不登校への対応って、時代で変換してきた。
昭和の頃は、不登校ってちょっとあり得ないことだったし、「登校拒否」という言葉だった。「学校に行こうとしない問題児」であって、病院に連れて行こうなんて発想はなかった。そんな気軽に病院に行くものじゃなかったし、病院に連れて行ったって相手にされなかった。
平成一桁くらいから登校拒否が不登校って言葉に置き換わり始めて、しかも病院に連れてくる親がでてきた。不登校児を病院に連れてくるまでが親の仕事で、「さぁ、連れてきたので治してください」みたいな親も出始めた。振り返ってみると、いまの不登校児の親の方が、「受診させたり施設に放り込むことで不登校が治るわけじゃない」ってことを理解していてまともだ。戸塚ヨットスクールみたいな「矯正施設に放り込めば良い子になって帰ってくる」という考え方は、最近ではみなくなった。
平成時代前期くらいは、治療の目的が「登校できるようになる」だった。そのうちに、「無理に登校させない」「登校させることを治療の目標にしない」に変わっていった。これは不登校という問題が変わってきたのだろう。不登校児に寄り添うという意味で「無理に登校させない」というのもあれば、無理に登校させて自殺するような事態も出てきた。医療者側は、登校を治療目標にするといつまでたっても治療が終わらない。そして、「登校を再開せずに社会に適応していく稀な症例」がでてきた。治療のために通院しているあいだは登校できても、登校で来たから治療終了にした途端に、再び不登校になる児などもあり、「登校を目標にするのはちょっと違うんじゃないか」となった。
それでも未だに「学校に行けるようにしてください」な受診者はいるけれどもね。
最近の不登校では「学校(社会)に過剰に期待して、勝手に裏切られて不登校になる」というのが増えてきた気がする。明らかなイジメとかではなく、「みんながボクをチヤホヤしてくれないから行かない」みたいな、「学校がわたしを楽しませてくれないから行かない」みたいな、「楽しければ行くけど、楽しくないから行きません」という不登校が新しいタイプの不登校かなぁ。
新型うつ病が「余暇を楽しめる」「困難に面すると抑うつ症状が強くなる」「症状として身体の倦怠感や疲労感が強い」って言われてたけど、それがそのまま子供たちに出てきてる印象だね。
「運動会,遠足,修学旅行には参加できる」
「引き籠って完全に行かないのではなく、1カ月で2-3日くらいは登校できる。登校すると普通にみえるけれど、また登校しなくなる」
子どもの話を聞くと「学校が自分たちの期待に応えてくれないー登校してみたけど思ったほど楽しくなかったので行かなくて良いかな」みたいなことを言う。
正直なところ、「そりゃ、学校なんてそんなに楽しいところじゃないよ」となる。基本的に「たいして楽しくもないけど、それほど辛くもない場所」「1カ月に5-6日ほど楽しい日があるかもしれない」っていうのが学校じゃないの?
運動のできる子は、その時は楽しい。でも、それだって学校が毎日ずーっと楽しいわけじゃない。
勉強のできる子だってそう。
なんなら、クラスのリーダーみたいな陽キャでさえ、毎日ずーっと楽しく過ごしてるわけじゃないと思うよ。
それに対して、「なんで楽しくもない場所に行かなきゃいけないの?」的に、「だったら、無理に行かなくても良いかなぁ」みたいな不登校って、どうしようもなくないかなぁ。
実際には、子供たちに「学校って行ってる子のみんなが面白おかしく楽しく過ごしてるわけじゃないよね?」ってそれとなく言うだけで、彼らのなかで納得して登校するようになる子もいるけどさ。
「つまんないから行かない」って、世の中はそんなに楽しい場所じゃないですよ。
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