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映画と渓流釣り

フェイブルマン家のお母さんについての映画

自分の母親を物語にするのって、とても勇気のいること
それも母親の女として部分を描くのは相当な覚悟がなくちゃできない
ほんと、スピルバーグは家族と芸術を秤にかけて映画を作っているんだなぁと感心してしまう

てっきりスピルバーグ少年が映画に出会い、試行錯誤しながらも映画監督への道を歩む姿を描くのだと思っていた。半分は確かにそうなんだけど、メインに語られたのはお母さんを中心とした家族の話だった
先日観たエブエブも結局は家族を描く映画だったけど、わたくしは断然フェイブルマン家の家族映画が好きだ

家族と父母の友人(おじさん)で遊びに行ったキャンプ中に映された母の女としての情は、フィルムに刻まれて何度もリピートされ否が応でも現実を見せつける。いくらアメリカだとは言え、1960年代の中西部あたりでは女性の不倫を見過ごしてはくれなかったろう。家族の絆を護ろうとしながらも、やっぱり自分の恋心を諌めることができずに鬱々としてしまう母親の描写は、作り物であってたとしもスピルバーグにとっては辛かったんじゃないだろうか

わたくしも学生の頃8mmフィルムで映画もどきを作ったことがある。撮影そのものは思うようにならないもどかしさと孤独感に苛まれ辛い事の方が多かったけど、脳味噌の中で自由に演出できるシナリオ執筆と編集作業は楽しかった。特に編集機器(映画で使われてたのと殆ど同じ)を使ってチマチマ絵をつないでいくのは、自分だけの世界を作り上げるようで時間を忘れて没頭したものだ
だから少年があの編集機器に映る母とおじさんの、幸せそうに見つめ合うストップモーションを見て感じた哀しみはよくわかる

いつものことながら登場人物はどこかにちょっとした欠点はあるにせよ、愛すべき人たちばかりだ
お父さんはコンピュータ馬鹿でユーモアのセンスは無いけど、妻の心を盗んだ友人も何よりその妻さえ慈しんでいる。自分はかなり傷ついていながらもだ
その友人だって別れの時に少年のために最新のムービーカメラを渡しながら、どうしようもない感情を押し殺している。あの立場の辛さは痛いほどわかるから、フェイブルマン家を壊した事を責めきれない
学校でのイジメっ子だってスピルバーグのヒューマニズムにかかれば結構いい奴になる

最後のジョン・フォードのエピソードが必要だったかは懐疑的ではあるが、天才は天才に会うべくして会うのかも知れない

スピルバーグが映画監督になって作り上げた多くの傑作の素は、こんな風に醸し出されていたんだと合点がいったのも、この作品のキモになっている。いずれ必ずや世界の巨匠監督として語られるのは間違いない人だから、この作品はちょうどいい時期に作られたんじゃないかと思う
フェイブルマン家の小さな物語だけど、偉大な映画作家の伝記として重要な作品でもある
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