笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

絶対的神を信仰していないという強み

2011-03-14 12:59:15 | 日記
今回の地震では多くの尊い命が奪われ、
尚も多くの方々の安否が確認されていない。
そんな中、暴動も略奪も起きない日本人の冷静さが、
諸外国から絶賛されているという。
とても大変な状況で、
お互いを思いやる心を持てる国民性があれば、
まだまだ日本は立ち上がれる!そう信じている。

地震の時、私の勤務するホテルでも少し騒然となった。
強い揺れを感じてすぐに出た津波警報、
宿泊客も従業員も同じフロアに集められた。
そこには言葉がよく解らない外国の方がいて、
神の名を叫び冷静さを欠いていた。
その叫び声が恐怖の連鎖を興し、
メイド仲間のフィリピン人たちも、
胸に付けた十字架を握りしめ泣きだしたり、
もうダメだ。みんな死んでしまうと騒ぎ出した。
その声にフロアで映し出されるテレビからの情報、
そしてホテルの係員の声がかき消されてしまう。
とりあえず目の前のこの子たちの声でも抑えたい。
私は空気が読めないかの如くの、
本当にバカバカしい下品なジョークで、
彼女たちの心を和ませ落ち着かせる事に成功した。
そして見回すと(方法は違うであろうが
同じように近くでパニックを起こした人達を、
落ち着かせている多くの人がいた。
そして騒然としたフロアは落ち着きを取り戻し、
係員の指示で誰一人怪我もなく済んだ。

冷静になったローザが少し批難的な口調で言った。
「何でカトゥさん、あんな時に冗談言えるの?」

私は彼女に言った。
「あなたたちの神様はとても偉大だけど、
 たった一人だからみんな大きな声で助けてと叫ぶ。
 日本には小さいけど神様がたくさんいる。
 トイレにもいる。近くに神様がいるから安心して冗談が言える。」
 
彼女は釈然としなかったようだが、
太古から日本人は自然の全てを神として崇めてきた。
そして神は絶対的に善ではなかった。
災いを起こすもの、恵みを与えるもの、
それに逆らう事なくうまく共存してきたと言える。
日本の教育に宗教は絡まない。
諸外国にはこれは異様に映るらしい。
何故なら彼らは宗教を通して道徳を身につけるからだ。
だけど日本は共存の中で道徳を作り上げてきた。
絶対的神から与えられた善ではなく、
お互いがよりよく生きる為に作りだした善。
うまく言えないが、
与えられたものを当たり前に受けていると、
与えられなかった時のショックってのは大きいけど、
みんなで分けようね。って感じだと、
自分の分が回らなくても次の機会でいいよって譲歩できるような。
とにかく絶対的な神の支配下にいないって事は、
ある意味冷静に生きのびる手段の為に有効なのかも。
絶対に助けてくれる神様なんてのはいないんだから、
泣き叫んで祈ってる暇あったら、
冷静になって生きのびる手段を模索しようよ。
だって自分で生きる術を見つけて助かっても、
「神のおかげ」って自分の手柄にしちゃうような教えって、
なんかやっぱり変じゃね?
コメント
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