
『ウィンターズ・ボーン』を監督したデブラ・グラニックが放つ、この世に巣くう物質文明をあくまでも拒否する父ウィル(ベン・フォスター)と娘トム(トーマサイン・マッケンジー)のサバイバル、といってもアドベンチャーらしき見せ場は一切登場しない。PTSDを患っている退役軍人ウィルが娘トムを連れて、居場所を求めて森を転々とするだけのサッド・ムービーなのだ。
「行かなければならない」
「どうしても無理なの」
「.......」
このウィルの「.......」の時の気持ちが理解できない人は、最初からこの映画を見ない方がいいだろう。なぜなら、どうしても社会の一員として普通の生活を送ることができない人々に共感を寄せている作品だからだ。
普通の映画なら、ウィルとトムの親子を社会の中で飼い慣らしていくようなわざとらしい顛末におちついてしまうところだが、デブラ・グラニックはあくまでもこの父と娘を森へ、森へと誘うのである。役所の人間から暖かい家と仕事まで与えられたのに何故また森へ?とご覧になった皆さんは不思議に思うのかもしれない。当然、ウィルの戦争トラウマが引き金になっているのは間違いないが、社会のルールに適合するよう作り笑いを浮かべながら生活することが苦痛でしょうがない、そんな人種がこの世には確かに存在するのである。
「ホームレスなの?」
「父が家よ」
社会に溶け込む素養を持ち合わせながら、人間嫌いの父親をどうしても見捨てることができず、ウィルの足跡をトレースし続けるトムなのだ。そんなウィルたち親子を社会的不適格者として邪険に扱う人間がほとんど出てこないのもこの映画の特徴。「あなたの生き方を尊敬します」といって家と仕事を提供してくれる林業家、助けを求めてきた親子を黙ってトラックに乗せてあげる運転手、森の中で怪我をしたウィルを理由も聞かず治療する元衛生兵.....
おそらく親子に優しく接してくれた人々は、ウィルと同じ心の傷に悩む傷病兵たちなのだろう。軍が支給する鎮痛剤のせいで家庭がめちゃくちゃになり、ウィル親子のような生活を送ることになったヒルビリーたちが病んだアメリカに多数棲息することを、この映画は無言のうちに知らせようとしているのである。宝石のごとく青く澄んだトムの眼と対照的などんよりと曇ったウィルの眼差しを見た瞬間、ああこいつは俺と同じ臭いがする助けてやらにゃ、と直感したのではないだろうか。
「行かなければならないと思ってるのはパパだけよ、私は違う」
森との辺境に築かれたコミュニティが気に入りとどまることにしたトムは、父親との別れを決意するのである。だが、少女はおそらく森の側を離れようとはしないだろう、傷ついた父親を近くからそっと見守るために......
足跡はかき消して
監督 デブラ・グラニック(2018年)
オススメ度[


]



