「蟹工船」日本丸から、21世紀の小林多喜二への手紙。

小林多喜二を通じて、現代の反貧困と反戦の表象を考えるブログ。命日の2月20日前後には、秋田、小樽、中野、大阪などで集う。

映画「蟹工船」と山村聡 (akio)

2010-03-03 23:29:35 | 仲間たちから多喜二への手紙
映画「蟹工船」と山村聡 (akio)
2010-03-02 21:07:07


 映画「蟹工船」で街活性化!
私の街でも、行政・商店街が協力して「街活性化」を試みていますが、「文化のあるところに人は集まる。・・・」に感銘をうけました。
 
 映画「蟹工船」演出にさいしての山村聡さんの寄稿文を紹介します。(1953年4月12日付:北海道新聞より)

 ”ホネのある映画を”

 はじめて映画の演出にあたることとなった。
 おかしな話だが、前々から演出に大きな野心を持っていたというわけではない。ただ、以前に舞台に立って、いろいろと演出の実際に接したり、俳優との共演で、少しずつ演出にタッチし、また『現代ぷろだくしょん』を主宰して『村八分』の製作にたずさわっているうちに、一つお前も演出をやってみろと、ということになり、おそるおそる腰を上げたという次第である。
 ところで第一回作品で取り上げたのが小林多喜二の「蟹工船」ものがものだけに、やる以上はあいまいな態度では作りたくない。
 文字通り、必死でとつ組んでいるというかたちだ。
 私が「蟹工船」の演出にひかれたのは、まず、どんな形のものにせよ、なにか一つホネの入ったものをやりたいという意欲、そして労働者の集団が次第に切端つまって行く姿にもられた劇的興味、昔から何度も映画化を企てられながらも、ついに実現をみなかった材料、それらへの魅力が一つになって私を動かした。
 『ホネのある映画を・・』この気持ちは、いまの数多い映画を見廻した時には、誰の胸にも沸いて来るだろう。
 『原爆の子』を思い起こそう、なるほどあれはセンチであり、甘いかもしれない。けれどもミーちゃん、ハーちゃんまで深い感動を与えるホネがあった。
 今の映画はそのホネをこそ持ちたいのである。
 「蟹工船」にそれだけのホネを持たせ、ややもすれば一部の人だけに理解されがちのものを、ぐっと広い幅を持って訴えさせるのはもとより困難だ。
 でも私はそれをしたいと思う。どんな人でもついて来れる映画にしたいと思う。そこで心配なのが自分の演出力だ。
 「蟹工船」を劇として十分納得してもらうように仕上げるには大した演出力を要するだろう。ただおもしろおかしく描いてしまっては単なる『地獄船』の図に終る。
 だからできるだけ原作に忠実に小林多喜二が云いたかったことを表現したい。それができたらきっとホネのある映画になる。
 幸い、今度の函館ロケでは、関係者が非常な協力をみせてくれありがたかった。
 独立プロで映画を作る時に何時も感ずるのは、一般の協力の大きさである。そして示され
た協力の上に立派な作品を作ること。

 「蟹工船」は、どうしてもホネのある映画にならなければならない。(ロケのため来函)♪

 明日(3日)の「蟹工船」移動上映会:大蓮寺本堂が一杯になるといいですね♪
 

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