田舎びと歳時記

花鳥風月、演歌と津軽に一筆啓上

年年歳歳 暑いねぇ~

2010-07-21 15:29:39 | 津軽
暑いねぇ~ こちら内陸県群馬は前橋市で38.5度!猛暑になると必ず出てくる今日の
全国最高気温は群馬県の……館林市に伊勢崎市、本日は我が前橋市の番となりました。
お隣の埼玉県の熊谷市と並んで関東地方の猛暑地域。

アスファルト道路の照り返し――歩いていても、ムッツとしていて気分悪くなりそう。
思考力なんかは完全に低下。とにかくあまり考えたくありません。青々とした木々の木陰に
逃げ込んで小休止。本当に生きた心地がしますよ。
こんなこと自慢出来るような話じゃありませんが、とにかく暑いんです。

昨夜なんかは余りに寝苦しいので、アイスノンの枕にお世話になりました。
そんな中、唯一嬉しいことは、キューッと飲み干すビールの幸福感!

風呂に入って一日の汗と疲れを流し、扇風機の風を浴びながら冷え切った500ccの缶ビール
をゴクゴクやること。もう、たまんないねぇ~
エアコンの冷風なんてのはダメ! ビールが旨くないよ。汗を拭き拭き飲むのが最高。
お酒の話になると、夏はなんだかんだ言っても暑くないとね。

ところで、猛暑と共に、年年歳歳やって来る津軽夏祭り。
今頃はどんな状況でしょうね? 青森のねぶた、弘前のneputa、五所川原の立ねぶた。
もう準備万端本番を迎えるのみなのか、それともてんやわんやの騒ぎなのでしょうか。

年年歳歳この時期、暑さの中から思いだけは津軽に飛んでいます。

津軽 行きて~なぁ~

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記憶の断片の津軽 Ⅱ

2010-06-08 16:54:16 | 津軽
平坦地一面に広がる林檎畑  木々の間に点景のように人の姿が二つ。 
            林檎の木って、こんな平坦地にあったんだっけ。

津軽鉄道の無人駅  人はどこから来てどこへ帰っていくの

赤いレンガ造りの煙突のある旅館  大きな欅の木もありました。青白いけむりが昇っていて…

      この旅館、厨房と配膳室の近くに重厚な観音開きのドアのある倉庫? が。
      中には紙袋に入ったお米が二つ三つ。

      同じようなもの太宰治の斜陽館でも見ました。家の中の土蔵。

津軽三味線の生音  桜の花びらに見立てた紙吹雪舞うステージで聴いた津軽三味線。
             
        やっぱり、『なまおと』が一番! 袴姿の女性奏者、うっとり。

あおもり駅の長い長いプラットホーム  とにかく長かったような記憶。

        この駅を後にして家路についた時、不思議と涙がポロリ。

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夜行列車で津軽へ

2010-06-04 10:59:06 | 津軽
♪上野発の夜行列車 降りたときから 青森駅は雪の中 ♪

この歌が私を青森(津軽)へ行かせるきっかけとなったのかも知れません。
本州最北端の地、青森県の竜飛岬へ行って、津軽海峡が見たい――ただそれだけの気ままな
ぶらり一人旅でした。
この時は新幹線でまず新潟へ、その後は特急『いなほ』で秋田、青森へと。いなほ号に乗って
いた時間は6時間半ほどで、ぐったりの感ありでしたが、唯一の慰めとなったのは、日本海の姿。

青森駅(実際の表示は『あおもり駅』)に着いたその日が、『ねぶた祭り』の初日か二日目だったと
記憶しています。せっかく遠くみちのくの果てまで来たのだからと、夜の来るのを待って祭り見物に。

ここで、思いもかけず カルチャーショック!

空気も音も色も違う。時間の流れも違う。そして何よりも、人が違う。

跳人(はねと)衣装の小学校5年生位の女の子。浴衣を着て花笠に付けた豆絞りの手拭いをあご
の下で結び、小気味好く踊っていました。浴衣に付けたいくつもの鈴の音が心地よく鳴っていた。
『あの浴衣の鈴をもらうと、ご利益があるんだよ』 どこからか、そんな声が聞こえました。
深くかぶった花笠から見えた赤い口紅の薄化粧、不思議な妖艶さが漂っていました。

初めて見るねぶた祭り。 『これが最初で最後だろうな~』 と少々しんみり。

あれからもう何年になるでしょう? 10年は疾うに過ぎたはず。

津軽へ津軽へ と恋い焦がれていますが、一度、夜行列車に乗って行きたいのです。
上野駅発の寝台特急 『あけぼの』




今年12月に青森新幹線が開通ともなれば、やがて御役御免となってしまうかも知れない
運命です。その前に、どうしても乗っておきたいのです。

上野駅から数えて3番目の停車駅である高崎駅より乗車。午後11時少し前、翌朝の9時
過ぎには弘前駅に到着予定。新潟、鶴岡、酒田、を経て秋田へ。途中、日本海沿いを走り
ますが、長い眠れぬ夜をどう過ごしましょうか。列車のデッキに立ってみても、延々と続く
夜のとばりで、ドアのガラスに映るのは自分の姿だけかもしれません。

眠れぬ夜が明けて津軽に到着。弘前駅に降り立つ。眠気も一気に吹っ飛んで、津軽の
空気を胸一杯に吸い込む。

郷愁に誘われて夜行列車で向かう津軽。 そこに一体何があるからなのでしょう。


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記憶の断片『津軽』

2010-04-26 22:22:41 | 津軽
さくら、さくら! の大合唱もいつの間にか消えて、新緑若葉の世界に衣替え。
桜前線は今どこに? 去年の今頃は津軽はまさに桜一色でしたが、今年は
まだ聞こえてきません。

今日もまた飽きもせず津軽、津軽… と想っています。

津軽鉄道
無人駅のホームを乗り遅れてしまったのか、老婆がオーイ、オーイと手招きしながら
列車を追っていた。……涙がポツリ

金木町
行きつけのお店『津軽』のママさんの実家のある金木町。
五所川原の立ちねぶた、青森のねぶたをママさん夫婦と一緒に見物した帰り、ママさんの実家に
寄らせてもらったことがあります。
月明かりのない夜、広い庭の中ほどに、大きな柿の木があったような。

このママさん、高校生の頃は津軽鉄道で五所川原まで通っていたそうな。





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津軽は遠きにありて思うもの

2009-05-06 17:37:29 | 津軽

津軽より帰って早一週間程経ちますが、この身体はもぬけのようで、魂はいまだに津軽を
さ迷うているかのようです。
放心状態に虚脱感。ゴールデンウィーク期間中であることが一層これらを助長しているかの
ようです。

津軽までの行程は車でおよそ10時間。休憩時間もなしに高速道を突っ走ればもっと早くに
着けるのに、まづは安全第一に心掛けた結果です。それにしても、津軽は遠い!

弘前市に別れを告げ五所川原市の金木町へ向かう。途中、藤崎、板柳といった有数の林檎
の産地を走り抜ける。さほど広くはなくて昔ながらにくねくね曲がった道路の両脇にはまさしく
林檎農家が立て込んでいました。今なお、実際に居住しているらしい藁ぶき屋根の住居にも何
軒か出会いました。

しばらくして人家を抜けると、道路は林檎畑の真っ只中に。津軽富士『岩木山』が雪を冠した姿
で、辺り一面の林檎畑の後方に現われています。
ここが津軽  まさしく本物の津軽

津軽平野は風もなく暖かでした。思わず吉幾三さんの『津軽平野』の歌詞が…
『津軽平野に雪降る頃はよ 親父ひとりで出稼ぎ支度…』

遠く離れたこの地にあっても、何故かこの歌には父親のことを思い出させてくれるものがあります。
そう言えば、『いくぞうハウス』の看板見ましたよ。実際のお宅は拝見できませんでしたが。

五所川原市街を通過して金木町に近づいてきました。この辺りまで来ると岩木山も遠くかすかに見
えるという状態になってしまいます。津軽平野はどこへ行っても『お岩木やま』を拝めるようです。

金木町、前回以来5年ぶりです。さくら祭りに湧きかえっている弘前とは違って、ここ金木は静かに
春を謳歌しているかのようでした。ふーっと息を抜ける安らぎがありました。

金木町を出発したのは午前11時頃。帰路、鶴田町の鶴の舞橋に立ち寄る。ここで岩木山を心行く
まで眺めて津軽に別れを告げました。津軽にいる時は何ともないのですが、津軽から離れれば離れ
るほど、恋しさが募るようでもありました。


暦の上では、春も終り、五月五日は立夏でした。
いとしい津軽へ、著作権付き?の駄句をご披露して終わりと致しましょう。

  行く春や津軽路はいまなみだ雨


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春爛漫の津軽

2009-05-02 16:56:57 | 津軽
津軽の空気は、ことのほか暖かでした。天気にも恵まれ絶好の行楽日和。
発達した低気圧のため4月25、26日は雨模様とのことで予定を変更し28、29日に津軽小旅行
行ってきました。

日本一とも言われる弘前城のさくら、今回はまさにこれ以上はない程の見頃でした。
過去2回の桜は最初(平成9年)は七分咲きで、その次の平成15年の時は既に葉桜状態でした
から、12分咲きとも言える今回は、こんなタイミングでは二度と見られないような見事な桜でした。

28日に弘前城跡公園内に入ったのが、夕暮れ前の5時半過ぎ。すぐ近くに見える津軽
の秀峰『岩木山』に日が落ちていくまでには、まだ十分時間がありました。


園内の露店


夕景の弘前城天主

弘前に着いたこの日は市内泊。夜には津軽三味線の聴ける郷土料理のお店で一杯やりながら
津軽の音色を味わってました。

私の席は幸運にも囲炉裏の席。その店のマスター曰く、お客さんの場所が一番ですよ。
三味線奏者までの距離、2メートル少々。津軽三味線は近くで聴く生音に限ります。
この5月で40歳になるという家元の他に、お弟子さんの女性が三人。いずれも黒の作務衣姿。
驚いたのは、この中に愛知県出身で弘前大学の大学院を卒業したという女性のいたこと。
津軽三味線には、やはり何か魅了するものがあるのでしょう。

翌29日に再び弘前城跡公園へ。早朝の7時前にもかかわらず、すでに観光客で一杯でした。
この日も、風もなく昨日同様絶好の天気です。
以下公園内で撮影の写真のオンパレードです。













弘前城を後にして向かったのは、五所川原市の金木町。斜陽館隣にある津軽三味線会館と
金木観光物産館。お土産はここで済ませました。今年は作家・太宰治の生誕百周年とか。
三味線会館でも聴きました。ここでの奏者は女性のお師匠のほかお弟子さんが男女1名ずつ。

このお師匠は、弘前市の出身の方で、一度その演奏を直に聴きたかったので、夢叶うの思いでした。
そして又この女性がなかなかの美形。私の座った席は最前列から2列目。舞台の袴姿の凛々しいこと
不謹慎ながら、ついつい視線は彼女の顔にいってしまいます。

津軽平野は田起こしやらで田植え前の準備状態でした。りんごの花はこれから開花するのでしょう。
若葉は目にすることが出来ましたが、白い花はまだのようです。


津軽鉄道の起点駅である津軽五所川原駅。今回は津軽鉄道には乗れませんでした。
何故か駅舎が寂しそうに見送ってくれていたようでした。




いま我が家には、色鮮やかな津軽凧絵が壁にかけられています。

津軽  今度いつ行けるかな?


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津軽行きを前にして

2009-04-21 16:05:03 | 津軽
4月も二十日を過ぎ、ゴールデンウィークも近づいてきました。五月五日は、こどもの日そして二十四節気の
一つである立夏。目に飛び込んでくるのは、新緑若葉そして鯉のぼり。最近は敷地事情もあってか、見かけ
る機会も少なくなってきましたが、ご近所の三才の男の子の家の庭先では毎日気持ちよさそうに泳いでいます。

さて、今度の土曜日と日曜日は待望の津軽行きです。弘前の桜がちょうど見ごろとか。夜間のライトアップされ
た桜も体験してきようと計画しています。交通手段は、走り放題どこまで行っても1000円?のETC利用で。

そんな矢先、昨日夕食前に板チョコを食べその後の食事終了後、急に腹痛に襲われてしまいました。原因不明
思い当たることなし。チョコの賞味期限も充分。痛みが治まらない場合は病院へと覚悟もしました。

やがて痛みも和らぎ落ち着いてきたので、早めに就寝。ところが今度は発熱です。一晩中熱にうなされた状態で
した。どうやら風邪のようでした。そういえば最近、鶯に早朝の五時前から起こされる毎日で寝不足気味でした。
そこへ疲れが溜まって、腹痛発熱という騒ぎに至ってしまったようです。

こんな大事な時に風邪なんかのために! 津軽行き邪魔されてなるもんか! 今日は午前中は、養生のために
寝ていました。

出発日の予定。この日はあいにく地元自治会の道路愛護でゴミ拾いが朝の6時より。家を出るのは7時頃でしょう。
東北道を突っ走り、午後3時頃には弘前城公園に到着予定。この日は弘前市内泊。翌日は五所川原市の金木町へ。
芦野公園の桜も見頃でしょう。

津軽へ行って、津軽の空気を吸って、津軽を見て、津軽を聴いて……
わずか二日ばかりの旅ですが、私にとっては今年最大のイベントでもあり、楽しみでもあります。

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津軽を語らぬとストレス?

2009-02-25 16:39:26 | 津軽
津軽、津軽 津軽……夢見て覚めて、また津軽! 津軽のことを考えていないと、ストレスがたまってしまいます。

津軽はまだまだ白一色の世界のようです。雪解け、草木の芽吹き、そして桜やリンゴの開花。
もうしばらくの辛抱、三月の声を聞けば……こちらでは三月ですが、津軽では四月の声となるのかナ?

ネット検索で津軽の土地、建物に当たってみました。思うような物件、ないものです。古民家で藁ぶき屋根で、広い敷地で…、 ソウソウッ、雪国では藁ぶきはあり得ない? 所詮、考えが安易すぎます。パソコンでキーボードを叩けば宝が見つかるというものでもないでしょうから。
中古建物は、日本全国どこにでもありそうな住宅ばかり。イメージにピッタリの農家あるいは古民家、やはり直接現地に行って自分の目と足で見つけ出さなくてはと 痛感! 津軽の桜見に行く口実出来ました 
りんご農家の多いい藤崎町や板柳町、五所川原郊外や岩木山の良く見える弘前市郊外の農家住宅、こんな辺りに見つかれば、言うことなしですが。

ところで、なぜ津軽で田舎暮らしなのかの問いには、どう答えましょうか。
停年退職後の第二の人生をなのか、リゾート地での余暇感覚なのか? いずれにせよ、この不景気の中、何を呑気なことを! とお叱りを受けそうですが。

就農希望者や農業関係に職を求める人が増えているとか。自動車等の輸出産業で成り立っていた日本経済、若者は農業にはそっぽを向き、就農者は高齢者の割合が多く、山間では未耕作地が増え…… こんな状況を少しでも改善する一助が田舎暮らしですと、無理やり結論づけました。

ならば田舎暮らしは津軽でなくても良いのではとなりますが、好きこそ物の上手なれ、だから津軽なのですと。

何やら訳の判らぬ話となってしまいました。

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望郷津軽

2008-05-22 16:23:47 | 津軽
津軽人でない私が津軽に対して望郷の二文字を使うのは、不適切でしょうか、あるいはその資格なし?
よもや、『正統の津軽人でない者が、勝手に津軽を語るな!』 などとおっしゃる方も居られないと思いますが。
この私、父母祖父母全て生まれも育ちも上州で、どこを遡っても津軽出身のご先祖様にはたどり着きません。ただし5~6代前までの話で、それより前となると判りません。もしかしたら、この私の身体の中にも津軽の血が多少なりとも流れているということもあり得ることです。
『遠いご先祖はきっと津軽の人であったのでは!』 だからこそ、津軽の地にこうも惹きつけられるのだと。

金木町 ― 市町村合併で今は五所川原市となリましたが ― ここは最も多く訪れ、そして何故か肌の合う町です。
夕陽の沈む地平線の果てまで続く津軽平野、そのただ中にある金木町。津軽に来たならば、この町に寄って五感全てを使い津軽を味わってきます。
この町には看板に温泉の文字のある古い旅館があります。金木町に行った時の定宿となっているところです。なんでも実際に温泉が出たとかで、風呂場の入り口には番台があり、宿泊客以外にも近くの人達が来るそうです。私はこの風呂場で、近所の親子ずれに出会いました。子供達のキャーキャー騒ぐ声が湯気の中に響いていました。
ここの旅館の玄関ガラス戸、重厚感ありと言えば確かにそうなのですが、ちょっと開けにくくて、夜も一晩中鍵などかけずにいるとのことでした。
ねぶた祭りの際に泊まった時は、2階の古風な和室で、渦巻き型の蚊取り線香が煙っていました。

津軽三大民謡 ― 津軽じょんから節、津軽よされ節、津軽小原節。これに津軽あいや節と津軽三下がりを加えると津軽五大民謡。

津軽三味線 ― 今でこそ若者にも受け入れられ、多くの若い津軽三味線奏者が居りますが、昔は門付け(かどづけ)で奏された辛く悲しい歴史も。
青森市内にある津軽三味線を生で聴くことの出来る民謡酒場、有名な故高橋竹山さんのお弟子さんだった女性が弾く津軽三味線、太弦をたたいた時に出るあの響きには鳥肌が立つ程でした。
このお店は予約制で、名前を記帳しなければならなかったので、素直に本名をフルネームで書いて置きました。このお店の経営者でもあるあのお弟子さんの女将、演奏の前にいきなり、『○○さん!何か聴きたい曲ありますか?』と言いました。
一瞬誰に向かって話しているのかと思いましたが、○○とは私のことでした。はるばる群馬からやって来たのが判ったのでしょうか。 『津軽じょんから節を!』
お膳に出された料理とお酒と津軽三味線、至福の時でした。

たたみ敷きのこの部屋の壁にかかった額付きの大きな白黒写真。師匠の高橋竹山を囲んでの宴席のようで、着物姿の若い美人が竹山にお酌しています。この女性こそ誰あろう、この店の女将そのひとでした。写真の中の女将、きれいでしたよ~
女性の津軽三味線奏者と言えば、青森市の観光物産館アスパムでも、金木町の津軽三味線会館でも演奏聴きました。結構いるものですね~ なかでも青い袴姿のショートカットの美人奏者、不謹慎ながら、うっとりでした。こんな体験が一層津軽への思いを募らせているようです。

岩木山 ― 津軽富士、津軽の秀峰。このお山を見ると、津軽の地にいる自分を実感出来ます。弘前辺りから眺めるよりも、日本有数のりんごの産地である板柳町や鶴の舞橋のある鶴田町近辺からの姿のほうが、均整がとれていて美しく又やさしく見えるように感じます。青空の中、頭にまだ雪を冠した凛々しい岩木山、それが一番好きです。
数々の歌にも登場する岩木山、私には穏やかに座っている父親のようにも思えます。
『よく来たな~』 でもあり、また 『どうして来たんだ!』 でもあります。

津軽に望郷の念を抱く理由、私にもよくは判りません。岩木山があるからなのでしょうか、それとも津軽人の血がそうさせているのでしょうか?




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ねぶた祭りが近づくと

2006-07-06 09:57:41 | 津軽
今日は、すでに7月6日!もう一ヶ月を切ってしまいました。今年は来月1日より始まります。『ねぶた祭り』!毎年この時期になると、ソワソワして落ち着きません。『今年は行こうかな、それとも…』と思い悩む、幸せな時です。
 青森県八戸市出身のママさんの居酒屋(前橋市)では、毎年お客さんやその家族の方達と一緒に、バス一台でねぶた祭り観光ツアーに出かけています。私も誘われているのです。青森市のねぶたは平成7年に初めて見て以来、一昨年まで4回見に行ってますが、何度行っても飽きません。ねぶたの魅力って何?祭りそのものはもちろん活気もあり、賑やかさも華やかさもありますが、本州の北端の地、みちのくの果てで行われる夏祭りということに何やら哀愁を感じてしまいます。
ねぶた祭りが終わると津軽地方はもう秋の訪れが感じられるとのことです。緑一面の田んぼには、赤とんぼが舞い、川端の土手にはススキの穂がもう顔を出している、そんな光景が目に浮かびます。
 ところで、限りなく続く津軽平野の田園風景を見ていると幼い頃の思いでが蘇ってくるのです。真っ青な空に入道雲、緑の田んぼのあぜ道を麦藁帽子をかぶり、虫取り網を担いだ子供達が一列になって歩いていく……
津軽平野のまっただ中にある古い農家での田舎暮らし!ねぶた祭りとともに毎日思い浮かべては幸福感に浸っています。

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