気まぐれに綴ってみる

気分転換に徒然草に

ウィザード級

2016年10月28日 20時44分56秒 | 日記

ウィザード級を目指そうとふと思った。

ウィザード級のプロマネって何だろうと自分自身でも思うのだが(^^)

まぁ、あれだ、神がかり的なマネジメントをしてしまう、そんなプロジェクトマネージャーだ。

いるんだろうか?

いや、そもそもウィザード級など存在がなければ作るだけの世界かもしれない。

でもまぁ、そういうものがあると確信して思考する人間と、そういうことを考えずに思考する人間とは、最終形態は変わるのかもしれない。

どっかの宣伝のように、レンガを積み上げる目的を知らずに積み上げているものと、レンガを積み上げる目的を想像して積み上げているものの最終形態が異なるように。

ウィザード級があると信じるもののみが行ける世界があるのかもしれない。

まぁないのかもしれないが((+_+))

どっちでもいい。なんとなくウィザード級がいたら面白そうだから、ウィザード級のプロマネっていう感じで行ってみよう(^^♪

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本当に欲しいもの

2016年10月28日 20時30分55秒 | 日記

本当に欲しいものって何か?

昨日からこれを考えている。

今のところ、思考の制約を解き放ち、自由である必要はあるが、自分自身の環境などの現実的制約を無視してはいけないという点と、

哲学が必要という点の2つが重要かなって考えている。

思考の自由が必要なのは、自分の意思が制約を受けないで過ごすことができるようにするために必要かと考えている。

その一方で、自分自身の現実的制約を前提条件として必要と考えるのは、その自由な思考が妄想にならないようにするためだ。地に足のついた思考は現実と向き合うところから始まると思うためである。

現実に向かい合い、自由な思考、自由な意思でとらえることから、本当に欲しいものが見えてくると感じている。

で、哲学が必要と思う理由は、自由な思考も完全な自由では無になってしまうと考えるから。自分の哲学という物差しがその無限に広がる世界において道しるべとなり、自分の基準となるのだと思うから。

 

まとめると、

自由な思考で現実と向かい合い、自分の哲学で、自分の中にある欲しいものを見出す

ということが、本当に欲しいものを見つけられるのではないかという、感じになっている。

 

そんなことを考えた一日でした。

 

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