この秋のRyo君とのウォーク
10月13日(日)
かなや公園→巖室神社→大鉄新金谷駅→宅円庵(日本左衛門首塚)→東海汽缶(蒸気機関車整備工場)→かなや公園
巖室神社はちょうど例祭で可愛らしい巫女舞が奉納されていた。Ryoは関心無し。
*社伝によれば、正治2(1200)年頃、当時の住家三戸の氏神として、現在地の巌室を開いて三柱である瓊々杵尊(ににぎのみこと)、木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)の神を勧請奉斎し、巌室神社と称すと記しています。町名金谷のこの金山彦の神名から、由来したとの説もあります。
その後、神社名は、「若一王子社」、「姫宮」から「巌室神社」に変更されましたが、氏子たちは今でも「姫宮さん」と親しみをこめて呼んでいます。(島田市観光協会HP)
大井川鐵道・新金谷駅ではトーマス・イベントで大賑わい。人混みの苦手なRyoは、比較的空いているプラザロコ内へ。
新金谷駅近くの昔からの駄菓子屋「かんとんや」で休憩、かき氷(200円)、おでん(1本50円)、ところてん(1本80円)也。
大代川を渡る大鉄電車、一段上は東海道本線。東海汽缶(SL整備工場)構内に展示されている機関車を眺めた後、かなや公園に戻る。
11月17日(日)
法多山尊永寺→御前崎(旧浜岡町)桜ヶ池→牧之原富士見霊園
法多山では紅葉祭りが始まったが、異常な高温だった今秋は未だ色づかず。長い参道と階段を登って尊永寺本堂にお詣り。「和傘アート」があちこちに展示されていた。
*法多山は、寺号を尊永寺と称する、高野山真言宗の別格本山です。本尊正観世音菩薩は厄除開運のご利益に霊験あらたかであるとして、古来より俗に厄除観音と呼ばれております。神亀二年(七二五)、聖武天皇の勅命を受けた行基上人が大悲観音応臨の聖地をこの地に探し求め、自ら刻んだ本尊正観世音菩薩を安置したのが縁起といわれています。本尊の霊徳は遠く京都に及び、白河、後白河天皇の勅願あつく定額寺の列に加えられていました。その後今川、豊臣、徳川等武将の信仰を得て、特に慶長七年(一六〇二)、徳川家康公より五万石の格式を以って遇せられ、一山十二坊の法燈が栄えましたが、明治維新に朱印地返還、十二坊を廃して総号尊永寺と改め今日に至りました。(法多山尊永寺HP)
復路は浜岡町(現御前崎市)の桜ヶ池に寄り道。
*遠州七不思議のひとつ「龍神伝説」ゆかりの池
標高四十メートル、小高い山の上にある桜ヶ池(さくらがいけ)は、東西北の三方を原生林に囲まれ、深い緑色の水をたたえる神秘的な池。二万年前、丘陵の谷を砂がせきとめ、そこに涌いた水が池となって現在に至ります。
比叡山の名僧 皇円阿闍梨(こうえん あじゃり)は、世の中の人々を救済したいと自ら悟りをひらくため、難行苦行を重ねました。しかし、仏法をきわめることは非常に困難であると知り、56億7千万年後に出現するという弥勒菩薩から直接教えをいただく以外に、悩みから人々を救う方法がないと考えたのです。ところが、人間の寿命ではこの願いは叶いません。そこで、平安時代末期、嘉応元年(1169年)6月13日、阿闍梨は龍に姿を変えて、桜ヶ池に入定(にゅうじょう)されたと伝えられています。
叔母の墓参り、牧之原富士見霊園から高草山塊の向こうに富士山を望む。
11月23日(土)
伊太田代→どうだん原
千葉山どうだん原の紅葉だが、今年は色付きが鮮やかではなかった。
12月1日(日)
大代ジャンボ干支→島田市博物館→大井川河川敷(リバティ)
制作途中の大代ジャンボ干支、来年は巳年だ。忘年山行の粟ヶ岳下見の迎えをRyoにお願いした。
昼食後、島田市博物館から大井川河川敷リバティを歩く。博物館前にはこんな写真撮影用モニュメントができていた。