懐かしい言葉_中かな?
~知らない世界に来てしまった混乱・分ちゃんのお買い物~
☆はじめに☆
分ちゃんはお金のない、貨幣制度のない(間接を含む)物々交換による社会・世界の住人でしたが、ある日突然、私たちの世界に紛れ込んできました。だから、お金とモノを交換するという概念を不思議に思っています。このことを踏まえて、お読みくださいませ。
笹より
☆はじめに終わり☆
信ばあが例の不思議な言語で、誰か助けてくれ、悪夢か、という声をきくちょっと前。
それまでの日常と比較すると、あまりにも異様な世界に身を隠すようにしていた分ちゃんも空腹には勝てず、多くが出入りしているお店を選択して、いつものように食べ物を手に取った。スーパーマーケットに入ったのだ。周りの人がするように店備え付けの買い物カゴの中に見慣れないデザインだがおいしそうなにおいがするお総菜達をカゴに入れる。品物の前にはみたことのない文字が並んでいる。相変わらず、周囲の人たちは訳の分からぬ言葉を話している。思い起こせば、この世界にも地図のようなものがあるが、そこには普段見慣れた向きと180度回転した配置になっている。わけの分からないこの世界に来てから見た地図群でもっともよくみる形を180度回転させると自国と同じ国にいる気がする。
いずれにしろ、落ち着かない分ちゃんは周りの人と同じような振る舞いをすることにつとめていた。食べ物などが入ったカゴを持った人たちは横一列に複数に並んだがゲートのようなところのいずれか一つを通過するためみんな並んでいる。分与主義社会でもモノを得るとき、モノについているタグを外してお店に渡さなくてはならない。だから、それと同様でみんなゲート(レジ)を通過するためにならんでいると分ちゃん思った。しかし、モノにはタグらしいものはついていない。でも、コードがプリントされたシールがすべてのモノに付いている。よく見るとゲート(レジ)を通過するときお店側の人間がそのコードを読み取らせているようだ。(同じ国のようだが)この国(社会)でもコンピュータなど発達でタグの代わりにコード(バーコードなど)により、モノの履歴を把握させているのだ、と分ちゃんは思った。
分ちゃんが以前いた分与主義社会では買い物(貨幣の存在しない分与主義社会においては大規模物々交換と呼ぶべきだろう。ちなみに分与主義社会の買い物にあたる行為の言葉を直訳すると頂戴する、タグ分離といった言葉になる。しかし、分与主義社会から来た男では分かりやすいよう買い物という言葉を使い続けようかなぁ?)の時には勝手に人が欲しいモノを必要なだけ持っていくが、モノの需要、流通情報など分与状況を把握するためモノについているタグを置いていくのだ。しかし、情報工学の発達とともにバーコードみたいなコードやICタグなどの出現により、モノに切り離せる紙などのタグはなくなりつつあるらしい。
ということで分ちゃんも列に並ぶ。お店の人がモノを透明な盤の上を通過させると音がする。やっぱり、コードでモノの情報を読み取らせているようだ。青い光に見慣れているので赤には違和感を感じたが。しかし、それ以上に分からないのはお客(分与主義社会では異なる表現だが、、)がお店に渡しているモノの存在だ。小さな円盤や長方形の紙を幾つか組み合わせて渡す人、プラスチックのカードを渡して、また返してもらう人がいた。分ちゃんが腑に落ちないが暫定的に下した推測はこうだ。
お客さんからレジ(ゲート)の人に渡されるモノ(小さな円盤や長方形の紙やプラスチックのカード)はお客さんが承認した範囲でお客さんの情報を伝えるメディアに違いない。タグを用いる分与主義社会でも最終消費者の情報が収集しにくいの欠点だった。だから、お客さん情報の入ったカードを持ち歩き買い物の際にはそれをお店に読み取らせることも普及していたらしい。それで、デジタルの発達による(クレジット)カードの出現前から小さな円盤や長方形の紙で顧客情報を伝える習慣・文化がここにはあると分ちゃんは考えたのだ(ちょっと腑に落ちないけど)。
そして、列に並ぶ分ちゃんは自分の情報を伝える術がない。お客側の個人的な情報をどこまで伝えるかは本人の自由意志(ゼロでもよい)と思っていたが、今いる世界ではみんな、円盤や長方形の紙をわたす、またはカードの遣り取りをしている。ここは個人情報を伝えることに非常に厳密な地域・国・社会なのだろうか、さてどうしたものかと悩んだ。
しかし、それは自由意志だ、言葉も何もかもよく分からないので、そういうスタンスでゲートを通過しようと決めた。
レジ内の人が買い物カゴからお惣菜を取り出し、バーコードを読み取らせ、先のお客さんが持ってきたカゴに入れる。すべてのモノをチェックして、お店の人が何かいっている。勿論何をいっているかわからない。腑に落ちないながら推測をしている分ちゃんとしては個人情報を求められていると考え、万国(人間社会)共通かもしれない、否定のジェスチャーをして(人間観察から同じだろうと判断していた)お惣菜とビニール(レジ)袋の入った買い物カゴをそのまま持って通過した。レジの人はお支払いをといいながら、無視するお客・分ちゃんが走って逃げるわけでもないのでおかしいと感じながら、別の担当の人に連絡をして、次のお客さんのレジを打ち始める。
分ちゃんは周囲の奇異な視線を感じつつも周りの人たち同様、袋詰をする。そして、程なく警備員さんがやってくる。捕まえる人の雰囲気もやっぱり万国(人間社会)共通なのだろう、分ちゃんはちょっと怯え、駄目元で自分の言葉と英語にあたる共通言語で、悪気はない、ルールは分からない、個人情報の示し方が分からない類の言葉を発した。
警備員さんも何か言うが当然、何をいっているかわからない。というより、警備員の石黒さんの立場になれば、奇怪な声を発する若者が目の前にいるのだ。とりあえず、店の奥の部屋に連れて行こうと手をとった。分ちゃんは連行されることに抵抗を感じつつも、おとなしくついていく方が賢明と考えた。落ち着いた場所に行けば、知っている言葉を話す人に会えるかもしれないし、分ちゃんが自身が今置かれている現状を知ることができるかもしれないと考えたからだ。
しかし、というか、当然というか、連れてかれた場所でも何の埒も開かなかった。それまでどこかでは否定していたまったく異なる世界に紛れ込んだかも知れないという事実が現実味を帯びてきたとでもいようか。または、どちらの世界にも存在した空想小説風にいうならばい時限の世界にきてしまったとでもいうのだろうか。
とにかく、分ちゃんはここにいたって、本当に混乱した。誰かに通じることを期待したわけでもなく、絶望から
「誰か助けてくれ、悪夢か、」
と叫んだ。
つづく
↓分与主義社会から来た男_003↓
懐かしい言葉_上
~知らない世界に来てしまった混乱・信ばあの言葉~
私の名前は笹です。分ちゃんの相手をするように信おばあちゃんからいわれています。分ちゃんは私たちの社会に遠慮しています。だから、本当は私たちが暮らしている資本主義社会における貨幣制度のあり方に大いに疑問を持っているにかかわらず、必死に貨幣というもの利便性を理解しようとしてそれに振り回されている私たちを開拓者のように讃えようとしています。
人を悪く取らないところはまるで信おばあちゃんみたいで、信ばあと分ちゃんが(分ちゃんが採用した表現)分与社会から迷い込んでしまったという話も信じられそうです。信ばあが文字みたいな絵(本当は文字だった)をノートに書いていたり、独り言で誰にもわからない言葉を言っているのを小さいころから不思議にみていました。そんな私を話し相手を見つけたごとく、私にその言葉を教えてくれました。
母いわく、母が子供のときにも、寝言などでうなされるように不思議な言葉を発していることがあったそうですが、当時、そのことを尋ねたら、血相を変えてしらばくれていたそうです。でも、(資本主義)社会的に成功し、歳を重ねるにつれ、不思議な言葉について真剣に取り組み始めたみたいです。で、ある日、娘である母に、趣味でオリジナルの言語を作る趣味が小さいころからあった、変な趣味だから人に言えなかったの、でも、一人だけじゃつまらないから、孫の笹に教えていいか、確認を取って、私にいろいろ教えてくれたそうです。
今ならそれが、老いた信ばあの原点回帰的な行動だとわかります。そんなことで大学生の私はその不思議な言語が結構、読み書き会話ができます。おかげで信ばあと人前で堂々と秘密の話ができ、母にはちょっと嫌味を言われます。分ちゃんと出会って、信ばあの言葉は本当にあって、そして習った言葉にやたら、同義語が多かったのは信ばあが覚えている範囲で多国語が混じっていたことがわかりました。
そんな信ばあがいつもの如く、お店を見回っていたら、男の人の声である言葉が耳に入ってきました。例の不思議な言語で、誰か助けてくれ、悪夢か、と。空耳にしてははっきりしていたが、にわかに信じられぬまま、信ばあは声のきこえた方へ向かっていったそうです。
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↓分与主義社会から来た男_002↓
プロローグ_02:分与と独占
~ロビンフッド指数やジミ(ジニ)係数~
先(001)に紹介したお話に出てきた分与主義社会という言葉を皆さんの資本主義に対する以前私のいた社会の呼び名としたい。本心はピンと来ない。と申しますのも、呼び方をそのままこちらの世界の言葉に翻訳すると頑張る社会、目標社会になるからだ。しかし、それでは資本主義、社会主義などいろいろな社会形態を持っているこの世界では分かりづらい。
実際、我々の社会に暮らす人々は獲得したモノをより多く分け与えることに喜びを感じる傾向がある。ただし、分与を実践するためには獲得することが前提でこれはより多くの所得を目指す今いる皆さんの社会と何ら変わらないと思う。だから、誰かに分け、与えるなんて言う偉そうな感じではなく、余剰を貰っていただく、正直にかいてしまえば、余剰の証明に誰かに押しつけるようなものだ。
でも、分かりやすい言葉なので分与主義社会という言葉は使用させていただく。先のお話でびっくりしたのは、貨幣のかわりにタグを付けることや錠と鍵の話についての記述だ。履歴を重んじる分与社会では人類史が始まった頃からモノにタグをつける習慣はあり、貨幣を利用する制度は発達しなかった。また、錠は至る所でみられるが鍵は特別なからくりのような扱いで普段の生活に浸透していない。だから、私がこの資本主義が存在する世界を知る過程で驚かされたのは貨幣と鍵の存在・普及といった相違点と逆に妙な一致点だ。これらについては折をみて、述べていきたい。
ただ、分与主義社会というお話の中では分与主義社会で生まれ育った私や信子さんと資本主義社会で生きている皆さんとは本質的な価値観が違うという書き方をしているが私はそうは思わない。私自身もお話・分与主義社会を読まなかったら資本主義社会の素晴らしさだけが気になり、分与主義社会の作者同様に二つの社会の分かれ道は人間性まで掘り下げたかもしれない。しかし、実際二つの世界を体験し(資本主義はほんのわずかだが)、皆さんの温かみに接触した私は人間性に差は感じない。
それでも生活に必要なものほとんどのモノと交換を可能な貨幣を発明したことで貨幣、所得の獲得が目立っているとは思う。そのため、分与より独占的な取り込みの傾向は強いかもしれない。最近、覚えた言葉でロビンフット指数、ジミ(ジニ)係数という言葉がある。これらを参考に所得格差についての考察を試みた。所得そのもの当然としてポイントにおいたのは生活のしやすさである。一年を暮らすのにどれくらいのお金が必要か。裏を返せば、どれくらいお金がなくとも生活ができるかを国など地域、職種・家族構成など生活のパターン、そしてこの世界の分与的機能をしている税金や福利厚生、公共施設などを注目して公的に報告されている死亡者数、失業者数、いくつかの病についての保険料などなどネガティブなデータを基にプロットなどして考察を進めた。
確かにこの世界の分与の程度、例えば、ロビンフット指数やジミ(ジニ)係数は分与主義社会(分ちゃんの記憶によるがタグの散らばりより比較した)から見ればもっともっと格差をなくせるはずだ。しかし、暮らしにお金がどれくらい必要か、または、どれくらいお金がなくとも生活ができるかという要素を織り込んだとき、必ずしも所得がすべてというところばっかりではないようだ。
ただし、この国とこの国に近い関係にある国や経済を武器に発展を目指す発展途上国では所得があると幸せ、健康、名誉(など)、所得が低いと不幸せ、不健康、恥ずかしいという感じが色濃くなっている。この国に近い関係にある国の州ごとのロビンフット定数と10万人あたりの死亡者数をプロットするとロビンフット指数が高い州ほど死亡率が高いという相関が現れているという結果と符合する傾向になる。
これらの国はお金があれば、あらゆるものが手に入る;お金とモノの交換制度の完成度が高い、またはそれを目指すルール作りが進められている、わけで、逆にお金がないと何も手に入らない、暮らしていけない傾向が強い。これは決して非難しているわけではない。コンビニエンスストアに行ってモノを買えるのは皆さんにとって当たり前かもしれないが決して当たり前でないだろう。
しかし、というかその反面、お金がないとお金がある者と比較すると実にひもじい生活になる。所得格差である。だから、お金のある者はお金ない者にお金を積極的に分与する意識は薄いようだ。ここはなぜだ!を感じる。ここ数年のこの国のお金の流れを見ると経済を活性させる株式投資より、国という後ろ盾があるかのような貯金;お金の囲い込みの方向に走るのもそういった現れではないか。この国の行政はどのような指針を示すべきなのであろうか?人は何を目指すべきであろうか?この世界の支え合うという言葉が私は好きだ。
今の個人投資家の動きは経済の活性化を望んでいるようには見えない。モノ、現物、技術より媒介物であるお金が魅力的。貨幣制度はすばらしい制度だと思う。分与主義社会ではパソコンのOSとしてこちらでいうリナックスのようなものが主流で技術開発的にも使用のされ方にも分散、乱立傾向にありその非効率さが問題になっており、求心的な流れを持とういうことが課題になっている。この点についてはwindowsがモデルになるのではと思う。勿論、分与主義社会に戻る方法も伝える方法も分からないが、、、。
私がなぜかわからないがこの世界にきてしまって、貨幣の存在も知らないから当たり前だが無一文の私がどれ程困ったことか。皆さんが分与主義社会に紛れても食うには困らないのでは。まてよ、お店から好きなものを持っていくことを盗みと思っているから自らの制止により私同様に困ってしまうのか?
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↓分与主義社会から来た男_001↓
プロローグ_001:貧しい(所得が低い)ことが不幸である?
~「所得の格差」の問題の前提には「所得が低い=不幸」が成り立ちやすい社会であるということがありそうだ。~
ある初老の女性に面倒を見てもらって結構の月日が流れた。彼女の名前は信子さんといい、身の回りにいる人たちの中で私が昔から知っている言葉・言語を唯一理解できる人である。最近ではほかの人たちが使う言葉も大分分かるようになってきた。同時に、今、私が在る社会についても少しずつであるが分かりつつある。それはかつて私が過ごしてきた社会と大きく異なり、驚きとともに大変興味深い。
言葉を学ぶためテレビやインターネットのメディア(かつて過ごしてきた社会にも存在した)をよくみるが政治・経済が(用語などが難解であるが)面白い。今いる世界の、国の社会では「所得の格差」が問題になっているようだ。しかし、私には「所得が低い=不幸」という感覚がこの国にあることのが私には不思議だった。言葉が大分分かってきたので気心の知れた友人も増えてきた。彼らに、「所得が低い=不幸」という感覚が不思議と話したら、所得が低くければ生活が苦しくなるのは当たり前で、社会的地位も軽く見られる、不名誉なことであると教えられた。
どうも、この社会では彼らの言うことが常識のようだが、国、地域によっては(所得の格差を小さいせいかもしれないが)この国ほど、極端でないような気がする。というのもこの国とこの国に非常に近い(距離的ではない、一昔前の戦勝、敗戦国の関係で独立後も両国同士の影響が大きい?ようだ)関係にある国では特に格差の問題が深刻になっているようだ。
お金とよばれる仲介物(貨幣制度?)の力が絶大なのだ。本来はお金によって交換される対象のが重宝、大事であろうが、何でも交換できるお金のが偉いらしい。面白い。資本主義が発達している?というのだろうか。問題になっているからいびつな発展なんだろうな。
私は現在、自分の名前、言葉すら忘れた記憶喪失者ということになっている。引き取ってくれた人に名前をいったら、今いる世界の言語の意味に則して、「シェア」、「分(ぶん)ちゃん」と呼ぶ。ネットサーフィンをしていたら私が以前いた世界・社会の説明にもってこいのブログがあったので紹介する。
ここをクリック
このページの読み物、分与主義社会である。ここに描かれている主人公が紛れ込んだ社会に非常に似ている。
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~知らない世界に来てしまった混乱・分ちゃんのお買い物~
☆はじめに☆
分ちゃんはお金のない、貨幣制度のない(間接を含む)物々交換による社会・世界の住人でしたが、ある日突然、私たちの世界に紛れ込んできました。だから、お金とモノを交換するという概念を不思議に思っています。このことを踏まえて、お読みくださいませ。
笹より
☆はじめに終わり☆
信ばあが例の不思議な言語で、誰か助けてくれ、悪夢か、という声をきくちょっと前。
それまでの日常と比較すると、あまりにも異様な世界に身を隠すようにしていた分ちゃんも空腹には勝てず、多くが出入りしているお店を選択して、いつものように食べ物を手に取った。スーパーマーケットに入ったのだ。周りの人がするように店備え付けの買い物カゴの中に見慣れないデザインだがおいしそうなにおいがするお総菜達をカゴに入れる。品物の前にはみたことのない文字が並んでいる。相変わらず、周囲の人たちは訳の分からぬ言葉を話している。思い起こせば、この世界にも地図のようなものがあるが、そこには普段見慣れた向きと180度回転した配置になっている。わけの分からないこの世界に来てから見た地図群でもっともよくみる形を180度回転させると自国と同じ国にいる気がする。
いずれにしろ、落ち着かない分ちゃんは周りの人と同じような振る舞いをすることにつとめていた。食べ物などが入ったカゴを持った人たちは横一列に複数に並んだがゲートのようなところのいずれか一つを通過するためみんな並んでいる。分与主義社会でもモノを得るとき、モノについているタグを外してお店に渡さなくてはならない。だから、それと同様でみんなゲート(レジ)を通過するためにならんでいると分ちゃん思った。しかし、モノにはタグらしいものはついていない。でも、コードがプリントされたシールがすべてのモノに付いている。よく見るとゲート(レジ)を通過するときお店側の人間がそのコードを読み取らせているようだ。(同じ国のようだが)この国(社会)でもコンピュータなど発達でタグの代わりにコード(バーコードなど)により、モノの履歴を把握させているのだ、と分ちゃんは思った。
分ちゃんが以前いた分与主義社会では買い物(貨幣の存在しない分与主義社会においては大規模物々交換と呼ぶべきだろう。ちなみに分与主義社会の買い物にあたる行為の言葉を直訳すると頂戴する、タグ分離といった言葉になる。しかし、分与主義社会から来た男では分かりやすいよう買い物という言葉を使い続けようかなぁ?)の時には勝手に人が欲しいモノを必要なだけ持っていくが、モノの需要、流通情報など分与状況を把握するためモノについているタグを置いていくのだ。しかし、情報工学の発達とともにバーコードみたいなコードやICタグなどの出現により、モノに切り離せる紙などのタグはなくなりつつあるらしい。
ということで分ちゃんも列に並ぶ。お店の人がモノを透明な盤の上を通過させると音がする。やっぱり、コードでモノの情報を読み取らせているようだ。青い光に見慣れているので赤には違和感を感じたが。しかし、それ以上に分からないのはお客(分与主義社会では異なる表現だが、、)がお店に渡しているモノの存在だ。小さな円盤や長方形の紙を幾つか組み合わせて渡す人、プラスチックのカードを渡して、また返してもらう人がいた。分ちゃんが腑に落ちないが暫定的に下した推測はこうだ。
お客さんからレジ(ゲート)の人に渡されるモノ(小さな円盤や長方形の紙やプラスチックのカード)はお客さんが承認した範囲でお客さんの情報を伝えるメディアに違いない。タグを用いる分与主義社会でも最終消費者の情報が収集しにくいの欠点だった。だから、お客さん情報の入ったカードを持ち歩き買い物の際にはそれをお店に読み取らせることも普及していたらしい。それで、デジタルの発達による(クレジット)カードの出現前から小さな円盤や長方形の紙で顧客情報を伝える習慣・文化がここにはあると分ちゃんは考えたのだ(ちょっと腑に落ちないけど)。
そして、列に並ぶ分ちゃんは自分の情報を伝える術がない。お客側の個人的な情報をどこまで伝えるかは本人の自由意志(ゼロでもよい)と思っていたが、今いる世界ではみんな、円盤や長方形の紙をわたす、またはカードの遣り取りをしている。ここは個人情報を伝えることに非常に厳密な地域・国・社会なのだろうか、さてどうしたものかと悩んだ。
しかし、それは自由意志だ、言葉も何もかもよく分からないので、そういうスタンスでゲートを通過しようと決めた。
レジ内の人が買い物カゴからお惣菜を取り出し、バーコードを読み取らせ、先のお客さんが持ってきたカゴに入れる。すべてのモノをチェックして、お店の人が何かいっている。勿論何をいっているかわからない。腑に落ちないながら推測をしている分ちゃんとしては個人情報を求められていると考え、万国(人間社会)共通かもしれない、否定のジェスチャーをして(人間観察から同じだろうと判断していた)お惣菜とビニール(レジ)袋の入った買い物カゴをそのまま持って通過した。レジの人はお支払いをといいながら、無視するお客・分ちゃんが走って逃げるわけでもないのでおかしいと感じながら、別の担当の人に連絡をして、次のお客さんのレジを打ち始める。
分ちゃんは周囲の奇異な視線を感じつつも周りの人たち同様、袋詰をする。そして、程なく警備員さんがやってくる。捕まえる人の雰囲気もやっぱり万国(人間社会)共通なのだろう、分ちゃんはちょっと怯え、駄目元で自分の言葉と英語にあたる共通言語で、悪気はない、ルールは分からない、個人情報の示し方が分からない類の言葉を発した。
警備員さんも何か言うが当然、何をいっているかわからない。というより、警備員の石黒さんの立場になれば、奇怪な声を発する若者が目の前にいるのだ。とりあえず、店の奥の部屋に連れて行こうと手をとった。分ちゃんは連行されることに抵抗を感じつつも、おとなしくついていく方が賢明と考えた。落ち着いた場所に行けば、知っている言葉を話す人に会えるかもしれないし、分ちゃんが自身が今置かれている現状を知ることができるかもしれないと考えたからだ。
しかし、というか、当然というか、連れてかれた場所でも何の埒も開かなかった。それまでどこかでは否定していたまったく異なる世界に紛れ込んだかも知れないという事実が現実味を帯びてきたとでもいようか。または、どちらの世界にも存在した空想小説風にいうならばい時限の世界にきてしまったとでもいうのだろうか。
とにかく、分ちゃんはここにいたって、本当に混乱した。誰かに通じることを期待したわけでもなく、絶望から
「誰か助けてくれ、悪夢か、」
と叫んだ。
つづく
↓分与主義社会から来た男_003↓
懐かしい言葉_上
~知らない世界に来てしまった混乱・信ばあの言葉~
私の名前は笹です。分ちゃんの相手をするように信おばあちゃんからいわれています。分ちゃんは私たちの社会に遠慮しています。だから、本当は私たちが暮らしている資本主義社会における貨幣制度のあり方に大いに疑問を持っているにかかわらず、必死に貨幣というもの利便性を理解しようとしてそれに振り回されている私たちを開拓者のように讃えようとしています。
人を悪く取らないところはまるで信おばあちゃんみたいで、信ばあと分ちゃんが(分ちゃんが採用した表現)分与社会から迷い込んでしまったという話も信じられそうです。信ばあが文字みたいな絵(本当は文字だった)をノートに書いていたり、独り言で誰にもわからない言葉を言っているのを小さいころから不思議にみていました。そんな私を話し相手を見つけたごとく、私にその言葉を教えてくれました。
母いわく、母が子供のときにも、寝言などでうなされるように不思議な言葉を発していることがあったそうですが、当時、そのことを尋ねたら、血相を変えてしらばくれていたそうです。でも、(資本主義)社会的に成功し、歳を重ねるにつれ、不思議な言葉について真剣に取り組み始めたみたいです。で、ある日、娘である母に、趣味でオリジナルの言語を作る趣味が小さいころからあった、変な趣味だから人に言えなかったの、でも、一人だけじゃつまらないから、孫の笹に教えていいか、確認を取って、私にいろいろ教えてくれたそうです。
今ならそれが、老いた信ばあの原点回帰的な行動だとわかります。そんなことで大学生の私はその不思議な言語が結構、読み書き会話ができます。おかげで信ばあと人前で堂々と秘密の話ができ、母にはちょっと嫌味を言われます。分ちゃんと出会って、信ばあの言葉は本当にあって、そして習った言葉にやたら、同義語が多かったのは信ばあが覚えている範囲で多国語が混じっていたことがわかりました。
そんな信ばあがいつもの如く、お店を見回っていたら、男の人の声である言葉が耳に入ってきました。例の不思議な言語で、誰か助けてくれ、悪夢か、と。空耳にしてははっきりしていたが、にわかに信じられぬまま、信ばあは声のきこえた方へ向かっていったそうです。
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↓分与主義社会から来た男_002↓
プロローグ_02:分与と独占
~ロビンフッド指数やジミ(ジニ)係数~
先(001)に紹介したお話に出てきた分与主義社会という言葉を皆さんの資本主義に対する以前私のいた社会の呼び名としたい。本心はピンと来ない。と申しますのも、呼び方をそのままこちらの世界の言葉に翻訳すると頑張る社会、目標社会になるからだ。しかし、それでは資本主義、社会主義などいろいろな社会形態を持っているこの世界では分かりづらい。
実際、我々の社会に暮らす人々は獲得したモノをより多く分け与えることに喜びを感じる傾向がある。ただし、分与を実践するためには獲得することが前提でこれはより多くの所得を目指す今いる皆さんの社会と何ら変わらないと思う。だから、誰かに分け、与えるなんて言う偉そうな感じではなく、余剰を貰っていただく、正直にかいてしまえば、余剰の証明に誰かに押しつけるようなものだ。
でも、分かりやすい言葉なので分与主義社会という言葉は使用させていただく。先のお話でびっくりしたのは、貨幣のかわりにタグを付けることや錠と鍵の話についての記述だ。履歴を重んじる分与社会では人類史が始まった頃からモノにタグをつける習慣はあり、貨幣を利用する制度は発達しなかった。また、錠は至る所でみられるが鍵は特別なからくりのような扱いで普段の生活に浸透していない。だから、私がこの資本主義が存在する世界を知る過程で驚かされたのは貨幣と鍵の存在・普及といった相違点と逆に妙な一致点だ。これらについては折をみて、述べていきたい。
ただ、分与主義社会というお話の中では分与主義社会で生まれ育った私や信子さんと資本主義社会で生きている皆さんとは本質的な価値観が違うという書き方をしているが私はそうは思わない。私自身もお話・分与主義社会を読まなかったら資本主義社会の素晴らしさだけが気になり、分与主義社会の作者同様に二つの社会の分かれ道は人間性まで掘り下げたかもしれない。しかし、実際二つの世界を体験し(資本主義はほんのわずかだが)、皆さんの温かみに接触した私は人間性に差は感じない。
それでも生活に必要なものほとんどのモノと交換を可能な貨幣を発明したことで貨幣、所得の獲得が目立っているとは思う。そのため、分与より独占的な取り込みの傾向は強いかもしれない。最近、覚えた言葉でロビンフット指数、ジミ(ジニ)係数という言葉がある。これらを参考に所得格差についての考察を試みた。所得そのもの当然としてポイントにおいたのは生活のしやすさである。一年を暮らすのにどれくらいのお金が必要か。裏を返せば、どれくらいお金がなくとも生活ができるかを国など地域、職種・家族構成など生活のパターン、そしてこの世界の分与的機能をしている税金や福利厚生、公共施設などを注目して公的に報告されている死亡者数、失業者数、いくつかの病についての保険料などなどネガティブなデータを基にプロットなどして考察を進めた。
確かにこの世界の分与の程度、例えば、ロビンフット指数やジミ(ジニ)係数は分与主義社会(分ちゃんの記憶によるがタグの散らばりより比較した)から見ればもっともっと格差をなくせるはずだ。しかし、暮らしにお金がどれくらい必要か、または、どれくらいお金がなくとも生活ができるかという要素を織り込んだとき、必ずしも所得がすべてというところばっかりではないようだ。
ただし、この国とこの国に近い関係にある国や経済を武器に発展を目指す発展途上国では所得があると幸せ、健康、名誉(など)、所得が低いと不幸せ、不健康、恥ずかしいという感じが色濃くなっている。この国に近い関係にある国の州ごとのロビンフット定数と10万人あたりの死亡者数をプロットするとロビンフット指数が高い州ほど死亡率が高いという相関が現れているという結果と符合する傾向になる。
これらの国はお金があれば、あらゆるものが手に入る;お金とモノの交換制度の完成度が高い、またはそれを目指すルール作りが進められている、わけで、逆にお金がないと何も手に入らない、暮らしていけない傾向が強い。これは決して非難しているわけではない。コンビニエンスストアに行ってモノを買えるのは皆さんにとって当たり前かもしれないが決して当たり前でないだろう。
しかし、というかその反面、お金がないとお金がある者と比較すると実にひもじい生活になる。所得格差である。だから、お金のある者はお金ない者にお金を積極的に分与する意識は薄いようだ。ここはなぜだ!を感じる。ここ数年のこの国のお金の流れを見ると経済を活性させる株式投資より、国という後ろ盾があるかのような貯金;お金の囲い込みの方向に走るのもそういった現れではないか。この国の行政はどのような指針を示すべきなのであろうか?人は何を目指すべきであろうか?この世界の支え合うという言葉が私は好きだ。
今の個人投資家の動きは経済の活性化を望んでいるようには見えない。モノ、現物、技術より媒介物であるお金が魅力的。貨幣制度はすばらしい制度だと思う。分与主義社会ではパソコンのOSとしてこちらでいうリナックスのようなものが主流で技術開発的にも使用のされ方にも分散、乱立傾向にありその非効率さが問題になっており、求心的な流れを持とういうことが課題になっている。この点についてはwindowsがモデルになるのではと思う。勿論、分与主義社会に戻る方法も伝える方法も分からないが、、、。
私がなぜかわからないがこの世界にきてしまって、貨幣の存在も知らないから当たり前だが無一文の私がどれ程困ったことか。皆さんが分与主義社会に紛れても食うには困らないのでは。まてよ、お店から好きなものを持っていくことを盗みと思っているから自らの制止により私同様に困ってしまうのか?
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↓分与主義社会から来た男_001↓
プロローグ_001:貧しい(所得が低い)ことが不幸である?
~「所得の格差」の問題の前提には「所得が低い=不幸」が成り立ちやすい社会であるということがありそうだ。~
ある初老の女性に面倒を見てもらって結構の月日が流れた。彼女の名前は信子さんといい、身の回りにいる人たちの中で私が昔から知っている言葉・言語を唯一理解できる人である。最近ではほかの人たちが使う言葉も大分分かるようになってきた。同時に、今、私が在る社会についても少しずつであるが分かりつつある。それはかつて私が過ごしてきた社会と大きく異なり、驚きとともに大変興味深い。
言葉を学ぶためテレビやインターネットのメディア(かつて過ごしてきた社会にも存在した)をよくみるが政治・経済が(用語などが難解であるが)面白い。今いる世界の、国の社会では「所得の格差」が問題になっているようだ。しかし、私には「所得が低い=不幸」という感覚がこの国にあることのが私には不思議だった。言葉が大分分かってきたので気心の知れた友人も増えてきた。彼らに、「所得が低い=不幸」という感覚が不思議と話したら、所得が低くければ生活が苦しくなるのは当たり前で、社会的地位も軽く見られる、不名誉なことであると教えられた。
どうも、この社会では彼らの言うことが常識のようだが、国、地域によっては(所得の格差を小さいせいかもしれないが)この国ほど、極端でないような気がする。というのもこの国とこの国に非常に近い(距離的ではない、一昔前の戦勝、敗戦国の関係で独立後も両国同士の影響が大きい?ようだ)関係にある国では特に格差の問題が深刻になっているようだ。
お金とよばれる仲介物(貨幣制度?)の力が絶大なのだ。本来はお金によって交換される対象のが重宝、大事であろうが、何でも交換できるお金のが偉いらしい。面白い。資本主義が発達している?というのだろうか。問題になっているからいびつな発展なんだろうな。
私は現在、自分の名前、言葉すら忘れた記憶喪失者ということになっている。引き取ってくれた人に名前をいったら、今いる世界の言語の意味に則して、「シェア」、「分(ぶん)ちゃん」と呼ぶ。ネットサーフィンをしていたら私が以前いた世界・社会の説明にもってこいのブログがあったので紹介する。
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このページの読み物、分与主義社会である。ここに描かれている主人公が紛れ込んだ社会に非常に似ている。
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