べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

泣いたアカオーニ|文学って、なんだろう(1)

2013年09月01日 | 私から保護者へ
[あらすじ]

とある山の中に、一人の赤鬼(あかおに)が住(す)んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸(わ)かしてございます」という立て札(ふだ)を書き、家の前に立てておいた。

しかし、人間たちは疑(うたが)い、誰(だれ)一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。赤鬼は非常に悲しみ、信用してもらえないことを悔(くや)しがり、終(しま)いには腹(はら)を立て、せっかく立てた立て札を引き抜(ぬ)いてしまった。

一人悲しみに暮(く)れていた頃(ころ)、友達の青鬼が赤鬼の元(もと)を訪(おとず)れる。赤鬼の話を聞いた青鬼はあることを考えた。 それは、「青鬼が人間の村へ出かけて大暴(おおあば)れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」という策(さく)であった。これでは青鬼に申(もう)し訳(わけ)ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引(ごういん)に赤鬼を連(つ)れ、人間達(たち)が住む村へと向(む)かうのだった。

浜田廣介(はまだひろすけ)「泣いた赤鬼


 うまく生きられないのは、"わたし"だけじゃなかったんだ。だれとでも仲良くなんて、建前(たてまえ)だ。どこでもいつも誰とでも、笑顔でなんかいられない。でも…ひとりぼっちは怖(こわ)いから


 これは、"わたしの"赤鬼です



 文学は楽しい。"わたし"を解放(かいほう)します

 文学は、他人と"体験"や"想像"を共有して、個人の視点(してん)から訴(うった)えかけます。絵画や音楽といった"わたし"の心に訴えかけてくる芸術、歴史や倫理や哲学や心理学も多くの人々心の奥底に共有され続ける"体験"です。

 学問の世界では、これらを人文科学(じんぶんかがく)とよびます。


 "わたし"は、なにをしてきたのだろう、なにをしていくのだろう。"正解"は、どこにも用意されていません。外の世界との体験を通して、自分自身に問いかけ続ける以外にありません。

 もどかしい

 "正解"なんて、もとからないのかもしれない。それでも、"正解"をもとめ自(みずか)らを変え続けるのも、ヒトという生き物です。

 続きます。(塾長)


 数えきれないほど多くの先輩たちと、"共有する"ここちよさをを体感してみよう。

ディケンズ「クリスマスキャロル」
クリスマスキャロルが流れるころには

小松左京「復活の日」
「こわいゆめ、わすれてないよ。」|さよなら小松左京

スチーブンソン「宝島」
さあ行こう 夢にみた島へと 波をこえて 風にのって 海へでよう

寺田寅彦「柿の種」
小学漢字を中学・高校の読解に生かす(4)|テレビの漢字クイズを見て

新美南吉「手袋を買いに」
いいないいな、人間って…ほんとうにいいものかしら|体験と教科書から表現を広げる

志賀直哉「城(き)の崎にて」
なんでミツバチすぐ死んでしまうん?|音読を楽しもう

宮沢賢治「どんぐりと山猫」
このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。

芥川龍之介「仙人」
権助が仙人の奉公口を探しているようです|音読を楽しもう

夏目漱石「吾輩(わがはい)は猫である」
名無しの猫と三毛子さんが真面目にボケる|音読を楽しもう


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