ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ハイ・ライフ

2022年09月16日 | ネタバレ批評篇


ブロック・バスターからミニ・シアター系まで、ありとあらゆるジャンル作品に引っ張りダコのロバート・パディンソン。そして、フランス映画界ではすでに確固たる地位を築いている女流監督クレール・ドゥニとのコラボは、映画批評家からの評価も著しく高く、SF映画の傑作とも評される作品だ。久々にちょっと真面目にレビューを書いて見たくなった1本である。

まずタイトルの『ハイ・ライフ』についてふれておきたい。天より高き宇宙を舞台にした作品であることはいうまでもなく、ビノシュ演じる家族皆殺し女医デプスが処方する“ヤク”によって、実験台となった死刑囚たちが“ハイ”になっていることとも関係しているのだろう。宇宙における生殖実験が目的の航行ゆえに、やりまんデプスを筆頭に皆さんヌキまくりなのだが、唯一修道僧のごとき“高潔”を保っているモンテ(パディンソン)が主人公なのである。

『2001年宇宙の旅』に逆オマージュを捧げた映画冒頭、このモンテと女の子の赤ちゃんウィローだけが生存している空っぽの宇宙船が登場する。映画は、その他元死刑囚のクルーたちが、精液と血液にまみれながら次々と命を落としていくシーンをフラッシュバック形式で映し出していく。監督のクレール・ドゥニ曰く、もはや地球に戻ることは不可能な距離まで離れてしまった宇宙船内のお話で、登場人物たちは実際この時点で地球が存続しているのかさえ怪しい絶望的状況におかれている、という。

劇中、チラッと触れられている“ペンローズ過程”についてここで述べておきたい。自転するブラックホールにゴミを容器にいれた状態で投棄した後、容器のみを回収すると電力を得られるという仮説、確か『インターステラー』にも登場していた一種の思考実験である。本作にいう“ゴミ”とはまさに、モンテたち死刑囚のことであり、“電力”に相当するのは、不可能と思われていた生殖の結果誕生したウィローということになるのだろう。

性行為なしの生殖実験を繰り返すクルーたち(モンテは除く)は、ボックスと呼ばれる変態オナニーマシーンのお世話になりながら、無重力の閉鎖空間で次第に精神をおかされていく。ある者は“庭”と呼ばれる野菜栽培場で土に帰り、ある者は白血病や妊娠中毒で死亡する。そんな時、レイプ未遂事件が発生し、その余波でデプスを含むクルーの大部分が亡くなってしまうのだ。重傷を負ったデプスから「ウィローはあなたと私の子よ」と告げられるモンテ。

人工ヴァギナを装着しているデプスは、すでに赤ちゃんを産めない身体になっていて、睡眠薬で眠らせたモンテを逆レイプして精液を採取、それをクルーである別の女の卵子に受精させて産まれたのがウィローだったのだ。いわば受胎告知とおなじ不性行為妊娠によって産まれた“スペシャル”な存在というわけ。このあたりから物語が俄然宗教チックに変換していく。やがてウィローが美しい少女に成長し初潮を迎えた時、二人の前に巨大なブラックホールが姿を現す。「いって、みようよ!」

この映画には、いわゆる“タブー破り”のシーンが実に多く登場する。モンテのイクメンもさることながら、女性クルーたちへの容赦なき暴力、デプスの逆夜這いしかり、肉体よりもマシーンを選択するSEX、ブラックホールにゴミ箱を投棄するというペンローズ過程にしても、今までの宇宙物理学の常識を覆すような画期的アイデアといえるだろう。そして今SF最大のタブーは、ラスト、ウィローの艶かしい微笑みによって観客に暗示される。

絶望の淵に立っていたはずの2人の顔はなぜか晴れやかで、心なしか希望さえ感じとれる。自分の肉体の一部から作られたイブと交わったアダムのごとく、おそらくこの後モンテは自分の娘と交わるという“タブー”をおかすのである。人類の始祖たちがそのタブーによって産まれたように。絶望が蔓延する現代の閉塞感を打破するキーワードは、タブーを破ること、ただしスカトロや🐺姦はやめておこうね、という作品なのかもしれません。

ハイ・ライフ
監督 クレール・ドゥニ(2019年)
オススメ度[]

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