乾杯しましょう
今でこそ呑気に過ごしていますが、
私にもとんでもない時期がありましてねぇ。
裏切りや濡れ衣やで本当に人間不信になりまして、
毎日眠れず発狂するかと思った事がありました。
そんな時は何かにすがるというのでしょうか?
宗教関連の書籍を読みあさったり、
ネットの占いに一喜一憂したり、
変な石を買ったりしたもんです。
しかしそんな事じゃあダメなんです。
何一つ救いになんてなりゃしません。
自分に対して酷い仕打ちをした者、
酷い言葉を言った者、
そんな者たちを憎んで憎んで憎んで、
心の中で罵倒し続けて、
そんな事で平静を保っていたもんです。
でもそんな憎しみの心でいる事は、
自分自身を憎んでいる事と同じです。
私も随分と自分を虐めておりました。
今思えばあそこまで自分を卑下する必要なかった。
どうしてあんなに自信のない人間になってしまったのか。
どうして非劇の自分に酔いしれていたのか解りません。
人間なんて幸せな方がいいに決まっています。
そんな自分を傷つけている時ですかねぇ、
人様に優しさを頂いて涙したのは。
心の氷が溶けるってのはまさにそれなんでしょうね。
それから人の意見も聞くようになって、
少しずつ事態が好転して行きましたね。
でもまだ自分を陥れた人間を許す事はなかったですね。
それどころか遠い昔の出来事すらも許す事は出来ず、
もう存在しない人間への憎しみすら蒸し返す有り様でした。
ただ事態が好転した事で、
そういう事は愚かな事なんだよ。と気付かせてくれる言葉を、
人様から頂いたり偶然目にしたり出来たのです。
その時は深く考えなかったのですが、
これは本当に有難い事でした。
また同じ過ちを繰り返す事を止められたのですから。
そして私は気付きました。
これは一番困難な事で葛藤も多いのですが、
心穏かに過ごす唯一の方法、
それは許すという事。
私に酷い仕打ちをした者たち、
私の中の弱い心や卑怯な心、
消してしまいたい忌々しい過去、
すべてを許すのです。
すべて許して広々な状態にして、
そこにどんどん嬉しい事や楽しい事を置く事にしましょう。
心の中に粗大ゴミを抱えていては、
新しい素敵な荷物を置く場所がないですからね。
もっとも偉そうに言ってる私も、
まだまだ大掃除の最中なんですけど
3年前の12月は自分にとって大きな変換期だった。
あの12月から少しは成長しただろうか?
たとえ成長はしていなくても、
こんな心穏かな12月を過ごしている事を、
3年前に想像はつかなかったなぁ。
今日のブログは3年前の辛い12月の自分に捧げます。