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自分にも「そのままで良い」と自分で受け止めるという事でした
嫌な部分も自分でそのままで良いよと100%理解してあげる事
それが人生の悟りの旅に繋がると…
その番外編では、「そのままで良いんだよ」となると甘やかしてしまう自分もいるかという話でした
それでも良いと (^.^)
それのまた番外編ですが
子育てです
子育中によく言われた事は、褒めてあげましょうという事でした
そんな事を聞いた時の私は、褒めたら調子に乗り過ぎるから制御不能になるのが困ると思って中々子供を褒めてあげる事が出来ませんでした
その後、私も大分成長して、「褒める」という事は「認める」という事だと理解しだしたんです
それでも子供と向き合い色んな葛藤はしましたが
そういう理解の正解に導く方法が見つかっただけでも良かったと思え、子供を制御したり、変えようとする事はしなくなり
どう考えたら認めてあげれるかという事を考えたので自分自身が楽になりました
それが「そのままで良いんだよ」という事に繋がって行ったんだと思えます
今、友達は既に孫もいておばあちゃんになっています
でも孫の面倒をみるのに翻弄されてたりします
私も赤ちゃんも好きだし、何かあると手助けはしてあげようと思うけど、もう一度子育てをするつもりはありません
もう十分堪能したと達成感もあります
その友達は孫の世話もしながら娘にもこき使われながら、へとへとになっています
でも娘が可愛いからと口では言っていますが反面愚痴も多いです
それは娘の言いなりになり、怒られ、文句も言われという事になっているみたいです
それでも助けてあげてるからと自分に言いかせながら頑張っています
それもいい事だと思うし、やってあげれば良いと思うけど
自分が向き合ってる世界、見せられてる世界は自分の学びの世界でもあります
娘の子育てに対しても愚痴をこぼすけど、自分がその娘を育ててた時はどうだったんでしょう
娘の心の中には自分が育てられていた時の思いというのも残っていると思うんです
今さらながらではないけど
自分の子育ての仕方を振り返り、自分も納得し、それを反映しているかもしれない、それに反発しているかもしれない娘や息子たちの今の表現を受け入れてあげたらどうかなと思ったりします
子育てにも時代や流行はあるけど、そうやって頑張っている我が子の親としての姿に「そのままで良いんだよ」と言ってあげたり
自分が未熟だった親時代にやってしまってきた事を今でも良いから素直に話してあげたらなぁ~と思ったりします
子育てって代々受け継がれていきます
子育ての方法じゃなく、自分の心の中の思いの土台の表面でしてしまうものです
親にも責任があると思います
だから孫の面倒みる状況にもあるのかと思ったりします
孫の面倒みるとは、「自分の子育てを振り返り納得する事」と「我が子の子育てを観ながらちょっとしたやり直しと赦しと愛の補いをする」課題のきっかけだと思います
孫には可愛いからと言って抱っこもしてあげれるし、褒めてあげれるし、良い言葉もかけてあげれるけど
自分が子育てをしていた時にはしてあげてないなと思ったら今がチャンスだと
代々の子育てもいつでもやり直しが出来ます
いつでも「そのままのあなたで良いんだよ」「そのままの自分で良いんだよ」といてあげたい
私もここ数年そんな感じで子供達に私がしてきた子育ての話をしながら、改めるところはしっかり間違ってたなという様にしています
その上で気づいた事や学んだ事を伝えるようにして、今しっかり育ってくれてる事を「良かったわ」「有難う」って伝えています
このやり直しが伝わっているかは分かりませんが、また子供達が子育てをする時に理解してくれると思います (^.^)
私の親も両親が孫をみる事で孫がかすがいとなり、お互い思いやりが生まれ、もう一度夫婦やっていたようにも思う、その事で、私の幼い時の思いも癒されたりしました (^.^)
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