
私が、哲学を短歌で詠むようになったきっかけ。
それは、あるとき、西洋哲学者全員を短歌で詠んだら
壮観だな!と思いついたからです。
最初に書いたのは、ニーチェの学説の短歌。
「人間は乗り越えられる生き物だ その超人の到来を告げよう」
「繰り返しこの人生を生きたいと言い切れるほど強く生き切れ」
でした。
それと同じ時に思いついたのは、プラトンの説の短歌。
「魂は宇宙を駆けて天界の美そのものをかつて見ていた」
であります。
わたしは、古代哲学ファンではないけれど、結構詳しかったので、
すぐ、プラトンのイデア論(美そのもの、人そのものという
モデルがあるから、物をそれとわかる、という説)で一首。
このように最初は、思い浮かんだ歌をメモ帳にメモしていましたが、
徐々に、本で学説を読んでから、短歌でまとめて見出しにするように
なりました。
短歌で学説を読むから、「短歌で読む 哲学史」が生まれました。
こんな調子です。
「疑ってすべてを疑い尽くしても 疑っているわれは消えない」デカルト
それは、あるとき、西洋哲学者全員を短歌で詠んだら
壮観だな!と思いついたからです。
最初に書いたのは、ニーチェの学説の短歌。
「人間は乗り越えられる生き物だ その超人の到来を告げよう」
「繰り返しこの人生を生きたいと言い切れるほど強く生き切れ」
でした。
それと同じ時に思いついたのは、プラトンの説の短歌。
「魂は宇宙を駆けて天界の美そのものをかつて見ていた」
であります。
わたしは、古代哲学ファンではないけれど、結構詳しかったので、
すぐ、プラトンのイデア論(美そのもの、人そのものという
モデルがあるから、物をそれとわかる、という説)で一首。
このように最初は、思い浮かんだ歌をメモ帳にメモしていましたが、
徐々に、本で学説を読んでから、短歌でまとめて見出しにするように
なりました。
短歌で学説を読むから、「短歌で読む 哲学史」が生まれました。
こんな調子です。
「疑ってすべてを疑い尽くしても 疑っているわれは消えない」デカルト
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます