高尾サポートレンジャー会

このブログでは高尾山で活動するボランティア「高尾サポートレンジャー会」の活動についてご紹介します。

2009/6/27 自主巡回 高尾山内

2009-06-27 20:00:00 | 2006~2018年度リンク 高尾山 活動&情報

参加者:11名
コース:高尾山口→旧金比羅台道→浄心門→4号路・1号路・3号路→一丁平(昼飯)→高尾山頂→6号路→清滝

・梅雨の晴れ間、夏のような天気。
・熱中症に注意する、夏休みを前に来山者への「夏の高尾山の歩き方」を体現する、を念頭に出発。am10:00
・旧金比羅道入口で石の道標を読んで、薬王院まで約一里 ということを知る。
・この道は院までの近道という意味でかつて「すぐち道」と呼んだという。
・江戸後期、不動信仰が盛んで、薬王院も何度か江戸の町で出開帳をおこなっている。
・江戸には高尾山の講が数多くあり、当時はこの「すぐち道」の利用も多かったことだろう。
・今は主だったコースから外れ、行きあう人も数える程だ。
・気温は上がって、こまめに水分補給の休憩をとりながらゆっくり登る。
・アカショウマ、土から出てきたギンリョウソウに出会う。
・金比羅台着。海から遠いこの地に金比羅宮とはこれいかに?
・am11:30 浄心門。ここで4号路・1号路・3号路の3方向に分かれる。一丁平まで。
・1号路では、「天狗の腰掛け杉」で今年はセッコクを発見したとF氏。
・薬王院山門の東西南北の四方を護る四天王を確認。東から時計まわりで「ジ(持国天)
・ゾウ(増長天)・コウ(広目天)・タ(多聞天)」と覚えるという。因みに北の多聞天は単独だと毘沙門天という。古くは東北地方で多く作られ、護国、戦勝神として信仰された。大河ドラマ「天地人」で上杉謙信が「毘」の旗をかかげていたのが記憶にある。
・薬王院本堂。薬王院は真言宗の寺だが、階段の上に本社(権現堂)がある。
・さらに階段を上って行くと富士山信仰の浅間社。勧請は1500年代中頃。
・江戸時代は先に述べた不動信仰と共に富士信仰でも人々が高尾山を訪れた。現在も「ふじみち」と言っていることに思いあたる。
・他にも富士信仰に関連する名称が高尾山内にある。これについては後ほど。
・さて、4号路グループは、モミジバハグマ、カシワバハグマを確認。
・3号路グループは、道の枯損木を処理し、道にかかる枝を剪定。
・一丁平pm1:00着、昼食。
・午後は一丁平歩道、大垂水歩道から山頂へ。
・途中トラノオ、ウツボグサ、ギンリョウソウ、アサギマダラを見る。
・もみじ台下の南巻き道で、行く先に母と少年が立ち止まっていた。花を見て名前を問われたのか、母親が「わからない」と小さく返答していた。そばを通る時、「コンニチハ」のあと「トラのオッポみたいね。」と少年に声をかける。追い越した後でうしろの方で「トラの尾っぽだって」と母子の声がしてた。
・山頂着。30分の休憩の後6号路を下る。
・「大山橋」で橋名についてI氏から説明を受ける。富士信仰でのお詣りで高尾山の浅間社にプラスして神奈川の大山をダブルで詣でるとより良いごりやくがあった、という。「大山橋」は薬王院から大山に向かう道が橋名で残った、と。富士信仰に関して、S氏からも、現在 都内や近郊に土や溶岩を積み上げた富士山がいくつも残っている、という話を聞く。
・pm5:20清滝にて解散
・この時期の5時すぎは明るいとはいうものの、解散時間が遅くなってしまった。
 午前中の登りに 時間をかけたのが後までたたった。
・夏は体力の消耗も多く、熱中症の予防の水分補給休憩の回数も多くなるのはやむを得ないのだが。
・むしろ夏のコース設定をする際、休憩時間を配慮した設定が必要だと思った。
・夏休みを前に 来山者への「夏の高尾山の歩き方」 について 登行速度、水分補給休憩の必要性、これらを考慮した時間及びコース設定の必要性を 今回歩いて実感した。
・いつか もみじ台下で出会った少年が、 夏の高尾山で 母さんと花を見たことを思い出したらいいなと思った。
以上(TSR/sak)

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