

猿にも、蠍(さそり)にも、禿鷹にも、蛇にもあれ、

われらの悪徳をとりあつめた穢(けが)らわしい動物園の、

啼(な)き、吼(ほ)え、唸(うな)り、這いまわる怪物どものさなかに、

 

さらに醜く、さらに邪(よこし)ま、さらに不浄な者が一匹いる!

大仰な身ぶりもせず大声も立てないが、

進んで地球を廃墟にしてしまうことも、

ひとあくびにこの世を呑みこむことも、やりかねない。

 

これこそ<倦怠(アンニュイ)>だ!ー目には心ならずも涙、

水煙管(みずきせる)くゆらせながら、断頭台の夢を見る。

きみは知っている、読者よ、この繊細な(デリケート)な怪物を、

ー偽善者の読者よ、ー私の同類、ー私の兄弟よ!

 

(『ボードレール全詩集 1』「悪の華」ボードレール 阿部良雄訳)

 

この最後の「偽善の読者よ」という呼びかけに対して、阿部良雄さんは次のような解説を付しています。

 

この呼びかけは「悪における連帯」を読者に強要する。序詩が一人称複数で書かれていることが重要である。『悪の華』全巻にわたって「私」が顔を出して、自分の悪徳をひけらかし、分析し、糾弾する。「偽善の読者」は、これはすべてわれわれにかかわることではない、詩人の私にのみかかわることだ、と考えるかもしれない。序詩、わけても最終行は、そのような考えの誤りであることを宣告する。詩人は言うならば、自分を培養基として<悪>の病原菌を養い、そこに咲く花々を観察することによって普遍的な人間性を研究したのだが、「偽善的な」同時代人は、そこに、「異常なもの」、「例外的なもの」への「病的な」嗜好をしか認めたがらなかった。『悪の華』を弁護した少数派の一人、カトリック作家のバルベ=ドールヴィイの、「彼の現在の書物は彼がその普遍的な俳優をつとめる作者不明のドラマである」という言は、この「呪われた書物」の本質をよく表す。

(『ボードレール全詩集 1』「悪の華」ボードレール 阿部良雄訳)

 

このように、『悪の華』はタイトルの通り、正義も悪も、美しいものも醜いものも、すべてを白日のもとにさらけ出します。それを他人事のように読んで、それですましてしまおう、と言う読者に対して、「ー偽善者の読者よ、ー私の同類、ー私の兄弟よ!」とボードレールは呼びかけるのです。

それにしても、ボードレールのこのような表現に対する覚悟は、どこから生まれたのでしょうか?そしてボードレールが人間の醜さ、偽善、倦怠について注目したのは、なぜだったのでしょうか?

精神分析によって人間の無意識や、人間の暗部と思われていた非理性的な面を研究したジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856 – 1939)が生まれたのは、『悪の華』が出版された頃です。

絵画の世界では、ボードレールより少し年少のマネ(Édouard Manet, 1832 - 1883)が『オランピア』を世に問うて、娼婦をありのままに描いたとして糾弾されたのが『悪の華』の出版の5年後です。『オランピア』を見ると、『悪の華』の表現した世界に比べれば、ずいぶんと穏当なものに見えます。

もしも『悪の華』の世界観を体現した絵画作品を思い起こすなら、今、展覧会で評判のエゴン・シーレ(Egon Schiele 、1890 - 1918)の屍体のような人物デッサンが妥当ではないか、と思います。しかし、そこには50年以上のずれがあります。

私はボードレールの詩をうまく読み込めないままに、ここまで来てしまいましたが、それはボードレールの詩が同時代の芸術作品と、例えば印象派の絵画作品とイメージが合わないことが一因になっています。

芸術表現の発展は、文学、音楽、美術の各分野で必ずしも足並みを揃えているわけではありません。しかし、ボードレールのように美術に接近した詩人ならば、彼の中で絵画批評と詩の創作がどのように影響していたのか、それを考えてみるのも面白いと思います。いつかやってみたいですね。

そんなことを考えていたら、ボードレール自身が詩について、次のような言葉を書いていた、と阿部良雄がボードレールの訳詩集の「まえがき」で書いているのを見つけました。

 

「詩にたずさわる者たち、あるいはかつて詩にたずさわってうまく行ったことのある者たちに私は、決して詩を放棄しないよう忠告する」、なぜなら「詩とは、最も利をもたらすこと多い芸術の一つであるから」

(『ボードレール全詩集 1』「まえがき」ボードレール・阿部良雄)

 

あるいは、次のような言葉です。

 

諸君はパンなしで三日間生きることができる。ー詩なしには、決して。そして諸君の中で逆のことを言う人々は間違っている、その人々は己(おのれ)を知らないのだ。

(『ボードレール全詩集 1』「まえがき」ボードレール・阿部良雄)

 

これが生前に詩集を発行したものの、風紀を乱すということで一部の詩篇が削除された人の言葉でしょうか。このボードレールの言葉の確信は、同時代の世評に関することでないことは確かでしょう。

私は、芸術は人間の文化活動の中でも先鋭的な役割を果たすものだと考えています。詩の言葉はその芸術の分野の中でも、さらに先鋭的なものなのかもしれません。



それにしても、ボードレールの詩は難しいです。彼の詩を理解するには、彼のことを理解すると同時に、19世紀という時代背景について、もっと深く知る必要がありそうです。

また勉強を進めて、読み直すことにしましょう。



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