もう終わったことなので詳しくは書きませんが、
20代前半で受けた先輩からの裏切りは、
私のその後の人生観を変えましてね、
その事で私も随分苦労をしましたよ。
そういった知識も当時は無かったので全てが時効、
100%私の落ち度でもあるし泣き寝入りです。
恨みましたねぇ、本当に恨みました。
何か問題が起こると全てがそのせいだと思ったくらいです。
でも20数年の時を経て、その恨んだ人を目の前にして、
なんかもういいわ許す。ってなったんですよ。
元々はとてもその先輩とは仲が良かったんです。
プライベートでもたくさん遊んでいて、
家に泊まりに行った事もあったくらいでした。
だから顔見て言いたい事言ったらもういいやって。
よく仏教とかキリスト教でも相手を許せと言うじゃないですか!なんてね。
でもこの意味を履き違えていなぁって、
先輩の訃報を聞いた時に思ったんですよ。
それまではあくまでも私は許す立場で、
「許してやるよ!」って上から目線だったんです。
許せという教えもそういうものだと思っていました。
だけど先輩が亡くなって、もちろん悲しいけど、
「ああ、仲直りしていて良かった!」と心から思ったのです。
選択肢としては恨んで絶縁したままってのもあったんですよ。
その場合は先輩が亡くなったことも知る事はなかっただろうし、
仮に知ったとしても「そうなんだ」と心も動かなかったと思う。
それでも世界は普通に回っているだろうし普通に生活できる。
でも仲直りできたからこそ「悲しめる」んですよ。
思い出は全て楽しい事に変換されてしまう。
そこで救われるのは先輩ではなく私の気持ちなんです。
「許す」ってのは相手の為じゃなく、
自分の為なんだって気づきました。
気づかなかったら、先輩を恨んだままだったら、
自分が死んでいくとき、きっと後悔している。
宗教がいう許しって自分の魂の救済なんだなぁ。
そんな事を思いながら先輩の御冥福を祈った夜でした。