写真は、フィンセント・ファン・ゴッホの自画像(じがぞう)。1889年、36歳のときの作品。ゴッホのうしろには、日本の浮世絵(うきよえ)がかざられています。
ゴッホは、1853年オランダの牧師(ぼくし・キリスト教伝道の責任者)の家に生まれます。1853年は「一夜ゴミだらけペリー来航(らいこう)」で、江戸時代末から明治時代のころです。
美術商のおじさんのところで働き、牧師として貧しい人々のなかでも働きますが、うまくいきませんでした。1885年には「じゃがいもを食べる人々」など農家の生活をえがき、そこに受け入れられたいという願いがあらわれています。
ゴッホにとって絵をかくことは、美しい売れる絵をかくことではなく、自分のわきあがる感情をかたちにすることでした。
1888年には南フランスのアルルで画家のゴーギャンと共同生活をし、太陽の黄色もあざやかな「ひまわり」「アルルのはね橋」「ゴッホの寝室」などをかきあげますが、ゴーギャンとはけんか別れしてしまいます。やはりうまくいかない。
写真の自画像はそのころの作品です。美しいものや立派な人物ではない、うまくいかず失意(しつい)の自分自身をかいたのです。
こんな作品は売れない。売れないけれど、おなじ境遇(きょうぐう)にあるだれかの感情をゆさぶります。宮沢賢治もおなじように作品は売れませんでした。
real[りーぁる]本当の、本物の、現実の(形容詞)
だれかの感情をゆさぶる「リアル」とは、特別な体験や能力からではなく、自分自身とむきあうことでも生まれます。
続きます。(塾長)
ゴッホは、1853年オランダの牧師(ぼくし・キリスト教伝道の責任者)の家に生まれます。1853年は「一夜ゴミだらけペリー来航(らいこう)」で、江戸時代末から明治時代のころです。
美術商のおじさんのところで働き、牧師として貧しい人々のなかでも働きますが、うまくいきませんでした。1885年には「じゃがいもを食べる人々」など農家の生活をえがき、そこに受け入れられたいという願いがあらわれています。
ゴッホにとって絵をかくことは、美しい売れる絵をかくことではなく、自分のわきあがる感情をかたちにすることでした。
1888年には南フランスのアルルで画家のゴーギャンと共同生活をし、太陽の黄色もあざやかな「ひまわり」「アルルのはね橋」「ゴッホの寝室」などをかきあげますが、ゴーギャンとはけんか別れしてしまいます。やはりうまくいかない。
写真の自画像はそのころの作品です。美しいものや立派な人物ではない、うまくいかず失意(しつい)の自分自身をかいたのです。
こんな作品は売れない。売れないけれど、おなじ境遇(きょうぐう)にあるだれかの感情をゆさぶります。宮沢賢治もおなじように作品は売れませんでした。
real[りーぁる]本当の、本物の、現実の(形容詞)
だれかの感情をゆさぶる「リアル」とは、特別な体験や能力からではなく、自分自身とむきあうことでも生まれます。
続きます。(塾長)