発見!森のぶ~たん号!

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こみちこまちツアー! 語り部さんと歩く 城下まち福井 Vol.2

2011-04-28 16:12:21 | 福井のおススメ
昨日書きだしたこみちこまちツアー! 語り部さんと歩く 城下まち福井 Vol.1の続きです。

福井城址は戦後福井県庁が鎮座ましまし・・・

情緒のかけらもありません。

ただし、桜の季節は別です



近年はお堀脇に小公園を作り、越前松平藩の藩祖結城秀康について記したプレートや

横井楠南と由利公正(三岡三郎)との出発の像等を設置しています。

二人は師弟関係にあり、坂本龍馬とも親交がありました。

横井小南は熊本では藩主に疎んじられていたのを

松平春嶽公が才を見抜いて福井にスカウトした人物。

由利公正は五箇条の御誓文の原案の起草者であり、東京都初代都知事(石原さんの大先輩)です。

坂本龍馬が暗殺される直前福井来て・・・いけません、いけません

また、脱線しました。

今回の語り部さんのガイドさんの話では

藩祖結城秀康公は、次男でありながら

魚に似ていると言われるようなぶ男で家康に疎んじられ、

秀吉や結城家を転々と養子になったとも言われています。

ただ、母親が下女(湯女)だったことも影響しているようです。

大河ドラマ「江~姫たちの戦国」では物まねの前田健さんが

コミカルな秀康サンを演じています。



ただ、本当に疎んじられていたのなら

当時、北の庄は柴田勝家を賎ヶ谷の戦いで裏切った

加賀の前田利家を封じるための要所(加賀門と言われていました)を任せていたのか。

またこの北の庄城(福井城)の石垣を組む際

家康が直々に来て指図していったとか。

お城は後の大火で焼けてしまいましたが、石垣がその時のままです。

(修復はしています)

秀康公は柴田勝家が基礎を作った城下をさらに発展させ、

二の丸、三の丸と整備していった名君でした。

そんな話を聞きながら、

福井城跡の県庁脇を上っていくと、

福井の名前の由来、「福の井」があります。

これは以前ブログに書きましたが、後付の逸話です。



ただここはすばらしいロケーション

以前は福井の若いカップルのデートスポットだったそうです。



この季節にはそこかしこにカップルが

「春には彼氏と来なさいね」そんな事を以前語り部さんに言われて、

今日はこみちこまちツアーの面々と・・・

ぶ~たんは泣きません



最近はお堀の水もきれいになり、鯉も泳いでいます。

桜の季節にお越しの際は、JR福井駅から徒歩3分

是非、お立ち寄り下さいませ。

こみちこまちツアーはゆるゆると歩き

柴田勝家、お市の方が自刃した北の庄城本丸跡

柴田神社に到着です。

長々読んで下さりありがとうございました。

また、次回をお読み下さいませ