1931(昭和6)年 28歳
片岡鉄兵「愛情の問題」(『改造』1月号)
★1月『市民のために!』(『戦旗三十六人集』収)改造社、「蟹工船」「不在地主」「救援ニュースNo.18.附録」
1月22日、保釈出獄。壷井栄らが出迎える。市外杉並区成宗88番地 田口守治方に下宿。
1月23日、新宿・不二家で宮本百合子たちと会う。
1月23日 松岡洋右代議士が「満蒙生命線」論を主張
25日、「『市民のために!』」収録の『戦旗三十六人集』発売。
同25日、2月発売予定の「『市民のために!』」を収録の改造社版現代日本文学全集第(62)編『プロレタリア文学集』のため自筆「年譜」。
2月上旬、立野信之釈放。
「工場細胞」の続篇、「オルグ」を起稿。
★2月、ロシアから蔵原惟人帰国。共産党アジプロ部員として活動を始める。
3月3日「オルグ」ノート稿脱稿。
田口タキにプロポーズするが、その申し出をタキは退ける。
評論「わが方針書」(〈3・10〉『読売新聞』3月24、25、27、28日号)
・3月16日、投獄されている間の家族を支えなくてはならない事情から、当時作家同盟書記長だった西沢隆二らからすすめられ、「一九二八年三月十五」以前の作を含んだ小説集『東倶知安行』(新鋭文学叢書)を改造社から出版。
3月21日 評論集『プロレタリア文学論』(立野信之との共著)天人社から刊行。
3月中旬、神奈川・七沢温泉に投宿。「オルグ」執筆。4月6日完成させ、『改造』5月号に発表。
このころ、帰国していた蔵原惟人と連絡。以後、行動をともにする。
同月、「文芸時評」(〈4・8〉『中央公論』5月号)。
小説「壁にはられた写真」(〈4・17〉『ナップ』5月号)
「壁小説と『短い』短篇小説」(評論〈4・20〉『新興芸術研究(2)』 肉筆原稿は貴司山治の遺族により日本近代文学館に寄贈)
「小説作法」(〈4・30〉『綜合プロレタリア芸術講座』第2巻)
・5月「蟹工船」(徳永直「太陽のない街」、中野重治「鉄の話」) 改造社
『良き教師』(推薦文『ナップ』6月号)※全文は『総合プロレタリア芸術講座』パンフレット。
「指導部のセクト化に対する同盟員の不平から怒った作家同盟の内紛解決のための諸種の会合に出席する。」
5/15「独房」掲載の件で改造社へ行く。
5/24 作家同盟第3回大会に出席。「内紛が解消せざるため、混乱して役員の選出未了のままに閉会。(貴司年譜)
評論「階級としての農民とプロレタリアート」〈6・5〉『帝国大学新聞』6月8日発行第388号
6月8日 多喜二は志賀直哉に書簡。『蟹工船』を送り、「私は自分の仕事の粗雑になっていることに気付き、全く参っています。」と批評を求める。
小説「独房」(〈6・9〉『中央公論』7月号・夏季特集号)
評論「四つの関心」(『読売新聞』6月11、12、13、15日号)
評論「文戦の打倒について」(〈6・20〉『前線』7・8月合併号)
壁小説「プロレタリアの修身」(『戦旗』6・7月合併号)
蔵原惟人「プロレタリア芸術運動の組織問題」
夏、蔵原の指導のもとで文化団体の党グループの活動に従事している手塚英孝と初めてあう。
壁小説「テガミ」(〈6・30〉『中央公論』8月号 )
壁小説「飴玉闘争」(〈7・4〉『三・一五、四・一六公判闘争のために』室順治の挿絵1枚)
志賀直哉の多喜二宛書簡「お手紙も『蟹工船』もちゃんと頂いています。」(7月15日)
感想「『一九二八年三月十五日』」(〈7・17〉『若草』9月号)
7月、作家同盟第4回臨時大会が開かれ、第1回執行委員会で常任中央委員、書記長にえらばれた。東京に居住することに決め、一端帰郷後、同月末、杉並区馬橋一戸を借り、小樽から母をむかえ、弟と住む。
7月18日 小説集『オルグ』(「独房」収録 戦旗社)
・7月「東倶知安行」収録の『明治大正昭和文学全集』(51)が春陽堂から発売。
7月「市民のために!」収録(『日本小説集』(7)が新潮社から発売。
夏、はじめて蔵原の指導のもとで文化団体の党グループの活動に従事している手塚英孝と会う(同年12月検挙、40日拘留)。
ショーロホフ「静かなドン」1・2読む。「悠長な小説を書きたい」。
8月、感想「読ませたい本と読みたい本」(〈8・3〉『戦旗』8・9月合併号)
志賀直哉からの書簡(8.7)
評論「『静かなるドン』の教訓」(〈8・11〉『国民新聞』8月17、19日号)
「新女性気質」『都新聞』(※同紙は『国民新聞』と1942年合併し、『東京新聞』となる)8月23日~10月31日号までの69回連載。大月源二挿絵 単行本では「安子」と改題。
壁小説「争われない事実」(〈8・17〉『戦旗』9月号)
「北海道の同志に送る手紙」(〈8・17〉『ナップ』9月号)
★壁小説「七月二十六日の経験」国際無産青年デーのために書かれたもの。掲載誌は『われら青年』(作家同盟発行パンフレット)。
古川大助のペンネームで、「父帰る」小説『労働新聞』(日本労働組合全国協議会機関紙9月3日号)
9月6日小林多喜二が群馬・伊勢崎に文芸講演会の講師で来た。講師陣は事前に検束され、講演会場に集まった満員の聴衆は「多喜二を還せ!」と伊勢崎警察署に抗議。多喜二等の奪還に成功した。
「文芸時評」(『東京朝日新聞』9月26、27、28、30、10月1日号)
9/15 東京地方裁判所で3・15、4・16事件第一回公判を傍聴。
※9月18日 関東軍による南満州鉄道爆破(柳条湖事件)から満州事変勃発。
9/20 上野自治会館の第2回「戦旗の夕」で講演、検束される。
※9月 蔵原惟人「芸術的方法についての感想」前半(『ナップ』1931/9月号 8/2執筆)9月、多喜二は長編「転形期の人々」を書きはじめた。
評論「良き協同者」(『時事新報』10月4日号)
「共産党公判傍聴記」(『文学新聞』10月10日第1号)
10月「壁にはられた写真」収録(『ナップ傑作集』改造社)
10月「戦い」収録(『土地を農民へ』新潮社)
小説「母たち」(〈10・11〉『改造』11月号)
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10月、非合法の日本共産党に入党。
ナップ解散。10月24日、日本プロレタリア文化連盟(コップ)を結成。
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10月末「安子」完成。
11月上旬、潜行して奈良に赴き、志賀直哉をはじめて訪れる。
11/9 帰京して、志賀直哉へ礼状。
11.10色紙「我々の芸術は、飯の食えない人々にとっての料理の本であってはならない。」
壁小説「疵」(〈11・14〉『帝国大学新聞』11月23日第408号 鈴木賢二挿絵)
11/15、作家同盟の拡大中央委員会で芸術協議員に選ばれる。
※「蟹工船」「一九二八年三月十五日」(抄訳)が国際革命作家同盟機関誌『世界革命文学』ロシア語版第10号に掲載された。前後して、英、ドイツ・モップル出版所、フランス語版に訳載。『一九二八年三月十五日』がドイツで出版、発禁処分を受ける。
「十二月の二十何日の話」(『婦人公論』32年1月号)
壁小説「母妹の途」(『サロン』12月号)
評論「プロ文学新段階への道」(〈11・30〉『読売新聞』11月26、27、12月1、3日号)
評論「我等の『プロ展』を見る」(『美術新聞』12月25日第2号)
「コースの変遷」(『新文芸日記』32年版)
「故里の顔」(『女人芸術』32年1月号)
壁小説「級長の願い」(〈12・10〉『東京パック』32年2月号)
「一九三二年に計画する」(『若草』32年1月号)
「一九三二年への抱負」(『近代生活』32年1月号)
「監房随筆」(〈12・14〉『アサヒグラフ』32年1月20日号)
『プロレタリア文化』(コップ機関誌)創刊
片岡鉄兵「愛情の問題」(『改造』1月号)
★1月『市民のために!』(『戦旗三十六人集』収)改造社、「蟹工船」「不在地主」「救援ニュースNo.18.附録」
1月22日、保釈出獄。壷井栄らが出迎える。市外杉並区成宗88番地 田口守治方に下宿。
1月23日、新宿・不二家で宮本百合子たちと会う。
1月23日 松岡洋右代議士が「満蒙生命線」論を主張
25日、「『市民のために!』」収録の『戦旗三十六人集』発売。
同25日、2月発売予定の「『市民のために!』」を収録の改造社版現代日本文学全集第(62)編『プロレタリア文学集』のため自筆「年譜」。
2月上旬、立野信之釈放。
「工場細胞」の続篇、「オルグ」を起稿。
★2月、ロシアから蔵原惟人帰国。共産党アジプロ部員として活動を始める。
3月3日「オルグ」ノート稿脱稿。
田口タキにプロポーズするが、その申し出をタキは退ける。
評論「わが方針書」(〈3・10〉『読売新聞』3月24、25、27、28日号)
・3月16日、投獄されている間の家族を支えなくてはならない事情から、当時作家同盟書記長だった西沢隆二らからすすめられ、「一九二八年三月十五」以前の作を含んだ小説集『東倶知安行』(新鋭文学叢書)を改造社から出版。
3月21日 評論集『プロレタリア文学論』(立野信之との共著)天人社から刊行。
3月中旬、神奈川・七沢温泉に投宿。「オルグ」執筆。4月6日完成させ、『改造』5月号に発表。
このころ、帰国していた蔵原惟人と連絡。以後、行動をともにする。
同月、「文芸時評」(〈4・8〉『中央公論』5月号)。
小説「壁にはられた写真」(〈4・17〉『ナップ』5月号)
「壁小説と『短い』短篇小説」(評論〈4・20〉『新興芸術研究(2)』 肉筆原稿は貴司山治の遺族により日本近代文学館に寄贈)
「小説作法」(〈4・30〉『綜合プロレタリア芸術講座』第2巻)
・5月「蟹工船」(徳永直「太陽のない街」、中野重治「鉄の話」) 改造社
『良き教師』(推薦文『ナップ』6月号)※全文は『総合プロレタリア芸術講座』パンフレット。
「指導部のセクト化に対する同盟員の不平から怒った作家同盟の内紛解決のための諸種の会合に出席する。」
5/15「独房」掲載の件で改造社へ行く。
5/24 作家同盟第3回大会に出席。「内紛が解消せざるため、混乱して役員の選出未了のままに閉会。(貴司年譜)
評論「階級としての農民とプロレタリアート」〈6・5〉『帝国大学新聞』6月8日発行第388号
6月8日 多喜二は志賀直哉に書簡。『蟹工船』を送り、「私は自分の仕事の粗雑になっていることに気付き、全く参っています。」と批評を求める。
小説「独房」(〈6・9〉『中央公論』7月号・夏季特集号)
評論「四つの関心」(『読売新聞』6月11、12、13、15日号)
評論「文戦の打倒について」(〈6・20〉『前線』7・8月合併号)
壁小説「プロレタリアの修身」(『戦旗』6・7月合併号)
蔵原惟人「プロレタリア芸術運動の組織問題」
夏、蔵原の指導のもとで文化団体の党グループの活動に従事している手塚英孝と初めてあう。
壁小説「テガミ」(〈6・30〉『中央公論』8月号 )
壁小説「飴玉闘争」(〈7・4〉『三・一五、四・一六公判闘争のために』室順治の挿絵1枚)
志賀直哉の多喜二宛書簡「お手紙も『蟹工船』もちゃんと頂いています。」(7月15日)
感想「『一九二八年三月十五日』」(〈7・17〉『若草』9月号)
7月、作家同盟第4回臨時大会が開かれ、第1回執行委員会で常任中央委員、書記長にえらばれた。東京に居住することに決め、一端帰郷後、同月末、杉並区馬橋一戸を借り、小樽から母をむかえ、弟と住む。
7月18日 小説集『オルグ』(「独房」収録 戦旗社)
・7月「東倶知安行」収録の『明治大正昭和文学全集』(51)が春陽堂から発売。
7月「市民のために!」収録(『日本小説集』(7)が新潮社から発売。
夏、はじめて蔵原の指導のもとで文化団体の党グループの活動に従事している手塚英孝と会う(同年12月検挙、40日拘留)。
ショーロホフ「静かなドン」1・2読む。「悠長な小説を書きたい」。
8月、感想「読ませたい本と読みたい本」(〈8・3〉『戦旗』8・9月合併号)
志賀直哉からの書簡(8.7)
評論「『静かなるドン』の教訓」(〈8・11〉『国民新聞』8月17、19日号)
「新女性気質」『都新聞』(※同紙は『国民新聞』と1942年合併し、『東京新聞』となる)8月23日~10月31日号までの69回連載。大月源二挿絵 単行本では「安子」と改題。
壁小説「争われない事実」(〈8・17〉『戦旗』9月号)
「北海道の同志に送る手紙」(〈8・17〉『ナップ』9月号)
★壁小説「七月二十六日の経験」国際無産青年デーのために書かれたもの。掲載誌は『われら青年』(作家同盟発行パンフレット)。
古川大助のペンネームで、「父帰る」小説『労働新聞』(日本労働組合全国協議会機関紙9月3日号)
9月6日小林多喜二が群馬・伊勢崎に文芸講演会の講師で来た。講師陣は事前に検束され、講演会場に集まった満員の聴衆は「多喜二を還せ!」と伊勢崎警察署に抗議。多喜二等の奪還に成功した。
「文芸時評」(『東京朝日新聞』9月26、27、28、30、10月1日号)
9/15 東京地方裁判所で3・15、4・16事件第一回公判を傍聴。
※9月18日 関東軍による南満州鉄道爆破(柳条湖事件)から満州事変勃発。
9/20 上野自治会館の第2回「戦旗の夕」で講演、検束される。
※9月 蔵原惟人「芸術的方法についての感想」前半(『ナップ』1931/9月号 8/2執筆)9月、多喜二は長編「転形期の人々」を書きはじめた。
評論「良き協同者」(『時事新報』10月4日号)
「共産党公判傍聴記」(『文学新聞』10月10日第1号)
10月「壁にはられた写真」収録(『ナップ傑作集』改造社)
10月「戦い」収録(『土地を農民へ』新潮社)
小説「母たち」(〈10・11〉『改造』11月号)
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10月、非合法の日本共産党に入党。
ナップ解散。10月24日、日本プロレタリア文化連盟(コップ)を結成。
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10月末「安子」完成。
11月上旬、潜行して奈良に赴き、志賀直哉をはじめて訪れる。
11/9 帰京して、志賀直哉へ礼状。
11.10色紙「我々の芸術は、飯の食えない人々にとっての料理の本であってはならない。」
壁小説「疵」(〈11・14〉『帝国大学新聞』11月23日第408号 鈴木賢二挿絵)
11/15、作家同盟の拡大中央委員会で芸術協議員に選ばれる。
※「蟹工船」「一九二八年三月十五日」(抄訳)が国際革命作家同盟機関誌『世界革命文学』ロシア語版第10号に掲載された。前後して、英、ドイツ・モップル出版所、フランス語版に訳載。『一九二八年三月十五日』がドイツで出版、発禁処分を受ける。
「十二月の二十何日の話」(『婦人公論』32年1月号)
壁小説「母妹の途」(『サロン』12月号)
評論「プロ文学新段階への道」(〈11・30〉『読売新聞』11月26、27、12月1、3日号)
評論「我等の『プロ展』を見る」(『美術新聞』12月25日第2号)
「コースの変遷」(『新文芸日記』32年版)
「故里の顔」(『女人芸術』32年1月号)
壁小説「級長の願い」(〈12・10〉『東京パック』32年2月号)
「一九三二年に計画する」(『若草』32年1月号)
「一九三二年への抱負」(『近代生活』32年1月号)
「監房随筆」(〈12・14〉『アサヒグラフ』32年1月20日号)
『プロレタリア文化』(コップ機関誌)創刊
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