最近、拝島駅近くの居酒屋伽沙でバイトを初めてもう2週間
社長さんと話をしながら、お店の空間プロデュースをしています。
メニューを書き直したり、細かい付属品を造ったり、和紙を使ってランプを変えたり、POPを造ってみたり
と色々な仕事をこなしながら、名刺の仕事を頂いたり、作品の仕事を頂いたりと
細かな仕事を、淡々とこなしています。
3月17日の牛浜駅近くのすまるでは、今回知り合ったこけだまアーティスト長谷川さんとのコラボもしようと
想っています。
悠紀ちゃん長谷川さんとこれで3人のコラボになります。
すまるでは今までにない、個展でこんな事も出来るんだという、新しい視野を広げた個展にしたく
皆とののコラボの形を造りだしたいと想っています。
どんなサプライズにするかはまだ検討中ですが、今後の活動の為にも今回は、色濃いものにしたいと思っています。
もしかしたら、皆さんにはビックリしてしまい、引かれる恐れもあるかと思いますが、何年か先には
「あの個展は、先を行ってたよね」なんて言われる様なものにしたいと思っています。
今回、伽沙で作品の依頼を貰い社長との話の中に、人と人との輪という話が出て、『和が輪となりわを造る』
という詩を造りました。
そうです、前のブログにも写真が出ている様に、もう詩はあったのですが、漢字が違います。
分かった方は、空豆通ですね。
その社長さんもとい、僕も書き始めの26歳ぐらいの頃、人の輪で何かを出来ないか、商売には結びつかないのか
そんな事も考え、自分の力不足力量の無さを思い知らされ、30歳を過ぎた頃から
空豆制作所。の形を夢に見て来ました。
最近は、かざみどりという形は違いますが、思いや動きは一緒の人達に出逢い
アダマスというインディアンの言葉からできた会社の社長さんとの話、想いを聞く事が出来
僕の人生は20歳になり、頭の回転を速くする事を目標にして来て、30歳を超えてから
人脈、コラボ、交わりなどという言葉をよく考える事が増えて来た気がします。
この歳で、この考えに共感し、力を貸して人生を共にしようなんて勇気のある女性が出来、わがままな仕事の体制に
理解のあるアルバイト先の社長に出逢い、人生の上での良き理解者、協力者(車なんかを安く譲って頂き)
空豆制作所。の仲間、僕の苦手な営業マンを買って出てくれたりと、もの凄く人の輪という物が、空豆の活動をとうして広がって来た気がします。
ある方から、空豆は自分人生の中で、楽しんでいると言われました。
まさに、その通りだと思います。
僕は、過去に2度ほど心に傷を覆い壊れてしまいました。
人が怖くなり、人に逢う事も見られる事も怖くなり、外に出れなくなりました。
そんな時、僕の作品で人の心が温かくできるという事を知りました。
僕の生きる、励みになり人は70年で死んでしまうなら
死んでしまう前に、英雄になりたいと思う様になりました。
でも、英雄というのは大抵死んでからあいつはいい奴だった、彼は英雄だと
いわれる事が多いと思います。
なら僕は、死んでしまうまでに飄々生き、僕と出逢った人に、僕の作品で詩や文字
空豆という人間を見てもらって和みを知ってもらおう。
そんな大それた事を想う様になっています。
今は、アルバイトでも先は定食屋の変わり者親父か楽書家の創設者という想いを掲げて生きています。
70年しか無い人生楽しいもの、好きな人、好きな事を見つけて、それをみじかに置いておける人の方が
少ないのでは無いのでしょうか。
お金はなくても、そんな一握りの人生や人間になりたいと思っています。
生意気なようですが、僕は正直にありたいのです。
空豆制作所。
主宰 空豆
社長さんと話をしながら、お店の空間プロデュースをしています。
メニューを書き直したり、細かい付属品を造ったり、和紙を使ってランプを変えたり、POPを造ってみたり
と色々な仕事をこなしながら、名刺の仕事を頂いたり、作品の仕事を頂いたりと
細かな仕事を、淡々とこなしています。
3月17日の牛浜駅近くのすまるでは、今回知り合ったこけだまアーティスト長谷川さんとのコラボもしようと
想っています。
悠紀ちゃん長谷川さんとこれで3人のコラボになります。
すまるでは今までにない、個展でこんな事も出来るんだという、新しい視野を広げた個展にしたく
皆とののコラボの形を造りだしたいと想っています。
どんなサプライズにするかはまだ検討中ですが、今後の活動の為にも今回は、色濃いものにしたいと思っています。
もしかしたら、皆さんにはビックリしてしまい、引かれる恐れもあるかと思いますが、何年か先には
「あの個展は、先を行ってたよね」なんて言われる様なものにしたいと思っています。
今回、伽沙で作品の依頼を貰い社長との話の中に、人と人との輪という話が出て、『和が輪となりわを造る』
という詩を造りました。
そうです、前のブログにも写真が出ている様に、もう詩はあったのですが、漢字が違います。
分かった方は、空豆通ですね。
その社長さんもとい、僕も書き始めの26歳ぐらいの頃、人の輪で何かを出来ないか、商売には結びつかないのか
そんな事も考え、自分の力不足力量の無さを思い知らされ、30歳を過ぎた頃から
空豆制作所。の形を夢に見て来ました。
最近は、かざみどりという形は違いますが、思いや動きは一緒の人達に出逢い
アダマスというインディアンの言葉からできた会社の社長さんとの話、想いを聞く事が出来
僕の人生は20歳になり、頭の回転を速くする事を目標にして来て、30歳を超えてから
人脈、コラボ、交わりなどという言葉をよく考える事が増えて来た気がします。
この歳で、この考えに共感し、力を貸して人生を共にしようなんて勇気のある女性が出来、わがままな仕事の体制に
理解のあるアルバイト先の社長に出逢い、人生の上での良き理解者、協力者(車なんかを安く譲って頂き)
空豆制作所。の仲間、僕の苦手な営業マンを買って出てくれたりと、もの凄く人の輪という物が、空豆の活動をとうして広がって来た気がします。
ある方から、空豆は自分人生の中で、楽しんでいると言われました。
まさに、その通りだと思います。
僕は、過去に2度ほど心に傷を覆い壊れてしまいました。
人が怖くなり、人に逢う事も見られる事も怖くなり、外に出れなくなりました。
そんな時、僕の作品で人の心が温かくできるという事を知りました。
僕の生きる、励みになり人は70年で死んでしまうなら
死んでしまう前に、英雄になりたいと思う様になりました。
でも、英雄というのは大抵死んでからあいつはいい奴だった、彼は英雄だと
いわれる事が多いと思います。
なら僕は、死んでしまうまでに飄々生き、僕と出逢った人に、僕の作品で詩や文字
空豆という人間を見てもらって和みを知ってもらおう。
そんな大それた事を想う様になっています。
今は、アルバイトでも先は定食屋の変わり者親父か楽書家の創設者という想いを掲げて生きています。
70年しか無い人生楽しいもの、好きな人、好きな事を見つけて、それをみじかに置いておける人の方が
少ないのでは無いのでしょうか。
お金はなくても、そんな一握りの人生や人間になりたいと思っています。
生意気なようですが、僕は正直にありたいのです。
空豆制作所。
主宰 空豆