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グッモオオニイイイイイン、ヴィエトナアアアム!
『レインマン』のバリー・レビンソン監督、ロビン・ウィリアムス主演、1987年の映画"Good Morning Vietnam"より。ルイ・アームストロングが歌う"Wonderful World"です。
映画の舞台は1965年のサイゴン市。アメリカ軍が南ベトナムの空爆を始め、サイゴン市内もきな臭くなり始めた年。アメリカには、北部のベトナム独立政府を支援する"ソビエト連邦"をおさえるねらいがありました。
>太平洋戦争(1941-1945)や日中戦争(1937-1945)をふくむ「第二次世界大戦」では、国家総力戦という考えで戦争をしていました。国家という社会全体が、個人の財産や考え方までをしばりました。第二次世界大戦では勝つか負けるかのどちらかしかなく、負ければすべてをうしなうと思いこんでいたからです。
ビート・チャイルドは、どこにいる?(2)|すべての大人に感謝します!
第二次世界大戦直後から1980年代まで、アメリカを中心とする自由主義経済国とソ連を中心とする社会主義経済国のどちらが勝つか世界中で争っていたのです。
1965年のベトナムは、フランスの植民地に進駐していた日本軍が撤退をした軍事的な空白地帯。アメリカ"政府"にとってはソ連に譲れません。一方、多くのアメリカ"国民"にとってはアメリカ本国や連合国側ではない見知らぬ国でしかありませんでした。
映画でも、そんなアメリカ人の悪気のない無自覚さにイラッとする場面が出てきます。監督はこれを意識して表現し、やんわりと批判しています。
>クロンナウアは英語教室へ行き、トリンに「ツアンを助けたから除隊になった、彼の正体がばれた為(ため)彼の身が危ない、すぐに彼のところに連れて行け」と説得する。ツアンを見つけたクロンナウアは必死で追いかける。途中で見失ったクロンナウアは「親友だったのに、信じていたのに、敵だったなんて!」と叫ぶ。ツアンはその声に答えて姿を現し、「アメリカ軍の無差別攻撃で自分の母や周りの人達を亡くしたのだ、敵は自らの利益のためにベトナムで戦うお前達じゃないか」と、涙ながらに反駁(はんばく)して姿を消す。親友との辛い別れと、アメリカ軍による南ベトナムへの「支援」は、実はアメリカによる一方的な善意の押し付けであったという真実に、クロンナウアは悲嘆(ひたん)に暮れる。
グッドモーニング, ベトナム(ウィキペディア・パソコンむけ)
アメリカ軍という"組織の一員"として最後までベトナムに受け入れられなかったと落ち込む主人公。でも、ラジオのディスクジョッキーとしてアメリカ軍兵士たちに絶大な人気です。アメリカ人同士だからではなく、兵士たち個人に主人公が個人として向き合っていたから。
もしもボクらが国や組織を超えおたがいに、もっと"個人として"向き合う意志を持ったとしたら
理想です。そんなこと実現なんてできないのかもしれません。だからこそ…
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world
なんて素晴らしいんだろう、この世界は
曲はルイ・アームストロングで"素晴らしき世界"。サッチモでした。(塾長)
>必死に説得するガーリックとジープに乗るが、道は故障車により通行できなくなった米第1歩兵師団のトラックでいっぱいだった。ガーリックはトラックの兵達に「ここにいるのは誰だと思う?……あのクロンナウアだ!」と紹介。「ホントか?」、「いつものアレをやってくれ」という兵達のリクエストに、最初は嫌がっていたものの、ミック・ジャガーのモノマネによるシャウトからマシンガントークへ。兵達から名前や出身地を聞き、それをネタにトークを繰り広げる。笑顔を見せる兵士たち。やがて道が開け、トラックが戦場に向け出発していく。腕を振り上げてクロンナウアに別れを告げる兵士達。クロンナウアは「君たちを忘れない」と、笑顔でそれを見送る。その後の放送で、クロンナウアはトラックの兵達に捧げると前置きしてルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」をかける。
上記ウィキペディアから。映画中で一番好きなシーンです。
サッチモ関連エッセイ集(個人サイト・パソコンむけ)
東南アジア現代美術展へ行ってみた|ジャングルにも都会はやって来る
グッモオオニイイイイイン、ヴィエトナアアアム!
『レインマン』のバリー・レビンソン監督、ロビン・ウィリアムス主演、1987年の映画"Good Morning Vietnam"より。ルイ・アームストロングが歌う"Wonderful World"です。
映画の舞台は1965年のサイゴン市。アメリカ軍が南ベトナムの空爆を始め、サイゴン市内もきな臭くなり始めた年。アメリカには、北部のベトナム独立政府を支援する"ソビエト連邦"をおさえるねらいがありました。
>太平洋戦争(1941-1945)や日中戦争(1937-1945)をふくむ「第二次世界大戦」では、国家総力戦という考えで戦争をしていました。国家という社会全体が、個人の財産や考え方までをしばりました。第二次世界大戦では勝つか負けるかのどちらかしかなく、負ければすべてをうしなうと思いこんでいたからです。
ビート・チャイルドは、どこにいる?(2)|すべての大人に感謝します!
第二次世界大戦直後から1980年代まで、アメリカを中心とする自由主義経済国とソ連を中心とする社会主義経済国のどちらが勝つか世界中で争っていたのです。
1965年のベトナムは、フランスの植民地に進駐していた日本軍が撤退をした軍事的な空白地帯。アメリカ"政府"にとってはソ連に譲れません。一方、多くのアメリカ"国民"にとってはアメリカ本国や連合国側ではない見知らぬ国でしかありませんでした。
映画でも、そんなアメリカ人の悪気のない無自覚さにイラッとする場面が出てきます。監督はこれを意識して表現し、やんわりと批判しています。
>クロンナウアは英語教室へ行き、トリンに「ツアンを助けたから除隊になった、彼の正体がばれた為(ため)彼の身が危ない、すぐに彼のところに連れて行け」と説得する。ツアンを見つけたクロンナウアは必死で追いかける。途中で見失ったクロンナウアは「親友だったのに、信じていたのに、敵だったなんて!」と叫ぶ。ツアンはその声に答えて姿を現し、「アメリカ軍の無差別攻撃で自分の母や周りの人達を亡くしたのだ、敵は自らの利益のためにベトナムで戦うお前達じゃないか」と、涙ながらに反駁(はんばく)して姿を消す。親友との辛い別れと、アメリカ軍による南ベトナムへの「支援」は、実はアメリカによる一方的な善意の押し付けであったという真実に、クロンナウアは悲嘆(ひたん)に暮れる。
グッドモーニング, ベトナム(ウィキペディア・パソコンむけ)
アメリカ軍という"組織の一員"として最後までベトナムに受け入れられなかったと落ち込む主人公。でも、ラジオのディスクジョッキーとしてアメリカ軍兵士たちに絶大な人気です。アメリカ人同士だからではなく、兵士たち個人に主人公が個人として向き合っていたから。
もしもボクらが国や組織を超えおたがいに、もっと"個人として"向き合う意志を持ったとしたら
理想です。そんなこと実現なんてできないのかもしれません。だからこそ…
And I think to myself, what a wonderful world
Yes, I think to myself, what a wonderful world
なんて素晴らしいんだろう、この世界は
曲はルイ・アームストロングで"素晴らしき世界"。サッチモでした。(塾長)
>必死に説得するガーリックとジープに乗るが、道は故障車により通行できなくなった米第1歩兵師団のトラックでいっぱいだった。ガーリックはトラックの兵達に「ここにいるのは誰だと思う?……あのクロンナウアだ!」と紹介。「ホントか?」、「いつものアレをやってくれ」という兵達のリクエストに、最初は嫌がっていたものの、ミック・ジャガーのモノマネによるシャウトからマシンガントークへ。兵達から名前や出身地を聞き、それをネタにトークを繰り広げる。笑顔を見せる兵士たち。やがて道が開け、トラックが戦場に向け出発していく。腕を振り上げてクロンナウアに別れを告げる兵士達。クロンナウアは「君たちを忘れない」と、笑顔でそれを見送る。その後の放送で、クロンナウアはトラックの兵達に捧げると前置きしてルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」をかける。
上記ウィキペディアから。映画中で一番好きなシーンです。
サッチモ関連エッセイ集(個人サイト・パソコンむけ)
東南アジア現代美術展へ行ってみた|ジャングルにも都会はやって来る