笑いとばしたら、心も晴れるさ。

人生、山あり谷あり、壁に耳あり障子にメアリー、
結構毛だらけ猫灰だらけ、おしりの回りは…わりと綺麗っ!!

暗示の怖さ3

2021-03-20 06:16:00 | 日記
またまた本文に関係ない渋谷。
続きは明日書こうと思ったけど、
明日は自分、誕生日じゃないですか!
そんな日にこんな話題は嫌なので今日続き書く。

バカと信じきった私は勉強が普通に嫌いになり、
引っ込み思案という事もあって空想の世界に逃げた。
元々絵が上手い伯父の影響で絵を描くは好きだったし、
年の離れた兄が持っているマンガを見るのは好きだった。
たしか同時はマンガの台詞にルビがふってあり、
ひらがなを覚えれば難なく読めたのだ。
空想好きもあって私は漫画を描く事を割と早い年齢で覚えた。
授業中も構わず漫画を描いていたので当然の様に成績は悪かったが、
「バカ」と信じていたので気にしなかった。
しかしこの空想と漫画を描くと言う事が良かったのだろうか、
私は普通に物事を「起承転結」で考える事が出来る子になった。
授業を聞かないので理数系は壊滅的に酷く、
数学で問題にπとかyとか入っていると、
「お前ら文字で数字じゃなくね?」とキレたり、
一問5点のテストで「3点」という奇跡の点数を取ったりしたが、
漫画の題材になりそうな国語(漢字問題除く)や、
社会(ただし歴史に限る)は90点以下を取った事はなかった。
数学3点の奴が銀行員なるな!と怒られそうだが、
商業科の高校に通って一から始めた簿記や会計その他諸々は、
ちゃんとやったのでほぼ一級や二級は持っているから大丈夫!
そして起承転結で物を考えるので、
今の仕事の方も先を読んで仕事を進められて順調に出世はしている。
大人になってそんな成功経験を積んでいると、
「あれ?自分もしかしてバカじゃなくね?」と思いだした。
いやバカどころか今になって結構勉強好きだと気がついた。
そう思うとあの時かけられたバカという暗示が悔し過ぎる。
むしろ成長の早いデカイ同級生たちと同じ土俵に上がって、
早生まれ(3月後半)の幼い私、よく頑張ったな!と褒めてやりたい。

孫にはくだらない暗示を掛けずに育てよう。



コメント (2)
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暗示の怖さ2

2021-03-20 05:41:00 | 日記
本文と関係ないけど昨日行った渋谷の写真📸
それは小学校に入学する前、
入学前の知能検査?の時だったと思う。
怖そうな声の大きい中年男性(教師)を前に、
積み木の様なパズルか何かをやらされていた。
私は声の大きな男の人がとても怖く、
※これも今思えばもっと幼い時に両親がケンカしていた事が原因なのだろう。
今は誰も信じてくれないが、
当時は幼稚園もサボり気味な人見知りで引っ込み思案な性格だった。
私はその積み木をどうしていいのかわからず、触る事も出来なかった。
何もしない私にその中年男性は明らかな苛つきを見せて、
母に「この子は何も出来ない知恵遅れのバカですね!特殊学級の方に入れなさい!」と言ったのだ。
今でこそそんな事を言ったら大問題で、この教師は職を失うだろうが、
昭和のその頃はまだ「先生様」の時代で暴言や暴力も多々あった。
特殊学級の意味もわからない年齢だった私ですら、
「とくしゅがっきゅう」という言葉を鮮明に覚えている衝撃的な出来事だった。
勿論私は普通学級に通ったが、
運が悪い事にその時の中年男性が担任であったのだ。
とにかく先生が怖くて学校が嫌で嫌で仕方なかったが、
当時は学校をサボる事も出来ないくらい学校の目の前に住んでいて、
毎日大泣きしながら思いランドセルを背負っていた記憶がある。
そしてこれまた運が悪い事に、
幼稚園で名前を書けるように習っていたのだが、
両親の離婚で小学校入学と同時に名字が変わり、
自分の名前も書けない有様だったのだ。
当然一年間、私はその教師に「バカ」だ「知恵遅れ」だ「ノータリン(脳足りん?)」と言われ続け、
すっかり自分をバカと信じ込んでしまったのだった。

続く。


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