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屋嶋城へ行ってきました
城攻め(四国)
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2023年03月11日 14時09分55秒
香川旅行2日目。高松市北東部にある屋嶋城へ行ってきました。
屋嶋城はその名の通り、屋島という島の上に築かれています。ただ、元は独立した島だったのですが、江戸時代の干拓によって、今は陸続きになっています。
元々は白村江の戦いに敗れた日本が、唐からの侵攻に備えて九州北部や瀬戸内海に多数築いた古代山城のひとつで、667年に完成しています。そのため、屋嶋城は「やしまじょう」とも読みますが、「やしまのき」と読みます。
結局、唐から日本列島への侵攻はなく、時期は不明ですが屋嶋城は廃城となりました。
日本史において、屋島で最も有名な出来事といえば、源平合戦のひとつ、屋島の戦いでしょう。
平安末期にはすでに屋嶋城の城塞としての機能は失われていたと思いますが、それでも屋島の独特な地形は守りに適しており、ここに平家が陣を張ります。
一方の源氏は水軍を持たないために四国への進軍に難渋します。しかし嵐の中を突いて、源義経が寡兵ながら摂津から阿波へと上陸すると、屋島の平家軍を急襲。海にばかり注意していた平家軍は、干潮を利用して直接攻めてきた義経軍に慌てふためき、海上へと逃げだします。
一旦は引いた平家軍ですが、義経軍が案外少数であることに気づいて海戦に持ち込みます。結果論でいえば、平家は数的優位のあったこの段階で必死こいて屋島を取り戻せればよかったのですが、源氏の方に援軍がやってきたため、西へと退却していきます。屋島を押さえたことで瀬戸内海における優位を確立した源氏は、最終決戦の地・檀ノ浦へと平家を追い詰めていくことになります。
この屋島の戦いで、義経が取り落とした弓を拾う逸話(小柄だった義経は小ぶりな弓を使っていたため、「源氏の大将はこんな貧弱な弓を使っている」と思われないよう、危険を承知で戦場のただなかへ拾いに行った)や、那須与一が扇を射落とす逸話などが生まれています。
琴電志度線の、琴電屋島駅からスタート。
北を見上げると、にょきっと突き出した岩山が見えます。屋島は大きく南嶺と北嶺に分かれているのですが、これが南嶺のさらに南端にある、冠ヶ嶽です。
YAMAP のルート図を見ると、この冠ヶ嶽にダイレクトに登っていくルートもあるようなのですが、そこは結構な岩登りが必要です。さすがにキツそうなので、今回はもう少し普通のルートを使います。
屋島の南のふもとには、廃墟となっているケーブルカーの駅跡地があります。
かつては多くの観光客を、屋島の上に運んでいたようです。
現在はシャトルバスがあるようなので、屋島観光をする人はこちらを利用しましょう。
駅跡地の近くには、大宮八幡神社があります。
さらに北上し、墓地の中を進んだ先に、獣除けの柵があります。この先から山道となっていきます。
この分岐を右に進むと、屋島を登っていくルートになります。
柵の辺りにも「猪注意」の看板が掛けられていたのですが、登り始めてすぐに猪が掘り返したっぽい跡がありました。いかにも何か出てきそうで怖かったです。で、怖がりすぎて、遠くに見えた切り株が猪に見えたりちゃったりもして、大変でした。
しかもこの上りが、かなりの急登だったんですよね。
屋島はその地形から、とりあえず上まで登り切ってしまえば、それ以降はキツイところはないはず。それに加えて猪が出そうな雰囲気があったこともあって、ついつい急ぎ足になってしまいました。
おかげでペースが早すぎて、めちゃくちゃ息切れしてしまいました。
岩をよじ登るところもあります。
石垣っぽいものもありましたけど、城の遺構かどうかはよくわかりません。
苦労して登りきると、突然車道に出ました。ふもとからの比高はおよそ200mくらいですけど、かなりきつい登り道でした。
屋島の上は普通に車でも来ることができる観光地なので、山登りはここでいったんおしまいです。
まずはここから南へ向かい、冠ヶ嶽を目指します。
南へ向かうと廃墟に出ます。
ここにはケーブルカーの駅があります。あの坂道を登るのは結構大変だったので、ケーブルカーの需要もそれなりにあったでしょうね。
廃墟からさらに南へ。
冠ヶ嶽まではほぼ平坦な道のりです。
5分ほどで冠ヶ嶽に到着。冠ヶ嶽は標高260mです。
南を見ると市街地が広がっています。
東には五剣山が見えます。その名にふさわしい、ごつごつとしたいかつい山容です。
冠ヶ嶽から北へ戻り、南嶺の中心部にやってきました。
ここから南に下りていくと屋嶋城の城門跡があるのですが、そこは帰りに訪れることにして、まずは南嶺を一周することにします。
まずは南嶺の最高峰っぽいところへ。
屋島はメサなのでピークっぽいところは良くわからないのですが、この何かの塔がある辺りが南嶺の最高峰のようです。標高は292m。
にゃーん。
屋島には、四国八十八ヶ所めぐりの第八十四番、屋島寺があります。
南嶺の西側には、ホテルとか水族館とか土産物屋とか、いろいろな商業施設が並んでいます。
獅子の霊巌と呼ばれる展望台から、西側を望んで。
高松港や瀬戸内海の海がよく見えます。
屋島の先端、北嶺側です。
ホント、きれいに真っ平らですよね。
屋嶋城の看板や説明版などはちらほらありますが、この辺りには遺構的なものは見られません。坂の下の方にはまだ何かしらあるようなんですけど、ここをまた下りるのは大変なのでやめておきます。
北嶺を目指して北へと向かいます。
北嶺への道は基本舗装路なのですが、右側に山道っぽいルートもあったので、そちらを進みます。
ただこちらのルート、思っていたよりも険しかったです。他のエリアがあまりにも観光地だったのでちょっと油断していました。まあ、そこまで危険というわけでもないですけどね。
この山道から東側を見ると、屋島の合戦の古戦場がよく見えます。
その先はまた、進んでいいのかどうかよくわからないくらいのルートだったりするんですけど。
一旦舗装路に合流した後、また山道に分け入ったりします。
そんなこんなで北嶺に到着。
北嶺は南北に並行して、3本くらいの道が走っており、その東側の道を通って北へと向かいます。
東側の海が見えます。
北嶺もやっぱりピークが明確ではないのですが、一応この辺りが北嶺の最高峰っぽいです。
ところどころに展望台があり、眺望を望むことができます。
北嶺の最北端へ。
北嶺の北端には遊鶴亭という東屋があります。
遊鶴亭から望む瀬戸内海。
屋島の本当の先っぽには「長崎の鼻」という場所があります。
長崎の鼻には古墳だったり神社だったりがあって、時間に余裕があれば寄りたかったのですが、往復すると1時間はたっぷりかかりそうなんですよね。この後のスケジュールを考慮して、今回は諦めました。高徳線が30分に1本くらいあれば行けたかもしれないんだけどなぁ。
今度は西側のルートを通りながら、南へと戻っていきます。
南嶺へ戻る前に、千間堂という仏堂跡に寄ります。
低い柵で囲まれていますが……。思っていたより何もない場所でした。
南嶺へ戻るルートは、来るときに通らなかった舗装路を利用します。
こっちのルートだと、石積みの跡を見ることができます。
南嶺の東側にある、談古嶺という展望台から東側を望んで。
屋島の戦いの激戦地が目の前に広がっています。北嶺へ向かう山道は歩くのもまあまあ大変なので、一般的にはここから見るのが良さそうです。
談古嶺から南に進むと、観光旅館の跡地があったのですが、ガラスが割られ、落書きだらけで、ひどい有様でした。
管理者がいなくてどうにもならないのかもしれませんけど、観光地的にはこういうのが残っているといろいろ悪影響があると思うのですが、何とかできないんですかねぇ。
その近くにはエドマンド・ブランデンの詩碑がありました。エドマンド・ブランデンは大正から昭和にかけて、東大で英文学を教えていたイギリスの詩人。夫人とともに屋島を訪問し、その印象を求められるままに書き下した文章が刻まれています。
南嶺と北嶺を一周してきたので、いよいよ城跡的な見どころの本番、城門跡へ向かいます。
上から見た城門跡。
城門の上から高松市街を眺めて。
全体的には石造りですが、通路は現代的な階段や手すりが付いています。ちと雰囲気がありませんけど、安全性を考えると仕方がないんでしょうね。
城門の下から、石垣を見上げて。
城門から急な階段を下っていきます。
屋島には四国八十八ヶ所めぐりの屋島寺があるので、お遍路さんの格好をした人とも何人かすれ違いました。
私が上りで使ったルートほどではない気がしますが、ここを登ってくるのもなかなか大変そうですね。
階段を下り切ったところにお地蔵様の集団がいました。
そこからさらに下ったところにもお地蔵様が。
お地蔵様の手前にある湧水があるのですが、それは「加持水」と呼ばれる弘法大師が祈祷をしたといわれる水で、干ばつが起こってもこの湧水はけして絶えることがないと言われています。ほんと、弘法大師の伝説っていろんなところに存在していますね。
行きとはちょっと違うルートを通って、琴電屋島駅まで戻りました。
※クリックで拡大します。
琴電屋島駅から屋島を大体一周して、行動時間は3時間5分、移動距離は11.7㎞、累積上りは544m、累積下りは545mでした。
古代山城なので仕方がないんですけど、全体的に眺望のよいポイントはたくさんありましたが、城の遺構はそれほど多くはありませんでしたね。城門跡が復元されただけでも大したものだと思います。
それからやっぱり、登りがキツかったっす。もう少し登りやすいルートも他にあったとは思いますが、基本的には周囲をぐるりとこんな感じの斜面が取り囲んでいるわけで、防御施設としては理想的です。
ただ、頂上はかなり広いので、きちんと運用するためにはそれなりの兵数が必要かもしれませんけどね。実際平家軍も、周囲の島々に分散していたりして、屋島にはそれほど多くの兵は駐留していなかったようですしね。
ちなみに、アップダウンはこんな感じ。
この後、JR高徳線に乗って東へ移動。香川県東かがわ市にある引田城に行ってきました。
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