終末のイゼッタ Vol.4(全巻購入者イベントチケット優先申込券付) [Blu-ray] | |
松竹 |
敬称略
(なるべくネタバれしないように・・)
主人公イゼッタ役は「Dance with Devils」(2015年)立華リツカ役を演じた茜屋日海夏(あかねや ひみか)。公女フィーネ役は赤髪の白雪姫の白雪など数々の作品に出演しており、既に著名な早見沙織。他声優陣は驚くほど豪華であり、声優オタクなら作品を見る前から仰天する陣容となっている。
ちなみに、「終末のイゼッタ」はあにぽた年間アニメランキングトップ100で1位を維持している。ネットでは10回数以上の視聴をしたとの書き込みもある。
参考https://akiba-souken.com/anime/ranking/
驚くべきは全くノーチェック状態だった「亜細亜堂」が本格的な戦闘描写を基盤としたアニメ作品を製作したことである。亜細亜堂といえば子供向けアニメ製作が主力であり、私が見たことが有るのは「英國戀物語エマ」ぐらいしか思い浮かばない。エマは19世紀英国、イゼッタは20世紀中欧だが、服飾や建築意匠で通ずるものが有ると言えばある。
近年、アニメやゲームでは戦争の残虐さを伏せたり、そもそも人が死なない設定の作品が増えた。戦争にまつわる悲劇を描かずに戦闘行為で登場人物が活躍する場面を連続的に映像化した作品の増加は、私にとってある意味脅威である。日本という国家自体が米国の誘導により戦時体制に入りつつ有る。かつての「海の神兵」のような宣撫工作アニメ作品が、意図して作られてアニメ市場に投入されているのではないかという疑念が拭えない。何しろ現在の日本では、副首相が「ナチスに倣う」と公言し、絶対的権力掌握のため「改憲や緊急事態権制定」を急ぐ政権統治下にある。
そんな状況の最中にアニメ「終末のイゼッタ」は忽然と現れた。本作は1939年、各国の設定は現実の国名と差替えられているが、明らかにナチスドイツを模したゲルマニア帝国による軍事侵略に抗う小国エイルシュタット公国の「公女フィーネ」と「最後の魔女イゼッタ」による激闘と悲哀の物語である。
作品のプロットは「風の谷のナウシカ」的な要素が強い。族長の娘ナウシカは内政・外交・軍事指揮・蟲の誘導(一種の軍事力)とすべてを役割を一人で担ったが、「終末のイゼッタ」では魔力を使った軍事力行使はイゼッタ、他の内政・外交・軍事指揮はフィーネと役割分担している。幼少時にフィーネに命を助けられたイゼッタは、自己存在の全てをフィーネとエイルシュタット公国に捧げていく。やはりというべきか「魔法少女まどか☆マギカ」が紡いだ百合要素も織り込んである。
直近では「純潔のマリア」(2015)が類似作品として存在する。魔女マリアは英仏の軍事衝突を収めるために魔力を使い、大天使ミカエルの逆鱗に触れる。「終末のイゼッタ」の雛形となった可能性は高い。
軍事描写は「月刊PANZER」から軍事ディレクションを仰ぎ、兵器の挙動や歩兵組織、塹壕戦の圧迫感などを緻密に再現している。従来の魔法少女と一線を隠すのは、近代戦争と魔法の力による正面からの衝突を、可能な限り細密に描いたという点である。そして、多くの人が傷つき斃れる様をも描いた。商業的観点から言えば、残酷描写は避ける流れにある中で、本作は戦争のもたらす悲惨な有り様を丁寧に描きだしている。藤森雅也監督は「西部戦線異状なし」などの古典戦争映画が持つリアリティの再現を希求した趣旨の事を述べている。
音楽は「未知留」という若手の作曲家。瑞々しい感性を感じる新鮮な作風であり、作品を盛り上げる効果が高く、ネットでも軒並み高い評価である。OPは力強いメタルソング、担当はAKINO、EDは哀愁漂うバラードでMay'nが担当。
奇想天外さに度肝を抜かれたのが、魔法少女イゼッタが対戦車ライフルに乗って活躍する描写である。
アニメにおける対戦車ライフルの登場は古く「カリオストロの城」(1979)で次元大介が操っていた。攻殻機動隊TV版(斎藤)や劇場版PSYCHO-PASSでも登場する。
一方でいわゆる戦闘系美少女アニメでは、対戦車ライフルが重要な役割を担うには定番となりつつあった。大戦後の現代では、対物ライフルとして利用されている。
「DARKER THAN BLACK 流星の双子」(2009)では蘇芳・パヴリチェンコがUSSRの単発ボルトアクションのデグチャレフ PTRD1941を駆使して物語が進んだ。
Angel Beats!(2010)では仲村ゆりが第一話でチェイタックM200を狙撃に利用して物語が始まる。
ソードアート・オンラインⅡ(2014)では仮想世界において朝田詩乃(シノン)がPGM ヘカートII(仏製)を駆使して対戦相手を攻略していく。
「棺姫のチャイカ」(2014)ではチャイカ・トラバントが棺に自身の身長よりも長い機杖(ガンド)を魔力で操った。
個人的にはかなり難易度の高いSF設定を施した岡田麿里脚本の「DARKER THAN BLACK 流星の双子」が鮮烈な記憶を残している。
帝国主義に基づく軍事侵略に伴う悲劇と、それに抗う為に行使される魔力という強大な武力を巡る各国の諜報や外交の駆け引きなどまでも、細密に織りなされて物語は終盤を迎える。シリーズ脚本の吉野弘幸は「フィーネこそが魔女」と述べている。国家を背負って個々人を否応なく操り、外交折衝を行いながらも、軍事力の行使を躊躇せず、自国の存続を最優先する皇女殿下であるフィーネこそが、政治力を通じた現代の魔女なのである。
魔法はファンタジーではあるが、現実的な現象として映像に嵌め込み、違和感なく溶け込ませている。そして多数の登場人物達の思惑が錯綜し、衝突しつつ紡ぎ出される寓話でもあるが、あたかも実写映画を凌駕するのではないかと思わせる緊迫感を持続させている。
現代日本社会への警鐘を乱打したとも受け取れる「終末のイゼッタ」だが、題名とは裏腹に日本アニメ界の「浮力」を維持させ、更なる映像作品群を生み出す原動力となるであろう。
TVアニメ「終末のイゼッタ」オリジナルサウンドトラック | |
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