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そして、その自己承認欲求が強くなりすぎるというのは、自分を過小評価過ぎるのではないかという話をしていました。
人間は純真無垢で産まれてきてるのですが、魂は何度も生まれ変わっています。
それなのに生まれた瞬間にすべて記憶を失います。
まれに魂の記憶を覚えている人や所々で思い出したりします。
先ずはそんな記憶を思い出して魂と一致して生きていくのが目的です。
そのために体験が用意されています。
そのために自分とは何か、自分はなぜ生まれて来たのか、自分を知るために、自分に気づくために生まれてきました。
最初は目も鼻も口も耳さえも使えなかったかもしれない生き物です。
手も足も使えない。二本足で歩く事さえ分からなかったのです。
親がたまたま人間で、たまたま人間の肉体だったから人間だと認識していきます。
肉体的に認識していきます。
当然のように生きてきた私ですが (^^;)
当たり前じゃない。
そして徐々に心を持っている事を知り、感情を持っている事も知り、
心や感情の自分がどんなんだという事を知って行く。
大概自分の心なのに、自分の感情なのにそれが自分のものだと感情に気づいていない人もいます
その段階で、社会に混ざり、社会に合わせ、社会に惑わされ、社会に助けられ、社会に潰され、心を見失ったり、心を無くしたり、感情を抑え込んだり、感情をぶつけあったり、感情を壊したり、感情を捨てたり。
余程の事でない限り、自分の心が自律するまで立っていられる人っているのかなと思う程。
でも反対に、社会に混ざり、社会に育てられ、社会に守られ、社会に居場所を見つけ、大きな社会で愛いっぱいで自律していく人もいます。
どちら側も愛は愛なんだけど、その愛の価値観すらも色んな方向に広がっていくのが心で感情。
広がって行くうちに歪んでいく事もあったりして。
社会というのは人間一人から外を向いた時、
家族も社会、幼少期からの学校なども友達関係も、職場やサークル、人間社会です。
それは肉体的認識と同時進行で大人になって自立して、
心が自律するための社会。
その社会で自己承認欲求が求められていく。
社会に混ざった時の自分を知っていくためです。
いつまでも外を向いて人を観て人と比べて人を目指して、人を評価していると、昨日も話したように自尊心も目覚めず自分を過小評価のままで生きてしまうという事になる。
小さなころからの社会を思い出します。
自分の人生においてどんなグループやサークルや社会に所属していたか。
友達と言ったりしますが、ここでは全て友達という言葉よりも人間関係として捉えています。
私などはいまだに幼少期からの幼友達とも交流あります。
小学校、中学校、高校、美容関係、職場、子育て時期の親のサークル、PTAなど地域社会のサークル、趣味のサークル。
職場でも趣味でも地域社会でも一つではない。
そして、どんなグループもサークルも組織も社会も大小あってただの自分の居場所でもあります。
その居場所に自分を持って行き自分を知る。
そこでの体験を通して自分を知る。
人生を大きくとらえて観てみて、どんな時期にどんな居場所でどんな自分を知って行ってるか。
どんなキャラクターを演じているかでもあるし、奥底の自分を知って認められるかでもある。
居心地がよくてどっぷりつかっている時もあれば、不愉快でさっさと次へ求める場合もある。
どこへ行っても自分に満足できない場合もある。
それはやっぱり、自分を観ていない、自己承認欲求だけで自分は過小評価し、満足できないとなってる場合もある。
次へ次へといろんなサークルを求める場合もある。
そこのサークルを評価し、自分を見つけないでいる場合もある。
そこのサークルを評価するだけして抜けられない場合もある。
サークル社会などの中で満足できずSNSの社会に広く求める場合もある。
数値で評価を求めたり、いろいろ。
そう思うと私もいろんなグループやサークルや社会に所属していろんな自分を知りたかったんだなと気づいたなと (^^;)
たまたまそんなところに所属したつもりでも色んな自分に出会えた。
色んな自分を知った。
変な自分も知ったし、愛おしい自分も知った。
そう気づいただけでも生まれてきた甲斐があったと自己評価です !(^^)!
このブログを始めたのも自分の記録というより、私は自分の言いたい事を言いたかっただけという事でもありました。
自分が霊性の世界を体験したり、能力に目覚めたりしても何かのサークルで教えてもらった訳ではなかったので、体験から始まったもんで、それがいったい何なのかを確立していなかったので、それを分析して知りたかった。
自分の思い、自分の考え、自分の祈り。
そんな事を言いたかった。
その世界観を子供たちに残したかった。
そうしているうちにまた改めて自分を知ったりしながらです。
自分に気づくためです。
ここでも人の評価ばかり求めたり、人の評価で心が伏せたりしていたら私も壊れていたと思います。
もしか評価高ければ鼻高々になって鼻を折る事にもなるだろうし、もし評価低ければ落ち込みうつ状態になったかも知れない。
このブログではそれら全てをひっくるめて多くの自分を知れたように思います。
こんな事も自己承認欲求なんでしょうね。
ブログというのもアウトプットや備忘録だけの場ではない。
ただの備忘録なら自分だけの日記でも良いからです。
それを広く知らしめたいというのは
自己承認欲求を求めての場でもあると思います。
これは悪い事ではない、
色んな交流の仕方があるかだし、
そこに気づきや学びがあればです。
なので、ブログによっても自分に気づかなければただの自己承認欲求に終わって人の評価や数値が気になるんだと。
ただ広い世界広い社会(グループ、サークル)に広がったとしても自分を観ていないで広がったら迷子にもなります。
それでも自分に気づくんだと内観しながら自尊心育てながら同時に進行していたら良いのかなと !(^^)!
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