神社に行っても神様に守られない人、
行かなくても守られる人。
なんとも身もふたもないタイトルですが
神社に行っても守ってもらえない人…寂しすぎる
でも読むと「ああ、そりゃそうだよね!」と納得。
昔の人はよく言ったものです。
お天道様が見ているよ!
今となっては浅香光代しか言いません。
でも常に神様が近くにいると信じていたからこそ、
こんな小さな島国は日本であり続けることが出来たのでしょう。
感謝と謙虚が日本人の根底にあります。
それを忘れてしまった人は「守ってもらえない人」なので、
神様が好き嫌いをしているのではなく、
全ては自分の中で起きている事なのです。
靴を揃える、鞄を床に置かない、いただきますという、
きちんとした服装で身なりを整える。
これら当たり前に躾をされる事が実は神道なのだと。
そういえば日本人が勤勉なのは、
キリスト教では労働を罰として教えられるが、
日本人は作物を育てること、食事を用意すること、
糸を紡ぎ着物を作ること、全てが神様に捧げる神事であり、
神様と同じものを食べて着る事が神と生きることだった為、
労働を苦労でなく喜びと感じるDNAがあるのではとの事。
労働は喜び。
うん、そうだね確かに適度な労働は喜びだ。
適度な、な!
行かなくても守られる人。
なんとも身もふたもないタイトルですが
神社に行っても守ってもらえない人…寂しすぎる
でも読むと「ああ、そりゃそうだよね!」と納得。
昔の人はよく言ったものです。
お天道様が見ているよ!
今となっては浅香光代しか言いません。
でも常に神様が近くにいると信じていたからこそ、
こんな小さな島国は日本であり続けることが出来たのでしょう。
感謝と謙虚が日本人の根底にあります。
それを忘れてしまった人は「守ってもらえない人」なので、
神様が好き嫌いをしているのではなく、
全ては自分の中で起きている事なのです。
靴を揃える、鞄を床に置かない、いただきますという、
きちんとした服装で身なりを整える。
これら当たり前に躾をされる事が実は神道なのだと。
そういえば日本人が勤勉なのは、
キリスト教では労働を罰として教えられるが、
日本人は作物を育てること、食事を用意すること、
糸を紡ぎ着物を作ること、全てが神様に捧げる神事であり、
神様と同じものを食べて着る事が神と生きることだった為、
労働を苦労でなく喜びと感じるDNAがあるのではとの事。
労働は喜び。
うん、そうだね確かに適度な労働は喜びだ。
適度な、な!