参加者:8名
コース:清滝~1号路~霞台~「薬王院境内経由グループ」「2号路~3号路経由グループ」~高尾山頂~6号路~清滝
梅雨入り後、天気予報は連日の雨マークでしたが、この日は梅雨前線が南下したおかげで、時折晴れ間も見える巡回日和になりました。
参加者8名は通常の巡回活動に加えて、歴史調査チーム(1号路)と自然観察チーム(2号路~3号路)の2グループに分かれて巡回しました。
歴史調査チームの巡回に参加されたメンバーは、事前に「薬王院の歴史を学ぶ」という特別活動の実施を予告していましたので、薬王院の歴史についてかなり予習されていました。
皆さんご存じの通り、高尾山薬王院有喜寺は約1260年前の天平16年(744年)に行基菩薩により開山、南北朝時代の永和年間(1375年)に京都醍醐山の僧「俊源大徳」が入山し、現在のご本尊「飯縄大権現」を奉祀し中興されたと伝えられていますが、行基の開山後、数百年間については正式な史料はなく、伝承によっています。
しかし、室町時代以降は古文書が大量に残されていて、法政大学村上名誉教授による古文書解読により薬王院の歴史がより明確になったと云われています。
江戸時代中期には高尾山信仰が大名から江戸町民の間にも広まり、江戸を出発して八王子宿に泊り、翌日に高尾山に登って帰る一泊二日の高尾講がお手軽で好評だったようです。
それを示すものが四天王門を過ぎ、御護摩受付所の脇を入ったところに残されています(写真参照)。
この案内板と石標をご覧になったことがあると思いますが、この案内板には次のように書かれています。
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不思議なめざめ石
平成13年3月四天王門東の大杉の大樹が大風により傾き危険防止のため薬王院で伐採したところ、不思議なことに幹の中から享和3年(1803年)江戸の足袋屋清八の建てた「琵琶の滝道」の道標が出現しました。なんと約二百年を経てめざめた石標です。
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江戸の庶民の間に高尾講がかなり広まっていたことを物語る石標です。
歴史調査チームとしては通常の巡回活動にプラスして薬王院の歴史史料を少しずつ紐解いていきたいと思っています。興味をお持ちの方はぜひご参加ください。
下りの6号路の杉の大木には、まだセッコクのピンク色の花が残り、疲れた登山客を癒していました。
巡回に参加された皆さんお疲れ様でした。(TSR/TF)
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