はんかくさいんでないかい。

八つ当たりブログである。だから誤爆はある。錯誤もある。情報の正確性も保証しない。でも、変なことは変だと言いたいのである。

格差社会

2013年05月02日 | 日記
ユニクロの柳井社長の発言が物議を醸している。格差がいよいよ広がる社会の、ある部分の肯定的発言である。では柳井氏が語る「世界標準」の「格差社会」とは、どのようなものだろうか。

それぞれの土地で生きていくだけの生活を送る人が増える一方で、一部の人たちが利益を得て、金持ちは益々金持ちになる社会である。

こうした金持ちの原資は、企業経営や、その企業の株式を持ち、運用などによって高収益を上げるという社会でもある。原資とその運用によって得られる利益は、莫大なものとなる。その側に居る人には、物質的金銭的にはまさに天国である。

で、天国があれば地獄もある。底辺にある労働者の多くは、困窮の度を増す。年収一億円の人と百万円の人とに分断され、日本が長く描いていた幻想の「中流」は消えてなくなるという話だ。

日本が起こした経済成長は、日本人が一丸となって作り出した「中流社会」が「消費」を支えたためでもある。つまり「消費」させるために多くの企業や、それに連なる政治家、官僚機構が一丸となって幻想の中流社会を作り出した結果とも言える。

それには日本人の特性、あるいは日本人社会の特性もある。右を見て左を見て前を見て後ろを見て右顧左眄しながら突出せず、同じように同じ歩幅で一歩を踏み出す、という社会である。それは軍国少年が軍国主義的教育を、敗戦により経済に振り向けた姿でもあった。戦後の高度経済成長は、かくして軍国主義の隠れた遺物として成就したのである。

世代が変わると考えも変わる。現在は戦後第三世代である。第二世代とも言える私たちの年代は、団塊の世代を中心として、そうした戦後軍国主義的全体主義経済社会の中で生きてきた。軍国主義的世界は、第二世代にまで引き継がれ、エコノミックアニマルと海外から揶揄されながらも、それなりの成果を挙げてきて、いわゆる3Cというような生活家電などが、ほぼ殆どの家庭に完備されるに至る。

実は、軍国主義的経済主義社会の目標は、この段階で達成されたと言える。軍国主義が南方戦線で戦果を挙げた第二次大戦初頭の成功体験が、結局のところ「一億玉砕」「欲しがりません勝つまでは」「兵隊さんは命がけ私たちは襷がけ」などという世界を、敗北が明らかになった時点でも「まだ日本はこんなものじゃない」といい続けてきた結果の敗戦である。なにやら現在の日本経済に対する政治家の発言も、どうやら似ているのではないか。大丈夫なわけ無いだろう、と戦後第二世代、団塊世代の直後の世代の私としては思わざるを得ない。責任ある立場の人間が、周辺環境とは違うことを言い始めた時点で「眉に唾して聴く」のが習い性となっているのである。

柳井氏の発言に話を戻す。困窮する人が増えると、結婚する率が下がる。子供という将来の消費者そのものが減る。更に、多くの第三世界で子供が増えるのは、家庭内での労働力という意味もあるが、婚外子の増加もあるという点がある。つまり、困窮のために女性は体を売る。真っ当な避妊もしないから、望まぬ妊娠・出産も増える。望んでいないから育てられなく育児放棄され、ストリート・チルドレンなどが増える。もちろん、こうした子供たちも自分が生き延びるために、犯罪を犯すようになる。こうした子供が成長しても、彼らが成功を収めるための手段は限られている。最も簡単な方法は、犯罪者の中で成り上がり、大物となっていくことだ。あるいは、そうした大物の周囲に擦寄ることである。こうした連中は消費者足り得るだろう。

そうはならない人たちは、多分子供も家庭も持たぬようになる。消費をしたくてもできない層となる。こうした層の中で様子が良い女性などは、いわゆる高額所得者の「愛人」となる。子供も生むだろうし、真っ当な「旦那」ならば、生まれた子供を認知し、養育する費用も出すだろう。しかし、多分そうはならない。高額所得者にとっては性欲を満たすためだけの様子の良い女性などは取替えが効く。そこで母親は困窮する。子供も同時に困窮する。で底辺には、婚外子が溢れ、ストリートチルドレンが溢れる。優良な消費者とはなりえない。

優良な消費者が減れば、企業は売り上げが減少する。多くの企業が売り上げ減少に直面する。単価を下げなければモノが売れないこととなる。付加価値などと言う話があるのだが、付加価値などという装飾を求める優良な消費者の絶対数が減る一方で、本質的な価値があれば低廉で良いという「企業にとってはありがたくない消費者層」が構築される。実は、この付加価値の否定というのが、現在の日本のデフレではないのか。

私の腕時計は八百円のカシオの腕時計である。セイコーの2002年ワールドカップ記念の腕時計も持っているのだが、電池が切れた。防水機能を持つ腕時計であるだけに、電池交換に札幌だとヨドバシカメラに行って千二百円程度の費用がかかる。防水機能を生かして電池交換するためには、なにやら町の電気屋さんや時計屋さんでは無理で、それなりの設備が必要だと言う。であるならば、使い捨てであっても八百円の腕時計で十分だ、というのが私の思いである。時間さえ分かればよいのである。貧者の発想とは、かくしてこうなるのである。効率的な考え方である。デザインなどは二の次である。時間がわかればよいだけの時計に、きらびやかな装飾は不要ということだ。こうした消費者が増えていて、しかも少子高齢化による人口減少が進む日本である。そこに加えて格差拡大社会である。未来って明るいですか?