2016年9月24日(土)

(今日のマップ)
門司港駅の駅舎は国の重要文化財に指定されているので鉄道ファンも多く訪れるが、現在は保存修理工事中で駅舎の全体像を見ることは出来ない。平成30年に工事は完了する予定となっている。

(門司港駅0哩標)

(駅舎の工事中を見学する台が設けられている)
昭和50年代、小倉-博多間を通勤していて、博多で飲んで列車に乗り寝過ごし、幾度か門司港駅まで乗ってしまった。冬程、列車内が暖かいので寝過ごす。寒い寒い潮風で酔いがいっぺんに醒め、震えながらなかなか来ないタクシーを待つ。私の門司港駅の思い出はそんなところ。その頃の門司港駅も、その周辺も寂しかった。今では、「門司港レトロ」として整備され、多くの観光客が訪れる街に変貌している。行く度に想い出と移り変わりを感じる。

(駅前にある旧門司三井倶楽部)
さて、今日のJR九州ウォーキング門司港駅コースで目指すは関門海峡の向こう側、下関の「火の山」頂上。

(門司港から見る火の山。目指すは頂上)
門司港レトロ地区を歩いて、門司港レトロ観光トロッコ列車「潮風号」の走る線路沿いに出る。「潮風号」は九州鉄道記念館駅と関門海峡めかり駅間を往復運転している。

(建築家・黒川紀章氏が設計した高層マンション『レトロハイマート』
31階には門司港レトロ展望室がある。)

(旧門司税関)

(はね橋「ブルーウイングもじ」全国で最大級の歩行者専用のはね橋)

(複合商業施設「海峡プラザ」)

(門司港レトロ観光トロッコ列車線路沿いを歩く)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(観光トロッコ列車「潮風号」)
ノーフォーク広場から関門橋の下を通って、「和布刈神社」へ。和布刈神社では「毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える和布刈神事が行われる。」また、松本清張の推理小説「時間の習俗」の舞台にもなっている。その小説を読んでから、和布刈神社・和布刈神事のことを知った。

(ノーフォーク広場から下関側)

(関門橋下)

(和布刈神社)

(和布刈神社前、和布刈神事はこのあたりでと思う)
門司から下関への歩いて渡れる、関門トンネルの人道入口は、和布刈神社から直ぐにある。トンネルは全長約780m。人道入口には、エレベーターがあり、門司側は地下約60m降りる。通行料は無料。ただし、軽車両(自転車・原付)は20円の通行料が必要で、押して歩く。今日トンネルを歩いているのはウォーカーが殆どだが、自転車や原付、個人でウォーキングやランニングの人も見かける。50年程前にデートで通ったことがあるが、その頃のトンネル内はほぼ二人だけの世界だった。

(関門人道トンネル)

(福岡・山口の県境)
トンネルを抜けて下関側に着く。下関側は地下約55m。ここから火の山に上る。歩いても上れるけど、ロープウェイで上る。ロープウェイは好きではないけど4分と短い。

(下関側トンネル入口)

(ロープウェイ)
山上駅から少し歩いて山頂まで行く。暑くて汗が落ちだす。山頂の売店でアイスモナカ。美味い。眺望写真を撮って、山頂付近を散策。火の山の由来はかつて山頂に敵の襲来を都に知らせるための狼煙台が設けられていたことにある。明治時代には砲台が置かれ、山頂は要塞で一般人は入山禁止だった。砲台跡が残っている。戦艦大和の弾丸も展示してある。

(石のお爺さんで、韓国の済州島に古くから伝わる守護神)

(ロープウェイ上駅あたりから)

(山頂展望台から)

(山頂展望台から)

(戦艦大和の砲弾)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡あたりで)
ロープウェイで下山して、みもすそ川公園 へ。公園前の海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆の瀬戸といわれ、潮流も一番速い。

(ロープウェイで下山)
公園に松本清張文学碑がある。清張は一歳から八歳のころまで公園の近くに住んでいた。碑には「半生の記」から次の文が刻まれている。「現在火の山という山にケーブルカーがついて展望台が出来ているが、その場所が旧壇ノ浦といって平家滅亡の旧蹟地になっている。そこに一群の家が四、五軒街道に並んで建っていた。裏はすぐに海になっているので家の裏の半分は石垣からはみ出て海に打った杭の上に載っていた。私の家は下関から長府に向かって街道から二軒目の二階屋だった。」門司の和布刈神社は対岸にある。和布刈神事の松明など見ていたかも知れない。

(松本清張文学碑)
公園には源氏と平氏の戦いで最後の決戦となった壇ノ浦の戦いで双方の大将であった、源義経と平知盛像もある。

(源義経像)

(平知盛像)
また、この地は幕末長州藩が攘夷思想でもってイギリス等の艦隊に二度にわたって砲撃を行った所でもある。公園にはその当時使われていた長州砲の原寸大のレプリカ5門も展示されている。

(長州砲の原寸大のレプリカ)
関門海峡の海岸沿いを下関駅方面へ歩くと朱塗りの赤間神宮に着く。壇ノ浦の戦で入水した安徳天皇を祀ってある。赤間神宮の前身は阿弥陀寺で、明治初めの廃仏毀釈により神社となった。

(関門海峡)

(関門海峡)

(赤間神宮)

(赤間神宮)
赤間神宮の境内には、みみなし芳一の「芳一堂」、壇ノ浦に散った平家一門14名の墓「七盛塚」がある。
芳一は阿弥陀寺の盲目の僧で、「平家物語」の弾き語りで有名な琵琶の達人。しものせき観光ホームページによると「ある日、芳一は深夜外出を繰り返し、不信に感じた僧たちが芳一の行先を探したところ、七盛塚の前で平家物語を奏でていたところを発見されます。住職は怨霊を取り除くため、芳一の身体中に般若心経を書き綴りました。ところが芳一の両耳に経文が書かれていなかったため、怨霊がそれに気付き、その両耳をちぎって立ち去りました。以降は怨霊が現れることはなくなりましたが、いつからとなく「耳なし芳一」といわれるようになった」とある。

(七盛塚)

(芳一堂)
お腹が空いてきたので、赤間神宮を後にして、下関ふくで有名な唐戸市場へ急ぐ。市場では金土日と祝日に「活きいき馬関街」が開催されている。握りすしや海鮮丼、ふく汁、ふくの天ぷら、海老天など海鮮の揚げ物を、20軒程であろうか多くの店が競って販売している。人出も多く、お腹も空いて、一つ一つ選んで買う余裕がなかったので、セットで売ってある握りすしとビールを買って、海岸で関門海峡を眺めながら食べる。大満足のお昼。

(唐戸市場)

(唐戸市場)

(唐戸市場)

(唐戸市場から門司港側)

(唐戸市場)

(唐戸市場)
食べ終わったら、少しだけ歩いて門司への連絡船乗り場へ。ここからは巌流島観光の船も出ている。まだ乗ったことは無い。

(関門連絡船乗場)
5分程の船旅で、門司港に着く。

(船上から)

(船上から)

(船上から)

(船上から、はね橋が開いている)
門司港駅前を通って、九州鉄道記念館がゴール。何度か入ったことがあるのでパスした。

(カラスがウォーカーを冷やすように鳴いていた)

(九州鉄道記念館)
記念館にはいつか孫たちを連れて来よう、と思いながら今日のウォーキングを終える。

(今日のマップ)
門司港駅の駅舎は国の重要文化財に指定されているので鉄道ファンも多く訪れるが、現在は保存修理工事中で駅舎の全体像を見ることは出来ない。平成30年に工事は完了する予定となっている。

(門司港駅0哩標)

(駅舎の工事中を見学する台が設けられている)
昭和50年代、小倉-博多間を通勤していて、博多で飲んで列車に乗り寝過ごし、幾度か門司港駅まで乗ってしまった。冬程、列車内が暖かいので寝過ごす。寒い寒い潮風で酔いがいっぺんに醒め、震えながらなかなか来ないタクシーを待つ。私の門司港駅の思い出はそんなところ。その頃の門司港駅も、その周辺も寂しかった。今では、「門司港レトロ」として整備され、多くの観光客が訪れる街に変貌している。行く度に想い出と移り変わりを感じる。

(駅前にある旧門司三井倶楽部)
さて、今日のJR九州ウォーキング門司港駅コースで目指すは関門海峡の向こう側、下関の「火の山」頂上。

(門司港から見る火の山。目指すは頂上)
門司港レトロ地区を歩いて、門司港レトロ観光トロッコ列車「潮風号」の走る線路沿いに出る。「潮風号」は九州鉄道記念館駅と関門海峡めかり駅間を往復運転している。

(建築家・黒川紀章氏が設計した高層マンション『レトロハイマート』
31階には門司港レトロ展望室がある。)

(旧門司税関)

(はね橋「ブルーウイングもじ」全国で最大級の歩行者専用のはね橋)

(複合商業施設「海峡プラザ」)

(門司港レトロ観光トロッコ列車線路沿いを歩く)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(線路沿いで)

(観光トロッコ列車「潮風号」)
ノーフォーク広場から関門橋の下を通って、「和布刈神社」へ。和布刈神社では「毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える和布刈神事が行われる。」また、松本清張の推理小説「時間の習俗」の舞台にもなっている。その小説を読んでから、和布刈神社・和布刈神事のことを知った。

(ノーフォーク広場から下関側)

(関門橋下)

(和布刈神社)

(和布刈神社前、和布刈神事はこのあたりでと思う)
門司から下関への歩いて渡れる、関門トンネルの人道入口は、和布刈神社から直ぐにある。トンネルは全長約780m。人道入口には、エレベーターがあり、門司側は地下約60m降りる。通行料は無料。ただし、軽車両(自転車・原付)は20円の通行料が必要で、押して歩く。今日トンネルを歩いているのはウォーカーが殆どだが、自転車や原付、個人でウォーキングやランニングの人も見かける。50年程前にデートで通ったことがあるが、その頃のトンネル内はほぼ二人だけの世界だった。

(関門人道トンネル)

(福岡・山口の県境)
トンネルを抜けて下関側に着く。下関側は地下約55m。ここから火の山に上る。歩いても上れるけど、ロープウェイで上る。ロープウェイは好きではないけど4分と短い。

(下関側トンネル入口)

(ロープウェイ)
山上駅から少し歩いて山頂まで行く。暑くて汗が落ちだす。山頂の売店でアイスモナカ。美味い。眺望写真を撮って、山頂付近を散策。火の山の由来はかつて山頂に敵の襲来を都に知らせるための狼煙台が設けられていたことにある。明治時代には砲台が置かれ、山頂は要塞で一般人は入山禁止だった。砲台跡が残っている。戦艦大和の弾丸も展示してある。

(石のお爺さんで、韓国の済州島に古くから伝わる守護神)

(ロープウェイ上駅あたりから)

(山頂展望台から)

(山頂展望台から)

(戦艦大和の砲弾)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡)

(砲台跡あたりで)
ロープウェイで下山して、みもすそ川公園 へ。公園前の海は関門海峡の一番狭まったところで早鞆の瀬戸といわれ、潮流も一番速い。

(ロープウェイで下山)
公園に松本清張文学碑がある。清張は一歳から八歳のころまで公園の近くに住んでいた。碑には「半生の記」から次の文が刻まれている。「現在火の山という山にケーブルカーがついて展望台が出来ているが、その場所が旧壇ノ浦といって平家滅亡の旧蹟地になっている。そこに一群の家が四、五軒街道に並んで建っていた。裏はすぐに海になっているので家の裏の半分は石垣からはみ出て海に打った杭の上に載っていた。私の家は下関から長府に向かって街道から二軒目の二階屋だった。」門司の和布刈神社は対岸にある。和布刈神事の松明など見ていたかも知れない。

(松本清張文学碑)
公園には源氏と平氏の戦いで最後の決戦となった壇ノ浦の戦いで双方の大将であった、源義経と平知盛像もある。

(源義経像)

(平知盛像)
また、この地は幕末長州藩が攘夷思想でもってイギリス等の艦隊に二度にわたって砲撃を行った所でもある。公園にはその当時使われていた長州砲の原寸大のレプリカ5門も展示されている。

(長州砲の原寸大のレプリカ)
関門海峡の海岸沿いを下関駅方面へ歩くと朱塗りの赤間神宮に着く。壇ノ浦の戦で入水した安徳天皇を祀ってある。赤間神宮の前身は阿弥陀寺で、明治初めの廃仏毀釈により神社となった。

(関門海峡)

(関門海峡)

(赤間神宮)

(赤間神宮)
赤間神宮の境内には、みみなし芳一の「芳一堂」、壇ノ浦に散った平家一門14名の墓「七盛塚」がある。
芳一は阿弥陀寺の盲目の僧で、「平家物語」の弾き語りで有名な琵琶の達人。しものせき観光ホームページによると「ある日、芳一は深夜外出を繰り返し、不信に感じた僧たちが芳一の行先を探したところ、七盛塚の前で平家物語を奏でていたところを発見されます。住職は怨霊を取り除くため、芳一の身体中に般若心経を書き綴りました。ところが芳一の両耳に経文が書かれていなかったため、怨霊がそれに気付き、その両耳をちぎって立ち去りました。以降は怨霊が現れることはなくなりましたが、いつからとなく「耳なし芳一」といわれるようになった」とある。

(七盛塚)

(芳一堂)
お腹が空いてきたので、赤間神宮を後にして、下関ふくで有名な唐戸市場へ急ぐ。市場では金土日と祝日に「活きいき馬関街」が開催されている。握りすしや海鮮丼、ふく汁、ふくの天ぷら、海老天など海鮮の揚げ物を、20軒程であろうか多くの店が競って販売している。人出も多く、お腹も空いて、一つ一つ選んで買う余裕がなかったので、セットで売ってある握りすしとビールを買って、海岸で関門海峡を眺めながら食べる。大満足のお昼。

(唐戸市場)

(唐戸市場)

(唐戸市場)

(唐戸市場から門司港側)

(唐戸市場)

(唐戸市場)
食べ終わったら、少しだけ歩いて門司への連絡船乗り場へ。ここからは巌流島観光の船も出ている。まだ乗ったことは無い。

(関門連絡船乗場)
5分程の船旅で、門司港に着く。

(船上から)

(船上から)

(船上から)

(船上から、はね橋が開いている)
門司港駅前を通って、九州鉄道記念館がゴール。何度か入ったことがあるのでパスした。

(カラスがウォーカーを冷やすように鳴いていた)

(九州鉄道記念館)
記念館にはいつか孫たちを連れて来よう、と思いながら今日のウォーキングを終える。
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