体験はそれぞれあっという間に終わるし、終わらせることができる儚いもの…という話でした (^.^)
それと共に感じた心はゆっくりと動く
終わりをしみじみに感じたり、余韻を感じたり、後戻りしたり、
ある意味じっくりゆっくり時間をかける
儚い体験の心に残る感情や思いは、記憶以上に強い痕跡になるという話でした
その記憶に残る痕跡に刻まれた心、思い、感情に気づいてやるかだという事でした
そしてテーマの初め方にも言っていましたが、どんな自分でも好きであるか、好きになれるか
人生の終わりに自分の人生が最高の記憶だと塗り替えられたか
最期に自分が大好きだったと言えるか
それが人生の成功なんでしょうね
「自分の事大好き」って…どんな感じでしょう
これはそれぞれ個々人、人類の課題なのでいろいろあっていいでしょうが
今の自分、記憶の中の自分、生命の最期の自分
たとえ傲慢な自分でも自分が心底誇れて好きならば…そこに自分の中の歪んだ理由が無ければ。
そう思うと昔の英雄なんかはそうであったかもしれませんね
世のため人の為と言いながら自分の意のままにも必要だったかもしれません
他人の事なんて微塵も感じず自分の為だけに突き進んで行ったのかも
でもその人の周りにいる人はそうでないかもしれません
そこから歪みの相関関係とか影響が始まっているんでしょう
そんな心の相関関係もいつしか爆発や分離が起こり繰り返すんですね
それも体験と同じで繰り返す
そしてその記憶と共に心の痕跡も存在し、爆発や分裂が繰り返されています
その繰り返しと共に痕跡も消えれば良いし、傷が残って認識すれば向き合えばいい
向き合うためにも起こっている繰り返し
親しい人間関係の中でも体験を共にして行く中で繰り返され
それぞれの自分の中で起こっている
その体験自体には意味も無いけど心の痕跡が残り、自分の中で葛藤が始まる
私も人間関係で出会いと別れを繰り返していますが
昔はこんな事にも気づかず、人に対して嫌な思いを残したり自分を責めたり悔やんだりしていましたが
ある時からは…
その時の時系列や事実をしっかり見つめ、俯瞰して観るようにし、自分に責任を取ろうとしたり、自分の感情と向き合ったり、自信を持とうとしたりするようになりました
その出来事で相手が感情的になったり、分離したりするのは仕方ないかなと思うようになりました
出来事の歪みの本質とエラーの本質も人の感情によってもっと歪みますから
双方の理解度も関わって来るし
その時でも自分が自分に恥じずにそれで良いと思うなら、人に胸を貸す場合もあるので (^.^)
友達関係にひびが入った事もありますが
それが喧嘩別れだとか、嫌いになっただとか、自分の記憶にどんなイメージを残すかでも変わります
傷を残さない様に歪んだ痕跡とならない様に思いや心の整理もして終わらせる方がベストでしょう
ある時、突発的に友達との間にエラーが起こり、相手は感情が高ぶり興奮し、事の成り行きを理解できない状況になり
相手の感情が理性も抑え、感情のまま言葉を吐き…という事もありました
こっちはそんな要因を与えたのか、そんな事はなく、あっけにとられた状態
事の成り行きを冷静に考えれば、なんでそうなるの?となるような事
相手は自責の念にさいなまれ、後になって
「どうせ私なんか」「私のせいかな」とか「もう私なんか嫌いやろ」とか言いますが
なぜそこまで…
全部あなたが勝手に捉え考え思っている事よねと考えれば分かる事
「もう私の事なんか嫌いやろ」って、私の方の気持ちまで勝手に決めちゃったり (^_^;)
人がどんなあなたを好きとか嫌いとか分かるの?
あなたは自分の事好きなの?
あなたこそ自分の事が嫌いじゃないの?
あなたは自分の事観えてるの?知ってるの?気づいているの?
なんて思ったりしてた
ちなみに私は状況把握するけど、それで相手を嫌いだとか好きだとかを判断しない
状況をどうにかすればイイやんとか、こう理解すれば良いんじゃないかとかは考えるけど
感情的になる事が一番のエラーだなと思う私です
人にはいろんなカタチで、自己肯定感が低い、自分に自信が持てない、自分を認められない、自己承認欲求の歪み…こんな事を解消するために色んな事が起こっている
それも過去の記憶の中の傷や歪んだ痕跡を消すため
露わに露出するための爆発や分裂。
それも必然な出来事
そして私は、勝手に人の心とか魂の起爆剤になっていたのかなって思ったり
それも儚いお役目でしょうけど (^_^;)
そんな自分も嫌いじゃない、見えない所で人と人の魂の役に立ってる (^.^)
冷静に俯瞰して、状況判断できるようにだけはしておこうかと (^.^)
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