今はまだ面会が禁止されているので、事務所の方に託してきました。
少し前、
母担当の職員さんから、
少し前、
母担当の職員さんから、
『みゆきさん!次に洋服を買い足して頂く時は、伸びる素材のものでLかLLサイズをお願いします!』
と連絡がありました。
前の施設で、
入れ歯を失くし、
大腿骨を骨折をし、
何ヵ月も続く発熱の原因をなかなかつきとめさせて貰えず、
ガリガリに痩せてしまった母でしたが、
(アカンアカン…また前の施設での嫌な出来事を語り始めよるやん)
今の施設に移り、
食欲も増し、見違えるほどふくよかになりました。
今あるMサイズの服が、どれも窮屈になってきたそうです。
半年ほどの期間に、要介護2から要介護5まで、要介護度が上がってしまうほど、なに一つ自分では出来なくなってしまった母が、
今の施設に移ってきたその日に、昼食を自らの手で箸を握って口に運ぼうとしている姿に、本当に驚きました。
↑その時の母です。
周りの環境や関わり方で、認知症の症状の進行が早まったり、 緩まったりすることを実感しました。
最近、弟がよく言います。
『姉ちゃん…俺ら、今やったら、おやじもおふくろも、家で看てやれてたかもしれんなぁ…、俺、後悔ばっかりやわ。』と。
あの頃は弟、まだ息子が高校生で、高校野球の試合や遠征やと息子に付きっきりで走り回っていた頃でした。
私は私で、あの頃はまだ義両親に気を遣いながら実家に通っていたので、
充分に…、思ったように親を看てやることは出来ませんでした。
それが苦しくて、何度 主人に離婚して~~!と頼んだことか。
今では笑って話せるけど、あの頃
『自分の親のことで、この家に迷惑をかけるのはイヤ!私の残りの人生は、親の為に捧げたい!』
真剣思ってましたもんね~~
弟が言うように、
今だったら……。
考え出すと止まらなくなりますが、
弟も私も、その時その時、出来ることを精一杯して、
母にとって、その時その時、一番良い選択をしてきた…と思いたいです。
子供の為や、まわりの人たちの為に一生懸命してきた母なので、
美味しい物をいっぱい食べて、可愛い服を着て、これからも穏やかな毎日を送ってもらいたいです。
あ、
先日…
施設から
『今、みゆきさん、家に居られますか?』と電話がありました。
『今から、かよ子さん(母)を車に乗せて出掛けるのですが、みゆきさんの家の前を通るので、一瞬でもお顔を見てもらえたらな…と思って』
との事でした。
との事でした。
ちょうど外で仕事をしていました。
ドア越しですが、何ヵ月ぶりに見る母の顔…
なかなか会えないので、久しぶりに母の顔を見ると、
想いが溢れて涙が出てしまいました。
『お母さん!元気にしとった?』
娘の事すら覚えていない母から返事はありませんでしたが、
別れ際、母は穏やかな笑顔を見せてくれました。
このあと注文しているお寿司を取りに行かれると言われていました。
その日は、誕生会か何か催しがあったのでしょうか…
親切で優しい職員さん方に囲まれて、やっぱり今、母は絶対幸せに暮らせていますよね…