入院中だったハハ(姑)の容体が急変した。
その日の朝に見舞った後、病院からの連絡で昼過ぎにもう一度、駆け付けた。
エブリさんと二人で見守る中、ハハは95歳の生涯を閉じた。
葬儀式の後、お世話になった方々への挨拶回り等を済ませ、ひとまず一段落した今日。
なんとなくぼんやりと過ごす中で、ハハと暮らした日々を想う。
昭和48年、結婚と同時にエブリさんとハハと三人での新しい暮らしが始まった。
ちょうどオイルショックのあった年である。
近くのスーパーの棚に、ほんとうにトイレットペーパーが1個も並んでいなかった。
そしてガソリンの値段が倍になったような?記憶も残っている。
思えば、自分の母親と暮らした22年の倍の日々をハハとともに暮らしたことになる。
一緒に食卓についた回数はもとより、エブリさんよりも多くハハと食事をともにしたと思う。
そんなに話すことは多くなかったが、それでもご近所の事、友人の事、家族の事など折に触れて話した。
そんな世間話、笑い話、愚痴話を思いおこしている。
今頃ハハは、待っていてくれた大勢の家族と再会を果たし、我々とともに暮らしたあれこれの話に花を咲かせてくれていることと思う。
今年の二月に自分の母を送り、そして十二月にエブリさんの母を送った。
なんとなく空虚感もあるが、無事に見送ることが出来たことの安堵感もある。
空の上から二人の母に見守ってもらいたいと切に思う。
(二つ返事で引き受けてもらえるよね(^-^;)
その日の朝に見舞った後、病院からの連絡で昼過ぎにもう一度、駆け付けた。
エブリさんと二人で見守る中、ハハは95歳の生涯を閉じた。
葬儀式の後、お世話になった方々への挨拶回り等を済ませ、ひとまず一段落した今日。
なんとなくぼんやりと過ごす中で、ハハと暮らした日々を想う。
昭和48年、結婚と同時にエブリさんとハハと三人での新しい暮らしが始まった。
ちょうどオイルショックのあった年である。
近くのスーパーの棚に、ほんとうにトイレットペーパーが1個も並んでいなかった。
そしてガソリンの値段が倍になったような?記憶も残っている。
思えば、自分の母親と暮らした22年の倍の日々をハハとともに暮らしたことになる。
一緒に食卓についた回数はもとより、エブリさんよりも多くハハと食事をともにしたと思う。
そんなに話すことは多くなかったが、それでもご近所の事、友人の事、家族の事など折に触れて話した。
そんな世間話、笑い話、愚痴話を思いおこしている。
今頃ハハは、待っていてくれた大勢の家族と再会を果たし、我々とともに暮らしたあれこれの話に花を咲かせてくれていることと思う。
今年の二月に自分の母を送り、そして十二月にエブリさんの母を送った。
なんとなく空虚感もあるが、無事に見送ることが出来たことの安堵感もある。
空の上から二人の母に見守ってもらいたいと切に思う。
(二つ返事で引き受けてもらえるよね(^-^;)
>二つ返事で引き受けてもらえるよね(^-^;
思いますよ
先日、叔父が天国に旅立ちました。
わかっていても寂しいですよね…
きっと天国で祖母や伯母たちに土産話をしていると思います。
>思いますよ
大変うれしいお言葉、有難うございます。
ハハと母から届いたように思いました。
>天国で祖母や伯母たちに土産話をしていると思います。
叔父様、お悔やみ申し上げます。
叔父様も天国で待っていらっしゃるご家族の方とお土産話に花を咲かせていらっしゃることでしょう。