私はラジオ番組をいくつか録音して、車で聴いています。先日、細野晴臣さんのラジオ番組「Daisy Holiday」を聞いていたら、高 妍 (ガオ イェン)さんという女性が出演していました。
https://www.interfm.co.jp/news/single/holiday08212022
私はまったく漫画に疎い人間なので、この方が話題の漫画家だと知りませんでした。そういえば、村上春樹さんの本で、カバー画や挿絵を台湾の若い女性の漫画家に描いてもらった、という話を聞いたことを思い出しましたが、高さんがその人でした。
その高さんが、なぜ「Daisy Holiday」に出演していたのかと言えば、彼女のデビュー作『緑の歌 - 収集群風 -』 が細野晴臣さんの曲『風をあつめて』にまつわる作品だからだということでした。「収集群風」というのは、中国語で「風をあつめて」なのでしょうか。
この『風をあつめて』という曲は、細野晴臣さんが「はっぴいえんど」というバンドにいた頃の作品です。バンドと言っても、この曲はドラムスの担当がのちに作詞家として活躍する松本隆さんで、それ以外のすべての楽器を細野晴臣さんが自分で演奏して多重録音しています。
細野さんはこの当時、自分の歌い方に迷っていたのですが、アメリカのシンガー・ソングライターのジェームズ・テイラーさんの歌唱を聴いて、彼らしい自然な歌い方で歌うことにした、という話を聞いたことがあります。この『風をあつめて』はまさにそういう歌唱が花開いた曲でした。
高さんは、この曲を高校生の頃に偶然に聴いて、とても懐かしい気持ちになったそうです。その自分の思い出を漫画にしたのが、この『緑の歌』という作品だそうです。さらに偶然が重なります。高さんはこの曲が入った「はっぴいえんど」のアルバム『風街ろまん』を買いに日本に来たところ、レコード店で細野さんの作品『恋は桃色』が店内に流れていたそうです。
その曲が細野晴臣さんの曲だとは知らず、誰の曲なのだろう?と思って店員さんに聞いたところ、それは細野晴臣という人のアルバム『HOSONO HOUSE』に入っている『恋は桃色』という曲だと教えてもらい、『HOSONO HOUSE』も買って帰ったとのことです。宿に戻っていろいろと調べてみたところ、細野晴臣さんが「はっぴいえんど」の一員であり、両方とも同じ人の曲だとわかった、ということでした。
『緑の歌』という作品は、そんなエピソードを漫画にしただけです、と彼女は語っていました。高さんは、すでにイラストレーターとして、日本と台湾で活躍していましたが、思い立って『緑の歌』の雛形となる32ページの短編を書いて出版しました。それが松本隆さんの目に止まり、さらには村上春樹さんにも注目されて、著作『猫を棄てる 父親について語るとき』のカバー画と挿画を頼まれることになったのです。そして商業コミック誌から連載の依頼を受け、あらたに500ページにもなる『緑の歌 - 収集群風 -』を書いて、その作品を私たちも読むことができるのです。
『緑の歌 - 収集群風 -』は、このように自分の経験を描いたものですが、内容はフィクションになっています。主人公は高さんではなくて、緑(リュ)という少女です。作品の中の彼女は漫画ではなくて、小説を創作しています。漫画のあらすじをここで書いてしまうのはまずいと思いますので、これ以上は差し控えておきますが、でも『緑の歌 - 収集群風 -』は仮にあらすじがわかったからと言って、読む価値がなくなるような漫画ではありません。
ネット上で『緑の歌 - 収集群風 -』の感想を見ると、映画のような作品だ、という意見がありました。それは一つ一つのシーンがとてもよく練られていて、まるで優秀な映画のカメラマンのカットを切り取ったように見えるからでしょう。風景の描写がとても細やかで、ただ単に詳細に描いているのではなくて、コンサート会場の暗い場面ではモノクロームなのに色彩を感じます。それはトーンの使い方がうまいからだと思いますが、「うまい」という言い方はこの作品にはあまりそぐわないかもしれません。高さんの漫画にかける思いが、そういう高度な表現を実現しているのだと思います。
実際に、彼女はうまく見せることには、こだわっていないように見えます。人物の描写はきわめてシンプルですし、不正確なデッサンも散見されます。私は漫画を見ていると、絵の巧拙、とくにデッサンの狂いが気になってしまって楽しめないということが頻繁にあります。デッサンが狂っているのに、やけに自信たっぷりな描線で描かれてしまうと、作家としての誠意を疑ってしまうのです。(めんどくさい読者で申し訳ないです。)それから、人物の形の単純な類型化も気になってしまいます。正面から描いた人物、横から描いた顔、など一人の漫画家が描ける人物の形というのは何種類かで類型化できてしまって、少し斜めから見たところ、少し上から、あるいは下から、などというアングルは、そもそもそういう漫画家のイメージには存在しないのでしょう。
ところが、『緑の歌 - 収集群風 -』の人物描写は、デッサンが不正確でも、それが生のままに見えてあまり気になりません。人物の形の正確さよりも、そのワンシーンの中で見せたその人の表情や仕草、あるいはその場面の中で人物がどのような大きさや位置を占めていたのか、などということの方が、イメージの中で重要なことなのでしょう。人物は類型化されず、微妙なアングルからの描写がそこここに見られます。さすがにそのすべてを正確に描くことは不可能だと思いますが、重要なのはそのような微妙なアングルの場面を作者が自由にイメージしている、ということなのです。自分の技量よりも描きたいイメージを優先している、というところに高さんの誠意と才能を感じます。
ネット上の感想の中で、「これは漫画?」という言葉も見られました。確かに、面白いストーリーを追いかけるためにイラストを導入する、という普通の漫画とは違っています。絵と言葉が一緒になったもの、これは東洋の絵画にとって伝統的な表現でもありますね。絵の比重が普通の漫画よりも数倍重たいことから「漫画」というジャンル分けにそぐわないかもしれません。『緑の歌 - 収集群風 -』を読む人は、ふつうの漫画の数倍の時間をかけて読むことになるのではないでしょうか。文字だけ読んで、絵をぱらっと見てストーリーだけ追いかけるのでは、たぶん数分で読み終わってしまいます。そんな読み方ではもったいない、と誰もが思うことでしょう。
それから、『緑の歌 - 収集群風 -』が表現している内容も注目されます。主要なモチーフである細野晴臣さんについては後で触れることにします。台湾の堅実な家庭に育った利発な少女が高校から大学へと進学していく中での迷いや悩みが描かれているのですが、「漫画」として表現されるほどのドラマチックな出来事はありません。おそらくは主人公の恋人や大学の学友など、物語をわかりやすくするために架空の人物を設定しているか、あるいは若干の脚色が混ざっていることでしょう。しかしそれは高さんの表現したい行き場のない感情を描くためであって、作品を面白くするためというものではないと思います。
これを小説として表現したら、どうなるのでしょうか。そうなると、言葉によるイメージの喚起力が相当に必要であって、まったく別な作品になってしまうかもしれません。一つ一つの風景が読者のイメージに委ねられて、さまざまな『緑の歌 - 収集群風 -』が生まれるのでしょうが、その場合には高さんが絵で表現した台湾の風景とはかなり違ったものになるでしょう。
そう考えると物語とも言えないような、モヤモヤっとした感情を表現するのに、絵と言葉を合わせた「漫画」という表現手段がかなり有効だということになるでしょう。誰にでもあるような、少年、少女の頃の暖かい気持ちや苦い思い出、あるいは勉強机に差し込んだ木漏れ日の形や好きな音楽に浸った時間など、芸術作品として表現するにはあまりにささいなことだけれども、いまだに思い出として残っていること、そういうものの表現の出口として漫画というジャンルが可能性を秘めているのかもしれません。これから高さんがどのように表現を展開していくのか、それがとても楽しみです。
さて、それにしてもふだん漫画を読まない私が、この作品を読んでみようと思ったのは、やはりそのモチーフが細野晴臣さんの音楽だった、ということに要因があります。細野晴臣さんの『風をあつめて』は私も大好きな曲ですが、その曲を今の若い世代の、それも日本ではなくて台湾の少女が発見して、まるで恋をするように細野さんに憧れて、日本に行ってCDを買い、台湾で、そして日本でコンサートを聴いて、楽屋を訪ねて細野さん本人と出会い、今やラジオに招かれて対談をする、などという物語が現実になっているのですから驚きです。ラジオで話す高さんは、老齢の細野さんを前にして胸がときめくような緊張をしているのがよく分かりました。番組の中で、細野さんに向けて書いた手紙を読み上げていましたが、その文章の内容は『緑の歌 - 収集群風 -』の表現力の何分の1かという感じでしたが、高さんの声にはそれを補って余りある真実味がありました。たかが数分間の楽曲が、これほどの力を持っているということは、芸術の魅力を再認識させられているようで、とてもうれしく思いました。
それから、『風をあつめて』が主人公にとって、あるいは高さんにとって、とても懐かしいもののように感じた、という点も興味深いところです。私のような年齢になると、喫茶店で暇つぶしをしていたら、東京を走っていた路面電車がイメージの中で立ち上がってくる感じというのはわかる気がするのですが、台湾の若い女性が歌詞もわからずにこの曲に懐かしさを感じる、というのはどういうことなのでしょうか。音の一つ一つに何かを思い出させるような喚起力がある、ということなのかもしれません。細野さんのキーボードの演奏にそういう力があるような気がします。
その細野さんとの出会い方ですが、『緑の歌 - 収集群風 -』の中で主人公の恋人であるミュージシャンの若い男性が語っていた出会い方が、一般的なものだろうと思います。彼は「イエロー・マジック・オーケストラ」で細野さんの音楽と出会い、その前のソロ時代、「はっぴいえんど」の時代へと遡って聴いていったのです。
その細野さんの音楽について、ちょっとだけ説明しておきましょう。
「イエロー・マジック・オーケストラ」で世界的に有名になった細野さんですが、その前にはソロとして世界中の音楽を渉猟していたユニークな時期があり、『HOSONO HOUSE』はそのスタート地点になります。『HOSONO HOUSE』の後の細野さんは、アメリカのポピュラー・ミュージックだけでなく、ラテン系の音楽や沖縄の音楽のリズムや音階を取り入れて、実に素晴らしい成果を上げました。「はっぴいえんど」の頃に細野さんが憧れていたアメリカのミュージシャンたちは、この時期の細野さんの音楽を聴いてびっくりして、Dr.ジョンが細野さんのコンサートを聴きに行ったり、マリア・マルダーが細野さんを一目見るなり抱きついてきたり、という楽しいエピソードがたくさんあるようです。ラジオで聞いたうる覚えの話なので、不正確だったらごめんなさい。
世界中のさまざまな音楽を渉猟していった細野さんですが、彼は最新のテクノロジーを使ってそれらの音楽の主要な要素を一元的に表現できる、ということに興味を持ったのではないか、と思います。それがテクノ・ミュージックであり「イエロー・マジック・オーケストラ」だったのだろうと思います。それが最もわかりやすいのがファースト・アルバムではないか、と私は思います。そして、先進的な音楽を追求していった細野さんが、アンビニエント・ミュージックに至ったというのも、自然な成り行きだったのでしょう。「はっぴいえんど」からソロ時代を経て、「イエロー・マジック・オーケストラ」からアンビニエント・ミュージックへというふうに、彼の音楽は目まぐるしく変わりましたが、音楽へのプリミティブな興味だけはまったく変わらないように見えます。ラジオ番組の中で、「誰かに影響を与えよう、なんて考えて音楽を作ったことがない」と細野さんは言っていましたが、あれだけ有名になりながらも生のままの音楽への興味を失わないところが、彼の最大の魅力なのだろうと思います。
その細野晴臣さんと私との出会いを思い出すと、高さんのように感性鋭く一つの楽曲からその魅力を見抜いたのなら自慢できるのですが、とてもそんなものではありませんでした。そもそも「イエロー・マジック・オーケストラ」が流行し始めた頃には、テクノ・ミュージックそのものを軽佻浮薄なものとして受け止めていたので、大学の友人からその魅力を教えてもらうまでは、まったく無視していたのです。もちろん、メンバー一人ひとりについて知る由もなかったので、細野晴臣というミュージシャンを意識するようになったのは、「イエロー・マジック・オーケストラ」が『テクノデリック』を出した頃ではないかと思います。このレコードはLPで買いましたが、彼らが秘めていた前衛性をあらためて認識した次第でした。その頃には細野さんのレコードを遡って聞いていて、ちょうど『緑の歌 - 収集群風 -』の恋人が聞いていた聞き方と似ていると思います。日本に住んでいながら、台湾の若い方と日本の音楽との出会い方が同じだというのは、アンテナが鈍いとどこで暮らしていてもどんな時代に生きていても変わりがない、という証拠になるのかもしれません。
それから、ちょっと話が横道にそれますが、誰もが気軽に愛聴するポピュラー・ミュージックですが、その中には自然とその時々の時代背景や土地柄が反映されていて、その時代の文化全般を知るのに格好の入り口だなあ、と私に教えてくれたのがラジオでした。
私が中学生の頃、「ラジオ関東」という放送局(今はラジオ日本?)で「全米トップ40」という番組が土曜日の深夜に放送されていました。湯川れい子さんというマルチな文化人の方が主担当をされていたのですが、今から考えるとこれは画期的な番組でした。「全米トップ40」という番組そのものはアメリカで放送されていた番組で、FENを注意深く聞いているとアメリカでの放送をそのまま聴くことができました。湯川さんの番組ではその40曲を10曲ずつ流した後で、彼女がそれらの曲について一つ一つ解説をつけていたのです。インターネットがなかった時代にアメリカのヒット曲を仔細に解説する、ということは例え英語が堪能であったとしても大変なことだったのではないかと思います。
湯川さんはビートルズが来日した時にインタビューを担当した優秀な方でしたが、当時は女性がそんな大役を務めるということ自体が、困難なことだったようです。そういう意味では、女性の文化人の草分けのような存在でもあると思います。彼女はエルビス・プレスリーのファンでしたが、エルビスという人がたんなるアイドルではなくて、黒人音楽と白人音楽の橋渡しをした人でありそれがロックン・ロールと呼ばれることになったということや、当時の若者の存在を大人たちに認識させるような役割を担っていたことなどを教えてくれました。アメリカのポピュラー・ミュージックの裾野の広さを、私は彼女の番組を通じて知るようになりました。今でもラジオ番組が、私にとっては音楽や情報を知るための重要なツールとなっています。
最後になりますが、細野晴臣さんが『風をあつめて』や『恋は桃色』を発表していた1970年代前半に、私は何を聞いていたのでしょうか?
先ほども書いたようにアメリカのチャートに登場する音楽を聴いていたのは確かですが、その頃を象徴する曲として一曲あげるなら、ギルバート・オサリヴァンの『Alone Again (Naturally)』だと思います。私はオサリヴァンさんのファンというほどではありませんが、彼が1970年代後半からヒットチャートから離れてしまったことで、なんとなくその時代を象徴する人だと勝手に思っています。私がLPを買い込んだミュージシャンはたくさんいましたが、彼らはその後も活躍しているので1970年代という時代を超えてしまっているのです。
1970年代の前半は、私が小学生の高学年から中学生の頃にあたり、世界の出来事がまだモヤモヤとした霧の中から見るようにしか見えていません。それが少しずつ輪郭を持つようになった頃に、オサリヴァンさんの内省的な歌と鼻にかかった声がちょうどうまくはまったのです。十代の前半はそういうことに敏感な年頃ですし、誰にでもその頃を思い出すような曲があるのではないでしょうか。私は基本的に感性が鈍い人間なので、自分なりの興味でレコードを掘り下げて聴くようになったのは、その後ということになります。
若い方でも、『Alone Again (Naturally)』なら聞いたことがありますよね。念のため、こんな曲です。
もしも、この曲を初めて聞いた方がいらっしゃったら、それだけでもここまでこのblogを読んだ甲斐があったというものです。そう思いませんか?