いろいろ「自分に気づく」というのが人生のテーマでもある。
少なくとも私はそう考えて四半世紀以降を歩んできた。
そう気づいたのは大分後の事だけど、
思い返せばそうだったと納得したのでした。
その一つに「自己肯定感」という言葉でもあって、
自分がその自己肯定感が低く、自分を尊ぶことをしてなかったと気づき、
人生の中で自分を見つけ自分に優しく、自分を尊ぶことをしないでいると、人間関係の中でももがき、社会との関わりや繋がりも容易ではないという事にも気づきました。
関わるのは簡単でも、そこに存在する自分が本当に幸せでいるかどうかという事すら分からないでいる事にもなってしまうという。
それは肉体の自分と魂が一体化しているかいないかという事だったんだなと気づいた事でもありました。
その「自己肯定感」で、私はその肯定感が低かったことに気づいて、そんな自分からも無意識のうちに脱出しようと思っていた事にも気づき、いつしか解放されていた。
もちろん認識してからは多少の努力もして !(^^)!
というのもこの世の中何度も言うように陰陽の星、意識も表裏一体なんで、
両方の面を持っているんですよね。
長所が短所であって、短所が長所にもなる……みたいな。
そんな自分のどちらも知る事によって自分を認められるようになる。
両方の自分を好きになる。
どちらの自分も尊重尊敬できるという事なんですよね。
ここ近年、人のためだけではなく自分の閃きにも気づきたくて一人行動をしている私だったんですが、
一人で行動してても中々緊張から解き放たれないという話をしていました。
誰かに観られているようで、ここでこんな事してて良いのか、ここでこんなリアクションしている自分が正しいのか本当なのかふと気になったりして、心底楽しむことが出来ているのかという自分を客観視している自分がいました。
それってまだ緊張してどこか自分を不安に思っている自分がいるんだなと思ったりして、
誰が観ている訳でもなくて、誰かに評価されるってことも無くて、
そんな事気にしている自分の「自意識過剰」だなという事に気づいたんです。
それも結局のところ、「自意識過剰」もプラスに働くかマイナスに働くかであって、表裏一体だなと (^^;)
それは人間に生まれ、自我に目覚め、そこから自己承認欲求をもって進んでいく上で、常に意識がプラスに働くかマイナスに働くか、
そのバランスを取っていくという。
その中心はいつでも自分自身なんだなと自分が認識し、目覚める事なんです。
その自分の奥には「全ては一つ」「魂は一つ」という魂の源があるという事に気づくためでもあるんだなと。
自分というのは魂の源からの分身でもある。
魂の源である愛とか光とか神様の分神でもあるからだろうなと !(^^)!
行きつくところ、到達点は宇宙
意識も宇宙意識なんだなと。
そう解っていても一つ一つ体験を重ねる事によって確認していくと奥深く理解できるもんです。
まだこれからも一人行動もして、
地域やもっと広くの人のためにも行動して、
いつでも幸せを実感できる自分を観ていたいなと !(^^)!
人と繋がってみんなも幸せでいるのを実感してる自分も観ていたいなと (^.^)
自意識過剰になり過ぎた上で承認欲求発動すると、ある意味身勝手になるかもしれないけど、根底に愛がある限りそれもオーケーなんですよね !(^^)!
愛のバランスって奥深いわ~ (笑)
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