自身の俳句の説明なんて興醒めの極み。でも、それを気にするほどの力量ではありません。一方、己で感じたことすら忘れてしまう可能性が大、浅はかなあがきとお見逃しください。興醒めついでに詠んだ後のセルフコメントも可にしております。
※(なので)句会では伝えていないことのが多いかもしれません
今回は
迷路柄X(エックス)Z(ズィー)で賀状書く
十二支のイラストを年賀状に描くとき、どうして描き上げた格好、デザインにしたのか。例えば、自分でその動物を撮った写真があれば、それを基にして見ながら描きましたっていのが前文のどうしてに当たる。この事項についてだけでも、本一冊分程度の考察※を書けてしまいそうだが、それは、この六前後前とは関係ない。とにかく、どうしての解決策の一つとして、十二支で迷路を作成。
だから、今年も猪で迷路を描いていた。例年と違うのは賀状書くという季語を歳時記で見つけていたことだ。六前後前に初めて向かうに当たり、年賀状にまつわることで一句詠めるかもしれないと頭の片隅に意識されたのである。
その結果、これまで以上に年賀状作成について考察してしまったようで、年賀状に迷路を描いて良いのだろうかという疑念が生まれたのである。新年早々、迷うなんてよろしくないのではないかと考えてしまった。
とりあえず、描きかけの迷路をコントロール+Xで画面から消し去ってみる。残った猪の輪郭。まあ、いろんな料理の仕方があるが何をするにも、どうして?が発生。初笑いみたいな感じで初迷路ッていのは、やはり便利だ。それに過去、迷路年賀状を出した実績もあるため、それらを否定するような行為になることも頷けない。
コントロール+Zで復活させる。でも、しばらく作業を進めると再び、新年から迷路でいいのかと考えてしまい・・・・・・。数ターンそのようなことを繰り返し、描き上げてしまえばあり。また、来年以降も迷うまい!と思った次第。
(※についてつづきをかくかも)
障子より大雀舞う一羽二羽
六前後前(俳句)をはじめる少し前、または野鳥に関心を持つようになってからしばらくたった頃である12月中旬。少しだけ開けておいた障子の隙間から地をつつく数羽の雀をみていた。うち2、3羽が飛び立つ。
日の光により眩しくなった紙の白地に克明に映し出されていた楓や松の枝の影に時間差で二羽の雀のシルエットが加わる。水墨画へ覚えがあるわけでもないが名画というのは動かぬ松に対して雀が動いて見えくるものかもしれないと見事な黒白の静動に手元のスマホの存在も忘れ、見惚れていた・・・
・・・ことをオモイ出して、歳時記をスクロールしていると寒雀という季語をみつけ早速ファースト版をつくり、各言葉を歳時記で確認すると障子が冬の季語であることが判明。一般常識に欠けているだけのことに過ぎないが
障子が冬の季語である理由に恐れ入る。
日時が違うので上記の楓や松の影もボンヤリですが障子に映ることは
冬の太陽の高度ならでは。
一年以上経った十二月終盤(しかも雀ではなく山雀です)。
(書きかけなので、つづく予定だけど、ここらが締め時?)
笹鳴に百均レンズ姿みる
(まだ書いていません)
備忘六前後前_2018末&2019へ
※(なので)句会では伝えていないことのが多いかもしれません
今回は
初迷路に迷い、黒白、ギャッギャッ
について
迷路柄X(エックス)Z(ズィー)で賀状書く
十二支のイラストを年賀状に描くとき、どうして描き上げた格好、デザインにしたのか。例えば、自分でその動物を撮った写真があれば、それを基にして見ながら描きましたっていのが前文のどうしてに当たる。この事項についてだけでも、本一冊分程度の考察※を書けてしまいそうだが、それは、この六前後前とは関係ない。とにかく、どうしての解決策の一つとして、十二支で迷路を作成。
だから、今年も猪で迷路を描いていた。例年と違うのは賀状書くという季語を歳時記で見つけていたことだ。六前後前に初めて向かうに当たり、年賀状にまつわることで一句詠めるかもしれないと頭の片隅に意識されたのである。
その結果、これまで以上に年賀状作成について考察してしまったようで、年賀状に迷路を描いて良いのだろうかという疑念が生まれたのである。新年早々、迷うなんてよろしくないのではないかと考えてしまった。
とりあえず、描きかけの迷路をコントロール+Xで画面から消し去ってみる。残った猪の輪郭。まあ、いろんな料理の仕方があるが何をするにも、どうして?が発生。初笑いみたいな感じで初迷路ッていのは、やはり便利だ。それに過去、迷路年賀状を出した実績もあるため、それらを否定するような行為になることも頷けない。
コントロール+Zで復活させる。でも、しばらく作業を進めると再び、新年から迷路でいいのかと考えてしまい・・・・・・。数ターンそのようなことを繰り返し、描き上げてしまえばあり。また、来年以降も迷うまい!と思った次第。
(※についてつづきをかくかも)
障子より大雀舞う一羽二羽
六前後前(俳句)をはじめる少し前、または野鳥に関心を持つようになってからしばらくたった頃である12月中旬。少しだけ開けておいた障子の隙間から地をつつく数羽の雀をみていた。うち2、3羽が飛び立つ。
日の光により眩しくなった紙の白地に克明に映し出されていた楓や松の枝の影に時間差で二羽の雀のシルエットが加わる。水墨画へ覚えがあるわけでもないが名画というのは動かぬ松に対して雀が動いて見えくるものかもしれないと見事な黒白の静動に手元のスマホの存在も忘れ、見惚れていた・・・
・・・ことをオモイ出して、歳時記をスクロールしていると寒雀という季語をみつけ早速ファースト版をつくり、各言葉を歳時記で確認すると障子が冬の季語であることが判明。一般常識に欠けているだけのことに過ぎないが
障子が冬の季語である理由に恐れ入る。
日時が違うので上記の楓や松の影もボンヤリですが障子に映ることは
冬の太陽の高度ならでは。
一年以上経った十二月終盤(しかも雀ではなく山雀です)。
(書きかけなので、つづく予定だけど、ここらが締め時?)
笹鳴に百均レンズ姿みる
(まだ書いていません)
備忘六前後前_2018末&2019へ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます