発見!森のぶ~たん号!

毎日更新を目指しているぶ~たんです。
某社の公式ブロガーに当選を機に、地元密着型のブログをはじめました。

歩くざふくい 大安禅寺とその周辺 Vol.5 笠原白翁

2011-07-07 17:21:46 | 福井のおススメ
前回紹介した橘曙覧の眠る大安禅寺に葬むるように、遺言した笠原白翁

笠原白翁と聞いても、ピンとくる方は少ないかと思います。

冒頭の資料の右側が白翁さんです。

この時代写真撮影もチャレンジした白翁さん、とても進歩的な人だったようです。

歴naviふくいで写真が掲載されています。)

彼は橘曙覧の3歳年上の文化六年(1809年)生れ、

没年は明治十三年(1880))この時代にしては長生きです。

白翁は後の名で、本名は良、通称良策、

現在の福井市深見町の医師の息子として生まれ、

町医者をしていました。

当時大流行の天然痘・・・1980年にWHOが根絶宣言を出しましたが

当時は強い感染力の死病で運よく完治しても全身に痘痕が残るので恐れていました。

春日野局も痘痕が残っていたとか、

明智光秀さんは全身に痘痕が残った女性を気にせずに妻にしたとか。

だから彼の妻は彼が浪人の頃、人を接待する時に接待費の為に自らの髪を売ってまで

尽くしたのでしょうか。

  

           笠原白翁の墓石

さて、種痘は牛痘(牛の天然痘)にかかった膿を培養して人に接種し、予防するもの。

京都で蘭学も学んでいるうちに、種痘の存在を知ります。

鎖国中の幕府に種痘菌の輸入を働き掛けたり、

京都では多くの人に種痘を接種しました。

当時は、感染した患者から、その種痘を接種し、次の人に打っていく、人継ぎしか方法がなく、

地元福井に種痘菌を持ち込むのも至難の業。

真冬、種痘に協力してくれる幼子と親を連れて

決死の雪山越えを決行して、福井の除痘館へ持ちこみました。

後々、大阪の緒方洪庵が種痘菌をもらう為にここを訪れています。

この白翁の除痘館、ぶ~たんのご近所。

子供の頃、雪山越えの話よりも、

「牛の膿を打つと、牛になる」」

「除痘館の前を通ると牛になる」

閉鎖的な田舎らしい、迷信に苦しんだと聞かされていました。

蘭学に牛の膿を植え付けるなんて、

当時の福井の庶民にはキテレツだったのも仕方がないです。

ここまで書いてきて、ハッ

雪中山越えの部分、ぶ~たん小学校生の時演じた事がありました。

種痘菌を接種した子供の父親役で(女子なのに股引はいて

おんぶして「先生さま、わしらの命、先生さまのお役に立てて下され」

そんな台詞で、子供役の同級生をおぶった記憶を思い出しました。

思わぬ、ぶ~たんの記憶の扉が開いたところで

今回はお開き・・・



橘曙覧が亡くなってから、十二年後に逝った笠原白翁

商家出の国学者であり歌人、医者の跡継ぎで多くの人の命を救った医師

この2人がどのような親交があったのかは、今回聞くことはできませんでした。

でも、小さな城下で友情をはぐくんだ二人は

お互いの一族と共に、

大安禅寺のつややかな花菖蒲を静かに見降ろしているようでした。




歩くざふくい 大安禅寺とその周辺 Vol.4 橘曙覧

2011-07-07 11:57:45 | 福井のおススメ
先日の大安禅寺とその周辺 Vol.3の続編です。

松平家の御廟所、千畳敷をそろそろ降りてくると、

歌人 橘曙覧(たちばなのあけみ)のお墓に出ます。

冒頭の写真は、その階段です。

詳しくは福井市橘曙覧記念文学館のサイトを覗いていただくとして

ぶ~たん流にかいつまんで書かせていただきます。

橘曙覧は幕末に16代藩主の松平春嶽が自ら、彼のあばら家へ士官のスカウトに出かけたほどの

文化、教養人でした。

元々は、ぶ~たんの家からも近い九十九橋あたりで

文具商と薬を製造販売する老舗に生まれました。

紆余曲折を経て、15歳でその商家を継ぎ、21歳で結婚。

妻や子を抱えながらも商売に身が入らなかったのか、

28歳で義母弟に全財産を譲り隠居したとか。

ここまで聞いていたら、ぶ~たん

カーッ!喝、喝、喝!font>と喝を入れたくなるご仁。

まあ、その後、国学者と出会い、万葉集を熟読し和歌を作る事を勧められ

貧乏の国学者の道を邁進。

子供を抱えた奥さまの忍耐、お察しします

彼の和歌には貧乏も面白がる歌が詠まれています。

着る物の 縫ひめ縫ひめに 子をひりて

しらみの神世 始まりにけり


ユーモアにも長けていたよう。

彼の歌集「独楽吟」たのしみはから始まる歌を集めたものがあり

福井市ではそれにちなんで毎年「平成独楽吟」を募集しています。

有名なの歌は天皇陛下が訪米の際に、クリントン大統領が歓迎スピーチに飲用した

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで

無かりし花の 咲ける見る時


日々の小さな幸せの一コマをわかりやすく切り取った歌ですよね。




赤貧の中、出世話にも目もくれず

飄々と歌を詠み続けた彼の人としての品を感じるのが

子供達に遺した教訓

うそいうな

ものほしがるがな

からだだわるな
(だらけるなの意味)

親の貧富の差が子の階層、人生を決めてしまう時代になりつつある今

貧しさが人の価値とは関係のない事を教えてくれます。

自分の道を見つけてからは

不器用なくらいに一途だった歌人 橘曙覧さん

ぶ~たんも「見習いたいものだ」と、

手を合わせました